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2021年10月7日 MicrosoftNews JBpress「日本人が忘れてしまった世界一、世界最先端は取り戻せる
山﨑 養世
© JBpress 提供 太陽エネルギーを中心とした産業構造への転換が日本の成長にとって不可欠だ
イノベーションは田園から起きる。
わかる者は生き残り、わからない者は滅びる。
もう始まっている。
宇宙と地球の進化の歴史は我々の身体の中で刻々に起き、マクロ宇宙とミクロ世界でも同様のことが起きている。それをフラクタルといい、調和という。
葉緑素と赤血球は同じ構造であり、植物の生成と、人体の形成と、半導体と、太陽光発電と、水素の新たな抽出法は、同じ原理だ。
「田園からの産業革命」はもう始まっている。
職と住を「医食職自然人間近接」に変えなければ、仕事もなくなり、長生きもできなくなる。
心配しなくていい。
独立生物である植物を従属生物である動物が食べ、生命のない消化物が生命体に変わるという生体内のミクロプロセスが、地球進化のマクロプロセスと同じであることが、過去100年で解明されて来たのだから。
そして、1931年にその原理をバリで発表した者たちは、日本人だった。
日本人は、古来、「生命科学」と「生命経済」の最先端のイノベーターだった。日本人が世界一の長寿であるのは偶然ではない。
太陽と、地球システムと、人間活動の、複合連関経済分析学である「フィジオクラット」を「重農主義」と訳してしまったことで、日本は世界の経済学をリードするチャンスを失った。
フィジオクラットの完全形に最も近いのはかつての日本だったのに。
経済成長の根源は、資本なのか、労働なのか。そんな愚問に凝り固まっているうちに、人類は劣化し、地球環境破壊のプロセスが始まった。
人類の成長の根源は、生命であり、生命を存続させている地球であり、地球の推進力である太陽だ。
だから、20世紀のダヴィンチであるリチャード・バックミンスター・フラー(RBF)は、「宇宙船地球号」と呼んだ。
私は「太陽経済」と呼ぶ。
土、農地、野原、山、森、植物、川、池と湖、海、人、動物、生命と環境は田園にある。今の都市にはほとんどない。都市は、田園にならなければ生き残れない。
田園こそ独立地域であり、都市は従属地域である。
田園がなけれは都市は生きられない。植物がなければ動物が生き残れないのと同じだ。
でも、「動物が植物を支配しているよ。だから、都市が田園を支配してるんだ。都市の方が偉いんじゃないの?」と思うかもしれない。
そんな「持続不可能」な時代は終わった。
消費者が生産者に依存して、それでいて、消費者が生産者を支配する時代が終わった。消費者は生産者にならなければ生き残れない。
その方が楽しいことがわかるようになる。そのことを、RBFは「投資銀行がいらない時代が来る」と言った。
「田園からの産業革命」はエネルギーから始まる。
農地が、牧場が、森と山が、荒野が、海が、川が、湖が、稲藁が、捨てているものが、風が、電気を生み出すときに日本は変わる。
あと20億年続く無尽蔵の太陽の力を変換すれば、エネルギーは限りなく無料に近づく。危険な廃棄物もCO2も出さない。持続可能性は十分だ。
エネルギーがタダに近づけば、空気と水と土壌の浄化、食物生産、水の供給、森林維持、砂漠緑化、資源リサイクル、都市鉱山、工場やオフィスのクリーン化、自動運転などのコストは劇的に低下する。
人間が生きていく基礎条件が整う。
そこから大切なのが、人間が生きていく基礎条件を人類全体に行き渡らせること。その仕組みが「太陽経済」だ。
だから、太陽経済は、「人類が100億人になっても平和で共存共栄できる世界」の基礎条件になる。
そして、太陽経済の実現のためには、「人類は平等」の原理と行動が、世界中でシェアされなくてはいけない。
本来、日本は最先端であった。
ジャレド・ダイヤモンドの「文明の崩壊」で50ページ近く説明されたのが、徳川幕府が作り上げた「持続可能な国土と経済」だった。
これからの日本の成長戦略には、歴史学が欠かせない。
人類存続のために有用な日本の英知は、人類最古の文明である1万5000年前の縄文時代から蓄積されてきた。
4つの大陸プレート境界にある日本の国土は、激変と天災を繰り返してきたが、日本列島が大陸から分離されても海を渡って来た諸民族が伝えた世界中の英知は、日本を重層的で多様に共存する世界の知恵の集積庫とした。
驚くほどの日本の国土と風土と人々の営み。その多様性と生命力を、菅江真澄や宮本常一が膨大に立証してきた。
問題は、そうした貴重な知的集積が、いま我々が直面している問題の解決にはほとんど省みられていないことだ。
工業国家であり都市中心の国家の形を前提とした「成長戦略」や「市場原理」には、持続可能な成長のための有効性がないことは、この30年で立証された。
だから、「少子高齢化=ゼロ成長」という知恵のない状態から抜け出せない。
「田園からの産業革命」へ頭を切り替えれば、なんのことはない。日本が世界の先頭にいることに気がつくだろう。
さて、新政権は気がつくのだろうか?」
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日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代・縄文時代、弥生時代・古墳時代と日本民族が住んできた。
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柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
死への恐怖。
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日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
生への渇望。
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日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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