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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
人類進化から、日本民族の日本脳は中華の中国脳・朝鮮脳や西洋の白人脳と性質が違う。
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日本民族の生き方は、石器時代・縄文時代から一貫して自然環境に迎合・適応・順応しながら生きる事である。
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2021年6月号 Voice「人間の本性としての情動
長谷川眞理子
私は自然人類学者であり、ヒトという生物がどのように進化してきたかについて考察している。ホモ属としての人類進化史の200万年前、私たちホモ・サピエンスの進化史の30万年から、いまの私たちの心と行動、社会構造がどう見えるかを考えている。
本誌に掲載されているさまざまな論考は、現代の社会的、政治的、経済的問題に関するものだ。それは当然だろう。現代社会に生きる私たちは、現在直面しているこれらの問題に適切に対処していかねばならない。たとえば、アメリカと中国とのあいだの昨今の政治的葛藤と、それに対する日本の立ち位置はどうあるべきか。IT関連産業の発展がイノベーションにどのように影響するのか、日本は何をすべきか。
これらの問題に対する論考の筆者や読者にとっては、私の考えていることは、現実問題とはほど遠く、接点が見つけ難いように思われるかもしれない。事実、私が学部や大学院で自然人類学を学んでいたころには、自然人類学の知見が現代の私たちの問題に何らかの貢献をするかもしれないなどとは、ほとんど考えられていなかった。
私自身、長らく、現代のヒトの生活と自然人類学を結びつけることができなかった。その根本原因は、脳と心の働きについて、人類進化的な理解ができていなかったからなのである。自然人類学は、人間について知ろうとしているとはいうものの、主に研究対象としているのは人間の身体であり、化石に残る骨格や、いま生きている人びとの細胞をとって調べられる遺伝子の研究である。
しかし、人間とは何かについて考えるときに、最も興味があるのは、人間の行動だろう。人間はなぜ戦争をするのか、人間はなぜ文明を築けたのか、家族の絆とはなんだろう、人間はなぜ恋愛もすれば不倫もするのか。最大多数の最大幸福という目標は実現できるのか、できたとして、それでみんな本当に満足するのだろうか、などなど、人間が生きて、社会をつくり、その社会をよりよく営(いとな)んでいくために考えること、それがいちばんの関心事なのだ。そして、それを解明するには、人間の脳の働きを進化的に理解する必要があるのである。
私が自然人類学の院生だったころ、人間の行動と脳の働きについて進化的に考察するような講義は一つもなかった。一方、脳と心については、一般に心理学という学問分野で研究されていたが、心理学は、生物学とは全然別の世界にあり、ましてや生物進化についてまったく触れず、そのような知識とは無縁に発達してきた。
そんな状況はおかしいのではないか、と真剣に考えられるようになったのは、世界的に見ても1980年代の後半からである。人間について知ろうとする自然人類学は、心理学や脳科学の知見も取り入れねばならず、文化人類学も含めて統合せねばならないのではないか、と考えられるようになり、1988年にアメリカのミシガン大学で人間行動進化学会が結成された。私は、1990年にシチリア島で開催された非公開の小さなシンポジウムでそのことを知り、しばらくしてから毎年度世界のどこかで開催される大会に参加するようになった。
ヒトの脳は、論理的な思考をすることができる。試行錯誤による学習に優(すぐ)れ、100万年以上も前から、より良い道具を開発し続けてきた。また、物事の因果関係を理解し、自然科学を築いて世界の諸現象を解明してきた。このようなヒトの脳のもつ潜在力を知り、この文明がここまで発展してきたことを見ると、ヒトの脳は、まるで万能な論理機械であるように思える。
しかし、そうではない。ヒトの脳は、胃や肺と同じく臓器なのである。胃は石油を消化することはできず、肺は一定の気圧のもとでしかうまく働けない。それは、胃や肺が、ヒトの身体の臓器として、ヒトの生息環境のなかで進化してきたからだ。それと同様、脳も、ヒトが生息環境で生きていくために必須な情報をうまく分析し、解決策を見出すように進化してきた臓器である。決して、状況フリーで万能に考えられる論理機会などではないのだ。
ここで重要なのは、論理的な思考と、快・不快などを司(つかさど)る情動との違いである。たとえば、『五時までに仕事を終えるには、こういう手順でやればよい』と考えるのは論理的思考である。では、それを理解すれば実行するだろうか?違う。実行するには、『そうしなければ嫌だ、できれば嬉しい』という情動が伴っていなければならない。
この情動の部分は、ヒトが論理的思考をするようになるずっと以前から、動物としての長い進化史のなかで有効に働いてきた。ヒトの情動系がどのように働くかを知らなければ、ヒトという生物の行動は理解できない。
前々回(『Voice』2021年4月号)で述べたように、甘いものが好きだというのはヒトの情動系欲求である。それゆえにヒトは論理的に思考して、甘いお菓子を安価で大量に製造する技術を開発した。論理的思考は、結局のところ、欲求の奴隷なのだ。パスカルが述べたとおり、『心(ハート)には、理性のあずかり知らぬ理由がある』のである。」
