⛻8〗─3─日本における世界最古の老舗企業と皇室の歴史の共通点とは。日本の世襲。~No.28No.29 ③ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本における正統性とは、伝統・文化・歴史・宗教の神話物語であり、現代日本で何の根拠もなく創作された安全神話と言ったエセ○○神話とは関係ない。
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 日本国内には、世襲制度による古さや伝統を反対し否定する日本人が存在する。
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 中国資本は、経営悪化に苦しむ日本の老舗の旅館・料亭、商店・企業を買収している。
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 2023年10月12日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「世界最古の企業は日本にあった!老舗企業の多さと皇室の歴史の共通点とは?
 八幡和郎 によるストーリー •
 16世紀に創立されたようかんの虎屋 Photo:PIXTA
 © ダイヤモンド・オンライン
 老舗企業数が世界一と
 いわれる日本
 日本の皇室は世界で一番古く、しかも、万世一系。つまり、“創業者”である神武天皇から男系男子で継承されているので、格別にありがたいと言われている(*)。
 その真偽と評価については、後で論じるが、日本はまた、老舗企業が世界一多い国だともいわれている。
 世界の創業年数が100年以上の企業のうち日本の企業は50%、創業200年以上では65%だという(日経BPコンサルティング・周年事業による)。
 創業が古い企業ということでは、寺社建築の金剛組が、聖徳太子による四天王寺が建設された578年からで最も古く、山梨県西山温泉の慶雲閣が705年創業として、ギネスブックで最古の旅館に認定されている。
 フランスで1981年に設立されたエノキアン協会というのは家業歴200年以上の企業の世界的な組織だ。エノキアンとは、世界最古の都市であるエノクの町に住む人々という意味で、エノクは旧約聖書におけるアダムの孫とされる。
 *紀元前2600年に神武天皇によって建国されたとか、万世一系であるとかいうことの真偽には議論があるが、皇室ではそれを正史として祭祀を行っている。
 そんななかで、エノキアン協会設立当時の中心人物の一人にオリビエ・メレリオという時計・宝石商(メレリオ・ディ・メレー)の主人がいた。1515年フィレンツェからパリに移住した宝石商が先祖とのことだが、マリー・アントワネットに気に入られたことが繁盛のきっかけになった。その彼が、日本に老舗が多いのに注目し、エノキアン協会に多数の企業を勧誘するなど、親日家として知られ、私もパリ在勤時やその後のシンポジウムでお付き合いがあった。
 オリビエ・メレリオ氏は、皇后さまの父でOECD代表部大使だった小和田恆氏とその夫人の友人としても知られ、また、皇后さま愛用の時計は、このブランドのものだ。両親からプレゼントされたこともあったし、フランス大使館での新製品内覧会にお越しになったこともあるようだ。長い歴史を誇り皇室にふさわしいと評価されているのでないかと推察する。
 ただ、最近では、西洋の老舗オーナー一族にプロフェッショナルな人材や設備の近代化のための資金がなく、同業の巨大企業やファンドの傘下に入ることが多い。
 Netflixのドラマ「ザ・クラウン」では、のちにダイアナ元妃と共に自動車事故で亡くなったエジプト人ドディ・アルファイドの父親であるモハメド・アルファイドが、老舗百貨店のハロッズやパリの老舗ホテルであるリッツを買収する交渉の場が描かれていたが、のれんの権威を守るためには売るしかないという脅しは興味深かった。
 エノキアン協会の加盟企業で
 日本最古は718年創業
 日本のエノキアン協会の加盟企業のうち最古なのが石川県粟津温泉の旅館法師で、718年の創業という。商店では16世紀に創立されたようかんの虎屋、岐阜市の鋳物・精密治具メーカーであるナベヤ、酒造の月桂冠などが加入している。
