🍙36〗─1─日本の失敗学。野中郁次郎『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』。古田博司「日本は分業国家」。~No.238N.239No.240 @ 

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 2015年8月31日号 プレジデント「野中郁次郎
 前例主義、安定志向、成功体験への固執・・・
 戦後70年、今こそ『失敗の本質』を問い直す
 『日本軍』の決断から未来への教訓を問う
 先の太平洋戦争で日本はなぜ負けたのか。5人の共同研究者とともに、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』を上梓して31年。今なお読み継がれているのは、戦史を経営学の視点から分析し、負けた要因の理論化が試みられているからだろう。
 歴史は無数の出来事が絡まる複雑系の世界である。そのため、歴史研究の基本は多様な現実をありのままに列挙する。一方、われわれは多様な現実の中に共通パターンを見出し、因果関係を解明しようとした。
 失敗の因果が理論化されれば、読者も自身の経験や属する組織の現実、さらには国の現状と照らし合わせて、個別具体の出来事の意味合いを普遍化して、教訓を導き出せる。、また読み返すたびに、そのときの状況に応じて、新たな教訓を読み取ることもできる。そこに、読み続けられる理由があるのではないだろうか。
 実際、われわれが理論化を思い立った動機もそこにあった。日本軍の組織における人間の決断と行動の仕方から、失敗の本質を抽出し、『もっと賢い戦い方はできなかったのか』との問いに対する、未来に向けた教訓を見出したいと考えた。 
 より効果的な教訓を得るため、われわれは研究対象として、戦争のターニングポイント(分岐点)となった作戦を選択した。『ミッドウェー作戦』と『ガダルカナル作戦』は、それぞれ海戦と陸戦のターニングポイントだった。それまで順調に軍事行動を進めてきた日本は、二つの失敗を転機として敗北への道を下り始める。インド北東部攻略を目指した『インパール作戦』の失敗は東南アジアにおける最重要拠点、ビルマ防衛の破綻を招いた。また、フィリピンのレイテ島に上陸しつつあった米軍撃滅のために海軍が総力を結集して戦った『レイテ海戦』の失敗により、戦闘艦隊は以降存在しなくなった。そして、『沖縄戦』は太平洋戦争で最大規模で最後の戦いとなった。
 なぜ、日本は負け、米国が勝つことができたのか。浮かび上がった違いは、共同体としての軍のあり方だった。日本軍では集団主義的な価値観であれば優先したため、凝縮性が強く、平時であれば安定的な力を発揮した。しかし、凝縮性の高い組織は負の側面が現れると同質化が進み、内向きになる。戦争開始時、日本軍は『閉じられた共同体』と化していた。陸軍も、海軍も内向きに閉じ、派閥化する。戦争という不確実の高い状況に適応するには、開かれた対話による多様な『知の総合力』が不可欠だが、閉じられた共同体にそれを生み出すことはできなかった。
 その結果、戦略目的と作戦との整合性の欠如という決定的な欠陥を生むことになる。典型が真珠湾奇襲作戦だ。太平洋戦争はもともと自存自衛のための防衛的な性質が強かった。陸軍はソ連の侵攻を想定。海軍もハワイ基地から来襲する米国艦隊を潜水艦などで迎え撃ちながら、最後は小笠原諸島周辺で艦隊決戦により雌雄を決するという『漸減邀撃』が基本戦略だった。
 現場から乖離した『エリート』の観念論
 それに対し、真珠湾作戦は先制攻撃であり、基本戦略とは矛盾するものだった。ただ、真珠湾作戦において、連合艦隊司令長官山本五十六大将は、空母を中心とする機動部隊による『空海戦(エア・シー・バトル)』という新しいアイデアを発案した。それは太平洋戦争のその後の展開を予告するものだった。
 従って、奇襲の主目的は空海戦の〝動く基地〟である空母の殲滅にあった。しかし、奇襲時、真珠湾には敵空母を一隻も発見できず、再攻撃も試みないまま作戦は終了する。
