🍘47〗ー2ーなぜ日本人は「出る杭を打つ」のか。優秀な社員が出世すると無能になる構造。~No.144 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2024年1月10日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「なぜ日本人は「出る杭を打つ」のか…じつは多くの人が陥っている「罠」
 自分の利益より他人の不幸を優先する日本人
 2023年中に講談社現代ビジネスで好評だった記事として「日本人は世界一礼儀正しい」が「世界一イジワル」だった…「自分の利益より他人の不幸を優先する度合い」を測る実験で「日本人ダントツ」の衝撃結果」が紹介されていた。
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 大阪大学社会経済研究所で行われた実験で、次のことが示された。投資に関するあるゲームを行った場合に、一対一で競合する場合に、日本人の被験者は、アメリカ人の被験者と比べて、自分の利益を増やすことよりも、相手の利益を減らすことを優先する決断を行う割合が高かったという。
 もっとも、たとえ自分の利益につながったとしても、相手が得る利益に比べてあまりにも自分が得られる利益が少ないと感じられた場合に、そのゲームへの参加を拒否する傾向は世界中で認められるようである。しかし、その割合が日本人では高い。
 この現象は、「ナルシシズム」という精神分析などで用いられる概念を利用することでより明瞭に理解することができる。「ナルシシスティック・パーソナリティー」とは、現実的な利益よりも、相手が強くなって自分のナルシシズムが傷つく機会が増えることに耐えられないために、それを避けたいという心理的な欲求を優先してしまう人々である。そうであるならば、自分の利益を減らしても、相手の利益が増えないような行動が選択されるだろう。
 「出る杭は打たれる」という心理であり、出る杭を応援して一緒に利益を得ることよりも、それを抑え込んで自分よりも心理的に優位に立つ存在が出現する可能性を無くすことが優先される。このことは、この数十年、日本において良いアイデアが出ても、イノベーションにつながるような事業につながりにくいという現象と、関係がありそうだ。
 しかし、「相手より優位な立場を確保したい」というナルシシズムの誘惑は、日本人にのみ認められるものではなく、世界中のどの地域でも、人類に普遍的に認められる事態である。「ナルシシズム」という言葉からして決して自然な日本語ではなく、ギリシャ神話の登場人物に由来する用語を、精神分析創始者フロイトが、深層心理学の探求に導入した結果が伝えられているのである。
 一方で、どのような価値を実現している人物により多くの名誉を与えるのかについては、それぞれの地域・時代で異なっている。たとえば、資本主義の考えが本当に徹底していれば、心理学的な抵抗を克服して、より多くの利益を得ることが望ましいという価値観を身につけている人が多くなる。冒頭に紹介した実験では、アメリカ人で、日本人よりもそのような価値観を身につけている人が多いことが示されている。
 野球の大谷選手やサッカーの久保選手のような優れたスポーツ選手の活躍が報道されている。彼らが「野球やサッカーが上手」という価値を重視するコミュニティに属し、自分もその価値観を内在化させ、ひたすらに「相手よりも野球やサッカーで良いパフォーマンスを発揮する」ことを通じて、現実的な名声・利益を獲得するのと同時に、ナルシシズムの満足を得ることを目指していることは明らかだ。ナルシシズムは否定的なだけのものではない。そして、日本人はアスリートの場合でも、金銭的な利益に影響される割合が小さく、ナルシシズムの満足を優先する傾向が強いように思われる。一方で平均的な社会人にとっては、自分が野球やサッカーを行う能力が重要な影響を与える機会はほとんどなく、その能力の向上を真剣に目指すことも、普通はない。
 そうであるのならば、冒頭の実験のような「自分の利益を減らしても、相手がより多くの利益をえないことを多くの場合に優先する」行動を生み出してしまう、日本社会が優先している価値とはどのようなものだろうか。
 日本人の「心理的なジレンマ」
 今年は1月1日から北陸地方に大変な災害が発生した。これだけ多くの災害が起きる国であるから、そのような緊急時にしっかりとした対応ができる人や組織は尊敬されそうである。