 創業年が古いとされる企業の中には、「同じような仕事を企業として続けているのか」という観点から継続性について疑問なケースもあるが、先述の虎屋、寝具の西川などは、事業内容の継続性において特筆ものだ。
 伊勢丹と合併したが、百貨店の三越は1673年に伊勢松阪の三井高利日本橋呉服店を開業してから同じ地域で店を構えて今に至る。余談だが、三越の名は近江の武士で六角氏の下にあったが、織田信長の上洛に伴い伊勢に移住した三井越後守高安にちなむもので、新潟県とは関係ない。
 世襲の老舗企業の存在は、その暖簾の価値が過大評価されて、新しい実力のある商店や企業の発展を妨げたり、あるいは、老舗企業が守りの姿勢に傾きすぎたりする弊害が生じることもある。だが、高い品質の商品やサービスを、暖簾の価値を守るという気持ちを背骨に維持する効用もあり、それが日本文化のひとつの特徴となっている。
 こうした老舗の価値とか精神は、皇室が万世一系で引き継いで、古来の風習や文化を伝承しているのと共通するところが多いし、皇室の存在が民間の老舗を精神的に支えているともいえる。「守らねばならないものがある」という空気がゆえに、一見無駄に見えるものが維持されることは多いと思う。
 皇室とのつながりでは、かつて宮内庁御用達として特定の業者が扱っていた商品も、最近では入札になっている。叙勲や園遊会の引き出物として使われる菊焼残月という半月型の菓子はかつて「麻布 菊園」が納めていたが、今は競争入札だ。だが、物によっては、御用達として「固定」しておかないと技術の伝承ができないものもありそうだ。
 政治制度における
 正統性の3つの根源
 皇室は日本国家とか民族の独立と統一を守るためのシンボルであり装置でもある。先の大戦の際に、「国体護持」が終戦の条件となった。
 それをもって、天皇制といわれる政治制度とか、昭和天皇個人の身の安全を守るために戦争を長引かせたという批判がある。だが、国体とは、日本国家の独立と統一であり、それを守るために天皇を頂点とする体制が譲れぬ一線である。
 戦後になって、岡田啓介元首相が、「弁解するわけではないが、開戦前に非常に力の強い政治家がいて、軍を押さえつけようとしたら、軍は天皇の廃立さえ考えたかもしれない。そうなったら、国は真っ二つになる。今敗れながらも一つにまとまった国であるのは、せめてものことだ」といっているのは、そこそこ妥当だ。
 もちろん、当時の政府、軍の指導者、さらには昭和天皇とその周辺が、もう少し思い切って軍部内の跳ね上がりに毅然としていたほうが良かったと思うこともあるが、独立と統一の維持が無価値だったはずもない。
 そして、国民がその国体を守るために戦争中も戦後も団結できたのは、皇室が万世一系、つまり、同一家系の世襲によって長いというだけでなく、国家統一の最初から連続しているという歴史があったからだ。
 政治制度における正統性(レジティマシー)の根源は、3種類ある。
 一つ目は、武力を背景とした覇者の論理である。鎌倉・室町・江戸という3つの幕府による支配はまさにそうであるが、武力が圧倒的でなくなると弱体化する。
 二つ目は、国民の意思による支持だ。ただ、民主主義は、独裁者を選ぶだけでなく、その後の国家運営も民主的でなければならないから、なかなか安定しない。
 そして三つ目は、君主制で、前例に倣った世襲ということが正統性の根拠である。当然、歴史が長いことと、継承原則も昔から同じであるほど堅固である。
 日本の場合は、宮崎県出身の武人で、その曽祖父が天上の神々の世界から降りてきたというイワレヒコ(神武天皇)が紀元前660年に奈良県の橿原で建国し、その国が発展して仲哀天皇神功皇后応神天皇の時代に日本の統一国家とされている。
 この歴史について異議を唱える人はいるわけで、王朝交替があったので万世一系とはいえないという。また、作家の百田尚樹氏は著書『日本国紀』のなかで、「王朝交代があった可能性は高いが、万世一系と信じてきたことが大事」という主旨の特殊な主張を展開している。私は日本最古の勅撰の歴史書である『日本書紀』については、長すぎる古代の帝王の寿命を補正すれば、その内容はだいたい信頼できると思っているが、それについては、別の機会に論じたい。
 「万世一系」は日本だけ?
