🍠28〗─2─関東大震災後と東日本大震災後での寄り添い方。寺田寅彦、和辻哲郎。~No.88No.89No.90 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 寺田寅彦「天災は忘れた頃にやって来る」
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 健忘症の日本人は、日本列島が甚大な被害をもたらす雑多な自然災害が複合的に多発する最も危険な地帯である事を忘れやすい。
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 2021年4月号 WiLL「東日本大震災10年に想う
 被災者に寄り添うとは  佐伯啓思
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 文明の進歩と災害の被害
 しかし、東北を離れてこれをひとつの文明を襲った惨禍と見るならば、私はやはり、かつて寺田寅彦が述べたことが気になる。関東大震災(1923年)や函館大火(1934年)、室戸台風(1934年)などの天変地異を目(ま)の当たりにした寺田は『天災と国防』(1934年)においてこういうことを書いていた。
 寺田は、文明の進歩について災害の被害は大きくなる、というのだ。文明が進むにつれ人は自然を克服しようとする。そして自然の脅威を封じたつもりになる。しかし、突然、自然は檻(おり)を破った猛獣のごとくあばれだして人命を奪う。これは天災ではあるが、その惨禍をかくも巨大化するものはといえば、自然に反抗しようとする人間の細工である。
 単細胞のような動物であれば、どこかが切断されても各片が生き残るが、複雑な有機体になると、どこか一片が切断されるとその全体が機能不全に陥(おちい)る。高等動物は針1本でも命を失いかねない。こういう文明のなかにわれわれはいる、というのだ。
 実際、寺田は、関東大震災について、地震そのものはそれほどのものでもなかった。惨禍を拡大したものは、火事であり、人々の心理的動揺であり、都市の機能不全であった、ということを書いている。つまり、巨大な都市化、経済生活の有機的な高度化(高度な分業体制)、それに、自然を管理できるとみなす人間の驕(おご)り、同時にまた予測しえない不確実性の襲来に際してパニックを起こす文明人の集団心理。こうしたものこそが災害をとてつもなく巨大化したのでsる。
 関東大震災に際しても『天譴論(てんけんろん)』が唱えられた。天譴も、自然を征服できるとするする文明人の驕りに向けられた言葉とみなせば、しごく当然のことである。いや、ここでわれわれは『天』という観念が決して死に絶えていないことを知るべきであろう。
 『復興』ではなく『転換』を
 東日本大震災から得た教訓の最大のものは、いうまでもなく、日本が巨大地震の巣の上に立脚した災害国家だということであった。1995年の阪神・淡路大震災でわれわれはそれを思い知らされ、また今後、大地震の襲来を確実視されている。『ウイズ・コロナ』ではないが『ウイズ・ディザスター』に生きるという自明の事項にわれわれは改めて直面することとなった。
 そのことをまず受け取れば、科学技術の万能を信じ、都市を膨らませ、飽食と快楽に身をやつす現代文明の突き進む方向性そのものに疑問を呈(てい)するのが当然というものであろう。『復興』ではなく『転換』が求められているのだ。
 われわれがいかに文明を進歩させたとしても、その土台となる自然と大地が動けば、この文明など一瞬のうちに破壊されかねないという認識は、われわれの関心を霊性へ向けるはずである。
 鈴木大拙は、平安末期から鎌倉にかけてのうち続く天変地異や疫病、戦乱のなかから日本人は初めて『霊性』に目覚めたというが、霊性とは、この現世における人知・人力の限界を痛感し、不条理にも失われ、慟哭(どうこく)のうちに諦念(ていねん)に達するほかない生命への愛惜(あいせき)から出てくるものである。一種の宗教意識といってもよいし、霊的な方向へ向けた死生観・自然観といってもよい。圧倒的に大きなものを前にした人間の卑小(ひしょう)さの認識である。
 そして大拙は、この『霊性』はあくまで『大地』にしっかりと根差したものだ、という。それは、宙に浮いた抽象的概念ではなく、天上のかなたにいる神でもない。経済成長や生活の便利やグローバルな利益によって『大地』を離れて浮遊するものではない。自然が猛威を振るおうと、大地が鳴動しようと、われわれは、その自然と大地によって生をはぐくまれているという事実は揺るぎがない。人の命を一瞬で奪う自然や大地とともに、それに寄り添いつつ生きるほかない。霊性は、人の作為を超えた自然や大地の動きに随順(ずいじゅん)するところに、魂の安定を見ようとする。
