💫4}─4・B─日本列島と日本海の成り立ちで切っても切り離せない関係。~No.34No.35No.36 

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 2024年1月25日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「じつは「日本海と日本列島」の形成は、切っても切り離せなかった
 日本海の夕日 photo by gettyimages
 ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが発見した「フォッサマグナ」は、日本列島の成立や、今後の変化や姿を考えるのに非常に重要な地質構造であると言われています。
 【画像】日本海形成の要因は…?断層の種類も図解
 しかし、それと同時に、謎もまた多く、そもそもその範囲さえ確定していません。
 南北で大きな地質学的な違いがあるフォッサマグナは、地層をつぶさに観察することで、成立のストーリーがかなり見えてきますが、じつは日本を取り巻く海洋の地形や成り立ちとの関係で見てくると、より一層その特異な姿が浮かび上がってきます。
 海から見たフォッサマグナ。まずは、日本海編をお届けします。
 *本記事は、『フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体』の内容から、再編集・再構成してお送りします。
 海に漕ぎ出すから見えることがある
 奥秩父甲武信ヶ岳を源に、北部フォッサマグナをたどってきた信濃川が、新潟市日本海に注ぐ。日本海フォッサマグナの関係を見てみよう photo by gettyimages
 フォッサマグナの北部と南部では形成過程に決定的な違いがあるらしいことがわかりました。すると、フォッサマグナがどうしてできたのかを考えるためには、いったん、南北を切り離してそれぞれについて考えていく必要がありそうです。
 しかし南北いずれにしても、次に目を向けるのは海です。
 フォッサマグナのおもな領域は海岸線が少ない中部地方ですから一見するとあまり関係なさそうですが、その正体を知るためには、海に漕ぎ出していかなくてはならないのです。
 まずは、北部フォッサマグナから見ていきましょう。日本列島の周辺には、「縁辺海」と呼ばれる海がいくつもあります。縁辺海とは大陸の縁にある小さな海洋という意味で、日本の場合は基本的に、ユーラシア大陸の縁辺海ということになります。北からベーリング海オホーツク海日本海東シナ海南シナ海などです。
 そして、北部フォッサマグナの成立と非常に重要な関係にあるのが、日本海です。
 いまだにわからない日本海の形成史
 ところで、私はいま「日本海ができたあと」と言いましたが、「日本海ができる」とは、どういうことなのでしょうか。日本海はもともとどのようなもので、どのようにして現在のような姿になったのでしょうか。実はこうした日本海の形成史については、いまだに結論が出ていない状況で、多くの研究者がさまざまな説を唱えています。
 フォッサマグナについての謎も、もとをただせば日本海の であるともいえるのです。とりあえず以下に、現在までに定説とされていることを紹介していきます。
 日本海形成の定説
 日本列島はかつて、ユーラシア大陸の東縁にくっついていました。それが中新世のおよそ17~15Ma頃にユーラシア大陸から離れて、日本海を形成するとともに現在の位置に来ました。ここまでのことに関しては、ほとんどの研究者が同意しています。
 この議論は、古くは地球物理学者であり文学者でもあった寺田寅彦が1934年に発表した「日本海々底の形態」という論文に始まっています。そこには、このように書かれています。
 「日本嶋弧(筆者注:島弧)がもしも往昔(筆者注:むかし)大陸の東橡(筆者注:東縁)から分離したものであるというヴェーゲナーの考が正しいと仮定すると、現在の日本を逆に大陸の方に押し付ければ、或ある程度まではうまく間 なく接合されなければならない。」
 寺田は、ウェゲナーの大陸移動説を日本海にあてはめたのですが、論文が発表された時期を考えると、それはきわめて斬新なものでした。大陸移動説は1912年に発表されていましたが、なかなか認められず、1930年にウェゲナーがグリーンランドを調査中に死亡して、大陸移動説も否定されてしまった直後だったからです。
 寺田の考えは観測事実にもとづいたものではありませんでしたが、アイデアとしては多くの研究者に受け入れられました。
 時は下り、1985年から2003年にかけて実施された、世界中の海底を掘削して調査する国際プロジェクト「国際深海掘削計画」(ODP)によって、日本海の形成史はかなり明らかにされました。
 九州北部から、山陰、北陸の能登で、大地が裂けた!