 1000年続く諸外国の王室
 しばしば、保守系の人などが、「日本国家は世界最古」「万世一系は日本だけ」と言いたがるが、それはおかしい。
 確かに中国では、王朝交替が頻繁で、禅譲という形式を踏むというルールも明確化されていた。ただ、あまりに頻繁な王朝交代は良くないという意識はあったようで、北宋の太宗は日本からの留学僧・奝然から万世一系の話を聞いて、「日本は島夷だと思っていたのに、王統は一姓伝継で、臣下もみな世襲とは!中国のいにしえの理想の道を実現しているのは、われらではなく、なんと、彼ら日本人のほうではないか」と嘆いたとされている。
 しかし、韓国では高麗も李氏朝鮮も約500年安定していた。中央アジアではチンギス・ハーンの子孫であることは、帝王であるための重要な条件だったし、チンギス・ハーンの血統が重んじられた結果、その子孫は1500万人ほどいるというDNA分析からの推計もあるくらいだ。
 ヨーロッパに目を移すと、英国王室は、1066年にイングランドを征服したノルマン人のウィリアム1世(フランスのノルマンディー公ギヨーム)が神武天皇のような存在で、ノルマン人の習慣に従って、女王や女系相続が認められたので、王朝名が頻繁に変わっているだけだ。
 細かいところまで言うと複雑だが、主要なところでは、ノルマン朝プランタジネット朝(フランス系)→テューダー朝ウェールズ系)→ステュアート朝スコットランド系)→ハノーバー朝(ドイツ系)→サックス・コーバーグ・アンド・ゴータ朝(ドイツ系。第一次世界大戦中にウィンザー朝と改称)と移っている。
 現在のチャールズ国王の父であるフィリップ殿下はギリシャ王家出身で、帰化してマウントバッテン家を名乗っているが、王朝名としてはウィンザー王家の名が存続することになった。
 フランスでは、10世紀のユーグ・カペー王の子孫が、男系男子、しかも、嫡出子に限るという原則を維持しており、現在もパリ伯爵兼フランス公のジャン四世というのが潜在的な王位継承者である。
 また、スペイン王家は、イスラム勢力に対するレコンキスタ(国土再征服運動)を開始したアストゥリアス公ペラーヨの娘の夫の弟であるヘルムートの女系子孫が継続して国王だが、現在の王朝はブルボン家でユーグ・カペーの男系男子だし、ルクセンブルク大公も同様にブルボン家だ。
 デンマークは9世紀のゴーム王の子孫が女系相続を繰り返しながら続いていて、その意味ではヨーロッパ最古だ。オランダやベルギー王家は、近代の建国以来、同一家系だ。
 ロシアでは、9世紀にノブゴロドというところで傭兵王のような形で即位したバイキングのリューリクという人の子孫がキリスト教に改宗してキエフ大公となり、モンゴル人に滅ぼされた。そこで、分家でドイツ騎士団の侵略を撃退したアレクサンドル・ネフスキーの子孫がモスクワ大公となって、キエフ大主教もここに引っ越してモスクワ大主教と改称してモスクワ大公を権威付けた。
 そのあと、イワン雷帝という絶対君主の出現で王族が粛清され、ムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」で描かれた混乱の時代を経て、イワン雷帝の皇后の実家であるロマノフ家が帝位に就いてロシア革命まで続いた。
 イスラム圏ではムハンマドの一族の血を引くことは有利な条件で、現在でもモロッコ国王とヨルダン国王がそれに当たる。
 日本の場合と同じく、長い歴史を持つ王室の存在が老舗を支えていることも多いのは、戴冠式における数々の御用達からも見て取れる。宮内庁御用達は英国に倣ったというし、フランスでは共和国政府や大統領府が、王室の工房とか儀式の伝統を引き継いでいることが多い。
 そういう意味では、日本の皇室は、(1)世界で最も長いということ、(2)統一国家樹立以来、同じ家系であること、(3)男系男子という厳しい条件で継承がされていることの3つの点で高度の正統性を持っており、その存在が国家の独立と統一を守るための決め手となっているわけだ。
 (評論家 八幡和郎)
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 2022年6月16日 YAHOO!JAPANニュース「ハーバード大教授が老舗和菓子店「虎屋」に感銘、同族経営でもめない絶対条件とは
 ローレン・コーエン教授インタビュー(前編)
 佐藤智恵:作家/コンサルタント
 連載 ハーバードの知性に学ぶ「日本論」 佐藤智恵
 会員限定
 とらやの羊羹
 200年以上の歴史がある小倉羊羹『夜の梅』 画像提供:株式会社 虎屋
