🍠28〗─6─関東大震災と鎌倉の被害。神や仏は日本人被災者を助けない。~No.94  

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本列島には、自然災害に対して安全・安心な所はどこにもなく、全てが甚大な被害が発生する危険な所である。
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 90年前の「関東大震災」と鎌倉 2013年郷土資料展
 鎌倉市中央図書館 近代史資料担当 2013年9月1日~10日
  今年は「関東大震災」から90年目にあたります。2年半前の3月11日、東北関東地方を襲った大震災を経験した私たちは、あらためて災害の歴史を振り返り、現在の環境を見直しています。今回の展示では私たちの町を襲った関東大震災について、残された災害写真や手記などから、その時起ったことにもういちど詳しく目を向けてみたいと思います。
 1923年(大正12年)9月1日、午前11時58分、相模湾北部を震源とするマグニチュード8クラスの、プレート境界地震が関東南部から東京方面を襲いました。鎌倉は一瞬のうちに壊滅し、山は崩れ一時は陸の孤島のような状態になりました。『鎌倉震災誌』(昭和5年 鎌倉町役場刊)によれば、被害は鎌倉町で全壊1,455戸、半壊1,549戸、埋没した家8戸。さらに津波による流失113戸、地震直後の火災で全焼が443戸にのぼり、半焼は2戸で、者412名、重傷者341名を数えました。大船(山ノ内を含む)の被害は全壊
450戸、半壊80戸、死者18名、負傷者は23名。腰越津村の被害は全半壊合せて310戸、死者70名でした。なお、深沢村もかなりの被害を蒙ったようです。ところで、当時の鎌倉町の全戸数は4,183戸、大船の全戸数が635戸、腰越津村は500戸以下でした。戸数・人口も少なく、鉄筋コンクリート造の高層建築もあまりなかった当時のこの数字は、今日の鎌倉と市民生活にとって重大な意味をもつものと考えられます。
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 鎌倉大地震とは、正応6年4月12日(ユリウス暦1293年5月19日)以降に関東地方南部に被害をもたらした地震震源域は鎌倉周辺、規模はM7以上と推定される。永仁の関東地震、鎌倉強震地震、永仁鎌倉地震建長寺地震などさまざまな名で呼ばれている。
 概要
 正応6年4月12日(1293年5月19日)、関東地方南部で地震が発生。建長寺を代表として多数の神社仏閣が倒壊し、多数の死者が発生した。『鎌倉大日記』では、翌日にも余震と思われる地震の記述が残されており、建造物の倒壊のほか多数の土砂災害などが発生、23,034人もの死者が発生したとされている(『武家年代記裏書』)。
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 巨大津波危険非伝承の観光都市における
 人々の避難意志喚起のための効果的対策の研究
 -古都鎌倉市を事例として
 研究代表者:荏本孝久(神奈川大学
 代理発表 :落合 努(㈱構造計画研究所
 はじめに
 【研究の目的・意義】
 首都圏に位置する古都鎌倉は、平成23年度に神奈川県が行った津波想定では、内陸市街地まで津波の来襲が想定されるなど最大規模の巨大津波のリスクが高い。しかし、近年大きな地震津波を経験しておらず、多数の観光客や海水浴客等が加わることにより、大津波時の避難に際して様々な混乱の発生が予測される。このため、いかに津波避難対策を進めれば効果が上がるのか、避難意向調査やワークショップ等によって課題を抽出し、解決方法を検討する。
 【関東大震災での被害】
 鎌倉市は1923年の関東大震災で甚大な被害が発生している。このときは、地震や火災のみでなく、津波の被害も大きく、地震発生から20分後に最大津波が押し寄せ、護岸や多くの家屋が流されたと伝えられている。
 一方、近年では大規模な地震津波の被害はなく、これらの被害が正しく伝承されているか、大規模災害を経験したことのない多数の人々が適切な行動をとれるかが課題の一つ。
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 2021年10月23日・30日号 週刊現代「首都圏を襲った震度5強は前兆だった
 研究者たちが唱え始めた
 M8関東大地震
 『今年12月鎌倉』説は本当か
 震度7の激震、大規模な延焼火災、市街を遡上する津波。この冬、歴史と文化が薫る一大観光地が三重の被害によって壊滅するかもしれない。この悪夢のようなシナリオは、目に見える形で進み始めている。
 100年前とまったく同じ
 10月7日、首都圏を襲った地震によって都内では電車の運転見合わせが相次ぎ、駅は不安な表情を浮かべる帰宅困難者で溢れた。電気も水道などのインフラも直撃し、都市基盤の脆弱さがあらためて浮き彫りになった。
