🐡8〗─1─災害大国日本の弱点は「食」にあり。被災地に食の知識を持ったリーダーが必要。〜No.32No.33No.34 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 戦後民主主義教育を受けた現代日本人と否定され捨てられた民族教育を受けた昔の日本人とは、違う日本人である。
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 2021年9月10日号 週刊朝日「災害大国日本の弱点は『食』にあり!
 『不平等だから』とおにぎり大量破棄
 災害時の『食のリーダー』を育成せよ
 9月1日は防災の日。避難時の備えで忘れてはならないのが『食』の確保だが、日本は課題だらけだという。非常時を食べて生き抜く知恵とは。
 『災害が起きたとき、まず最初の3日間は人命の救助が最優先。避難所の食の問題は後回しにされます。食料支援が安定するまで、自分たちで生き延びないといけないんです。そのためにも災害時における食の知識を持つことが大事です』
 そう語るのは、長年食育に携わってきた中村詩織さん。一般社団法人日本食育HEDカレッジを主宰し、災害時のリーダーとなる人材育成にも努めている。
 中村さんが活動を始めたきっかけは、2016年の熊本地震。仲間に呼びかけて集めた物資を送ったうえ、現地に入った。
 まず訪れたのは、物資の集積所となっていた公民館。そこで目にしたのは、人手不足のため各避難所に届けられぬまま放置された支援物資だった。特に食料は、腐敗して山積みになっていたという。
 被災者支援に食の視点が欠けている実態に衝撃を受けた中村さんは、現地でリサーチを行い、
 『食の知識のあるリーダーが指揮を執ることが大事だと感じました』
 帰京後、中村さんは世界各国で災害時に食の問題がどう扱われているかを学んだ。
 『最先進国のイタリアではキッチンカーが供えられ、有償ボランティアが定期的に訓練を行います。災害が起きたら有償ボランティアを乗せたキッチンカーが現地に向かい、パスタ、肉や魚の料理を作って提供するのです。精神的なケアのため、食事を楽しんでもらうよう、ワインを出すこともあるそうです』
 『お湯がない』とカップ麺出さず
 わが国の後進性は明らかだが、少しでも改善できればと願い、中村さんは日本での問題点と解決法を列挙する。
① 避難者に平等に渡すことを優先するあまり、食料を廃棄する
 『たとえば100人いる避難所におにぎりが99個届くと、不平等になるからといって99個全てを廃棄するケースが見受けられます。人数分の個数がないときは、大鍋に入れて雑炊を作って分けるという方法もあることを知ってほしいです』
② 炊き出しによる食中毒
 『ボランティアや被災者自身による炊き出しは「これはどうしよう?」「これは誰がやろう?」といちいち話し合いながら進めるようです。そのため時間がかかり食材が傷み、食中毒を起こすケースがあります。リーダーが指示を出して素早く動くことが必要です』
③ 食の知識の不足
 『カップ麺を300個も備蓄していた避難所が、1個も出せなかったんです。理由は「お湯を沸かせないから」と。でもカップ麺は水でも15~30分つけおけば、十分おいしく食べられます。そのことを知らずに、せっかくの備蓄品を提供しなかったわけです。また、これは冬に豪雪で避難した経験のある人から聞いたのですが、塩のきいたおにぎりが出されたそうです。塩分は冷えた体からさらに熱を奪ってしまいます。できれば温かい汁ものを出していただければ』
 食の知識を身につけたリーダーが被災地で指揮を取るようになるには、まだまだ時間がかかるだろう。被災者一人ひとりが、自分と大切な人を守る必要がある。日頃からの備えについて、中村さんはこう助言する。
 『被災直後の避難所では、おにぎりやパンといった炭水化物しか配られないことがほとんど。ビタミンやタンパク質はとれません。ですから避難バックには、野菜、肉、魚の缶詰や乾燥野菜も入れておきましょう。非常食のお湯を注ぐご飯や缶詰のパンは嚥下しにくいので、特にお子さんやお年寄りには、ひと工夫が必要です。たとえば真空パックの稲荷ずし用味付け稲荷揚げを用意。非常食用のご飯をこれに詰めるだけで、稲荷ずし風になります。味が付くうえ、揚げの汁で嚥下しやすくなります。水分の少ない缶詰のパンには、ジャムやチョコレートソースなど油分のあるものを塗ると食べやすくなります』
 この助言を聞いていてうなずいたのは、東日本大震災で150日も避難所で過ごした経験のある岩手県釜石市の菊池信平さん。『ごはんですよ!』のおかずで、炭水化物だけの初期配給生活を乗り切ったという(菊池さんの体験談は別掲)。
 菊池さんはまた、避難所で無性に刺し身を食べたくなったと回想する。
 中村さんが解説する。
 『避難所では緊張感で食が細くなってしまい、食べ慣れたものは体が受け付けません。普段なじみのあるものを食べたくなるのです。そのため避難バックには、好きなお菓子なども入れておくと良いでしょう』
 防災の日を機に非常食の点検を。
 本誌・菊池武顕」
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 令和4年3月号 正論「日本が大好き!