 その他によく指摘されるのは、稲作を中心とした村落共同体で、十分な質・量の収穫を確保するために、耕作地(田んぼ)を共同で管理する必要があった事情である。農村では、そのような活動に適した価値観を身に付けた人物が尊重された。
 伝統的に日本人が尊重していた価値観は、几帳面さや対他配慮(自分を殺しても、相手や所属している組織のことを優先する)である。
 しかし、この場合に日本人は、「より多くの利益・名声を得たい」という願望を感じた時に、心理的なジレンマに陥ってしまう。「私的な利益や名声を求める」人物は、日本人のコミュニティにおいて軽蔑や処罰の対象となる可能性が高いからだ。
 日本的なコミュニティに留まりながら私的な願望を達成するためには、まずはその願望を隠して、ひたすらに所属集団に献身する姿勢を示すべきだった。そうすることで、所属集団の中での格付けを上げることができる。そして、所属集団全体で利益の分配が行われる場で、格付けが上位にあるという正当な理由で、長期的により多くの利益を確保することが目指されたのである。
 このような集団運営を続けるためには、私的な利益追求の欲求をあからさまに示す者は処罰しなければならない。そこには長期的には報われることが期待できない人による、短期的な利益を上げる人への羨望の思いが働いていることもあるだろう。また、所属コミュニティ内で、将来的に自分より上位の格付けを得て、より多くの利益を確保する可能性のある人物を潰しておくという判断も働いている。「格付け上位を維持する」ことは、実生活上のメリットが大きいのである。このような集団運営に適応することを通じて、冒頭の実験に示されるような、「自分が利益を得る機会を失っても、競合相手が利益を得る量を減らす」行動を、より積極的に選択する日本人の行動様式が作られ、再生産されていくようになる。
 しかし、社会や経済情勢の変化によりこのような形でコミュニティに参加できない人、あるいは参加しても長期的な利益の分配を得ることができない可能性がある人々が増えてしまっている。
 几帳面でよく相手に配慮する行動様式は、日本が近代化を目指した明治の頃や、終戦後の経済復興を目指した時期には大変有効だった。まずは国民に貯蓄を促す。その貯蓄を、戦争などの国策を完遂するために国が集約して運用しやすいように管理する。その国策運営に協力した程度に応じて、上位の格付けを与え、その格に応じて名誉と利益を分配する。
 しかし、十分に国が発展した後で、どっぷりと資本主義経済が優勢の世界の中に組み込まれながら、間接的にしか自らの欲求や願望を認識・表現することが許容されないような社会のあり方が持続していることは、極めて非効率で、この数十年の日本社会が陥っている政治的・経済的困難と無関係ではない。
 日本人の伝統的な心性を、現代の国際政治や経済を動かす原理となっている個人主義(これは好き勝手にしてよいという意味ではなく、普遍的人権の考え方を尊重し、市民としての義務を引き受けることも含んでいる)にどのように適応させていくかという課題に、安易に「オモテとウラ」の使い分けというその場しのぎをくり返すだけではなく、真摯に取り組んでいくというのが私たちに必要なことだろう。
 堀 有伸(精神科医
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 1月19日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「働く人全員が知っておきたい、「優秀な社員が出世すると無能になる」構造的理由
 なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか、張り紙が増えると事故も増える理由とは、飲み残しを放置する夫は経営が下手……仕事から家庭、恋愛、老後まで、人生がうまくいかないのには理由があった! 
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 注目の経営学者・岩尾俊兵氏による新刊『世界は経営でできている』(講談社現代新書)が発売され、発売即重版が決まった。一見経営と無関係なことに経営を見出すことで、なぜ世界の見方がガラリと変わるのか。
 ここでは、岩尾氏へのインタビューをお届けする。『世界は経営でできている』のエッセンス、そして「仕事」を経営の場と考えると見えてくるものとは――。
 なぜ上司はみな無能に見えるのか?