 日本海の海底地形。日本海盆大和海盆対馬海盆などの低い平と、大和堆などの高まりがある(国土地理院「新版日本国勢地図、日本国勢地図帳より)
 世界中の海底を掘削して調査する国際プロジェクト「国際深海掘削計画」(ODP)による日本海の調査から、19Ma頃に、まだ大陸の東縁にくっついていた日本列島では、現在の九州の対馬能登半島西南日本鳥取や島根などにあたるさまざまな場所でリフト(大地の裂け目)が形成されて、それが裂けていくリフティングという現象が始まったとされています。
 これによってできた裂け目が拡大して、大陸と日本列島の間に巨大な湖ができました。こうした日本海の拡大は、男鹿半島の地層に記録されています。
 図「日本海の海底地形」をご覧ください。
 現在では、さまざまなデータを総合的に解釈して、日本列島は20Maにはアジア大陸の東縁に位置していましたが、その後、少しずつ大陸から分離しはじめ、およそ17~15Maに現在の場所に移動してきたと考えられています。拡大が終わったのは15Ma頃とされています。
 日本海拡大初期の岩石を採取できれば…じつは「至難の業」
 さかさまにした日本列島
 以上が日本海の形成についての、現在ではほぼ定説とされている考え方です。ここで「さかさまにした日本列島」の図を度載せておきましょう。これをご覧いただくと、ふだん「海」として見慣れている日本海が、拡大した「湖」のように見えてくるのではないでしょうか。
 しかし、これらの年代は日本海の海底から直接決められたものではありません。陸上の火山岩を使った放射性同位体測定から、間接的に見積もられたものです。深海掘削のほかにも、日本海の拡大を視野に入れた地質調査や古地磁気学的な研究などが進められてきましたが、いずれも決定的な証拠を得るには至っていません。
 今後は日本海の最も底にある基盤岩、すなわち拡大が始まった最初期の岩石が海底から直接得られ、その年代がわかることが、日本海の拡大を知るうえでは決定的に重要です。しかし、これはまた別の機会にくわしく述べたいと思っておりますが、至難の業なのです。
 こうしたことから、日本海の拡大の年代のみならず、そもそもどのようにしてリフトが形成され、拡大が起こったかというメカニズムについても、一致した考えは現在に至ってもなお得られていないままなのです。そうした日本海形成の諸説のなかでも、代表的な説を、また別の機会にご説明したいと思います。

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 フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体
 明治初期にナウマンが発見した、日本列島を真っ二つに分断する「巨大な割れ目」フォッサマグナ。その成因、構造などはいまだに謎に包まれている。日本地形を作る謎の巨大地溝に、地学のエキスパートが挑む! 

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 藤岡 換太郎
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 1月25日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「移動だったり、断層だったり、マグマだったり…いまだに謎「日本列島の折れ曲がり」に影響した「日本海形成7つの説」
 藤岡 換太郎
 ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが発見した「フォッサマグナ」は、日本列島の成立や、今後の変化や姿を考えるのに非常に重要な地質構造であると言われています。
 しかし、それと同時に、謎もまた多く、そもそもその範囲さえ確定していません。
 南北で大きな地質学的な違いがあるフォッサマグナは、地層をつぶさに観察することで、成立のストーリーがかなり見えてきますが、じつは日本を取り巻く海洋の地形や成り立ちとの関係で見てくると、より一層その特異な姿が浮かび上がってきます。
 海から見たフォッサマグナ日本海編、その誕生をめぐる諸説について、見ていきます。
 【書影】フォッサマグナ
 *本記事は、『フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体』の内容から、再編集・再構成してお送りします。
 日本海形成の七つのモデル
 日本海でなぜ拡大が始まったのかについては、現在、どのような考え方があるのでしょうか。
 【図】現在、考えられている日本海拡大のイメージ現在、考えられている日本海拡大のイメージ