 それだけではない。立命館大学環太平洋文明研究センター特任教授の高橋学氏はこう警告する。
 『千葉県北西部を震源とする今回の地震(M5.9)は、首都圏に大災害をもたらすM8クラスの巨大地震の「前震」であると考えています』
 実は高橋氏のように、多くの研究者たちが『12月までに大地震がくる』と唱え始めている。
 研究者たちによれば、すでに8月から日本列島の地下深くで『異変』が確認されていたという。高橋氏はこう続ける。
 『こくどこうは、地殻変動を観測するために全国約1,300ヵ所に電子基準点という観測点を設置して調査を続けています。観測結果を見ると、8月中旬から太平洋プレートが活発に動き始めていることが判明しました』
 日本の周りには北米プレート、太平洋プレート、ユーラシアプレートフィリピン海プレートの4つがある。太平洋プレートは、北米プレートに押し曲げられながら潜り込むように東から西に動いている。
 『関東地方は太平洋プレートと北米プレート、それにフィリピン海プレートという3枚のプレートが重なる得意な場所です。いまは、通常時より太平洋プレートが2つのプレートを押しているので、この地域では地震が起きやすくなっています』(高橋氏)
 そんな状況下で、7日に発生した地震に研究者たちが警戒しているのには理由がある。地質学研究者で静岡大学理学部地球科学名誉教授の新妻信明氏はこう解説する。
 『大正の関東大震災(1923年)が起きる約1~3ヵ月前まで、銚子沖など房総半島周辺で地震が頻発していたことが記録されています。
 8月以降、房総半島周辺では震度3以上の地震が7回も起きています。これを前震だと考えるなら、100年前と同様に12月までにM8級の関東大地震が起きる可能性があります。厳重な警戒が必要です』
 大正の関東大震災地震の規模がM7.9、死者・行方不明者は10万人を超えた。明治以降の地震被害として最大規模のこの被害が、約100年の時を経て、再び首都圏を直撃するのである。
 災害に弱すぎる地形
 もうひとつ、近いうちに関東で規模の大きな地震が起きる可能性が高いことを示すデータがある。地震活動をわかりやすく可視化した『地下天気図』だ。東海大学海洋研究所地震予知・火山津波研究部門客員教授の長尾年恭氏はこう解説する。
 『ある地域で地震が少なくなる現象を「静穏化」といい、静穏化が長いほど、地震が発生したときのマグニチュードは大きくなります。そこで、静穏化が起こっている地域を青くして判別していました。実は青色が消えるのは地震が起こりやすくなった証拠です。
 昨年8月から今年2月にかけて、関東地方では青い地点が数多く確認されていました。ところが3月以降に徐々に減っていたんです。そして、とうとう10月には関東の地下天気図から青色がなくなりました。その直後に千葉県北西部で地震が発生した。ただ、M85.9と想像よりも規模が小さなものでした。まだ地下にエネルギーが溜まっていると考えると、近いうちに関東地方が大きな揺れに襲われる可能性は高いと思います』
 では12月に関東で大地震が来たら、どんな被害が起きてしまうのか。
 ……
 だが、その東京よりも大きな被害が想定されている地域がある。
 相模湾の沿岸地域、房総半島南部だ。大正関東大震災における東京の最大震度は6強だが、この2つの地域は、震源の相模トラフに近いことから震度7に達したと推定されている。
 気象庁の等級では、『震度6強』で、『はわないと動くことができない。飛ばされることもある』『大きな地割れが生じたり、大規模な地すべりや山体の崩壊が発生することがある』などと基準が定められている。
 想像するだけでも恐ろしい状況だが、相模湾沿岸地域をはじめとする地域では、それよりも強い揺れが襲いかかるのだ。
 中でも特に、壊滅的な被害が危惧されているのが神奈川県の鎌倉だ。
 地球物理学者で武蔵野学院大学特任教授の島村英紀氏はこう解説する。
 『鎌倉は東・北・西の三方を山に囲まれ、南は相模湾に面した天然の要害です。この地に幕府が開かれたのも、敵から攻められにくく守りやすいから。ただ、裏を返せば容易に外へ出られないわけで、自然災害が起きた際に被害を受けやすい。その上、海抜が低い扇状地なので津波が川を遡上して氾濫被害が拡大するリスクも高いんです』
 こうした地理的要因があった鎌倉は、大正関東大震災において『建物の倒壊』『火災による焼失』『津波による流出』という三重の被害を受けている。これは被災地の中でも珍しく、犠牲者の多かった東京でも津波による被害は少なかった。
 当時から地形は変わっていないため、いま関東大地震が鎌倉を襲ったら被害規模は大きくなるに違いない。
 鎌倉駅東口から鶴岡八幡宮へ向かう小町通りは、いつ訪れても家族やカップルなど多くの人で賑わっているが、大惨事になるはずだ。
 15分で津波が来る
 『お土産などの店舗を中心に建物が密集しているため、耐震性の低い建物は倒壊する危険があります。それに伴って延焼火災が起こったり、巻き込まれたりする人も出る可能性があります。