 「ファミリーオフィス」研究の第一人者であるハーバードビジネススクールのローレン・コーエン教授は、世界的にファミリーオフィスの影響力が強まっていると指摘する。そんな中、コーエン教授は今年、日本の和菓子メーカー「虎屋」を題材にした教材を出版した。老舗和菓子屋に注目した理由とは。(聞き手/作家・コンサルタント 佐藤智恵
 ファイナンスの専門家が
 「老舗和菓子屋」に注目した理由
 佐藤智恵 コーエン教授は2022年2月、日本を代表する和菓子メーカー、虎屋の事例を取り上げた教材『Toraya』を出版されました。コーエン教授の専門はファイナンスですが、なぜ虎屋に興味を持ったのですか。
 ローレン・コーエン それは良い質問ですね。確かに、ファイナンスの教授が日本の和菓子メーカーの虎屋に興味を持つというのは不思議に思われますよね。
 私が最初に虎屋に興味を持ったきっかけは、「ファミリーオフィス」の研究をする中で虎屋に関する記事を見つけたことです。
 ファミリーオフィスとは、超富裕層の資産管理や運用を行う専門組織のこと。超富裕層が一族の資産を守り、増やし、そして継承していくことを目的に専属のファンドマネジャー、弁護士、会計士などを雇って自ら設立します(注:ビル・ゲイツ氏が設立したカスケード・インベストメント、ジェフ・ベゾス氏が設立したベゾス・エクスペディションズなどが特に有名)。
 ハーバード教授が老舗和菓子店「虎屋」に感銘、同族経営で揉めない絶対条件とは
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 国家と民族の成立は、日本とヨーロッパと中国・朝鮮とでは三者三様で全然違う。
 現代の日本人には、その歴史的事実が理解できない。
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 世界の開かれた王家とは、人種・民族、出自・出身、身分・家柄、血筋・血統に関係なく、個人の才能・能力・実力で即位できる事である。
 王位の正統性は、宗教で、絶対神の代理である教会による宗教由来「神と国王」の王権神授説・帝位神授説である。
 王位の正当性は、人で、憲法・法律が設置した会議による人間由来「国民と国王」の社会契約説である。
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 世界の王国・帝国は、自国民でなくても他国民でも国王に即位させ、他国の女性でも自国の女王・女帝に即位させた。
 そこには、外国人に対する偏見や差別は存在しなかった。
 その意味において、日本の皇室は閉ざされた王家として世界の非常識で、人種差別・民族差別・宗教差別そして女性差別を含んでいる。
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 西洋諸王国の即位する正当必須条件とは、人種は白人、民族はゲルマン系、宗教は西欧キリスト教、職業が王族か軍人、人物・才能・能力優先で血筋・家柄・身分・階級は二の次、女性でも即位可能である。
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 イギリスの歴代国王の出身部族は、先住民ケルト人を征服したアングロ・サクソン系、ノルマン系、フランス系、スペイン系、ドイツ系であった。
 ヴィクトリア女王の共同統治者である夫アルバート公子は、ドイツ人でザクセンコーブルク=ザールフェルト公エルンスト(後のザクセンコーブルク=ゴータ公エルンスト1世)の次男。
 イギリス人のヴィクトリア女王は、インド皇帝を兼ねてインドを統治した。
 女王エリザベス2世の夫フィリップ (エディンバラ公)は、ギリシャ人(古代ギリシャ人との血の繋がりはない)でギリシャ王家の王子。
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 イングランドエドワード3世は、フランス王家カペー家の直系男児が断絶したのを好機としてフランスに領土を拡大するべく、自らの母(シャルル4世の妹イザベル)の血統(女系相続)を主張して、フィリップ6世のフランス王位継承に異を唱えた。
 フランの貴族や領主は、フランス国王派とイギリス派に分かれて内戦を始めた。
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 ウィキペディア
