🍙29〗─2─11年ぶりのメーデーに全国で200万人が参加した。敗戦革命前夜。昭和21年5月~No.190 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 皇室と政府は、天皇制度を廃絶し天皇と皇族を根絶しようとした暴力的共産主義革命に恐怖した。
 戦前の日本は、軍国主義国家であったがファシスト国家ではなかった。
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 松下幸之助は、就職試験における面接で、「貴方は自分が運の良い人間と思いますか?」と尋ねて、運が良いと思う人間だけを採用した。
 前向きで、諦めず、新しい仕事に挑戦し、幾ら失敗してもやり抜く、楽天的な人間を求めた。
 新しい事を考えず、新し仕事に挑戦せず、クヨクヨと思い悩む悲観的な人間とは、幾ら優秀であっても一緒に商売はできないと割り切っていた。
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 戦地からの帰還兵で、空襲で家族全員をなくし事を知った者の一部は、絶望し生きる気力をなくして自殺するか、自暴自棄となって犯罪組織に入った。
 誰も国は滅びるのか再建できるのかも分からなかったが、生き残った者責務として、戦死した戦友の家族が食べていけるように何とか生活できるように努力した。
 それだけに、戦って戦死した日本人の冥福を祈らず、慰霊も行わず、御国の為に戦った日本軍を侵略戦争をした悪として罵倒し、死者を加害者・軍国主義者として無慈悲に鞭打つ行為に釈然としない思いを募った。
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 昭和天皇は、国民と苦楽を共にする事を誓われ、配給食料で飢えを凌いでいる国民と同じ食事を食すべくヤミ買いを禁じた。
 宮中の食事は、日々の食べ物の入手が困難となって国民と同様に困窮し、食卓には黒ずんだ代用パンや乾燥野菜が並べられた。
 昭和天皇は、リンカーンダーウィンを尊敬し、二人のブロンズ像を書斎に置いた。
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 5月 吉田茂首相「不肖今般図らずも大命に拝しまして内閣を組織致しました。誠に恐懼に堪えない所でございます。ただ渾身の力を捧げて御奉公を致す覚悟でございます。ご承知の如く今日我が国は誠に容易ならぬ事態に際会致しております。ポツダム宣言の趣旨に沿うて民主主義的平和国家の建設という大事業を控え、また目前の問題と致しましては速やかに食糧問題を解決しなければならないのであります。……目下の我が国におきまして最も肝要な亊は産業の復興、生産の増強であります。その基礎をなすものは生産意欲の昂揚であります。かくて初めにインフレーションの防止も出来るのであります。」
 5月1日 11年ぶりのメーデーで、200万人が参加した。皇居前広場には、約50万人が詰めかけた。
 「働けるだけ食わせろ!」
 共産主義者は、暴力的共産主義革命成功の可能性を確信した。
 GHQは、食糧不足が暴動に発展し民主化のプロセスを台無しにすると懸念した。
 ワシントンの陸軍省や統合参謀本部に、食糧事情が最悪の状況にあり、9月までに260万トンの米を輸入しなければ貧困と飢えが日本を襲うと報告した。
 そして、「食糧か、しからずんば兵士を日本に運ばねばならない」と選択を迫った。
 食糧輸送が出来なければ、「その責任の所在は将来必ず糾弾されることになる事を、大統領に個人的に申し上げたい」と警告した。
 翌22年3月までに占領軍兵士数は41万5,000人に達する為に、食糧の消費を抑えるべく制限を指示した。
 5月6日 ハリー・S・トルーマン大統領は、占領国の食料状況を視察させる為に、フーバー元大統領を日本やドイツに派遣した。
 フーバー元大統領は、来日して、日本に食糧を緊急輸入するべきであると報告した。
 フーバーは、占領下の日本を視察し、東京の連合国軍総司令部マッカーサーと会談した。