 死者とともにある
 大地震のあと、東北の各地で不可思議な霊的現象が経験されたことを奧野修司『魂でもいいから そばにいて』が報告している。通常は説明のつかない霊的な現象である。そして多くの場合、体験者は、この不可思議な霊的現象を通して、死者たちと再会でき、また死者たちが自分のすぐ近くにいることを知り、ようやくある安堵感をもつようである。
 そういう事例を、私は非科学的だとか錯覚だとして否定する気にはならない。われわれは、死者と生者との共存、交流の仕方を失ったのである。生者は、常に死者に対してある責任を持つ、というような観念も失ってしまった。生者は死者に見守られ、また生者は死者を記憶に留める、という当然の観念を見失ってしまった。そして、その生者も死者も含めて、われわれの霊性が自然と大地に含まれている、という意識である。
 近代文明は、常に明るい未来を脅迫観念的に展望し、過ぎ去った悲惨も犠牲となった死者も忘却へ押しやろうとしてきた。だが、一人一人のこころのうちから惨禍や死者の記憶を消すことはできない。この記憶が残る限り、いまここに生きるわれわれは死者とともにある。という意識をなくすこともできない。
 10年たち、『復興』という掛け声によって『新しい街』が生まれても、被災者たちはこの記憶を失うことはあるまい。震災を直接経験していない者が被災者に寄り添うとは、想像のなかにおいてであれ、この記憶を共有することであろう。それは過ぎ去った事ではない。今後、いつどこに巨大災害がくるかはわからない。われわれのすべてが当事者なのである。」
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 『関東大震災』後と『東日本大震災』後 山折哲雄
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 寺田、和辻、谷崎の仕事
 それから、最後にもう一ついっておかなければならない。
 あの3・11の大災害から今日まで10年、この国ではさまざまな『東北』の復興計画が立てられ、多くの議論を呼んできた。それらの多様なプランを見聞きするなかで、過去の同じような経験から、われわれはいったいどのような教訓をくみとってきたのだろうかという問題である。
 たとえば、今から100年近く前の関東大震災(大正12年)のときの経験を思いおこそう。そのときには、その大災害から立ち直るため貴重な教訓がつみ重ねられていたにちがいない、と思ったのである。そして実際、関東大震災後の約10年間に、3人の知的な先覚者による重要な仕事が行われていたことに気づくのだ。物理学者の寺田寅彦倫理学者の和辻哲郎、そしてこれを研究できないけれど文学者の谷崎潤一郎による鋭い直観の力である。
 まず、和辻哲郎の場合はどうだったのか。彼は毎年この辺を襲ってくる台風の性格に着目し、それを通して日本人の民族性を明らかにしようとしていた。かれの名著『風土』(昭和10年)がこのようにして誕生する。台風の発生については、季節性と方向性があり、それを予測して、あらかじめ人間側が力を集めて共同体的に対処することができたのだという。それによって日本人の倫理感覚がきたえられ、そこからかれが導きだしたのが『しめやかな激情』と『戦闘的な恬淡(てんたん)』という鮮やかなキーワードだった。
 これにたいして寺田寅彦は『天災と国防』(昭和10年)を書いて、地震の体験こそが日本人独自の生活信条や知恵を生みだす原因となったと論じた。その結果、『天然の無常』という宗教感覚がわれわれの『五臓六腑』にしみこむまで血肉化(けつにくか)されたのだ、といっている。地震の脅威とつき合うことで、われわれの自然に学び自然とともに生きる態度がみがかれ、それが日本に固有の学問や科学の精神にもつながったといったのだ。
 3人目が谷崎潤一郎の鋭い文学的直観だった。関東大震災で関西に逃げてきたかれは、その変化に富む移動生活のなかで『恋愛及び色情』(昭和6年)『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』(昭和8年)などの傑作を書いている。前者のエッセイでは、日本人の性欲が西洋人にくらべて弱いのは、その風土的特色である湿気の強さによる、といっている。西洋人の性欲は明るい太陽のもと、乾燥した大気のなかでどこまでも追求されるのにたいして、われわれの性欲がそれほどに『あくどく』ないのは、体質というよりはむしろ季節、風土、食物、体長などの制約によるのだろう、と指摘している。