 百年戦争(英語: Hundred Years' War、フランス語: Guerre de Cent Ans)は、フランス王国の王位継承およびイングランド王家がフランスに有する広大な領土をめぐり、フランス王国を治めるヴァロワ朝と、イングランド王国を治めるプランタジネット朝およびランカスター朝というフランス人王朝同士の争いに、フランスの領主たちが二派に分かれて戦った内戦である。国家という概念は薄い時代であり、封建諸侯の領地争いが重なったものであったが、戦争を経て次第に国家・国民としてのアイデンティティーが形成されるに至った。現在のフランスとイギリスの国境線が決定した戦争でもある。百年戦争は19世紀初期にフランスで用いられるようになった呼称で、イギリスでも19世紀後半に慣用されるようになった。
 伝統的に1337年11月1日のエドワード3世によるフランスへの挑戦状送付から1453年10月19日のボルドー陥落までの116年間の対立状態を指すが、歴史家によっては、実際にギュイエンヌ、カンブレーにおいて戦闘が開始された1339年を開始年とする説もある。いずれにしても戦争状態は間欠的なもので、休戦が宣言された時期もあり、終始戦闘を行っていたというわけではない。だが戦争状態が続いていた。
 両国とも自国で戦費を賄うことができなかった。フランスはジェノヴァ共和国に、イングランドヴェネツィア共和国に、それぞれ外債を引き受けさせた。
 背景
 詳細は「百年戦争の背景」を参照
 百年戦争の原因は、14世紀ヨーロッパの人口、経済、そして政治の危機にある。遠因はイングランド王国プランタジネット家)とフランス王国(ヴァロワ家)とのギュイエンヌ、フランドル、スコットランドにおける対立によってもたらされた。戦争の正式な理由はカペー家の直系男児の断絶である。
 フランス王位継承問題
 百年戦争前のフランス王家の家系図
 987年のユーグ・カペー即位以来フランス国王として君臨し続けたカペー朝は、1328年、シャルル4世の死によって男子の継承者を失い、王位はシャルル4世の従兄弟にあたるヴァロワ伯フィリップに継承された。フィリップは1328年、フィリップ6世としてランスでの戴冠式を迎えたが、戴冠式に先立って、イングランドエドワード3世は自らの母(シャルル4世の妹イザベル)の血統を主張して、フィリップ6世のフランス王位継承に異を唱えた。エドワード3世は自らの王位継承権を認めさせるための特使を派遣したが、フランス諸侯を説得することができず、1329年にはフィリップ6世に対し、ギュイエンヌ公として臣下の礼を捧げて王位を認めた。
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 ロシア皇帝エカテリーナ2世は、ドイツ人でプロイセン軍少将の娘で、側近や反ピョートル勢力の貴族・軍隊・教会・その他の支持を得て宮廷クーデターを起こして夫ピョートル2世を廃帝して即位した。側近達は、後顧の憂いを断つ為にピョートル2世を幽閉先で暗殺した。
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 メキシコ皇帝マクシミリアンは、ドイツ人でオーストリアハンガリー皇帝フランツ=ヨゼフ1世の弟。
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 オーストリア皇帝は、スペイン国王を兼ねた。
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 スペイン国王は、ポルトガル国王を兼ねた。
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 フランス・平民階級出身のジャン=バティスト・ベルナドット将軍は、スウェーデンノルウェー連合王国国王に即位してカール14世ヨハンと名乗った。
 スウェーデンの政治家や国民は、フランス人国王を認め受け入れた。
 フランス・マルセイユの絹商人フランソワ・クラリーの末娘デジレ・クラリーは、ベルナドット将軍と結婚して王妃となる。
 カール14世ヨハンとクラリー王妃の王太子がオスカル1世として即位し、フランス系ベルナドッテ王朝第2代のスウェーデン国王およびノルウェー国王となった。
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 ギリシャは、15世紀以後イスラム教国オスマン帝国に支配されていたが、1829年に独立戦争に勝利し、1832年にキリスト教ギリシャ王国を建国して独立した。
 ギリシャ国会は、国王に南ドイツ・バイエルン王国を支配するヴィッテルスバッハ家出身のオソン1世を迎えた。
 ギリシャ軍は、1862年にクーデターを起こしてドイツ人オソン1世を退位させた。
 ギリシャ国会は、次の国王にデンマーク王(グリュックスブルク家)クリスチャン9世の息子ヴィルヘルムが迎えた。