 フーバーは、日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』(ルーズベルト大統領)の願望だった」と指摘し、開戦前に行われた在米日本資産凍結などの金融制裁については、「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語った。
 マッカーサーは、その分析に同意した。
 フーバーは、日本の食糧事情に関しては「食糧の輸入がなければ、日本国民に必要な食糧の数量は、ドイツの強制収容所並みからそれ以下になるだろう」とし、マッカーサーに食糧援助を進言した。
 さらに、連合国軍総司令部に、対日占領政策で幾つか助言を行った。
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『フーバー回想録』
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 日本人は、国家は死ねと命令しても自分を守ってくれない事、国家に忠誠を誓っても国民を裏切って捨てる事を知った。
 国家、政府などは、信用できないし当てにできない事を知った。
 ゆえに、GHQの「軍部に騙されていた」「日本は戦争犯罪国家であった」という洗脳教育を受け入れた。
 其れが、戦後の国家・政府を疑う平和教育である。
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 食料問題に関して、現代の日本史から意図的に削除された事実が存在していたと思いますが。
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 日本民族日本人は、金銭的利益や自己満足的名声や物質的虚飾を求めず、余分な金を求めず虚勢の名声も気にしない自然体の心的充実を大事にした。
 楽しみや楽を求めて苦しみから安易に逃げる事なく、不幸や不運を嘆き悲しみながらも諦めて受け入れる事を、潔く尊い生き方と純粋に信奉していた。
 分からない不条理に合理的な答えを見付けようとせず、分からないままに受け入れるという、日本的な生き方。
 災害や事故や戦争などで不運に死んだ日本人に対し、生き残った日本人の責任として、自分の気持ちより死んだ者の気持ち心情を大事にした。
 戦地から帰還した者は、生き残った事を申し訳ないと思うがゆえに、全国に居る戦死した戦友の家族が餓えない為に食糧増産に取り組んだ。
 戦場で散っていった戦友を家族への念いを痛感するがゆえに、少ない食べ物を隠匿し高く売って大金を稼ごうと言う気はなかった。
 惻隠の情を持つ、日本民族日本人は出来うる限り乏しい食べ物を分け合おうとした。
 だが。一部には、戦死した戦友の家族から金や着物を巻き上げて恥じない、強欲な自己中心的日本人もいた事は事実である。
 そうした人間の切ない心情を気にしない手合いが、戦友が祭神として祀られている靖国神社の存続に猛反対している。
 現代日本では、死んだ者の人権は軽視され、遺族への労りの気持ちは薄れている。
 戦前からの、絆もつながりも途絶えている。 
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 生き残った者は、死んでいった者の事を思い、残された家族を助ける為に前を向いて働いた。
 日本の奇跡の復興は、焦土と化した祖国日本を再建しようという決意から達成されたのではなく、身代わり的に戦死した戦友への鎮魂の為に、家族への思いを胸に死んだ戦友の思いを叶える為に働いた結果に過ぎない。
 世界にない日本的心情とは、死んで行った者達の悲痛な叫びを癒やす事である。
 自分の事とよりも戦死した戦友への深い思いが、日本的なのである。
 靖国神社も、戦死した日本人の思いを忘れず、約束を果たすと誓う為に存在している。
 日本の宗教とは、生き残った者が死んだ者を忘れず、死んだ者の霊魂が自分と共に存在する事を信ずる事にある。
 戦死した日本人の思いを無視し、自分の事しか考えない日本人が、靖国神社を否定している。 