 続くミッドウェー作戦においても、敵機動部隊撃滅を目指した山本長官の戦略と、ミッドウェー島占領を主目的とした機動部隊との間で整合性が欠如した。それは山本長官が作戦部隊との間での開かれた対話に注力しなかったことに起因した。
 戦争とは、敵対する軍同士の知識創造力の戦いでもある。新たな知は、経験に基づいて暗黙のうちに持つ主観的な『暗黙知』と、言葉で表現できる客観的な『形式的』が、対話を通して相互に変換し、スパイラルに循環していくなかで生まれる。このプロセスにより、知識は個人、集団、組織の間を循環し、より豊かに増幅されながら、新しい価値として具現化されていく。これが組織的な知識創造の基本原則だ。その点、山本五十六は考え方の異なる相手との対話は好まず、自らの暗黙知を形式化して共有する開かれた対話を行うタイプのリーダーではなかったといわれる。
 対照的に、米国軍は常に開かれた関係性を維持し続けた。日本軍では陸海の統合戦略がうまく機能しなかったが、アメリカ軍では統合参謀長会議が機能し、陸軍と海軍がお互いに独自の作戦を主張するなかで全体最適の作戦を選択された。ルーズベルト大統領も衆知を集めて、最後は自分が責任を持って決断する『衆知独裁』的なリーダーシップを発揮した。
 日本軍の閉じられた組織においては、人事の機動性も失われた。海軍では兵学校の『ハンモックナンバー(成績に基づく卒業席次)』で将官人事が決まり、定期異動が基本でミッドウェー作戦直前に艦隊人事で異動があるなど柔軟性を欠いた。
 陸軍では士官学校の成績優秀者が陸軍大学へと進んで参謀となり、その参謀の人事権は参謀長が握った。両軍ともに成績優秀者が超エリート集団を構成した結果、作戦においては、現場から乖離した机上の観念論が跋扈した。現場には実践知に優れた指揮官もいたが、参謀が意思決定に介入する『参謀統帥』の異常な組織構造が出来するに至ったのだ。
 米国軍は『特別昇進制度』により、作戦特性に適した人材を特進させて任務を遂行させ、終了後に元の階級に戻す柔軟な適材適所の機動的人事を実行した。第一線の高級指揮官には人事権が与えられ、実績を出さない部隊長は次々と組み替えられた。失敗しても温情人事がまかり通る日本軍とは歴然とした差があった。
 『MBA』への傾倒は現場軽視の兆しか
 なぜ、日本軍は閉じられた組織へと化してしまったのか。根底にあるのは、異質を排除する精神構造だった。日露戦争での勝利という過去の成功体験への過剰適応が自己否定的学習能力を喪失させ、環境変化に対し自らを主体的に変えられる自己革新能力を欠落させた。模範解答をいかに多く習得できるかを問う教育制度と成績優秀者が超エリート層を形成する人事システムはそれを象徴した。
 他方、米国軍の開放性の根底にあったのは、プラグマティズムだった。実践し結果が正しければ、真理と考える。『やってみよう』の実験主義が開かれた対話を生み、知の総合力を高め、勝利へと導いた。世界で初めて水陸両用作戦を開発した米海兵隊が、日本軍との戦闘毎に戦い方を進化させていったのはその典型だ。
 太平洋戦争は、太平洋という巨大空間の地理条件が生み出す複雑で不安定な偶発性に機動的に対応した側が勝利した。屈指の戦略家であった作戦部長アーネスト・キング指揮下の米海軍は山本五十六が生んだ空海戦を概念化し、自らの戦略に取り組み、さらに洗練させた。そして、〝動く基地〟を擁した機動部隊と海兵隊により、前進基地を次々に奪取してBー29による日本本土爆撃を実現。さらに潜水艦により日本軍の兵站線を遮断。ついに、〝太平洋との戦い〟を征したのだった。
 ここで戦後に目を転じれば、敗戦の教訓を得て、開かれた共同体に転じ、知の総合力を発揮し、飛躍的な成長を実現したのは日本企業だった。一方、米国企業は逆にMBA(経営学修士)取得者が策定する机上の計画が現場の実践と乖離するといった硬直化が進んだ。その傾向が日本にも波及している今、ダイナミックな共同体のあり方について再認識を促す意味でも『失敗の本質』の今日的意義を実感するのである」
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 武士は、文武両道として、文系現実思考と理系論理思考を持って高い軍事能力と高度な文化教養を身につけていた。
 軍人は、軍事の専門家として、理系論理思考のみ重視して文系現実思考を軽視した。
