🗡17〗─1─タラント空襲は海戦のイノベーションとして航空主兵主義を生み出した。~No.53 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 航空主兵主義の誕生。タラント空襲で海軍戦略にイノベーションが起き、大艦巨砲主義が時代遅れとなった。
 それを理解した諸外国の軍人、学者・専門家、政治家はほんのわずかで、傍流で主流ではなく、中央・中枢部ではなく地方・航空基地にしかいなかった。
 日本では、先見の明があった山本五十六や小沢治三郎ら少数派であった。
   ・   ・   ・   
 2023年1月11日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「真珠湾攻撃のモチーフとなった「タラント空襲」と航空主兵主義の台頭
 タラント空襲に用いられたフェアリー・ソードフィッシュ艦上攻撃機。ご覧の通りいかにも古色蒼然とした外観だが、のちには優秀な機上レーダーを装備しロケット弾なども搭載して第二次大戦末期まで活躍した。写真では航空魚雷を抱えている。
 太平洋戦争は日本軍の「真珠湾攻撃」ではじまった。戦史上まれにみる奇襲攻撃であったこの作戦を、戦術、指揮官、兵器などさまざま視点から解き明かしていく。第1回は「真珠湾攻撃」のモチーフとなったある作戦に迫る!
 時に、あえて下卑(げび)た表現を好んで用いたイギリス首相ウィンストン・チャーチルが「ヨーロッパの下腹部」と称したイタリア半島は、その形状から、しばしば地中海に突き出したヒール付き女性用ブーツにも擬(なぞら)えられる。この「イタリアン・ブーツ」のヒールの部分の内側に、イタリア海軍の南部方面における一大根拠地タラント軍港が所在し、強力な水上戦闘艦部隊の母港となっていた。
 そこでイギリス海軍は1940年11月11~12日にかけての真夜中、空母イラストリアスからフェアリー・ソードフィッシュ艦上攻撃機22機を発艦させ、夜間の奇襲攻撃によって戦艦3隻を大破着底(うち1隻は終戦まで修理できず)、重巡洋艦1隻と駆逐艦1隻をそれぞれ小破させるという、わずかな出撃機数に比して大きな戦果を得た。世界海軍航空戦史にその名を残す「ジャッジメント」作戦である。
 しかも、出撃機数が少ないというだけではない。当時、すでに日本海軍航空隊は97式艦上攻撃機アメリカ海軍航空隊もダグラスTBD デヴァステイター艦上攻撃機という、全金属製で引込脚(ただし97式の一部の型式は固定脚)を備えた近代的な艦攻を運用していた。ところが「ジャッジメント」作戦で主力を担ったイギリス海軍航空隊のソードフィッシュは、使い勝手こそ良好ながら、第一次世界大戦時の航空機のような複葉で固定脚を備えた、時代錯誤も甚だしい機体であった。にもかかわらず、これほどの戦果をあげたのである。
 かくして、それまでの世界の海軍の運用思想を支配していた大艦巨砲主義、つまり「でかい大砲」を積んで「分厚い装甲」を備える「頑丈な戦艦」を多数揃え、敵の「ご同輩」とガチンコの撃ち合いをはたして撃滅するという考え方は、艦砲の射程距離のはるか彼方で発艦した艦上機を用いて、空から敵艦隊を叩きのめすという航空主兵主義の前に完全に崩壊。海洋を支配する主力艦の地位は、巨砲を装備した堅固な防御を誇る巨大戦艦から、できるだけたくさんの艦上機を搭載できることが最優先の命題である、いわば「浮かぶ航空基地」たる航空母艦へとバトンタッチされることとなった。
 白石 光
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 タラント空襲
 戦争:第二次世界大戦
 年月日:1940年11月11日 - 12日
 場所:イタリア、タラント軍港
 結果:イギリスの勝利
 交戦勢力
 指導者・指揮官
 アンドルー・カニンガム中将
 ラムリー・リスター少将 イニーゴ・カンピオーニ中将
 戦力
 ソードフィッシュ雷撃機2 戦艦6他
 損害
 ソードフィッシュ雷撃機2 戦艦1沈没、戦艦2大破、重巡洋艦1駆逐艦1小破
 地中海の戦い
 ジェノヴァ砲撃戦エスペロ船団メルセルケビールカラブリア沖スパダ岬パッセロ岬沖タラントオトラント海峡スパルティヴェント岬沖MC4作戦(エクセス作戦)アブステンション作戦マタパン岬沖タリゴ船団クレタ島サブスタンス作戦ハルバード作戦デュースブルク船団ボン岬沖第1次シルテ湾アレクサンドリア港奇襲第2次シルテ湾ヴィガラス作戦ハープーン作戦ペデスタル作戦アグリーメント作戦ストーンエイジ作戦トーチ作戦チーニョ船団トゥーロンシチリア海峡アルジェ港奇襲シチリア島オルテラ作戦戦艦ローマ沈没ドデカネス諸島
 表示
 タラント空襲、ジャッジメント作戦 (Operation judgement) は第二次世界大戦中の1940年11月11日から12日に実行された、イギリス海軍の空母艦載機によるイタリアのタラント(ターラント)軍港空襲。MB8作戦の一部として実行された。この攻撃でイタリア海軍は戦艦3隻が大損害を受けたのに対し、イギリス側の損害は雷撃機2機のみであった。
 結果と影響
 イタリア海軍は燃料事情もあり、あまり積極的に行動していなかった。しかし、この空襲を受け、防御性は高いが地中海へのアクセスが悪いナポリへ主力艦を移動した事になり、イタリア艦隊はより消極的となった。さらに、イギリスの船団攻撃のためにイタリア艦隊が出撃すればメッシーナ海峡を通ることになる。メッシーナ海峡マルタ島からの偵察機の哨戒圏内に入るため、イギリス軍はイタリア艦隊がイオニア海へ出る前に出撃を察知できるようになり、動向の把握が容易になった。また、イタリアの戦艦3隻を撃破したことにより、イギリス海軍は自国の戦艦を地中海から対ドイツ海軍のために自国の海域や大西洋に送ることができ、半年後に起きるビスマルク追撃戦に少なからず影響を与えた。
 この空襲はイギリスのみならず、イタリアを含める各国の航空万能論(航空主兵論)を後押しする形になり、1941年12月の真珠湾攻撃マレー沖海戦と並んで大艦巨砲主義からの転換を求める際にタラント空襲をあげ、戦後もその転換期を示す際に用いることがある。また、日本海軍は、真珠湾攻撃の実施にあたり、この空襲を研究したと言われている。真珠湾は、タラント(水深12メートル)同様に水深が浅いため、イギリス海軍と同じ手順である「魚雷に改良を加え低空で魚雷を投下」を真珠湾攻撃の際に行っている。
 なお、「修理施設の完備した敵港湾内では、敵艦を空襲し大破着底させても、修理して再就役してしまう」という欠点も明らかになったが、日本海軍の目的は南方作戦の間、米太平洋艦隊主力である戦艦部隊の行動を掣肘することであり、この点は重視されなかった。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、リノベーションはできてもイノベーションはできない。
   ・   ・   ・