 なるほどと思わないわけにはいかない。かれの『陰翳礼賛』の文章が、そのような精神風土の延長線上に書かれた日本の文化、風土論であることに私は注目したいのである。ともかく明るい光を否定し、深い闇に沈む豊穣(ほうじょう)な美を礼讃してやまないかれの文章が、いたるところ湿気に覆われる日本列島の宿命的なモンスーン風土を意識して書かれていることはいうまでもないだろう。そして面白いことは、その谷崎は最後に、こんなことまでいっている。──この湿気(しけ)た国の日本人は、反(かえ)っては消費を抑え、活動的で、気短かで、負けず嫌いで、貧しさにも耐え、それで近隣の大国から侵略され征服されることもなく、負けじ魂のつよい民族になったのだ、と。
 100年前との重大な違い
 とにかくこのようにみてくるとき、『関東大震災』後10年間と、こんどの『東日本大震災』後の10年間の両者のあいだに、学問上、認識的な面においてじつに大きな落差というか重大な違いが存在していたということにあらためて気づかされ、驚かされるのだ。そしてそのことの重要性に、われわれはいまだに気がついてさえいないのではないか。
 今日われわれが、地球の温暖化と気象変動などによって、毎歳のように巨大な風水害の脅威と被害にさらされるようになっているのは周知のことだ。その危機的状況の中で、未だにこの日本列島の人たちの文化的、宗教的背景にかならずしも十分な配慮をしていない、そのような精神風土にもとづく『復興』についても、まことに冷淡な態度をとりつづけている。それにかわって浅薄(さんばく)な科学信仰、あまりにも性急な技術偏重の弊(へい)に陥っているのではないかと憂えずにはいられないのである。

 海嘯(かいせう)の弧を保ちつつ陸(くが)呑みぬ   照井翠

 著者の句集『泥天使』に出てくる巻頭句である。10年前の3・11は、岩手県釜石に居住して、未曽有(みぞう)の災害に遭っている。大量の泥を呑まされ、天を仰いで、もがいていた。やがて気がつけば、『東北』の全体が泥に呑まれ、砕かれ、骨のずいまで粉々に壊され、呑みつくされていたのである」
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 日本の道徳心は、武士道ではないし儒教でもなかった。
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 現代の日本人と昔の日本人は別人のような日本人である。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本民族には、表の建て前の顔と裏の本音の顔の2つを使い分け、短い命を泣き笑いで生きてきた。
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 因果応報、善因善果・悪因悪果は、ウソである。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の自然は、心癒やされるほどに豊で美しい。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張そして宗教は無力で役に立たない。
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 昔の日本は、人口微増の人生50年時代で、若者が多く老人が少なかった。
 現代の日本は、人口激減の人生100年時代で、老人が多く若者が少ない。
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 日本民族は、神々の営みによる神話の国に生きる民であって、人間が作る伝説の国に棲む住人ではなかった。
 神話は不変であるが、伝説は可変である。
 神話には2つあって、崇拝神話と信仰神話である。
 日本中心神話は、後者の崇拝神話で、奉り祀る神話である。
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 日本の自然災害は戦争と同様とみなして軍隊が出動する。
 欧米キリスト教諸国では、軍隊ではなくキリスト教会・赤十字・消防署・ボランティアなどが自然災害の被災地に集まって活動する。
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 日本は運命共同体と異居ながら、個人主義であり集団主義であった。
