🍙41〗─2─伊勢湾台風と想定外の高潮で犠牲者は5,000人以上。昭和34年9月26日~No.254 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 1980年代のバブル経済を境にして日本人は違う日本人に変異した。
 昔の日本民族現代日本人は別人である。
 日本の自然災害の多くは想定外・予想外の大被害が起きていた。
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 2023年9月26日16:57 YAHOO!JAPANニュース CBCテレビ伊勢湾台風の上陸から64年 死者・行方不明者が1851人に上った名古屋市で慰霊祭
伊勢湾台風が東海地方に大きな被害をもたらしてから64年経った9月26日、名古屋で慰霊祭が行われました。
 【写真を見る】伊勢湾台風の上陸から64年 死者・行方不明者が1851人に上った名古屋市で慰霊祭
 この慰霊祭は伊勢湾台風の犠牲者を悼んで毎年、名古屋市が開いているものです。
 1959年に紀伊半島に上陸した伊勢湾台風では、愛知県と三重県を中心に5000人を超える犠牲者が出ました。
 名古屋市も市内の約3分の1が浸水し、死者・行方不明者は1851人に上りました。
 64回目となった慰霊祭には河村たかし市長や市の職員らが出席し、慰霊碑の前に花を手向けました。
 (名古屋市 河村たかし市長)
 「悲しい思いで亡くなった、お子さんもたくさんいる。今幸せな暮らしができることに、ありがとうという気持ちを持つようにしないといけない」


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 日本民族の歴史とは、合戦の戦史や権力闘争の政治史などの正史・表史ではなく、庶民の生活史や天災の災害史などの外史・裏史である。
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 「日本では、大きな地震など災害が発生するたびに、大小のフェイクニュースが広まることがあった」は、ウソである。
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 昔の日本民族には、大正時代の関東大震災現代日本のような被災地で被災民を苦しめ追い詰める流言蜚語、デマ、フェイクニュース風評被害などの悪意の愉快犯や善意の正義の味方はいなかった。
 被災地で暴動や強奪、暴行、殺人、強姦など重犯罪を起こすのは、日本人ではなく朝鮮人や大陸系中国人であった。
 日本の被災地を支配したのは、集団主義個人主義同調圧力や場の空気・空気圧であった。
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 9月26日13:43 YAHOO!JAPANニュース ハフポスト日本版「伊勢湾台風から64年。「最強」ではないのに、明治以降で最多の犠牲者を出した理由は、“想定外”の高潮だった。被害を振り返る
 伊勢湾台風の影響で床上浸水した名古屋市内の小学校(愛知県名古屋市)[米空軍提供]
 全国で5000人超の死者・行方不明者を出した伊勢湾台風の上陸から9月26日で64年を迎えた。NHKによると、さらに危険な台風が日本を襲うリスクが年々、高まっていると専門家が指摘している。
 【画像集】“想定外“の高潮で深刻な被害に。64年前の「伊勢湾台風」の脅威
 日本の防災対策の「原点」となった大災害を写真と資料で振り返る。
 5098人が犠牲に
 押し流された庄内川左岸堤防(名古屋市港区)
 内閣府の報告書によると、伊勢湾台風は1959年9月26日夕、紀伊半島先端の潮岬に上陸した「台風15号」を指す。死者・行方不明者数は全国32道府県で5098人に上り、台風による被害としては明治以降で最悪だ。
 愛知県と三重県では高潮が発生。両県の犠牲者数は、全体の83%を占めるほど甚大な被害が出た。
 浸水した商店街
 名古屋市YouTubeで公開している動画によると、伊勢湾台風は上陸後、6時間あまりで本州を縦断。富山市の東から日本海へと進み、北陸、東北地方の日本海沿いを北上し、東北地方北部を通って太平洋側に出た。愛知県の伊良湖で最大風速45.4m、名古屋市で37.0mを観測するなど、強い勢力のまま上陸した。
 想定外の高潮
 伊勢湾台風は、観測史上「最強」の台風ではない。
 日本に上陸し、観測史上最強・最大とされるのは、1934年の室戸台風だ。
 室戸台風の上陸時の最低気圧は911.8ヘクトパスカル伊勢湾台風と、1945年の枕崎台風と並んで「昭和の3大台風」と呼ばれる。伊勢湾台風は、台風のエネルギーとしては室戸台風の半分ほどだった。
 なぜ「明治以降、最悪」といわれるほど深刻な被害を生んだのか?
 報告書は、伊勢湾奥部の潮位が、当時の高潮対策の前提となっていた最高潮位を1m近く上回っていたことなどを指摘。「未曾有の高潮の発生と、臨海部の低平地の堤防決壊」によって室戸台風をはるかに上回る被害をもたらしたと解説している。
 名古屋市の公式動画によると、停電により重要な情報源だったラジオが使えなくなったことも被害が拡大した原因ともみられるという。
 災害対策の原点に
 当時、災害が発生するたびに関連法が制定されていた。それぞれの法律との整合性が考慮されないまま運用されていたため、十分な効果が発揮できなかった。
 甚大な被害を出した伊勢湾台風がきっかけとなり、発生後の1961年に「災害対策基本法」 が制定された。災害対策全体を体系化し、総合的・計画的な防災行政の整備と推進を目的としている。
 災害対策基本法は、防災計画や実施の責務の明確化、激甚災害への財政援助などを定めている。
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