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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
「日本は、大きな地震など災害が発生するたびに、大小のフェイクニュースが広まる事がある」は、ウソである。
自然災害の多い日本と自然災害の少ない中国や朝鮮とは根本的に違い、天災の中を生き抜いてきた日本人と天災を経験しない中国人や朝鮮人とは生き方・考え方が全然違う。
日本人の脅威は天災であったが、中国人や朝鮮人の脅威は人災であった。
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デジタル大辞泉プラス 「浜田地震」の解説
1872年3月14日に石見・出雲地方(現在の島根県浜田市付近)で発生した地震とそれによる災害。555名が犠牲となった。地震により土地が隆起し、のちに国の天然記念物に指定される石見畳ヶ浦が出来た。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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01 浜田地震 - 災害に学ぶ―明治から現代へ―:国立公文書館
明治5年(1872)2月6日、浜田県浜田町(現島根県浜田市)沖を震源とするM7.0~7.2の地震が発生しました。死傷者約1100人に及ぶ大きな被害に対して、「窮民一時救助規則」に基づき政府から直接救助金が支払われました。資料は、地震被害について浜田県から大蔵省へ届け出た際の文書です。被災者には窮民一時救助規則第1条に基づき「極難ノ者」へ15日間の「食糧焚出」などが行われました。
関連リンク備荒儲蓄法布告ノ件
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https://kotobank.jp>word>備荒儲蓄法-1398352
備荒儲蓄法とはどういう法律ですか?
風水害,地震,津波,噴火,大規模な火事,爆発などの災害が発生した場合に,応急的に必要な救済を行い,被災者の保護と社会秩序の保全を目的とする活動。 災害救助法(1947公布)および災害対策に関する基本的事項を定めた災害対策基本法(1961公布)等に基づいて災害救助の活動が行われている。
備荒貯蓄とは何ですか?
凶作・飢饉(ききん)に備え米穀・金銭を貯蔵すること。 古来、義倉(ぎそう)・社倉(しゃそう)・常平倉(じょうへいそう)などが設けられ、江戸時代の囲米(かこいまい)・囲籾(かこいもみ)も備荒用の性格が濃かった。
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明治の浜田地震と大正の関東大震災との違いは、被災者は日本人だけで、被災地には朝鮮人も中国人もいなかった事である。
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同じ日本人でも、昔の日本民族と現代の日本人、日本民族と日本国民は別人のような日本人である。
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日本・日本民族・日本人と中国・漢族系中国人、半島諸国・朝鮮人・韓国人とは違うし、如何に話し合っても理解しあう事はできない。
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現代の歴史教育は、権力者による政治・権力闘争を扱った大きな歴史であって庶民の日常生活・市井をを扱った小さな歴史ではない。
日本民族の本当の歴史とは、庶民を見詰めた小さな歴史であり、その底辺に流れていたのは祭祀的神話物語・崇拝的風土記・祈りの民俗芸能、つまり科学ではない自然に対する畏れの皇国史観であった。
現代の日本人には、日本民族の歴史は失われている。
日本民族の歴史は、数万年前の旧石器時代・縄文時代から始まっている。
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2022年3月14日 YAHOO!JAPANニュース 地震調査研究推進本部のホームページより「明治になって最初の大地震・浜田地震から150年、西日本内陸地震に備えを