 1863年 ヴィルヘルムは、ギリシャ正教に改宗してゲオルギオス1世として即位し、王妃にロシア大公女オリガ・コンスタンチノヴナを迎えた。
 男ドイツ系女ロシア系のグリュックスブルク朝ギリシャ王国は、1974年までギリシャを統治した。
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 グリュックスブルク家は、オルデンブルク家の流れを汲む由緒ある名家で、現在のデンマーク王国ノルウェー王国の王家で、一族からはギリシャ国王も出している。
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 オルデンブルク朝は、1448年から1863年まで続いた、デンマークを中心とした北欧の王朝で、祖先はドイツ・ニーダーザクセン州オルデンブルクの出身であった。
 オルデンブルク伯エギルマール1世(1108年没)はザクセン公家の家臣であったが、1180年に独立した。
 オルデンブルク家は、13世紀に同家はオルデンブルク伯系とデルメンホルスト伯系に分かれたが、15世紀前半のオルデンブルク伯ディートリヒがデルメンホルスト伯の女相続人アデルハイトと結婚し、デルメンホルスト伯領は本家に復帰した。
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 ウィキペディア
 ケルト人は、以前は中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の言語を用いていた民族であると考えられていた。ケルトとは古代ローマで「未知の人」を意味し、もともとは民族を示す言葉ではない。
 大陸のケルト
 ケルト人はおそらく青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文化(紀元前1200年 - 紀元前500年)を発展させたと考えられてきた。当時欧州の文明の中心地であったギリシャエトルリアからの圧倒的な影響の下、ハルシュタット文化はラ・テーヌ文化(紀元前500年 - 紀元前200年)に発展する。ちなみに、イギリスの世界遺産であるストーンヘンジはより古い新石器時代青銅器時代(紀元前3千年~2千年) の建造と以前は考えられていた。
 島のケルト
 ケルト人がいつブリテン諸島に渡来したかははっきりせず、以前は鉄製武器をもつケルト戦士集団によって征服されたとされていたが、遺伝子などの研究から新石器時代の先住民(ケルト以前の巨石文化の担い手)が大陸の文化的影響によって変質したとする説もある。いずれにしてもローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器をもつ部族社会が展開していたがこれらはケルト人とはいえない。
 現代のケルト系諸言語
 ケルト語派の言語が話される国はアイルランドスコットランドマン島ウェールズ、及びブルターニュである(これにコーンウォールを加えることもある)。しかし、その5ヶ国の人々の中で、まだケルト系言語を使って日常的生活を送る人の数は30%程度を超えない。
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 ゲルマン民族は、東方の文明・文化を持たない野蛮な蛮族であった。
 現代の西洋白人は、ゲルマン人の子孫である。
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 インド・ヨーロッパ語族は、東はインドから西はヨーロッパまでの起源を共有する言語で、イタリック語派(現代のロマンス諸語)、ゲルマン語派、スラブ語派 、インド語派(インド–イラン語派)など幾つかの語派が存在する。
 イタリック語派の一つであるラテン語には、古代ローマ帝国時代に民衆が話していた俗ラテン語(ラテン口語)があり、後にローマ・カトリック教会が正式に使用していた公用語である古典ラテン語がある。
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 古代ローマ時代、アルプス山脈の北、ピレネー山脈ライン川の間のガリアにはケルト人が居住していた。
 紀元前58年頃 カエサル(英語名シーザー)はガリアを侵略し、ケルト人のガリアとブリタニアゲルマン人ゲルマニアを征服してローマの版図を広げた。
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 古代ローマ帝国は、広がった帝国属領に総督・軍団長を派遣して支配しが、皇帝の権威が弱まると地方の総督・軍団長が帝位を求めて反乱を繰り返した為に帝国は弱体化し、有力な総督・軍団長が皇帝に即位し帝国はさらに衰退した。