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 生き残った者にとって、靖国神社に祀られている英霊は血縁関係のない赤の他人であったが、身代わりにとなって呉れたのだと恩を感じ、20代で命を落とした彼らの御蔭で命があって今日を迎えていると感謝した。
 運が少し違えば自分が靖国神社に祀られていたかもしれない、という思いがわき起こる。
 遺書「私の肉体はここで朽つるとも、これから生まれてくる子供達や孫達のことを思えば、決して私達の死も嘆くにはあたらないと思います」
 日本から遠く離れた戦場で斃れた英霊達は、命を介した深い「つながり」と強い心の「絆」を靖国神社に届けた。
 死なねばならない運命を呪わず苦悩しながら受け入れ、自分を捨て己を殺す事で、残った皆を助け生かした。
 彼らは、絶望し諦めて死を選んだのではなく、生き残る者達の未来に希望を持ち、将来に夢を馳せて死の旅路についた。
 靖国神社を参拝する者がいる限り、想いは受け継がれ、念いはなくならない。
 命の火が消えなければ、心も子孫代々に受け継がれれ、子孫の中に霊魂は不滅に残る。
 それが、地縁による祖先神・氏神の人神崇拝である。
 ベルツ博士は、死してなをも永遠につながろうとする日本人の心の有り様を「死の躍進(サルト・モルターレ)」と表現した。
 無神論者は、科学万能主義者として自己主張と個人主義こそが絶対に正しいとして、宗教的な「命のつながり」や「心の絆」や「霊魂の不滅」を完全否定する。
 生き残った者は、同じ日本人としての責任と義務で、自分も彼らの遺族の一員という思いから靖国神社を参拝して御礼を申し上げた。
 靖国神社を参拝する事で、日本人としての自覚を持ち、日本人である事を実感した。 
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 5月9日 アメリカ軍は、食糧不足で餓死者をこれ以上出しては、共産主義者による暴動が起きて治安が悪化して内戦になるとして、余剰食糧3,374万ポンドを払い下げると発表した。
 5月12日 左翼勢力は、世田谷区民を煽動して「米よこせ運動」を組織し、数千人の群衆が赤旗を押し立てて皇居を囲んだ。
 一部の過激派は、暴動を起こす為に坂下門から突入した。
デモ行進は、それ以上の侵入は天皇・皇室に対して畏れ多いとして退去した。
 天皇制度打倒の共産主義者は、簡単に皇居に入れた事に驚いたが、組織化されたデモ隊ではなかった為に暴動に発展させる事なく引き上げた。
 5月19日 食糧メーデー。 米よこせデモ。
 9日間におよぶ米の遅配に不満を持つ25万人以上の群衆が、皇居前広場を埋め尽くした。
 昭和天皇は、国民と苦楽を共にする為に、国民と同じ食事を出すように希望した。
 「ヤミ米には絶対に手を出すな。配給米だけでいい」
 ロシア革命フランス革命も、食糧問題から暴力革命が発生し数百万人数千万人を虐殺する内戦へと発展した。
 左翼・左派マルクス主義者は、ソ連からの活動資金を受け取り反天皇共産主義的暴力革命を起こそうとしていた。
 共産主義者は、プロレタリア独裁体制の為に人民戦争を画策し、人民主権から天皇と皇室を葬るべく陰謀をめぐらしていた。
 「朕はタラフク食っているぞ」のプラカードで不敬罪で起訴された。
 共産主義運動は、都市労働者間では盛んであったが、地方の農村部では昔ながらの保守層が根強かった。
 GHQ内のニューディーラーは、日本を共産主義化する為に農村改革、労働改革、教育改革を断行した。
 共産化に反対する伝統的保守勢力を解体し無力化する為に、公職から追放した。
 共産主義者は、国際主義ユダヤ人らの支援を受けて勢力を拡大した。
 ソ連は、都市労働者主導の共産主義体制を指示し、農村は保守的であるために食糧を生産するだけの従属的存在と決めつけていた。
 アメリカは、土下座して頼み込む日本を属国化する為に食糧を恵んでやった。キリスト教会は、神の恩寵として精神的支柱を失った日本人をキリスト教に改宗させる目的で食糧を恵んだ。
 ニューディーラー(主にユダヤ共産主義者)は、日本を理想的な社会主義国に改造しようとした。
 隠れマルクス主義者や転向共産主義者革新官僚らは、彼等に協力し、天皇制度を廃止する為に保守的エリートを軍国主義者として告発した。