 昭和前期の失敗は、文系現実思考を無価値として理系論理思考に偏重したからである。
 軍人エリートは、「理系郄・文系低」の偏重が極端であった。
 現実や大局を見ず、自分が正しいと思い込んだ結論を自信満々に理論的に主張する者を、論理的馬鹿(ロジカル・イディオット)と呼ぶ。
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 2016年6月18日号 週刊東洋経済「日本軍の失敗の本質
 有能な軍事エリートは幅広い教養に欠けた
 日本人はしばしば自国の近現代史を戦前と戦後に分ける。
 戦前と戦後とを分ける戦争とは、いうまでもなく大東亜戦争(太平洋戦争)である。それだけ、この戦争が日本人の歴史認識に与えた衝撃は大きい。戦争は敗北に終わっただけでなく、前線の将兵と銃後の国民に悲惨な結果をもたらした。
 戦後、日本人は、敵の圧倒的に強大であったことを知り、なぜ勝ち目のない無謀な戦争を挑んだのかを自らに問いかけたが、なぜ負けたのかをあまり問おうとはしなかった。
 敵が圧倒的に強大であったからには、負けるのは当然と考えられたからだろう。無謀な戦争に国民を引きずり込んだのは軍人たちだとされ、彼らが率いた日本軍の戦い方はまともな研究の対象とはされなかった。研究の対象として取り上げられることがあるとすれば、大半は軍隊の『悪徳』や愚かさを暴くことが主眼であった。
 しかし、悲惨な結果を招いたとはいえ、大東亜戦争が日本人にとって貴重な経験であり、またこの戦争で多くの日本人が軍隊の一員として戦ったのならば、痛ましい経験から正しく学ぶためには、日本軍の戦いの実相を、既成のイメージにとらわれずに見つめ直し、客観的に分析すべきではないか。今から30年ほど前、私を含む6人が『失敗の本質──日本軍の組織論的研究』につながる共同研究を始めた動機は、こうした思いであった。
 日本軍は特別ではなく日本社会の縮図
 研究を進めていって気づいたのは、日本軍という組織の中に、日本社会の組織一般と同じ特徴が見られることであった。
 考えてみれば、それも当たり前のことであって、日本軍は日本人によって構成されてた以上、日本人の組織文化が軍隊に持ち込まれていたとしても、何の不思議でもない。
 徴兵制(国民皆兵制)を原則としていたのだから特定の階層や地域の特性ではなく、日本社会全般に共通する組織文化が日本軍にもしみ込んでいたのである。むしろ、そうした組織文化は軍隊の中にあって、より鮮明に、より強力に作用したとさえいえるかもしれない。
 たとえば、日本軍の戦略目的はしばしば不明確、時にあいまいであり、長期戦となる蓋然性が高いのに、いつも短期決戦を志向した。
 何らかの明確なグランドデザインから演繹(えんえき)的に戦略を割り出すのではなく、つねに前例踏襲で、前例をちょっとだけ修正した戦略を繰り返すことが多く、それゆえ、戦い方のレパートリーが乏しかった。迂回包囲や夜戦をどこでも、何度も繰り返したのはそのためである。インパール作戦の場合は、源義経に倣った『鵯越(ひよどりごえ)』であった。
 こうした日本軍の戦略上の特徴は、組織上の特徴によって強められた。人事評価では、結果よりも、動機やプロセスが重視された。実績よりも、いかにまじめで、どれほど努力したかが評価されたのである。 
 それはしばしば精神主義がはびこる土壌となった。また、組織内の融和を優先し、人的ネットワークを作ることが重視された。特定の人的ネットワークに依存しなくても(つまり人が替わっても)十分に機能するシステムを構築しようとはしなかった。組織内融和の優先は多くの場合、論争を回避し、異質な発想のできる者を排除することにもつながった。
 組織学習の面で、決まり切った問いに対して、模範解答をすることが求められた。問いそのものを疑い、新たな観点から問いを作り直そうとはしなかった。高級参謀を養成する陸軍大学校ではディベート(討論)による教育法が実践されたが、多くの場合、正解は教官によって用意されたものであった。ここでも異質な要素は排除されたのである。
