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一点豪華主義には、進歩・発展は存在しなし、むしろ劣化・退歩による衰退をもたらすだけである。
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2023年12月9日 YAHOO!JAPANニュース 夕刊フジ「戦艦「大和」に対する抜け落ちている評価 〝無用の長物〟〝時代遅れ〟物知り顔で嘲笑する人士が理解していないこと
高知県沖を航行する戦艦「大和」=1941年
【井上和彦 歪められた真実】
真珠湾攻撃(1941=昭和16=年12月)や、マレー沖海戦(同)で、自ら「航空機時代の到来」を証明しておきながら、日本は大艦巨砲主義を捨てきれずに戦艦「大和」なる〝無用の長物〟を建造した―と批判されることが多い。
【写真】艦艇ファンの人気も高い日本海軍の高速戦艦「金剛」
しかし、戦艦「大和」の建造が始まったのは、37(同12)年11月4日のことで、その頃はどの国もが、強力な戦艦を建造することにしのぎを削っていたのである。つまり世界はいわゆる大鑑巨砲主義の真っただ中にあったのだ。
よく考えていただきたい。戦艦「大和」が起工された37年に、4年後の航空機時代の到来を予測できるだろうか。
戦艦「大和」の就役は41(同16)年12月16日で、真珠湾攻撃の8日後だった。「大和」の登場を得意げに批判する論の多くは、「大和」の就役が、航空機時代到来が証明された海戦の後だったことをもって「大和」を〝時代遅れ〟だのと物知り顔で嘲笑しているのだ。
だがこうした人士は、艦艇の建造には4年という歳月を要することを理解していない。
さらに知っておきたいのは、当初計画では「大和」の就役予定は、42(同17)年6月15日だったということである。これは驚くべき事実であり、現代における艦艇建造でも納期を半年も前倒しすることは、そう簡単なことではない。
高度なコンピューターやインターネット、通信機器などがない時代に、よくぞあのような巨大戦艦を設計し、製造工程を縮めて完成させたものだと感心する。
納期を縮めるためには、建造に関わるすべての製造会社が生産工程を一斉に変更しなければならなかったことはいうまでもない。また、下請け会社も失敗は許されなかった。後続して納入される部品や機器の取り付けにも影響が出てしまうからである。
つまり「大和」は、その建造のための「生産管理」と「工程管理」がなによりも先に称賛されるべきなのだ。
ところが、「大和」に対する評論には、こうしたシステム構築の英知と高い生産技術に対する評価がまるっきり抜け落ちているのである。
■マンモスタンカー造船の基礎
実はこうした「大和」をはじめ軍艦の建造に関わるさまざまな科学技術や管理技術などが、戦後の技術大国日本の基礎となったことを忘れてはならない。
戦後、マンモスタンカー造船技術は、まさにこうした「大和」をはじめ日本の高い軍艦建造実績が基礎になっていたのである。こうした視点を用意すれば、戦艦「大和」に対する評価は大きく変わってくることだろう。
■井上和彦(いのうえ・かずひこ) 軍事ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒。軍事・安全保障・外交問題などをテーマに、テレビ番組のキャスターやコメンテーターを務める。産経新聞「正論」執筆メンバー。フジサンケイグループ第17回「正論新風賞」、第6回「アパ日本再興大賞」を受賞。著書に『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)、『封印された「日本軍戦勝史」』(産経NF文庫)、『歪められた真実~昭和の大戦(大東亜戦争)』(ワック)など多数。
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一点豪華主義と科学技術の粋を結集した最高傑作主義とは意味が違う。
一点豪華主義は、戦前の日本ではなく戦後の日本である。
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昭和15年 日本海軍は大鑑巨砲主義から航空機・航空母艦主義へと方針を切り換えていた。
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国力の弱い軍国日本は、国難を破壊的イノベーションと継続的リノベーションで乗り切ろうと悪戦苦闘していた。
が、多くの軍人は先人達による成功モデル(ビジネス・モデル)である白兵戦優位・特攻至上の精神主義に囚われ、盲信して軍国日本を絶望的な戦争へと暴走させた。
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