 逃げる時は自分の命だけを守る為にエゴ丸出しで、家族だろうが他人だろうが脇目も振らず助ける事なく我先にバラバラで逃げた。
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 昔の日本人にとって天災とは、科学ではなく宗教であり政治であった。
 日本民族とは、民族宗教による政教一致の祭祀民族であった。
 その祭祀とは、神の裔である男系父系天皇宮中祭祀であった。
 故に、宮中祭祀は国事行為であった。
 宮中祭祀を執りおこなう資格のあるのは、最高神の女性神天照大神の血筋である。
 正しい唯一の血筋こそが、神聖不可侵の正統性である。
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 想ってくれる人があれば、死者も新たな命が与えられ生者と同じである。
 思ってくれる人がいなければ、生者であっても命のない死者と同じである。
 現代日本では、命の生者が増えている。
 その証拠が、東日本大震災後に絶えない政治家や官僚、教育者、メディア関係者の失言の数々である。
 現代日本で、死者殺し・神殺し・仏殺しが進んでいる。
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 大陸の世界文明は、戦争や疫病を理想主義観念論で乗り越えて進歩してきた。
 島国の日本文明は、自然災害や疫病を現実主義経験論で受け止めて進歩してきた。
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 昔の日本人(日本民族)は、西洋科学を知らない時代において、天災を不徳な行為に対する天罰あるいは呪いの強い怨霊の祟りと怖れた。
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 天災は、善人も悪人も、如何に徳があろうが、何れだけ善行を積もうが、金持ちだろうが貧乏人だろうが、平等に・公平に・分け隔てなく・差別なく、その場にいた全ての人々をのみ込み殺した。
 そこには、奇跡は存在しないし、恩寵や恵はなく、言霊も関係なかった。
 生きるも死ぬも、必然と偶然である。
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 大火による10万人以上の焼死者がでたのは、明暦3(1657)年正月18日の明暦の大火、世に言う振袖火事。
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 無差別縦断爆撃で10万人以上が焼け死んだのは、昭和20(1945)年3月10日未明の東京大空襲
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 死者・行方不明者10万5,000人以上、住宅被害全壊21万余・焼失21万余に及ぶ大被害を出した関東大震災を教訓として学ぶ事を阻んでいるのは、朝鮮人惨殺事件、社会主義者と労働活動家ら殺害の亀戸事件、無政府主義者大杉栄と妻の伊藤野枝を惨殺した甘粕正彦憲兵大尉事件などである。
 つまり、10万人以上の日本人犠牲者を悼む前に惨殺された朝鮮人社会主義者無政府主義者に謝罪し反省し二度と起こさない事を誓え、という脅迫である。
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 現代の歴史教育や震災報道も、関東大震災を取り上げる時、朝鮮人に対する日本人の謝罪と反省を強ている。
 それを例えるなら、名作・傑作・感動作と国内外から賞賛される映画やテレビドラマの中の一人の出演者が何らかの不祥事を起こして逮捕者されると、その作品は上映・放映される事なくお蔵入りして抹殺される事に似ている。
 日本人共産主義テロリストやキリスト教朝鮮人テロリストは、摂政宮裕仁皇太子(後の昭和天皇)を惨殺する為につけ狙っていた。
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 ソ連は、日本で天皇制度を打倒する暴力的人民革命を起こす為に陰謀を巡らし謀略を行い工作を繰り返していた。
 日本民族にとって、ロシア人共産主義者は恐ろしい敵であった。
 ロシア人共産主義者の尖兵として暗躍していたのが中国共産党である。
 大学では、日本変革の為に優秀な若者にマルクス主義が教え、高学歴知的エリートや進歩的知識人(インテリ)として社会に送りだしていた。
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