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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事である。
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日本人が生活している、日本列島は甚大な被害をもたらす深刻な自然災害が多発する危険地帯である。
巨大な自然災害で助かる・生き残るのは、幸運と偶然そして勢いであって必然や奇跡ではなかった。
日本民族日本人は、自己責任として、自力で必然を引き寄せながら生きてきた。
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日本民族日本人は、駅の階段を駆け上がって電車に乗ろうとした瞬間に電車のドアが閉まって発車すると、怒って悪態を付かず、怒りを爆発させて暴れず、むしろ思わずはにかんで笑ってその場を誤魔化す可笑しな所がある。
それが、縄文時代からの日本民族日本人の苦境・困窮に対する自然の対処法であった。
本来、日本民族日本人の中からは、悪しきクレーマー、傍迷惑なトラブルメーカー、陰険・陰湿な正義の味方を気取るツイッターが出づらかった。
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現代日本人と昔の日本人は、別の日本人ほどに違う。
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2019年11月21日号 週刊新潮「医の中の蛙 里見清一
巨大台風の今昔」
これが『まずまず』なら
10月12日に首都圏を直撃した台風19号は、各地に大きな被害をもたらした。70以上の河川で堤防が決壊し、洪水や土砂災害で多くの人命が失われた。インフラも多き被害を受け、多数の人の生活に影響が及んだ。被災した方々には、心よりお見舞い申し上げます。
……
まあ『AERA』は、福島原発事故の時も『放射能がくる』というセンセーショナルな記事を出した『前科』があるから無視しよう。しかし、海外でもこの台風は地球史上最大だとか、ハリケーンでいうとカテゴリー6(実際には5までしかない)相当で、あのカトリーナ(犠牲者2,500人以上)より上だとAP通信が伝えたとかいう話もあった。上陸時の勢力はかの伊勢湾台風(犠牲者5,000人以上)と同等、またコースからすると狩野川台風(同1,200人以上)に酷似、と予想された。……
台風よりもよほど恐怖
では何がどう違って、同じような勢力もしくは同じようなコースの台風被害に差が出たのはのか。これを検討すれば、今後の防災にも役立つはずである。むろん、昭和30年代の巨大台風とは時代が違うのだが。
第一に、単なる僥倖(ぎょうこう)かも知れない。伊勢湾台風では高潮の被害が大きかった。今回の19号でも、駿河湾や東京湾では『これまで経験したことのないような高潮』が起こらなかった。いつも台風が来るときは『満朝の時間と重なる』と警告されるのだが、満朝は12時間に1度だから、どこかの時点で台風は『近づいて』はいる。実際に台風が最接近したときは干潮(かんちょう)に近かったようである。東京湾で満潮が起こったら、湾岸一帯はそれこそAERAの予想通り水浸(みずびた)しになっていただろう。
次に、利根川と荒川の本流がほぼ氾濫せずに持ちこたえたのが大きい。これについては調整池が機能したという分析もあるが、ネットでは民主党の事業仕分けによって事業中止になりかけた八ッ場ダムが首都圏を『救った』と持て囃された。同ダムでは10月1日に貯水試験を始めていたが、19号の大雨で水位が54メートルも上昇し、満水時水位まで10メートルに迫った。この分が下流に流されていたら大洪水が起こったであろう、というのである。
一方、長野の千曲川の大洪水が起こったのは、田中康夫知事(当時)がダムの建設を止めたからだ、という噂もある。きちんと検証してもらいたい。別に八ッ場ダムを止めた前原国土交通大臣(当時)や田中元知事のつるし上げが目的ではない。気象の変化によって台風が巨大化し頻発するようになった、というのが本当なら、神ならぬ身でそこまで予測することは不可能である。問題は、以前は不要と思われたダムも、これからは必要になるのかどうか、である。
その他、3・11大震災以来、テレビでNHKアナウンサーが避難を呼びかける口調が非常に強くなった。防災情報も、注意報、警報の上に『特別警報』が出て、避難指示も事細やかになった。これらが被害を少なくするのに役立った可能性もあるだろうが、本当にそうかどうかも検討が必要である。
というのは、言葉が強くなると人間は慣れてしまう。今回の大雨特別警報は13都県に出されたということで、逆に『みんなそうなら大したことはないだろう』というような、根拠のない楽観があったかも知れない。実際に、避難指示が出て避難する人はごく少数だったと報告されている。また、特別警報が警報に『格下げ』されると『もう安心』になることもある。上田かどこかでは、大雨の特別警報が解除された途端に洪水が起こったという。
そして現在は、被害が起こった後の救出や復旧が速やかに行われる。台風が本格的に襲来する前にあちこちで停電が起こったが、東電は緊急体制でその復旧にあたった。これからさらに多くの場所で停電が起こるだろうに、強まる風の中を作業にあたる方々には頭が下がる。むろん被災者の救助にあたった消防や警察・自衛隊の人たちにも、である。
誰も言わないようだが、今後最大の課題は、台風が大きくなることではない。少子高齢化が進み、そうした作業や活動を担ってくれる若い人が減って、一方で助けを求める高齢者が増えることである。政治家もメディアも、『何万人態勢で』と救助や復旧作業に発破をかけるが、そのうちかけ声を出す連中ばかりで、『働く人たち』がいなくなる。これこそ昭和30年代と異なる最大のポイントであり、巨大台風よりもよほど恐怖である。
もう一つ、今回はペットのために避難が遅れた人が多かったという。私に知人でも、『猫がいるから』水位が上がる濁流を前にして『我慢した』ご夫婦がいた。だが救助に当たる者に、命を張って犬猫を助けてくれとは言えない。ペットとともに流されるのが令和の『心中物語』になってしまうのだろうか。」
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江戸時代の洪水多発地帯では、各家は浸水対策や脱出手段(軒先の小舟など)を怠らなかった。