 神様を大事に 親を大事に
 井上和彦 × 脊山麻里子
 ……
 マスコミの怖さ
 ……
 憲法9条のご都合主義
 ……
 コロナ禍でも世界に広げる
 ……
 井上 ……最後に日本の好きなところを教えて下さい。
 脊山 日本はいろいろな国の文化を取り入れて、それを自分のものにして独自の文化を作ってきました。他国の文化を取り入れて発展してきた日本人には懐の広さや温かさがあります。神様を大事にして、親を大事にして、人に対して尊厳を持って接することを大事にしています。困っている人を助け、仲間で助け合う。お祭りをしたり、豊作をお祝いしたり、正月に神社に詣でたり、その土地その土地の神様を大事にする。そういうものを大事にする気持ちが一番いいところだと思います。
 井上 八百万の神を敬う日本人ほど懐が深く、暖かい民族はないかもしれませんね。
 脊山 日本中に神社やお寺があります。神社とお寺は成り立ちや考え方が違うのに、日本人は両方を大事にする。クリスマスも祝います。そういうと外国から来た風習も受け入れて自分たち独自の文化にする能力を今後も大事にした方がいいと思っていて、それが国を守ることにつながると思います。他の国にはないハイブリッドな日本の強さでもあると思います。
 井上 日本人の誇るべき特徴です。
 脊山 世界が日本を尊敬する理由は、そういう神様とのつながり方にあると思います。そこが一番好きなところです。だから、私は機会があれば、お神輿を担ぎに行きます。お祭り大好きです。」
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から変わる事がない、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害が同時多発的に頻発する複合災害多発地帯の日本列島に住み、数千年前の弥生時代古墳時代から知恵と創意工夫で生き、日本食・和食に関する歴史、文化、言語、宗教、演芸・芸能を生みだし子孫の為に後世に残していた。
 子孫は、そうした祖先に感謝の念を込めて神様(祖先神・氏神・人神)として祀り、各地に祭りとして伝統的伝承した。
 日本人が増え中国や朝鮮からの移民・難民によって、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火そして弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄となり、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 そこが、日本と中国・朝鮮とが全然違う所である。
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 日本列島では、善人が幸せな人生を送る、悪人が不幸せな人生を送る、はうそである。
 因果応報で、善行を積めばいい事が起き、悪行を働くと悪い事が起きる、はウソである。
 悪人ほど得をし、枕を高くして眠れる。
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 日本民族が考えるリアルな生き方とは、「人は食べ物と飲み水で生きる」であった。
 生きるという事は、キリスト教が諭す「信仰の為」でもなく、儒教が説く「信義の為」でもなく、マルクス主義が訴える「イデオロギーの為」ではない、という事である。
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 昔の日本民族は、何があろうとも何が起きようとも生きる為に「食と水」を大事にした。
 その象徴が、民族中心神話由来の天皇が執り行う宮中行事の「大嘗祭」と「新嘗祭」である。
 が、現代の日本人は「食と水」のありがたさを捨てた。
 昔の日本は、自己責任・自助努力・自力救済という「個の原則」で、地域共同体として自助と共助であったが公助などなかった。
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 日本人が好きな、他力と言っても宗教的他力本願と世俗的強者依存では本質が全然違う。
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 仁徳天皇「私はすっかり富んだ。民が 貧しければ私も貧しい。民が豊なら私も豊ななのだ」(かまどの逸話)
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
 それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
 日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
 如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
 日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
 つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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 一神教の信仰宗教であるキリスト教ユダヤ教イスラム教が生まれたのは、自然環境の変化が乏しい砂漠かわずかな水と農作物が作れる牧歌的な狭い土地である。
 水も緑もない荒涼として生物が住まない死の砂漠を旅をすると、突然、眼の前に水が湧くオアシスが現れ、人々が住む町や隊商(キャラバン)が集まる町や都市に行きつく。
 それら全てが、神の御意思、神の思し召し、神の計らいである。
 人は、大自然の中に神を感じ、大自然の偉大さに感動して宗教に目覚めるのではない。
 普遍宗教・啓示宗教・信仰宗教の神とは、唯一絶対の存在であり、万物創造の創り主であり、全知全能で万物を司る御一人であり、生と死を支配し怒りと愛で最後の審判を下す御方であり、父なる神である。
 神が為さる計らいを決して疑ってはいけない。
 自然災害や身の不運は、神に叛いた罪・大罪ゆえの天罰である。
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 日本列島では、一神教の信仰宗教であるキリスト教ユダヤ教イスラム教は通用しないし、天地創造の創り主たる絶対神による啓示、隣人愛、福音、奇蹟、恩寵も役には立たない。
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 日本神道の神輿・山車の原型は海原を移動する船であって、砂漠の上を輿として移動するユダヤ教の「契約の箱(アーク)」とは違う。