福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
明治になって最初の大地震
今からちょうど150年前、まだ、太陰暦だった明治5年2月6日(グレゴリオ暦の1872年3月14日)に島根県西部を浜田地震による強い揺れが襲いました。気象台もなく震度観測も行われていないので、詳細なことは分かりませんが、被害の様子などから、震源は浜田市の沖合、地震規模はM7.1、最大震度は7程度だと推定されています。1週間前から活発な前震活動があったようで、家屋の全潰数は約5千棟で、山崩れが各地で起き、火災も発生しました。犠牲者は約550人に上ります。この地震で、国分海岸の土地が隆起して、国の天然記念物でもある石見畳ヶ浦ができました。
浜田地震は、明治になって3年半後に起きました。前年の1871年には、廃藩置県が行われ、岩倉具視らの視察団が欧米に派遣されました。浜田地震は、まさに文明開化が始まろうとした年に起き、地震の後、日本の姿は大きく変わっていきました。
文明開化が始まった1872年の日本
浜田地震が起きた直後、1872年4月3日に東京の銀座で大火がありました。焼失した銀座の跡地には、不燃化のため煉瓦街が作られ、まちの西洋化が始まりました。
10月14日には新橋―横浜間で鉄道が開通し、10月31日に横浜でガス灯が点灯しました。鉄道とガス灯は文明開化の象徴です。さらに、11月4日には、近代工場の富岡製紙場が操業を開始します。このように、明治になって僅か4年弱で、西洋文明を取り入れることに成功し、本格的な近代化がスタートしました。
国の体制も整えられました。初めての戸籍調査が行われ、人口が3311万人余であることが分かりました。また、陸軍省・海軍省や、日本初の裁判所が設置され、郵便が始まり、教育面では学制も整いました。
さらに、福沢諭吉が「学問ノススメ」を世に出し、思想の上でも時代が変わり始めました。この著作は日本人の10人に1人が読んだと言われ、当時の日本人の精神形成に大きな影響を与えました。
また、この年の11月に、太陰暦が太陽暦に変わることになり、旧暦の明治5年12月3日が新暦の明治6年1月1日になりました。
まさに、浜田地震は、日本の時代の変わり目に起きた地震でした。
繰り返す西日本の日本海側での地震
浜田地震以降、西日本の日本海側では繰り返し地震が起きてきました。首都圏を壊滅させた1923年関東地震と、南海トラフ地震である1944年東南海地震・1946年南海地震前後の間には、M7クラスの地震が4回も起きています。1925年5月23日北但馬地震(M7.3、死者2,925)、1927年3月7日北丹後地震(M7.3、死者272)、1943年9月10日鳥取地震(M7.2、死者1,083)、1948年6月28日に福井地震(M7.1、死者3,769)の4地震です。日本は、この間に大正デモクラシーの時代から戦争を始め、敗戦しました。
最近の約20年間にも、2000年10月6日鳥取県西部地震(M7.3)、2005年3月20日福岡県北西沖地震(M7.0)、2007年3月25日能登半島地震(M6.9)、2016年10月21日鳥取県中部の地震(M6.6)、2018年4月9日島根県西部の地震(M6.1)と多くの地震が起きています。以前の地震発生の様子とは異なるようです。
今後の地震に備え、耐震対策を
これらの地震の震源域を西から東へと並べると、浜田地震、島根県中部の地震、鳥取県西部地震、鳥取県中部の地震、鳥取地震、北但馬地震、北丹後地震、福井地震、能登半島地震と並んでいます。よく見ると、地震が起きていない隙間があちこちにあることが分かります。
地震調査研究推進本部は、近い将来の発生が心配される南海トラフ地震について、今後30年間の地震発生確率を70~80%と評価し、平均的な残り時間は十数年としています。南海トラフ地震発生前には西日本内陸の地震活動が活発になると言われます。西日本内陸で、今後さらに地震が発生することもあり得ます。直下で起きる地震では、強い揺れが襲います。改めて家具の転倒防止や家屋の耐震化を進めたいと思います。
福和伸夫
名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。
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ウィキペディア