各藩や代官所は、洪水被害を最小限に食い止める為に、被害が少ない所で意図的に堤防を壊した。
大火でも、幕府や大名は、他への類焼を避ける為に強権発動で問答無用の破壊消防を行っていた。
江戸時代はブラック社会として、被害を受ける庶民は泣き寝入りするしかなかった。
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少子高齢化による人口激減で、警察官・消防隊員・自衛隊員などの危険な職業に望んでつく若者が減り、地域的な繋がりが希薄になって消防団員やボランティアに名乗りをあげるのは若者ではなく中高年しかいなくなる。
各地の自治体は、住人の減少で税収が減る為に経費削減として時間給や限定権限職の契約職員・臨時職員を増やしていく。
自分の命の安全が保障されないにも関ず、甚大な災害発生の現場に駆け付け逃げ遅れた被災者の救助や災害拡大防止に奔走する若い人が深刻なほどに不足する。
将来、少子高齢化で若い日本人が激減して老人が増えれば同じ日本人に助けて貰えなくなり、生き残る為、助かる為には、積極的に若い外国人移民(主に中国人移民)を増やして生命財産を預けて頼るしかない。
日本民族日本人が老いさらばえる時、日本民族日本人を介護し死に水を取ってくれるのは同じ日本民族日本人ではなく外国人移民(多分中国人移民)である。
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警察などの公権力に反対する日本人や自衛隊を廃止せよと訴える日本人もいる。
えてしてそう言う日本人は口だけで、いざという時に何の役にも立たないか、邪魔な日本人である。
彼らはこう言う、「今の若い者はだらしがない」あるいは「今の若い者は幼稚で劣化している」と。
義務を果たすのは嫌だが、権利だけは確実に受けたい。
つまり、警察や自衛隊に救助される権利は受けたいが、公権力に感謝するという義務は拒否する。
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戦前の様に「生めよ殖やせよ」で日本民族日本人の人口を増やすか、外国人移民(主に中国人移民)で人口を回復させるか、である。
全ての生き物には寿命があり、地球や太陽そして銀河系にも寿命がある。
当然、日本国にも、日本民族にも、日本人にも、等しく寿命がある。
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現代日本人は、明るい気分や夢・希望に満ちた人生を生きたいと願う余り、暗い気分や夢も希望もない悲惨な災害の歴史を切り捨て、奇跡や必然で助かるハッピーエンドの安心できる時代劇や物語をこよなく愛している。
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現代日本人は、困った事が起きたら、家族、他人、地元、地域、自治体、政府、国家が何とかしてくれる、助けてくれる、支援してくれる、援助金・援助物資を配ってくれる等々という甘い認識から、自分で何とかしようという危機意識が少ない、もしくは全くない。
その不真面目な生き方は、昔の真剣に生きていた日本民族日本人とは別人のようである。
少子高齢化による人口激減は、如何なる事態に堕ちいようとも自己責任・自助努力・自力救済による自己犠牲を強要する。
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日本列島は、自然災害多発地帯であり、地球温暖化・海水温上昇により自然災害は年々巨大化し甚大な被害をもたらすようになる。
日本列島に生きるのであれば、命に関わる巨大な自然災害を覚悟しなければならない。
日本民族日本人は、この多発する深刻な自然災害による甚大な被害と共に生きてきた。
日本民族日本人の性格や感性そして死生観・生命観・宗教観は、無情・非情・理不尽に命を奪っていく日本列島の自然環境から生まれた。
日本が、法秩序が崩壊して無法地帯・犯罪地帯となって暴動、強奪、強姦、殺人、虐殺などが起きない理由はここにある。
自然災害の被害は、善人や悪人、金持ち・富裕者や貧乏人・貧困者に関係なき等しく襲い、命や財産を奪っていく。
日本人と中国人・朝鮮人とが、別人のように違うのはこの為である。
中国人や朝鮮人の脅威は、自然ではなく、殺し合う・奪い合う陰険・陰湿な人間であった。
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悲劇・悲惨を忘れやすいのは、現代の日本人であって昔の日本人ではない。
忘却しやすいのは日本人の特性とは、嘘である。
日本人は歴史を忘れる、自分に都合の良い様に改竄・捏造・歪曲する、自分が見たいものを見信じたい事のみを信じる、それらすべて嘘である。
それら全ては現代日本人の事であって、昔の日本人とは関係ない。
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如何なる巨大な激甚災害における深刻な甚大被害も、自然災害の歴史を忘れた全ての日本人が自ら招いた結果である。
祖先や先人達は、子孫の為に、自然災害の記録をあらゆる方法で後世に残している。
災害の歴史を科学技術で切り捨ててきたのは、日本人本人である。
つまり、自然を忘れたゆえの自業自得である。
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人口は、安土桃山時代は約1,200万人、明治初期は約3,000万人、昭和20年頃は約8,000万人、平成元年頃は約1億2,000万人である。
江戸時代は、総人口は少なかったが、人生50年で、若者が多く老人が少なかった。
明治時代以降は人口爆発期で、経済発展で国力は増し、財政は黒字でゆとりがあった。
困っている人を助ける人は多かった為に、公助・共助、他人の助けをあてにできた。
将来は、人口は多いが、人生100年で、老人多く若者が少ない。
そして、経済は低迷し、財政赤字は1,000兆円を越して毎年数十兆円ずつ増えゆとりがない。
困っている人を助ける人は少ない為に、他人の助けをあてにせず、自分の事は自分で何とかする自助で生きるしかない。
少子高齢化による人口激減時代では、過去の人口爆発時代の経験など役に立たない。
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