 組織学習において最も重要なのは学習棄却であるといわれる。つまり、かつては有効に機能したとしても、もはや実態に合わなくなったことを思い切って棄(す)てることである。日本軍はこれが不得手であった。
 『失敗の本質』のメッセージを単純化すれば、『成功体験は適応能力を締め出す』ということになる。要するに日本軍は、戦いの環境が大きく変わったにもかかわらず、日露戦争で成功を収めた戦い方を棄てることができず、陸軍は白兵銃剣主義を、海軍は大艦巨砲主義金科玉条のように信奉し続けたのである。
 日本軍は最初から環境に適応できなかったわけではない。自己革新の能力がなかったわけでもない。
 たとえば、日本軍は明治期の建軍当初から、少壮幹部のプロフェッショナル化に並々ならぬ努力を払った。日本の安全保障を図り、先進諸国の軍事的水準に追いつくには、近代的な専門職(プロフェッショナル)としての軍人を要請することが必要不可欠だったからである。
 陸軍では、日露戦争の開戦時に、陸軍士官学校出身者つまり専門的な軍事教育を受けた者が参謀本部の部長や旅団長クラスに昇進していた。一方、当時における軍司令官以上の陸軍首脳は、ほとんどがかつての『武士』たちであり、明治初期に一部が速成教育を受けただけで、軍事専門教育を受けてはいなかった。
 この点からすれば、日露戦争はトップの『武士』とミドルの軍事プロフェッショナルとの絶妙のバランスで戦ったといえうよう。
 これに対して、大東亜戦争開戦時の軍司令官以上の陸軍首脳は、全員が士官学校陸軍大学校を卒業している。最高の軍事教育を受けたプロ中のプロである。日露戦争との比較でいえば、大東亜戦争の日本軍はトップもミドルも軍事プロフェッショナルによって占められていた。『武士』はいなくなっていたのである。
 昭和期の軍人になかっ資質とは
 日本の軍人はしばしば専門職化の水準が低かったとか、十分に近代化していなかった、と批判されるが、おそらくそれは的を射ていないだろう。昭和期の軍人には、合理的なテクノクラートとして、分析的能力に優れた者が少なくなかった。日本の軍人が、軍事的な専門知識とそれを実践する技能の面で、交戦諸国の軍人に比して格段に見劣りしていたとは思わない。
 しかしながら、彼らには何かが欠けていた。それは、かつて明治期の軍人が持っていた『武士』としての素養のようなものだったのではないだろうか。
 その素養とは狭い兵法にとどまらず、今日的にいえば幅広い『教養』に通じていたように思われる。明治期の軍人はそうした素養を下地として、専門的な知識と技能には不十分なところがあったにしても、深い洞察と叡智に基づいて大局的な判断力を発揮することができた。
 だが軍事専門教育はそうした素養を排除してしまったのかもしれない。専門教育は軍事として専門領域での合理的・分析的能力の涵養(かんよう)を強調した。それと必ずしもなじまない洞察力や叡智は、ともすると無視された。すぐ役に立つことだけが重視された。
 その結果、軍人はしばしば視野狭窄に陥り、大局的判断に欠けて、組織内の融和に走りがちとなったのではないか。そして、そうした組織風土から優れたリーダーが育つことは難したのであろう」
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 二つのブログを、五つに分けて建設する。
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 日本の組織は分業体制を高度化させて、成功し、そして自滅した。
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 日本の分業体制が専門ごとに細分化れると蛸壺化・ガラパゴス化が起き、過去に出した成功例に固執して硬直化し、閉鎖的排他的に陥り新しい事を拒否し、他部署との連携が困難となり、全体が見えなくなり無関心となって自滅する。
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 2016年10月号 正論「人工知能 支配する民、支配される民 古田博司
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 秀才が尊敬されないAI社会