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 4世紀頃から6世紀頃まで、ヨーロッパではゲルマン人による民族の大移動が起きていた。
 476年 西ローマ帝国は、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルの反乱で滅亡した。
 その後の異民族の侵略で、ローマは大火に包まれ大虐殺で死者の都となった。
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 ザクセン人(サクソン人)は、ゲルマン民族のうち西ゲルマンに属する一部族で、ゲルマン民族大移動でエルベ川北岸のホルシュタイン一帯に移住して定着し集落を営んだ。
 2世紀から4世紀にかけて徐々に生存圏を拡大していった。5世紀には一部のザクセン人がユトランド半島のアングル人・ジュート人と共にイギリスに上陸し、いわゆるアングロ・サクソン人の元となった。
 ザクセン人は、ザクセン公家として、中世から近世にかけて北部ドイツ地方一帯を支配してザクセン公国を樹立した。
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 フランク人は、ゲルマン民族の一部族で、民族大移動でフランス北部とベルギーに移住し、5世紀末に原住民のケルトガリア人(ゴール人)を攻めて征服してメロヴィング朝フランク王国を建てた。
 ヨーロッパの階級ピラミッドの原型は、征服した部族によって積み重ねられて築かれた。
 732年 メロヴィング朝の宮宰カール゠マルテルは、イベリア半島から侵略してきたイスラム軍をフランク領トゥール゠ポアチエで撃破して宗教侵略からキリスト教とヨーロッパを守り、メロヴィング朝における統治権を握った。
 751年 カール゠マルテルの子ピピン(小ピピン、短軀王。)は、フラン国王の王位を簒奪し、メロビング朝を廃してカロリング朝を開いた。
 768年 ピピンの長子シャルルマーニュ(大ピピンカール大帝、チャールズ大帝。)は、ザクセン公国と北イタリ・ランゴバルド王国(東ゲルマン族の一部族ランゴバルド人)を滅ぼして中部ヨーロッパとイタリアに領土を拡大してゲルマン諸部族をまとめ、イスラム勢力をピレネー山脈以西に追いやり、800年にローマ教皇から西ローマ皇帝の冠を授かり西洋キリスト教文明世界の守護者に任じられた。
 フランク王国が、現代ヨーロッパの原形であり、西洋キリスト教文明を成立させた。
 フランク王国は、後に西フランク(フランス)、東フランク(ドイツ)、中部フランク皇帝領(イタリア・オランダ・ベルギー)に3分割され、後に数多くの王国や公国が建国され領土を巡る戦争を繰り返して起きたが、再統一される事はなかった。
 ヨーロッパ人とは東方の侵略者・征服者ゲルマン民族の事で、古代ギリシャ古代ローマ古代ローマ共和国、古代ローマ帝国との直接的な繋がりは薄い。
 ヨーロッパ人に正統な統治者としての権威を与えたのは、西欧キリスト教文明のローマ・カトリック教会であった。
 当時、現代のようなフランス人、ドイツ人、イタリア人、オランダ人、その他の人々は存在しなかった。
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 ヨーロッパを政治的に統合されたのがEU(欧州連合)であるが、イギリスは離脱した。
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 962年 ドイツ王オットー1世は、ローマ教皇ヨハネ12世から皇冠を戴いて神聖ローマ帝国を建国し、西洋キリスト教文明圏の保護者となった。
 現代に繋がる欧州大陸部であるドイツ、フランス、イタリア、その他の諸国は、この混乱状況の中から建国され、各民族や諸国民が生まれた。
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 ヒトラーが自称した第3帝国ナチス・ドイツとは、アーリア人ゲルマン民族ドイツ人の事である。
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 ローマ教皇に即位する絶対条件は、西洋系欧州系白人男性である事であった。
 コンクラーベ教皇選挙会議)を構成する枢機卿になる資格は、敬虔な経験と教会活動の実績があれば人種や民族は問わないが、性差別として女性には資格が認められていなかった。
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