浜田地震は、1872年3月14日(明治5年2月6日)に浜田県浜田町(現在の島根県浜田市)沖で発生した地震である。マグニチュードは7.1。気象庁は最大震度は不明としているが、地震学者の宇佐美龍夫は被害状況から浜田、邑智および大田で震度7と推定している。
経過
浜田市牛市町にある「震災紀念之碑」
家屋全壊は4,506棟で起こり、230棟の家屋が焼失した。死者は浜田県内で536人、出雲県内では15人。山崩れは6,567か所で起き、邇摩郡では33戸が埋没した。地震発生の1週間前から鳴り動き、当日も大小の前震があった。発震時は16時40分頃とされ、当日の11時頃から微震があり、本震の約1時間前にはかなり大きな前震があった。
この地震によって国分海岸一帯が隆起し、石見畳ヶ浦ができた。浜田浦では本震の数十分前から潮が引き、沖合い140mのところにある鶴島まで海底が露出し、徒歩で渡ってアワビを取って帰って来たところに地震が起こったという。また、小規模な津波も発生したが、被害は無かった。
浜田市牛市町の浜田川河岸には1896年(明治29年)に建立された「震災紀念之碑」が建っている。2021年(令和3年)10月には牛市自治会によって碑の現代語訳などが掲載された看板が設置された。
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2023年9月9日 山陰中央新報ニュース「山陰 150年前の地震 すさまじさ示す畳ケ浦 海の美しさと自然のダイナミズムを体感(Sデジオリジナル記事)
150年前の地震 すさまじさ示す畳ケ浦 海の美しさと自然のダイナミズムを体感(Sデジオリジナル記事)
山陰
2022/6/14 04:01
浜田地震での隆起により独特の景観を織りなす石見畳ケ浦=浜田市国分町
1872年に発生した浜田地震から今年は150年になる。大災害でありながら、石見地方を代表する景勝地の石見畳ケ浦(浜田市国分町)は、この時の隆起で誕生した。石見畳ケ浦資料館の桑田龍三館長(島根県地学会顧問)は地震と関連し、急激な隆起で生じる「ノッチ」「ポットホール」の二つの浸食地形を見どころに推す。気温が上がり、海岸の散策も楽しめる季節。石見畳ケ浦では海の美しさと自然のダイナミズムを体感できる。(西部本社報道部・板垣敏郎)
桑田龍三館長
一帯は1600万年前に堆積した砂岩層で、浜田地震で海底が1メートル程度隆起して現れたとされる。縦横に規則的に走る亀裂が織りなす千畳敷、丸い椅子のようなノジュール(団塊)、地層が傾きながら隆起し小高い丘となった馬の背など各種地形とともに化石が豊富にあることでも知られる。
桑田館長お勧めのノッチは海面付近の岩壁が波により横に長く、鋭く削られた地形。石見畳ケ浦には岩の奥がえぐられたノッチが、地上の至るところにある。
波に削られた跡が横一文字に走り、岸壁を上下に分断しているように見える石見畳ケ浦のノッチ
ポットホールは海中の岩盤の弱い部分にたまったつぶてが周りを削り、徐々に大きくなった円形の穴。ノッチもポットホールも地上で見かける場合、ゆっくりではなく急激な隆起があったことを示すという。
石見畳ケ浦のあちこちにみられる丸い穴「ポットホール」(手前)
浜田地震の隆起のすさまじさを今に示す二つの地形。特にノッチは今の海面から高さ約1メートルのところにあり、激しい揺れを物語る。桑田館長は150年の歳月を踏まえ「人間には戦争もあり変化が激しかった間、石見畳ケ浦は悠久の時を刻んだ。落差を楽しんでほしい」と来訪を呼びかけた。
浜田地震は1872年3月に浜田沖日本海で発生し、死者550人超を出した。規模はマグニチュード7・1とされ記録が残る中で島根県内最大級の地震。石見畳ケ浦は国の天然記念物で今年は指定から90年になる。
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9月9日 YAHOO!JAPANニュース 朝鮮日報日本語版「関東大震災100年:一段と深刻さ増すフェイクニュースの害悪…「100年前の悲劇」を忘れるべきでない理由
(写真:朝鮮日報日本語版)
