🍠4〗─1─江戸時代。青森・下北半島にあった牧畜社会。〜No.9No.10No.11 * 


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 2018年4月11日 読売新聞「磯田道史の古今おちこち
 下北半島に『牧畜社会』
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 それで今月、奄美大島沖永良部島に取材に行った。むろん西郷隆盛島流しにされた現場をみるためである。西郷が流された当時、島民は米作りを制限され、サトウキビを増産させられていた。奄美大島はコメ日本の圏外であった。『日本はコメの国。どこでも稲作をしていた』というのは幻想にすぎない。西郷は日本を客観的にみられるコメ圏外の時間を持っていた。このことが西郷の革命思想誕生に大きな意味をもっていた、と気づいた。
 先月、『素顔の西郷隆盛』(新潮新書)という本を出版し、そこに、日本を変えた西郷の考えとはどのようなものかを書いておいたが、なぜ西郷がそんな考えに到達できたかは、奄美の奥まで行ってみなければ、わからなかった。江戸以前の日本をコメ一色で考えるのはいけない。中世史家の故網野善彦さんが、さんざん言ってこられた話だが、たしかに、それはいえる。
 実は、日本本土にもコメでない『牧畜社会』があったのを思い出した。青森県下北半島である。欧米ならいざ知らず、江戸時代、ちょんまげ牧畜社会が下北には存在した。昨年、相内友昭さんという方から、下北の六ヶ所村から京都の僕のもとにわざわざいらっしゃった。古代以来、下北は馬の生産がさかんであったと、ひとしきり説明され、『あの源頼朝の乗り馬イケヅキも六ヶ所村で生まれたという説がある』と教えてくれた。七つの鞍(くら)が掛けられたとの伝説もある奇跡の巨体馬で、この馬の銅像を作る夢などを語られた。
 後日、相内さんから古文書のコピーが山ほど届いた。解読してみると面白い。江戸時代の牧畜社会はこんな様子だった。『六ヶ所村史史料編』所収の古文書によると、1746年頃、六ヶ所村付近の16村の家数は1,781軒、人口約1万1,000人であった。この人口なら通常、米で1万石の村高があるが、米はあまりとれない。
 そのかわり、馬が8,849疋(ひき)、牛が281疋もいた。まさに牧畜社会である。こんなにいれば、当時まだ絶滅していなかった狼(おおかみ)もくる。狼を仕留めれば、殿様から『銭700目』(現在の感覚で3万5,000円)もらえた。ちなみに鷹(たか)を捕獲すると、2〜3両(同60〜90万円)も褒美が出た。武士の時代、鷹狩り用に珍重されたからである。
 漁もさかんで、鮭・鱈(たら)・鰹(かつお)などの漁獲の二割以上を年貢の代わりに殿様におさめていたらしい。貝も昆布・ふのり・てん草などの海草も貢ぎ物の対象であった。江戸時代になっても、ここでは砂金がとれた。『沼役金』という砂金税を領主におさめている。
 狩猟・漁労と採集が組み合わされ、著しく農耕の比重が低い、もうひとつの日本の姿が、かつての下北半島であった。狼と戦いながら馬を育て、良馬や鷹がとれれば、領主に差し出す暮らしが、そこにはあった。日本列島の南北には、コメによらない土地がある。西郷隆盛源義経もそこで鍛えられた発想と軍事力でもって都に押し出してゆき、ともに日本全土の歴史を変えている」
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 地理的条件が複雑で自然災害が多い日本列島で生きて行くには、稲作漁労だけではなく狩猟牧畜など多様な営みをしなければ生きていけなかった。
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 日本民族日本人は、日本中心神話・天孫降臨神話・天皇神話の宗教を拠り所として、約2000年前に憎悪と敵意の戦乱ではなく和解と融和の平和で五穀豊穣の国を生み出し、試行錯誤を繰り返しながら守り、我欲・個人欲・私欲を抑え自己犠牲で受け継いできた。
 日本列島で生き残るには、稲=米・麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)または稗(ひえ)の五穀を主要な農作物として生産するしかなかった。
 絶海の孤島的な日本列島は、大陸のように凶作によって食糧が不足したからといって他国を侵略して食糧を強奪できなかったので、餓死をさける為に何とか工夫して飢饉・飢餓を乗り越えるしかなかった。
 事実、人類史・世界史・大陸史では普通に起きていた他国への侵略による強奪は、日本民族史には存在しなかった。
 その意味で、日本人脳は世界の非常識・世界の非良識とも言える自然対応悩である。
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 日本人脳の発想と行動は、多神教・三元論・相対的価値観・集団原理に基づいている。
 柔軟な発想による多様性がないと、地理的条件の複雑と自然災害の多い過酷な日本列島で生きられない。
 日本人の精神的拠り所は、心を鎮める「自然のf/1ゆらめき」を生み出す花鳥風月・虫の音であり、社会制度が天皇制度だあった。
 天皇制度は、輪郭がはっきりした政治や宗教ではなかった。
 それゆえに、女神・天照大神から受け継ぐ血筋を正統な皇統とする天皇制度は滅ぼされる事なく護り受け継がれてきた。
 自然対応脳の天皇制度を破壊し滅ぼそうとしたのが、一神教・二元論・絶対的価値観・個人原理に基づく人間対応脳のキリスト教マルクス主義共産主義であった。
 端的に言って、キリスト教マルクス主義共産主義では、地理的条件の複雑と自然災害の多発する日本列島の生き方・サバイバルには不適格であった。
 事実、日本民族日本人は、キリスト教マルクス主義共産主義に興味や関心を持ってもその硬直と不寛容そして排他性という本質を拒絶した。
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 日本民族日本人の生き方は、気候風土に即してであって、哲学や思想そして〜主義ではなかった。
 それ故に、日本には明解な哲学や思想そして〜主義は存在しない。
 哲学や思想そして〜主義は、論理的合理的恣意的な人間対応脳の思索による産物であって、不条理に対応する自然対応脳では生み出されない。
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 現代日本人は、グローバル化によって、一神教・二元論・絶対的価値観・個人原理の人間対応脳に変わり、論理的合理的恣意的な哲学や思想そして〜主義を身に付けてきている。


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