🍙22〗─6─日本は自然災害の寒冷による凶作で政治体制及ぶ社会秩序が崩壊した。長命無限の国體と短命有限の政体。No.130No.131No.132 @ 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2016年11月9日 読売新聞「平安、戦国の動乱『寒冷』が一因?
 農林水産に影響か 東大などの研究チーム分析
 東京大大気海洋研究所の川幡穂高教授(古気候学)らの研究チームが、海底の化学物質を基に、8〜18世紀の約1000年間に及ぶ、西日本の夏の気温変化を再現した。その結果、政治体制が動揺した平安時代後期と戦国時代前夜の時期が、寒冷化と重なっているとわかった。
 川幡教授らは、広島湾で海底の堆積物を採取し、プランクトンがどのような物質を生み出していたかを基に、堆積物ができた時代の海面温度を調べた。調べた物質は、プランクトンが夏に合成するもので、水温を反映して組成比が変化する特徴がある。堆積物ができた年代は、放射性炭素(C14)年代測定で割り出した。さらに、海面水温と気温に相関関係があることも利用し、広島湾を含む西日本の夏の気温変化を探った。
 それによると、約1000年間で最も平均気温が高かったのは、平安時代前期の820年頃の25.9度。一方、平安時代後期の11〜12世紀には、長期間の寒冷期が訪れて平均24.0度となったほか、室町時代の1450年頃も平均24.4度と寒冷化したことがわかった。川幡教授は、『平均気温2度の差は、東京と仙台の違いにあたり、農林水産業にも大きな影響があったはず』とみる。
 ちなみに、現代の広島の夏の平均気温は26.2度で、今回判明した過去の気候よりも高く、温暖化が進んでいることがわかる。
 実際、寒冷化した時代には、大きな社会変化が起きていた。平安時代の寒冷期は、貴族政治が揺らぎ、平清盛が登場して武家政治が始まった時代にあたる。1450年頃といえば、室町幕府が動揺し、戦国時代へと突入していく時代だ。
 今回はデータが得られていないが、文献などから江戸時代後期の18〜19世紀にも、寒冷化があったという。この時は、天明天保の飢饉が起こり、江戸幕府を動揺させた。
 川幡教授は『社会の仕組みが大きく変化する境界期が、大きな寒冷期に対応していることが分かった』と話し、さらに地域や時代の幅を広げることを目指す。近年、木の年輪から過去の降水量を再現する研究が注目されており、今回の手法と組み合わせて、歴史上の環境の再現が進むと期待される。 (文化部 清岡央)」
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 日本の過酷な自然災害は、貧富の格差や身分の格差、健康の格差など一切関係なく全ての日本民族日本人に甚大なる被害をもたらす。
 善人も悪人も、善い事をしても悪い事しても、正しかろうと間違っていようと、美しくとも醜くとも、神を信仰しようとも悪魔を信じようとも、全ては無意味であった。
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 中華世界(中国・朝鮮)からの救援・支援は絶無であっし、中華世界に窮状を訴え助けを求めれば確実に侵略され征服される危険性があった。
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 日本民族日本人は他国はもちろん他人をあてにせず、村人・地域住民のみで助け合い・励まし合い・慰め合い・協力し合って甚大な被害をもたらす自然災害を生き抜くしかなかった。
 そうした過酷な自然災害地帯という最悪な居住環境で生み出されたのが、寛容な万世一系男系天皇制度(直系長子相続)である。
 日本が中国や朝鮮の様な大虐殺や大略奪が起きなかったのは、自然災害を恐れ自然災害を鎮め癒やす装置としての天皇制度があったからである。
 天皇が、災害現場にお出ましになって被災者を見舞い励ますのは当然の責務である。
 弱者に寄り添うのが、最大にして重要な天皇の役務である。
 無条件でそれができるのは、祭祀王である天皇とその親族である皇族のみである。
 天皇の神格が絶対不可侵として、政治権力や宗教権威から切り離され、俗事全ての面で「免責」が与えられたのはこの為である。
 神の子孫である天皇・皇室が守られ、皇統を正統化する血筋が護られ、天皇制度が継承されたのは、この為である。
 日本民族日本人は、生きる為に天皇制度を必要とした。
 寛容について、日本の寛容は天皇制度が保証する不可侵性があったが、大陸では寛容と不寛容が権力者や支配者によって恣意的に揺れ動いた。
 もし天皇制度がなかったら、日本は、世界常識が支配する大陸世界の様な地獄と化していた。
 自然災害多発地帯の日本では、中華世界の儒教価値観による天子体制(皇帝・国王)や一神教世界の絶対神価値観による支配体制(皇帝・国王)は向かなかった。
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 自然災害多発地帯で生き残る唯一の手段は、優れた知能や体力を持った強いにリーダーによるトップダウンではなく、平均的な知識や体力を持った庶民によるボトムアップである。
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 ムラ共同体の「村八分」とは、自然災害多発地帯で生きる智恵であった。
 日本民族日本人が、世界の非常識的な集団主義と現場主義に固執し、祭祀王・天皇を中心とした国體を命を犠牲にしても守ろうとしたのはこの為である。
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 自然災害多発地帯の宗教は、絶対神による一神教ではなく、八百万の神々による多神教が最適である。
 その意味で、絶対真理を強要する儒教を無条件で受け入れなかった。
 自然災害多発地帯で最も大事な事は、お互いに、迷惑をかけない事、約束を守る事、である。
 つまり、信用・信頼である。
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 絶対神への信仰が深く心から祈りを捧げようとも、救世主は現れないし、恩寵による奇跡は起きなかった。
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 歴史的激変は、中華などの大陸では「人の強欲」であったが、日本では「自然災害」であった。
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 人の強欲が実力で作り出す体制は、栄枯盛衰の「政体」であって不動不変の「国體」ではない。
 自然災害に対処するには、各時代に適応した「政体」と永久不滅の「国體」の二本体制しかなかった。
 日本民族日本人は、経験で人間力には限界がある事を知っていた為に、人間力の及ぶ事態は「政体」で対応し、人間力の及ばない事態は「国體」に依存した。


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