 さまざまな研究者によって、以下のようにおよそ七つのモデルが提案されています。
 陥没説
 大陸移動
 沈み込みによるマントルの上昇説
 プルアパートベイズン説
 トランスフォーム断層
 ホットリージョンマイグレーション
 オラーコジン説
 このうち、1. だけは日本列島がいまの位置と変わらないというモデルで、2. 以下はすべて大陸から離れて現在の位置にまで移動してきたというものです。それぞれのモデルの概要を紹介していきましょう。
 「初期のモデル」顧みられなくなったもの、発展したもの
 まずは、1. 陥没説です。日本海全体が現在の位置で、どすーんと陥没したというモデルです。
 かつては一世を風靡し、多くの人が疑いをもたなかった考えでした。しかし、プレートテクトニクスが生まれて、日本海日本海盆が海洋地殻をもつこと、つまり海洋地殻(海のプレート)が移動して沈み込んでいることがわかってからは、顧みられなくなりました。
 次の「2. 大陸移動説」は、前述した、寺田寅彦が提案したモデルです。日本列島が大陸から移動していまの位置に来たとする考えの草分けで、ウェゲナーの大陸移動説を日本海に応用したものです。
 日本列島の移動を古地磁気の研究から提唱した人もいます。乙藤洋一郎のグループは日本列島のいろいろな場所から岩石を採取して、その磁気を調べました。
 よく知られているように、地球の磁場は変動していて、磁気的な北極と南極の位置は動いています。岩石には地磁気が記録されていて、それを調べれば、その当時の地球磁場ではどこが北の方位だったか(古地磁気方位といいます)がわかり、岩石の方位が確定できるのです。
 乙藤らはそのうち、およそ15Maよりも古い岩石についてまとめました。すると、東北日本の古地磁気方位は平均すると現在よりも西に偏っていましたが、西南日本では反対に、現在よりも東に偏っていました(図「15Maより古い岩石の古地磁気方位」)。
 【図】15Maより古い岩石の古地磁気方位15Maより古い岩石の古地磁気方位。北の方位が東北日本は西に、西南日本は東に偏っていた(高橋2014による)
過去の地球磁場が現在と異なっていたとしても、東北日本西南日本でこれほど「北」の方位が違っていたとは思えません。とすると、この差異は、東北日本西南日本がそれぞれ別々の回転運動をして、別々に現在の位置にまできたと解釈するしかないでしょう。
 東北日本は反時計回りに、西南日本は時計回りに回転
 こうしてわかったのが、東北日本は反時計回りに、西南日本は時計回りに回転したため、もともとは北にそろっていた古地磁気方位が反対向きになってしまったということです。このことを「日本列島の折れ曲がり」として先駆的に提唱したのは川井直人でした。
 日本海を隔てて大陸側の海岸線を考慮し、東北日本西南日本をそれぞれ回転させながらもとに戻すと、日本列島は大陸の縁にほぼ間なく収まります)。
 そして、日本海は大部分がなくなります。乙藤らは、日本列島はかつて大陸の縁に位置していたのが、東北日本西南日本がそれぞれ反対向きに回転しながら南東に移動したために、その背後が広がって日本海が形成されたことを古地磁気学的に主張したのです。これは「観音開き説」とも呼ばれています。
 沈み込みによるマントルの上昇説
 島弧の火山がどうしてできるのかについて明らかになってきたときに、その一環として縁辺海も同様にしてできたという考えが提案されました。東北日本弧には太平洋プレートが沈み込んでいます。
 沈み込んだプレートからは水が放出されて、マントルの融点が下がり、マントルは融解してマグマが発生します。マグマは上昇して、地表に火山列を形成します(図「島弧―海溝系のイメージ」)。
 【図】島弧−海溝系のイメージ島弧−海溝系のイメージ。プレートが沈み込むと融けてマグマとなり、火山をつくる。火山の列が島弧になる
 このことを実験的に確かめた久野久、久城育夫、巽好幸らは、日本海の地下のかなり深い場所でマントルの部分融解(あるいは温度異常)が起きたことで大量のマグマが発生して、リフトが大地を裂き、日本海を拡大させたという説を提唱しました。
 太平洋プレートの沈み込みに関しては最近、高橋雅紀が日本海溝の「ロールバック」による海溝の後退によって日本海が拡大するという説を出しています(3. 沈み込みによるマントルの上昇説)。
 ここで説明するのはやや難しいのですが、海のプレートの沈み込みとはプレートが「消費される」ということであり、それを補うために海溝が後退する結果、陸のプレートが伸びて裂け目ができ、リフトになるという考え方です。
 新たな陥没説、日本海誕生をシミレーション