 ただ、インターネットのおかげで、そしてAIのおかげで、知識は楽に手に入るようになったので、近代型の秀才はもう誰も尊敬しない。こちら側だけの理想をかかげて、頭を知でいっぱいにし、超然として庶民を率いたいだろうが、そうはいかない。こうして近代型の秀才は滅びて行くことだろう。
 ここまで読者は私の言っていることが分かるだろうか。できる限り分かりやすく書いているのだが、たとえば新編集長はわたしがいつも『理力(フォース)、理力』というと、それを知力で理解しようとする。だからいけない。理力は理性のことではない。
 ちなみに『理性』は誰でも持っているというのもドイツ観念論の『擬制』だった。擬制というのは向う側に根拠がないが、こちら側で当面、役に立つ『有用性』があれば快を増やせるものをいう。有用性を失えばただの『虚構』になる。
 たとえば、国家の根拠を社会契約と考える『社会契約説』がある。国家は社会契約だから国民も従うべきだというが、契約書など一枚もない。だから擬制である。ちなみに、貨幣も擬制である。普段使っていない韓国のウォンや中国の元はおもちゃに見えるが、本国では有用性があるので『貨幣』と認識されるからだ。理力がないと、擬制と虚構の区別がつかない。もし自分には理力が来ないとカンネンしたならば、ネッターの中に理力の強い人がいるから、検索してその見解を採用することを勧めたい。うまく選択できるようにんれば自分にも理力がついてくる。
 フォースは、こう使おう
 社会契約説が擬制であり、国家の根拠でないとすると、根拠は何なのか。これを知るには理力が必要なのだと思う。
 私は長い間、日本国家の向う側の根拠を考え続けていた。ある日、理力で『分業国家』であることが知れた。それまでは色々と知力で考える。日本神話では神々が分業している。アメノコヤネは井戸ほりと飲料水・食器の係、アメノイハトワケは守衛、アメノウズメは鎮魂・語り部、アメノオシヒは戦闘、ヤタノカラスは斥候と案内役なのはなぜか。
 古代のシナやコリアからの帰化人たちもすぐに日本群島の分業体制の中に吸い込まれていく。シナからやって来たハタびと(秦人)が姓名の分かるもので1,200名に達するが、寄留民や債務奴隷になることはない、そのまま大和の部民として分業の民となり、土木を担う職となる。なぜか。朝鮮の役で、コリアから陶工を連れ出したが、彼らは技術者として厚遇し、士分を与えることがあったのは、なぜか。
 シベリア抑留はあきらかに当時のソ連が奴隷労働力として敗戦国の兵を捕囚したものだが、日本人にいまだ気づかれていないのはなぜか。また、北朝鮮のやったことは拉致奴隷だ。日本には奴隷制が定着した歴史がないのでよく分からないのではないか。そこで学者らしく西洋の敗戦奴隷や東洋の拉致奴隷の研究をする。おもに知力と悟性(分析力)の仕事である。
 日本には人間を家畜視する思想が無いので、宮刑(去勢刑)もないし、宦官もない。奴隷制がないのはなぜか。答えは至って常識的なものだえる。みんなが分業の民で働いているので、奴隷を使役する必要がないのである。極めて簡単なようだが、常識のない人にはこれが分からない。ドイツ人は、たぶん領国国家の時代が長かったせいで、こういうコモンセンスとしての常識が苦手だ。だからこちら側の関係性を執拗に難しく書くのである。『世間』といえばすむのに、『共同主観性』とか言ったりする。ドイツ人から哲学を習うのは、もう止めたほうが良いとわたしには思われる。
 それで理力が来る。『日本は分業国家』と、じつにシンプルである。だから日本人は、テレビ東京系列の『開運!なんでも鑑定団』や、テレビ朝日系列の『世界が驚いたニッポン!スゴ〜イデスネ!!視察団』などという、分業の高度化を愛でるテレビ番組が大好きなのだ。
 先日、東京都知事選があったが、都庁は16万人もの職員を抱え、13兆の予算で運営される戦艦大和みたいな巨艦である。その知事は常識では激務のはずである。ところが、先の都知事石原慎太郎氏は週に2度ほどしか都庁に行かなかったという。前知事の舛添要一氏は時間をもてあますように別荘で過ごしたり、家族旅行したり、書道や絵画の趣味や漫画本の購読にあけくれ、それを公費や政治資金で精算していた。なぜか。
 新知事はダイバージェント?