関東大震災100周年の前日に当たる8月31日、公共放送のNHKは特集番組を放送した。タイトルは「関東大震災100年、私たちの不安がフェイクを広げる」。100年前の関東大震災発生直後、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という根拠のないうわさを信じた民衆や警察によって韓半島出身の住民らが無残に殺害されたが、命と直結する事態にまで発展する危険がある流言飛語は最近起きた災害でもしばしば広がっている-という内容だった。
【写真】「動物園からライオンが脱走」…熊本地震(2016年)の際にSNSに投稿された偽ニュース
1923年9月、東京・神奈川など関東一帯でマグニチュード7.9(推定)の大地震が起きると、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という流言飛語が日本人の間で広まった。住宅など町全体が壊滅して火災に巻き込まれる混乱の中で、こうしたうわさを信じた日本人らが自警団を組織し、街頭で見かけた朝鮮人を無差別に殺したのが「関東大震災朝鮮人虐殺」事件だ。
100年が経過した今年、日本の各メディアは、関東大震災当時起きた朝鮮人虐殺事件について例年よりも高い比重で報じている。このところデジタル技術をベースに発達しているソーシャルメディアやAI(人工知能)などが、フェイクニュースをますます危険なものにしていることを警告する記事が多い。朝日新聞は9月1日、「当時『朝鮮人が井戸に毒を入れた』などの根拠なき情報があふれ、実際に大勢の朝鮮人が殺害された」として、流言飛語が虐殺という大きな悲劇にまで至る過程を分析した記事を伝えた。
実際日本では、大きな地震など災害が発生するたびに、大小のフェイクニュースが広まることがあった。関東大震災のときには、地震発生からわずか1時間で「富士山が大爆発した」「東京にだけ猛烈な津波が襲ってきた」などの誤った情報が警察の報告で入ってきた。地震発生のおよそ3時間後から「朝鮮人が放火した」などの偽りの情報が警察に相次いで入り、次第に具体化し始めた。情報はうそだったが。当時は公に信用のあった「警察情報報告」として受け入れられ、日本政府もこの内容を信じた。
日本メディアは、100年が経過した今、災害に関するフェイクニュースはデジタル技術を通して次第に巧みなものになっていると警告している。例えば2011年3月11日、福島第一原子力発電所事故を起こした東日本大震災では、ソーシャルメディアのツイッター(現在のX)に、普段より2倍も多いツイートがあったとNHKは伝えた。事実と共にフェイクニュースも混じって広まった。特に「製油所の高圧ガスタンクが爆発し、(全国に)有害物質の混じった雨が降る」という偽情報は10時間にわたり日本全域で共有された。2016年4月に熊本でマグニチュード6.5の地震が発生したときは「動物園からライオンが脱走した」として、1頭のライオンが夜の町をうろつく、ぞっとするような写真がオンライン空間に出回った。この写真は、その後、日本ではなく海外で撮影されたものと確認された。だがツイッター上だけでも既に2万人がこの写真をリツイートした後だった。
ソーシャルメディアで流言飛語の伝達力が高まったとすると、ディープフェイク(deepfake。本物に似せて作ったデジタル視覚物)などAI技術の発展は、事実と区別し難い精巧なフェイクニュースを作り出す一助となっている。代表的な事例が、昨年9月にソーシャルメディアで広まった「静岡水没」写真だ。当時、台風15号(アジア名:タラス)の影響で静岡県一帯に豪雨が降ったが、「地域全体が水に漬かった」とする3枚の写真がツイッターに投稿された。この写真は誇張された捏造(ねつぞう)写真だと判明した。既に台風で被害が大きくなっている中、ツイッターで急速に拡散したこの写真により、住民らの間で恐怖が一層つのった。
2021年2月に宮城・福島一帯で地震が発生したときには、加藤勝信官房長官(当時)が災害の状況をあざ笑うかのような明るい表情で記者会見を行うフェイク写真がツイッター上で拡散し、物議を醸した。国立情報学研究所(NII)の越前功教授は「実在する人物の偽のイメージを一から作り出したり、そもそも存在しない架空のストーリーを作ることすら、(ディープフェイクを通して)可能になった」と警告した。
キム・ドンヒョン記者、成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長
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