 前回は「家庭」を例にして、本来の経営概念を取り返せば日常のイライラを減らせることを説明しました。
 今回も読者の皆様に身近な「仕事」という切り口で話を進めていきます。
 「世の中の九割九分九厘の人は仕事をしていない。その筆頭はもちろん私である」
 これが私の持論です。
 「何を言っているんだコイツは?」とお思いの方、もう少しおつきあいください。
 正確には、人間の労力や時間のほとんどが、一応は「仕事」という名前がついているだけの無意味な「作業」に費やされている。そんな身も蓋もない事実を指摘したいのです。
 本来の仕事は、「顧客を生み出し、顧客を幸せにして、その対価として顧客が喜んで報酬を支払ってくれる」ようなものでなければなりません。そうでない仕事は「仕事という名前がついている作業」に過ぎません。しかも、無駄な叱責や無駄な会議や無駄な書類など、仕事という名前が付いている作業が仕事をつまらなくします。そんなものは、どんどん減らしていくべきです。
 しかし、ほとんどの企業や組織はそうなっていません。
 企業が真の意味での仕事、すなわち価値を生み出す経営をできないのは、一般的には「上司が無能だから」という理由から生じるとされます。でも、本当は上司本人が悪いわけでもないのです。上司が無能になってしまう原因もあります。
 「ああ、上司が無能なのは、うちの会社だけじゃなかったんだ……」
 そう思った人も多いかもしれません。実は「上司が無能になる」のは構造的な理由があります。そしてその構造に気が付けば、今現在上司として働く人も、部下として働く人も、ここから抜け出すヒントがあります。
 現代の多くの官僚制組織に共通する条件を次のように仮定してみましょう。
 条件1:組織はピラミッド状であり複数の階層(職階)が存在する
 条件2:ある職階において最も成績が良かったものがより上位の職階に就く
 条件3:複数の職階において求められる能力はそれぞれ異なる
 条件4:個々人が持つ能力はランダムに割り振られ、異なる能力間に相関関係はない
 さて、この4つの条件がそろうとどうなるでしょうか? 
 ある職階で優秀であっても新しい職階では優秀ではない人が、その上の職階に進むことができずに適正ではない職階にとどまり続けるという状況が起きるのです。
 その結果、あらゆる上司は「自分の適正ではない職階」まで出世し、そこにとどまることになるので、組織の上層部は無能だらけになってしまうのです。もちろん、実際にはクビや降格もありえますが、部下には無能な上司も「上司の上司に取り入る技術」があったりしますので状況はあまり変わりません。もともと「ピーターの法則」として知られていた現象ですが、近年、物理学者によるコンピュータシミュレーションでも検証されました。
 よく言われるのは、プレーヤーとして優秀だった社員が、出世してマネジメント側になった途端に力が発揮できなくなるというケースです。プレーヤーとマネージャーでは、仕事の内容も求められる能力も異なるので当然といえば当然なのですが……。
 ですが、このような経営思考を上司になる前の一プレーヤーの段階で身につけておけばどうでしょうか? 
 この場合は、先述の条件4に「異なる能力間に相関関係はない」とありますが、マネジメント意識をもちながらプレーヤー時代を過ごすことで、能力間に相関関係を自ら作り出すことができます。いざ自分が上司になったとしても、「無能な上司」にはならずにすむでしょう。
 実際に、現代において業績が伸びている健全な企業は先述の4条件がそろわないように工夫しているといえるでしょう。たとえば、「普段の仕事を価値創造思考の経営の視点で取り組む人を増やす」ことで、条件3と条件4は満たされなくなります。すべての仕事が価値創造という視点から相関するようになれば、組織は無能だらけにならないわけです。
 だからこそ、『世界は経営でできている』を個人で読むだけでもメリットがありますが、組織全員で読めばもっと大きなメリットがあると思っています(笑)。結局、「うちの会社は上司が無能でさ~」と嘆くのは誰にでもできますが、実際にはこうした構造があるわけで、無意味な仕事が発生する責任は多かれ少なかれ全ての人に存在するのです。
 そして、上司が有能であれば、その下にいる人たちも生き生きと働けるわけで、ひいてはそれが組織のパフォーマンス向上につながり、企業経営にも大いにプラスになるのです。価値創造につながらない無駄な仕事、苦労だけ多い仕事は減って、価値創造に集中することで創造性も上がる。そんな理想的状況が論理的にもありえるわけです。
 これこそが仕事における価値創造なのです。
 現代新書編集部
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