 前の記事で触れた国際深海掘削計画(ODP)や深海掘削計画(DSDP)では、日本海の航海が三つ計画されました。その一つの共同主席研究者だった玉木賢策が、フランスの若い研究者ローラン・ジョリベと考えたモデルです。当時、地質調査所(現在の産総研)にいた玉木は、日本海の海底地質図を作るための航海に参加して音波探査をおこない、日本海の堆積構造をくわしく調べていました。
 彼らは日本海の北側(東側)にある横ずれ断層と、南側(西側)にある対馬あたりを通る横ずれ断層の二つの組み合わせがセットでずれることで、両者の間の部分が引っ張られて空洞ができて、日本海が陥没したと考えたのです(4. プルアパートベイズン説)。そういう意味では一種の陥没説かもしれません。
 この説の難点は、そもそも南北両端の断層が横ずれであることや、それらが同時に動いたことを示す証拠がないことです。玉木は2011年に逝去したので、それを尋ねて確かめるすべはありません。
 5. トランスフォーム断層説は、相馬恒雄と丸山茂徳が提唱したモデルで、日本海の中にはたくさんのトランスフォーム断層(プレートどうしによる横ずれ断層。図「断層の種類」参照)があって、それらが日本列島を南へ押しやり、その間に日本海ができたという考えです。
 【図】断層の種類断層の種類。「正断層」は両側から引っ張られて生じる。「逆断層」は、両側から圧縮されて生じる。「横ずれ断層」は、断層面に平行に生じる。プレートどうしの横ずれ断層は「トランスフォーム断層」と呼ばれる
さきほど述べたように、日本海の中にはたくさんの海山や海台があります。それらの中には大和堆のように、巨大でありながら火山活動とは無関係のものもたくさんあります。
 相馬と丸山はこれらの「邪魔物」を整理して、日本海をいったんすべて元通りに閉じてしまうという架空の作業をおこないました。そして、これらの邪魔者を現在の位置にもってくるために必要なトランスフォーム断層をたくさん仮定して、この説を提出したのです。
 この説の難点は、たくさんのトランスフォーム断層があったという痕跡が、実際にはどこにも残っていないことです。また「邪魔者」を整理する方法が一通りではなく、どのような組み合わせも可能と思われることです。
 軟らかいマントル「プルーム」に注目
 6. ホットリージョンマイグレーション説は、都城秋穂(みやしろあきほ)が考えたもので、壮大なアイデアです。マントルの深部にはホットリージョン(熱い地域)という融ける寸前の(あるいは一部融けた)高温の「プルーム」があって、これがゆっくり移動(マイグレーション)しながら、縁辺海をつくったという考えです。
 プルームとは、マントルの中では地震波の伝わる速度が場所によって異なることから提唱されたものです。地震波の速度は温度や圧力、水の存在などによって変わります。マントルの中に水がじゃぶじゃぶあるとは考えにくいので、温度がいちばん効いてくると考えられます。
 温度が高くなると固体のマントルは軟らかくなってプルームとなり、その中を通る地震波の速度は遅くなるのです。速度の遅い部分では、プルームはまるで煙のように数千kmもの大きさの塊となっていることがわかりました。そのためプルーム(煙)と呼ばれているのですが、プルームは固体です。これが地表近くでは圧力の低下や温度の上昇によってマグマになるのです。
 現在の地球では、東アフリカやフレンチポリネシアの地下で、高温のホットプルームが地表近くまで押し寄せていることがわかっています。人類の発生はいまから600万年ほど前に東アフリカがプルームによって裂けて、森と平原に分かれ、森に残ったチンパンジーと平原に残った人類とが袂を分かちあったためと考えられていました。
 このようにプルームには大地を引き裂く作用があります。都城は東アジアの縁辺海の年代などを総括して、南シナ海、スル海、西フィリピン海盆、パレスベラ海盆、四国海盆そして日本海などの年代が、いずれも第三紀のものであること、しかし少しずつ年代が違うことから、これらすべての縁辺海が、ホットリージョンでのプルームの移動によって次々に拡大したと考えたのです。
 最後の7. オラーコジン説は、立石雅昭と志岐常正が提案した考えです。「オラーコジン」とはみなさんには耳慣れない言葉だと思いますが、もともとはロシアの研究者が1960年代に使いはじめたもので、ギリシャ語の「溝」と「生成」を意味しています。
 ロシアの古い卓状地(テーブルのように平坦な地形)の中には、大規模な溝状の断裂を呈するものがありました。それらの断裂はしばしば三つの方向に分かれていて、それらが1点に集まる点(三重会合点)では、二つのよく発達した「腕」と、未発達の第3の「腕」ができることが多いというのです。このような断裂がオラーコジンです。未発達の断裂といっても、幅は数十km、長さは数百kmにも及ぶ大規模なものです。