 『分業国家』である日本国は、分業の高度化が美点であるとともに、それがそのまま弱点にもなりやすい。最大の弱点は、分業が進み過ぎて分業組織間の連携が困難になり、ついにはお互いに無関心となって全体像と将来像を見失い、過去の成功例の『規格』に固着して失敗することだと思われる。戦時中の陸軍と海軍がこの良い例で、彼らは予算を取りあうことに血道を上げ、軍を分業するお互いには無関心だった。真珠湾攻撃の時には、ちゃんとした近代戦の航空機で突入したはずなのに、分業が進むにつれて退行を起こし、最後はバルチック艦隊を迎え撃った日本海海戦のように、アメリカ軍を日本近海におびき寄せ、艦隊決戦をやろうとしていたのであった。
 分業組織をユニット集合と呼ぶことにしよう。それぞれのユニットは、戦前戦中の前例では、海軍と陸軍である。戦後は官庁がこれにあたるとする。ユニットに資金をもたらすためにユニットと結託した族議員が大活躍する。高度化したユニットは、テリトリーを防衛することが本務となり、やがて相互に無関心になって全体より部分が先行することになる。そしてユニット内の派閥化も進行する。様々な利権集団が予算を食い荒らし、使途不明の支出が増えていく。もはや将来像も見失い、過去の成功例の『規格』だけが理想になったとき、現実に次々に齟齬(そご)を起こしてユニット集合は崩壊する。
 これが東京都庁で起きている可能性がある。可能性というのは、これは理力を用いた先見であり、実証されていないからである。ユニット集合としては、官庁と族議員の結託が、都庁では自民党都議連と部署間で行われているかもしれない。これについては絶対に断言はしない。だが、オリンピックの新国立競技場案選定問題やエンブレム選定問題で、失敗を繰り返したのは、なぜなのか。
 『ダイバーシティ』という言葉が最近よく使われている。『多様性』と訳されているが、多様性ならばバラエティーで十分ではないか。そうではなく、ダイバーシィとは、『異端をとりこむ多様性』のことを言うのである。そこからの派生語でダイバージェントとは、『分業体制のいずれのユニットにも属さない異端者だが、全ユニットに適合する全体的な資質を持ち、分業を横断してマネジメントする統合力をもつ者のこと』をいうのである。わたしはこのダイバージェントが東京都知事として現れた時がいつか必ず来ると先見していた。小池百合子新知事がそうであるかはまだ分からないが、彼女はテレビのインタビューで、『都庁では横串をさすように』仕事をすると言っていた。
 分業ユニット間がバラバラなので、これに横串をさすように統合性を高めたいというミッションの自覚があるとしれば、彼女はダイバージェントとして、近代以後、日本女性の意義ある社会的役割をはじめて人々に示すことになるだろう。そしてそれは、日本男性の女性蔑視の終焉を告げる警笛になるはずだ。『ダイバージェントには男性より女性が向いている』というのも、『女性は部分より全体だ』という上野千鶴子氏のジェンダー論を理力で超えたものである。
 AIの未来
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 AIが機能に特化したロボットとして活躍するようになれば、当然人間の労働の機会を阻害する。大学教授には、読経型・演説型・トレーニング型の授業類型があるが、このうち読経型の教授からAIが取って代わることになるだろう。知力や悟性で可能な仕事は、次々とAIになるが、理力は人間のみの能力なのでかえって発達するだろう。
 人間が労働の機会を奪われる一方、現在も進行中の生殖能力の低下と知性の低下により、人口とのバランスがうまくとれる機会が訪れることだとう。AIを『無機体の奴隷』と認識する国家の人々は怠惰になる。シベリア抑留をした国や拉致奴隷が伝統化している民族はAIも喜んで奴隷にするだろう。韓国の大学に勤めていた時、週12コマの授業を押し付けられ、半ば『奴隷化』されたときに、わたしはこれを実感した。
 しかし、喜んでいていいのか。わたしは秘かに人間の根拠の一つは労働だと考えるからである。常識で考えると、退職した老人も元気に暮らすには庭の水まきとか町内会の活動とか、働くことが大切である。AIを奴隷にすれば楽かもしれないが、することがなくなっていく。結局、AIに人生を支配されることにならないだろうか。
 ただ、日本は『分業国家』であり、AIを『分業の友』と考える国民は問題ないだろう。AIは犬猫のように、優しくしてやればよい。アメリカ人もAIを奴隷にするかもしれないが、白人のすべき仕事だけはとっておくだろう。
 理力で考えられることはここまでで、これで未来の役に立つと良いのだが、先見は、向う側の言葉を預かる『預言』と異なり、往々外れることもある」
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