 高台や鉄骨構造のビルなど安全な場所に避難する必要がありますが、土地勘のない観光客は判断できない。人出の多い休日の日中などでは、パニックによる被害拡大も予想されます』(危機管理アドバイザーの和田隆昌氏)
 長谷寺銭洗弁天といった鎌倉を代表する歴史的建造物も、ことごとく崩壊する可能性が高い。鎌倉国宝館学芸員の浪川幹夫氏はこう解説する。
 『大正関東大震災では、鶴岡八幡宮の夢殿(舞楽を行うための建物)が倒壊し、入り口の楼門も倒れてしまいました』
 山の近くにいる場合、土砂崩れにも警戒しなければならない。
 特に危ないのは、鶴岡八幡宮の東と北に位置する高級住宅街・扇が谷と雪ノ下だ。
 『この地域のすぐ後方には山々がそびえたっています。鎌倉の山は三浦層群という脆弱な地質で形成されているため、急傾斜の斜面では落石、土砂災害の危険があります』(前出の和田氏)
 由比ヶ浜や、長谷寺がある長谷といった地域には木造住宅が多いため、倒壊や火災にみまわれるリスクも高い。
 それだけではない。幕府ができるまで多数の湖沼(こしょう)が点在する低湿地だった鎌倉には、液状化現象の危険性もある。
 『1703年に関東地方に壊滅的な被害を与えた元禄地震(M7.9~8.2)に関する古文書を確認すると、鎌倉五山のひとつとして有名な円覚寺では、仏殿で水が噴きあがってきて仏像が泥だらけになったという記述もあります』(前出の浪川氏)
 長い揺れが収まったあとは、追い打ちをかけるように津波鎌倉市街にやってくる。
 大正関東大震災で鎌倉に約6mの津波が押し寄せた。『鎌倉震災記』(昭和5年刊行)には、住民の証言として、地震から津波襲来まで15~20分程度しかなかったと記録されている。東日本震災で、甚大な被害を受けた岩手県釜石で30分ほどかかったと、あまりにも短い。
 大仏もまもってくれない
 『当時、津波の被害が一番大きかったのは由比ヶ浜です。津波は堤防を破壊して、密集した民家を呑み込みました。その大半は引き波によって流失しています』(浪川氏)
 いまも由比ヶ浜には多くの人が住んでいるが、かつてとは違って海岸に堤防が存在しない。そこには、文化都市・鎌倉ならではの事情もある。
 『本来であれば、津波対策として海岸沿いに堤防や津波避難タワーなどを作るべきだと思います。ただ、観光産業や景観への影響を懸念する住民の声が無視できないです』(前出の前田氏)
 海岸付近を一掃した津波は止まる事なく市街地へと侵入を続ける。何も障害物がない若宮大路を遡上して鶴岡八幡宮へと向かうはずだ。
 『元禄地震で、津波は海岸から2Km以上も離れた鶴岡八幡宮まで届いたそうです。若宮大路の東側には市街を南北に貫く滑川も流れているため、2つのルートから津波が侵入してくる可能性があります』(前出の島村氏)
 では、『津波襲来時緊急避難空地』に指定されている高徳院はどうか。ここは、鎌倉のシンボルとして親しまれてきた鎌倉大仏がある寺として広く知られている。
 海岸から距離は約800m、海抜は12mあるが、本当に津波から身を守れるかどうかは定かではない。前出の高橋氏はこう解説する。
 『奈良の大仏と違って、鎌倉大仏は建物の中にありません。1495年、鎌倉を襲った明応地震(推定M8.2~8.4)で発生した津波によって大仏殿が流されたからだとされています』
 市街全域が津波に呑み込まれてしまっても不思議ではない。周辺の山があるため行き先を失った津波は市街地に留まり、鎌倉は水底に沈む。浸水した車や住宅から火災が発生すれば、東日本大震災のような惨状が広がる。
 これは紛れもなく、すぐ目の前に迫った『現実の危機』だ。
 警告を発する研究たちの声に耳を傾け、我々はこの来たるべき大災害に備えなければならない。」
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 日本民族は、石器時代縄文時代から甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に複雑に頻発する複合災害多発地帯=日本列島で、弥生時代古墳時代から共通する崇拝宗教・固有神話、日本国語、文明・文化、伝統、習慣・風習・因襲で一つにまとまり、助け合い・励まし合い・慰め合いながら、我慢し・辛抱し・耐えて、肩を寄せ合って生きてきた。
 この空気感を拒否し、調和を乱し、秩序を崩壊させる人間は、無用な人間・有害な人間として排除した。
 それが、百姓根性、ムラの理屈であった。
 日本列島で生き残る重要な鍵は、日本独自の多様性・多種性・多元性、つまり異種と同種と中間の程よい距離感における均衡である。
 それゆえ、古代日本人は、従う帰化人は受け入れたが、拒否し逆らう渡来人は排除した。
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 歴史的事実を見れば、首都直下型大地震南海トラフ地震も必ず起きる。
 それが、今日か、明日か、1年後か、10年後か、100年後なのか誰にも分からない。