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 日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
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 日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
 何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
 昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
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 日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
 家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
 日本の世襲とは、そういう意味である。
 日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
 その象徴が、最高神である女性神天照大神を祀る天皇家・皇室である。
 日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
 天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
 死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
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 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
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 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
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 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
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 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い
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 日本民族の宗教とは、亡き家族の魂を仏として弔って拝み、祖先の霊魂を祖先神・氏神の人神として祀り崇拝する事で、そこにあるのは「畏れと加護の慎み」であって「奇跡と恩寵の信仰」ではない。
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 祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
 日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
 日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
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 小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)「いま、私たちが存在するのは、過去に夥しい死に支えられているから。生き物にとって死とは、進化を実現させるためにある。変化と選択を繰り返して進化し、生き残った末裔が私たちなのです。自分も生まれてきた以上は生を謳歌し、命を次の世代につなぐためにも〝利他的に〟死んでいかなければならないのです」
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 靖国神社の心・志・精神は、戦前の軍国日本にはあったが、戦後の平和国家日本にはない。
 が、1980年頃まではあったが、1990年以降から消え始め、2020年以降には消滅した。
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 諫山創「人はいずれ死ぬ。ならば人生には意味がないのか?死んだ仲間もそうなのか?あの兵士たちも、無意味だったのか?いや違う‼あの兵士に意味を与えるのは我々だ‼あの勇敢な死者を‼哀れな死者を‼想うことができるのは生者である我々だ‼我々はここで死に、次の生者に意味を託す‼」(『進撃の巨人』)
 同じ自殺行為といっても、カミカゼ特攻とイスラムテロリストの自爆テロとは根本的に意味が違う。
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 映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
 他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
 他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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 イザベラ・バード「わたしは死んだ過去の時代の霊魂が私の背後に近づいてくる、と感じた」(伊勢神宮参宮して)
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 H・P・ラヴクラフト「人類の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である」
 人類は、恐怖に打ち勝つ為と真理を究める為に宗教を編み出した。
 最強の恐怖とは「死」であり、究極の真理とは「生」である。
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 マンガ「アシュラ」 原作 ジュージ秋山
 私は お前に教えられた。
 それは
 命喰らわずして生きられぬ人の性(さが)である。
 海に生まれた命を奪い
 野山に育つ命を奪い
 人は生きて行く。
 罪を背負い
 それでも与えられた命の限りを生きようとあがく。
 だからこそ 
 この世は美しい。
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