 オラーコジンに着目したのが、ポール・ホフマンらアメリカの地質学者たちでした。地球内部からプルームが上昇してきて地殻を裂いてマグマが噴きだすときは、地殻は3方向に裂かれて、「Y」の字のような断裂ができ、そのうちの発達した2方向は海洋をつくり、残った不完全な1方向の断裂が閉じて、造山帯(山脈)をつくるという解釈をしたのです。
 彼らはカナダの先カンブリア時代の 状地の大きな構造を、オラーコジンにあてはめて考えています。その後、プレートテクトニクスが提唱されると、プレートの三重点にもオラーコジンの考え方が応用されていきました。
 立石と志岐は、ユーラシア大陸の縁に3方向の割れ目が形成され、そのうちの2方向が日本海を形成し、残る未発達の一つがフォッサマグナになったと考えたのです。
 日本海の形成を考える困難さ
 日本海の形成については少なくともこれだけの考え方があり、どれが正解かを見きわめるのは非常に難問です。日本海の拡大はフォッサマグナの形成と年代的にも一致していますので、これらの考えのうち大きな溝状の地形を形成しうるものが有力候補といえます。
 しかし、日本海も深い海ですが、フォッサマグナは6000m以上もある溝なのです。このように深い地形は現在、地球上で知られているものとしては海溝、トランスフォーム断層、リフト(大地の裂け目)、オラーコジンくらいしかありません。
 さらに、フォッサマグナの中には海底火山活動の産物が知られているので、海底火山もできなければなりません。それらの条件を満たす正解はあるのでしょうか。
 年代測定の基本「地磁気による測定」ができない
 地球物理学的な研究の手法としては、さきほども述べた地磁気による年代測定がよく採られる方法です。岩石に記録されている地磁気を調べることで、その地磁気の状態にあったときの地球の年代がわかるわけです。ところが、日本海の地殻では、岩石に地磁気の記録が観測されていないのです。
 日本海地磁気の記録が見られない理由は、温度が高いからだという考えもあります。磁鉄鉱は温度が573℃以上になると磁性を失ってしまいます。
 たとえばエジプトとアラビア半島の間にある紅海の底には高温の熱水が循環していて、幅の狭い紅海では海底の温度が70℃以上あり、地殻のすぐ下の温度はおそらく500℃近くになっているため、磁鉄鉱の融点に近づいて磁気が弱まり、あるいはゼロになっていると考えられています。日本海盆も拡大していた当時は同様の状況だったのではないかと考えている研究者が多いようです。
 いずれにしても日本海では、地磁気による年代測定ができません。したがって現在も、陸上の磁気を帯びた火山岩地磁気から、おおよその年代を特定するしかないのです。ここに、日本海の形成史を考えるうえでの根本的な難しさがあります。
 ただし、すでに述べたように男鹿半島には、日本海の拡大に関係したと思われる地層が連続的に出ています。これらの地層が示す古環境は、日本海が陸から浅い海へ、浅い海から深海へ、そして徐々に浅くなって汽水、陸上へという変遷を遂げたことを物語っています。
 そして、それはまさに日本海の拡大と停止を示すものと考えられます。これらの地層の年代をきめ細かく決定することによって、日本海の拡大開始からの変遷をたどることができれば、日本海形成の真実もはっきりしてくるでしょう。
 このように、北部フォッサマグナの成り立ちについては日本海の謎に直結しているだけに、きわめて混沌とした状況です。
 こうした状況のなかで、私なりのフォッサマグナの形成シナリオを示すのは、至難の業といえます。できればギブアップしたいほどだったのですが、何らかの答えは示そうと思い、『フォッサマグナ』で試論の展開を試みました。
 しかし私たちはその前に、「もうひとつの海」についても見ていかなくてはなりません。回を改めて、太平洋からも見ていきたいと思います。
 フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体
 書影】フォッサマグナ
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 明治初期にナウマンが発見した、日本列島を真っ二つに分断する「巨大な割れ目」フォッサマグナ。その成因、構造などはいまだに謎に包まれている。日本地形を作る謎の巨大地溝に、地学のエキスパートが挑む!
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