 絶対神が奇跡を起こして消し去らない限り、数十万人が死亡し、数百万人が重軽傷をし、1000万人以上が被災する大地震は必ず日本列島で起きる。
 その時、あまりにも被害が広範囲で深刻な為に、政府や地方自治体に頼れず、安保条約同盟国のアメリカや友好国のオーストラリア、イギリス、台湾などに頼り・依存して救援を受けなければならなくなる。
 東日本震災の経験からすれば、中国共産党政府や韓国などはあてにできない以上に信用できないし油断できない。
 そして、中国や韓国での異常な反日行動が繰り返される事実から、地震で生き残った日本人被災者が内に秘めた狂気を爆発させて、全国で関東大震災における朝鮮人惨殺事件を中国人・韓国人・朝鮮人に対して起こす危険性がある。
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 天地創造絶対神一神教=普遍宗教・啓示宗教・倫理的宗教・高レベル宗教からすれば、日本列島、日本国、日本民族は、神の恩寵もなく、奇跡もなく、癒しもなく、救いもない、忌み嫌われ見捨てられた、呪われた存在である。
 そして、如何なるイデオロギーも役に立たない。
 特に、マルクス主義共産主義は無力どころか暴力的革命を起こそうとする有害イデオロギーである。
 東日本震災で、被災地の少女はローマ教皇に対して「何故、こんな事が起きたのか」を聞いたが、ローマ教皇は答えられず沈黙した。
 韓国と韓国人は、中国同様に反日無罪として、東日本震災で甚大な被害を被った日本国と日本人を「天罰だ!」と揶揄して狂喜し乱舞していた。
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 現代の日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、日本列島の災害史を全くといいほどに知らない。
 何故か、現代の日本人は「悪しき言霊」に逃げ込んでいるからである。
 対して、昔の日本人は「正しい言霊」を信じて生きていた。
 言霊を信じようが信じまいが、甚大な被害をもたらす深刻な天災は必ず起きた。
 日本民族の歴史において「安全神話」など存在しない。
 昔の日本人は歴史を肌身で実感し骨髄に刻んでいた為に、安全神話など信じていなかったし、そもそも持っていなかった。
 そうした現代の日本人とは、戦後民主主義教育世代と彼らの薫陶を受けた素直で真面目な有能・優秀な次世代の高学歴な知的インテリと進歩的インテリである。
 そうした日本人が社会に溢れ出て日本を動かし始めたのが、1990年代後半からである。
 2020年へと、さらに年月が過ぎるにつれ日本人の劣化・悪化・退行が改善される事なく深刻度を増しながら進んで行く。
 その証拠が、国家・政府は全ての国民を救済する責任があるという「公助論」である。
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 天皇家・皇室を例えれば、銀河の中心核にあって、銀河を一つの島宇宙としてつなぎとめ安定させている暗黒物質(ダーク・マター)と暗黒エネルギー(ダーク・エネルギー)の源であろうブラック・ホールである。
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 幾ら甚大な自然災害での深刻な被害予想を立てて巨費を投じて防災力を高めた所で、第一次被害は食い止められない、できるのは二次被害や三次被害を如何にして小さく抑え込むかである。
 東日本震災と福島第一原子力発電所事故における、被災地から遠く離れた安全地帯にいた政府や民間事業者の失敗を教訓とするかである。
 天皇・皇族・皇室が、放射能汚染の危険を承知で東京に留まり逃げなかった事で日本国と日本民族は救われた。
 命の危険を承知で踏みとどまる天皇像をつくりだしたのは、昭和天皇である。
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 天皇・皇族が逃げない為に、天皇・皇室を護る日本民族は逃げる事ができず踏みとどまった。
 それが、武士・サムライ(特に下級武士)と百姓、賤民・部落民、異能の民、異形の民、芸能の民、その他であった。
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 朝鮮国王は、朝鮮国を守る為に朝鮮臣民を見捨て置き去りにして一目散に逃げた。
 朝鮮人は、逃げた国王にならい、後ろめたさもなく、恥も外聞もなく、何の気兼ねもなく、自分の命大事として逃げる事ができた。
 日本人と朝鮮人の違いは、「逃げるか、逃げないか」にあった。
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 現代日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がない為に歴史から学ぶ事がなく、実行しない上辺の対策を整えるだけで、同じような失敗を繰り返す。