 保守派エリートは、敗戦国日本の再建に取り組み、気落ちしている国民に新たな目標を持たせるべく奮闘していた。
 多くの有能な保守的エリートは、公職から追放された。
 昭和天皇も、翌年2月19日から全国巡幸を始め、国民とじかに触れて勇気を与えた。
 多くの国民は、昭和天皇の姿を見て歓喜のあまりに涙を流した。
 普通の日本人にとっては、神の裔・天皇は「心」の支えであった。
 世論調査では、90%以上の国民が天皇制度を支持した。
 世界史の常識からすると、異常な感情といえた。
 国際常識を持つ知識人にとっても、理解できない異常心理であった。
 アメリカ国家機密文書(1942年)「客観的に見て、皇室の伝統は日本国民にとって、民族としての大いなる遺産なのである」
 GHQは、日本文明の心柱が天皇制度である以上、天皇制度を廃止して皇室を消滅させては統合の象徴を失い内戦になる恐れがあるとして、むしろ占領政策に利用すべきと判断した。
 日本共産党は、敗戦革命による二段戦略から、職がなく空腹に苦しむ国民を煽り赤旗を振ってコメよこせデモを全国で展開した。
 吉田茂は外相から首相に就任したが、反吉田派の猛反対で組閣が難航した。
 昭和天皇マッカーサーも、組閣できず政治の空白が続く事は好ましくないとして、吉田に再三にわたって組閣を急ぐ様にと電話で催促した。
 武見太郎は、国会内の革新派の政府追及と国会外のコメよこせデモにおける赤旗に心配となって吉田に説明を求めた。
 吉田茂「なあに、マックが食糧を出すと言ってから組閣すりゃいいんだよ。ああやって一ヶ月も赤旗を振らせておけば、アメリカは食糧を持つてくるさ」
 徳田球一共産党は、デモ隊を先導して皇居に押し入り、宮中の大膳部(台所)からコメを強奪した。
 アメリカは、ソ連との冷戦がハッキリし始めるや日本を共産主義勢力の防波堤戦略を採り始めていた。
 マッカーサーは、大統領選出馬という野心から、日本人から餓死者を出し日本を共産主義化する事は占領政策の失敗を意味する為に、要求された食糧を調達して日本に運び込んだ。
 吉田茂の「下手をすると日本は共産化する」という、「弱者の智恵」外交の勝利であった。 
 5月20日 マッカーサーは、「愚民デモ許さず」と表明した。
 吉田首相は、「食糧問題の解決こそ日本再興の基本である」と警告を発し、特別委員会を発足させると提案した。
 政府は、食糧消費を抑える為に高級レストランの閉鎖を命じ、食糧不足を解決す為に食料輸入を約束した。
 5月24日 昭和天皇の「食糧問題の重要性に関するお言葉」。
 皇居に詰めかけたデモに対して「乏しきを分かち」のラジオ放送を行い、「家族国家の麗しい伝統に生き」食糧難克服を訴えた。
 「主として都市における食糧事情は、いまだ例を見ないほど窮迫し、その状況はふかく心をいたましめるものがある」「同胞たがひに助け合って、この窮況をきりぬけなければならない」
 5月28日 内閣統計局は、潜在能力を含む食糧生産能力からして、自給可能な適正人口を5,000万〜6,000万人とした。
 現在約2,000万人の超過だが、20年後には5,000万人の理想人口に落ち着くと予想した。
 気象条件を考慮に入れた時、豊作は短期で少量増であり、凶作は長期で大量減となる。
 農耕漁猟の日本民族は、神代から「米」を神と崇め貴び、自然と農地を八百万の神々の座と大事に守って来た。
 5月31日 警察隊は、物価統制令にもとずき、上野の闇市を強襲して食品や衣料品を押収した。
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 6月 東京都内の主食の遅配は、平均18.9日である。
 京阪神で米の増配を行うという情報が流れるや、闇値は下がって一升が80円となる。
 米を隠匿していた農家は、闇値が下がる前に売り急いで暴落に拍車をかけた。
 GHQは、食糧不足による暴動が共産主義革命を起こし、日本をソ連化すると恐れて、大量の食糧を緊急輸入して沈静化を図った。



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