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現代の日本人は、過去の祖先と生きる事を拒絶し、未来の子孫と生きる事を拒否し、今の自分の為だけに生きる事を選んでいる。
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1980年代のバブル経済時代。現代日本人は、金儲け・利益を追求する経済優先主義で、国土開発で出土した数多くの貴重な古代遺跡を金にならない無価値として破壊した。
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現代の日本人は、昔の日本人とは違って歴史が嫌いで、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はない。
同じ日本人に見えても、現代の日本人と昔の日本人は違う。
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日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
死への恐怖。
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日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
生への渇望。
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日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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祖先を研究しても、現代に役に立たないし、将来の為に何もならない。
それは、神・仏や宗教はもちろん宇宙や地球を研究するのも同様である。
科学的に合理的に現実的に利益・金を生まない。
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現代日本人は、数万年前の石器時代・縄文時代の先祖から受け継いだ古臭い伝統文化を後生大事にして生きるのか、1980年頃から変わり始めた新しい価値観で未来を生きるのか。
端的に言えば、古代の民族神話を正統とする曖昧あやふやな男系父系天皇か、今の憲法・現代の法律を正当とする明確で現実的な女系母系天皇かの、二者択一である。
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無宗教無神論の現代日本人は、神・仏・迷信を信じていた昔の日本人とは違って、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はない。
現代日本人がはまっているパワースポットとは、ミーハー的な娯楽・中身のない趣味にすぎない。
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日本民族とは、日本列島に住んでいる全てのホモ・サピエンスを指す。
日本民族の原祖先は、数年前の石器時代・縄文時代から日本列島に住み着き、列島内で乱婚を繰り返して生まれた血が汚れた混血の雑種である。
日本民族は、中国大陸や朝鮮半島で生まれ、日本列島を侵略し征服した支配民族ではない。
日本民族の原祖先を例えるなら、アコヤ貝の体内でつくられる真珠の核となる異物である。
日本民族の原祖先は、漢族系中国人や朝鮮人とは無関係である。
が、全てのホモ・サピエンス(現生人類)の祖先はアフリカで生まれた。
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ヤマト大王家の歴史は弥生時代からであり、万世一系の男系父系天皇家・皇室の歴史は古墳時代からである。
そして、その歴史を証明するのが民族中心神話、血の神話、高天原神話、天孫降臨神話、出雲神話、吉備神話などをまとめた古事記・日本書紀・各地の風土記である。
日本の正統性の根拠は、神聖不可侵の日本神話、最高神の女性神・天照大御神(皇室の祖先神)を中心とした八百万の神々の物語である。
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天皇家・皇室の正統性は、民族中心神話=血の神話、最高神である女性神・天照大御神の血を受け継ぐ子孫・男系父系天皇にある。
女系母系には、生物として人間的政治的正当性はあっても、血筋としての民族的宗教的正統性はない。
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政教分離の原則による人の法律が認める正当性な女系母系天皇には、縄文時代から受け継いだ伝統文化の神話的宗教性はなく、祖先神である最高神の女性神・天照大御神から授かった正統な魂の救済権はない。
女系母系天皇とは、法律を正当な根拠とした外面的政治制度であって、心・魂・志を正統な依代とする内面的宗教祭祀ではない。
つまり、女系母系天皇とは反宗教無神論(マルクス主義)の科学万能主義・人間中心主義に基づく宗教否定・家破壊・家族崩壊・日本民族の絆遮断を目的とした神殺し・仏殺しである。
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