 事実。大地震帰宅困難者が出た際に、政府・地方自治体・公共機関・民間事業者らは過去の災害を参考にして避難誘導・緊急宿泊所・備蓄食料供出という災害マニュアルを作成し、災害マニュアルに従って毎年合同防災訓練による成功体験を得ているが、役に立たない事の方が多い。
 昔の日本人と現代の日本人は別人のような日本人である。
 つまり、現代の日本人は「いざ」と言う時に役に立たない。
 現代日本には、「いざ鎌倉」は存在しない。
 特に、現代の日本人は口先・虚だけで実・行動はない。
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 歴史的事実として。
 アメリカ、イギリス、オーストラリア、インド、台湾、その他は、親日・知日で同盟国であり友好国である。
 中国、韓国・北朝鮮、ロシアの4ヵ国は、反日・敵日であり仮想敵国である。
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 日本列島に住む以上は、1年中何らかの、世にも恐ろしい巨大な自然災害から逃れられず、その都度甚大な被害を受け、何時如何なる時も、瞬時も、絶えず、運が悪ければ財産はもちろん命を落とす事、つまり「死ぬ覚悟」をして生きねばならない。
 日本民族は、石器時代縄文時代からそうした恐怖の自然環境で生活し、死と隣り合わせで生きてきた。
 恐怖に怯える日本民族の心の支えは、弥生時代古墳時代から最高神である女性神の子孫神話を持つ天皇・皇室であった。
 つまり、日本国と日本民族の中心で一つにまとめていた中空・空虚な天皇家・皇室である。
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 情け容赦のない自然災害の前では、絶対神の奇跡・恩寵・救済を売る中世キリスト教イスラム教も、絶対価値観の人民の正義・人民の大義を唱えるマルクス主義共産主義も、無力であり、有害であり、糞の役にも立たない。
 日本列島に伝来して日本民族に受け入れられたのは、曲解されたゾロアスター教・原始キリスト教・仏教・道教・その他、歪曲・改竄された儒教・その他であった。
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 歴史的な不思議として、何時の時代でも中国大陸や朝鮮半島から日本列島に逃げてくる人々はいても、日本列島から逃げ出す人はいなかった。
 が、現代日本の中から、天皇・日本国・日本民族を嫌い中国や韓国に憧れ日本列島から逃げ出す日本人がいる。
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 中世キリスト教会は白人キリスト教徒商人と結託して、神の御名と神の救済によって、日本人を奴隷として売って金儲けをした。
 日本人共産主義者テロリストは、キリスト教朝鮮人テロリスト同様に、絶対正義を掲げて昭和天皇や皇族を惨殺し、天皇制度を廃絶し、皇室を消滅させようとした。
 それら全ての正当性を主張して合法であったと擁護する日本人マルクス主義者達。
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 現代の日本人が関東大震災(犠牲者・行方不明者10万人以上)から貴重な教訓を得る事ができないのは、左翼・左派・ネットサハ、リベラル派・革新派・一部の保守派、学者・教育者、メディア関係者らと韓国人・朝鮮人が結託して声高に叫ぶ朝鮮人惨殺事件が原因である。
 関東大震災による甚大な被害は首都(帝都)東京だけではなく、関東圏全体に及び、その中でも相模湾沿岸はさらに酷い惨状であった。
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 自然災害に対する無知・無能さが、平成23(2011)年3月の東日本大震災東日本震災と福島第一原子力発電所事故における政府・東京電力・学者・専門家による責任逃れの見苦しい言い訳である「想定外」発言を連する事で表面に表れた。
 その無知・無能をつくった原因は、原子力事故は起きないという原子力安全神話を強制した、科学万能・科学至上の左翼・左派とリベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者である。
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 何時か必ず起きるであろう、日本を崩壊させる恐れがある首都直下型大地震南海トラフ地震などの大災害が起きれば、関東大震災に起きた朝鮮人惨殺事件以上の大惨事が韓国人・朝鮮人、中国人を襲う危険性がある。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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