🍙19〗─4─米もパンもないが、めでたい!紀元2600年の節約レシピ。〜No.84No.85 

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 戦前の日本は、うち続く悪天候で凶作となり仏印(現ベトナム)から食糧・外米を緊急輸入していた。
 日本人は、満足な食事が食べられず空腹に耐えていた。
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 2023年12月31日 YAHOO!JAPANニュース「米もパンもないが、めでたい!紀元2600年で活気づく日本の節約レシピ(昭和15年10月の戦時の献立)
 Sake Drinker Diary映像をつくる人
 もし戦時中に料理ブログがあったら?題して『戦時の献立』
 今日は昭和15年10月号の婦人之友から「キャベツ巻御飯」である。
 冷やご飯をロールキャベツにしたような一品だ。
 昭和15年10月といえば、真珠湾攻撃まであと2ヶ月に迫り、節米が求められていた時期。どうしてこんな不思議な米の使い方をするのかと疑問に思ったが、献立に書かれている文章を見て納得した。
 パンも少し足りない、残り御飯が少しあるといった場合がよくありますが、こうした時に(中略)きっと役に立ちましょう。
 (「婦人之友昭和15年10月号)
 パンも米も一食には足りないということが良くあったそうだ。それでも頭をひねれば立派な夕飯ができるということである。
 とはいえ、米をおかずにしてパンを食うというのは、当時としてはひねり過ぎではないか。
 この間の記事で、豆腐をおかずにパンを食う「バタ焼き豆腐」という献立を紹介したが、今回は米でパン…
 どうやらこの献立は、35年間日本に住んでいたフィンランド人が考案した料理らしい。なるほど。確かにトルコ料理に、ピーマンに米を詰めて、それをおかずにパンを食べるというのもあるからなぁ。
 しかし、当時の日本人にとっては突拍子もない献立だったろう。主食であるはずの米とパンが、口の中で渾然一体となるのだから。
 このように、家庭では様々な工夫をしながら四苦八苦していた訳だが、世間はそんな苦労を感じさせないようなお祝いムードが漂っていた。
 記念すべき紀元2600年。各地でお祝いイベントが続々と
 昭和15年10月の政府の広報誌「写真週報」を見てみると、「紀元2600年奉祝」というキーワードが頻繁に出てくる。
 そもそも紀元2600年ってなんだ?今は2023年でしょうに?
 紀元2600年というのは、明治政府が定めた紀年法だ。「日本書紀」に記される神武天皇が即位した年を西暦の紀元前660年であるとし、それを元年とした。
 それからちょうど2600年後にあたるのが、昭和15年11月10日。
 つまりこの頃は、建国から2600年という100年に一度の節目が目前に迫っているということで、さまざまなイベントが行われていたのだ。
 「写真週報」昭和15年10月30日号。馬上の昭和天皇
 陸軍では特別観兵式を行い、海軍では特別観艦式を行った。
 昭和天皇は馬に乗って観閲したり、戦艦比叡に乗艦して連合艦隊100隻の艦船と500機余りの航空機を観閲した。
 昭和天皇が戦艦「比叡」に乗艦(「写真週報」昭和15年10月23日号)
 特別観艦式の様子(「写真週報」昭和15年10月23日号)
 ちなみに海軍の特別観艦式で指揮官を務めたのは、連合艦隊司令長官だった山本五十六氏である。当時としては実に華々しいものだったろう。
 軍だけではない。東京・上野の美術館では「紀元2600年奉祝美術展」が行われていた。
 上野の美術館の「紀元2600年奉祝美術展」(「写真週報」昭和15年10月16日号)
さらに海の向こう、満州国(日本が満州事変で占領した地域に建国させた政権)でもイベントが行われた。
 満州国での行事の様子。音楽隊の行進とダンスを踊る子供たち(「写真週報」昭和15年10月30日号)
 日独伊三国同盟により、枢軸国の一員となった日本は活気づいていた。
 米英を敵に回すなんて…現代を生きる私にとっては、思わずちぢこまってしまうような状況である。
 しかし当時の日本人は、世界の富を牛耳ろうとする米英からアジアを解放し、日本がリーダーになるのだと意気込んでいた。
 国民の生活は火の車であっても…である。
 さぁ、そんな頃の「キャベツ巻御飯」である。
 本当にパンに合うのか?一体どんな料理なのか?
 ではここから先は、昭和15年10月27日だと思ってご覧いただきたい
 昭和15年10月27日、日曜日。
 晴れ。昨日に続いて汗ばむくらいに暖かい。
 今日も家内に代わって夕飯を作る。
 献立はキャベツ巻御飯なり。飯をおかずにパンを食うということである。
 実に面白い。
 最近は、米に一工夫加えておかずにするのが、すっかり当たり前になった。
それもこれも外米がボソボソしてマズイせいであるが、どうも状況は変わりつつある。
米に混ぜてある外米が少なくなったように感じる。
 この間は10粒ほど手に取ると日本米は2、3粒ほどしか入ってなかった。それが今回買った米は全くの逆で、外米が2、3粒なのである。
 どうしたものかと思ったが、そういえば、今がちょうど新米の時期であるから日本米が多いのかしらと思い当たる。
 嬉しい限りなり。しかし逆にいうと、収穫期が過ぎれば、ほぼ外米の飯に逆戻りである。
結局、節米の献立でやり過ごすほかなし。お精進でないだけ良しとする。
 では、こしらえていこう
 【材料 5人前】
 キャベツ 15枚
 冷やご飯 カップ4杯
 ひき肉 100g
 玉ねぎ 半個
 卵 1個
 バター 大さじ2
 牛乳 カップ半杯
 塩 少々
 油
 まずはキャベツで巻く種から作ろう。
 玉ねぎをみじん切りにする。うちは家内と私だけなので、少なめの分量で作る。
 涙しながら玉ねぎを切る
 それにしても目が痛い。眼鏡をかけていても滅法界痛いというのは、玉ねぎめ、一体どういう了見かといつも思う。
 切った玉ねぎは油で炒め、ボウルへ。
 さらにここへ、冷や飯とひき肉を入れて混ぜる。
 混ぜたら、卵、塩、牛乳を加えて飯を柔らかくする。
 これで種の完成だ。
 次にキャベツの葉をお湯でざっと茹でる。
 キャベツの葉はむく時に滅法界神経を使った。穴が開いたら、そこから米が漏れてしまって台無しだからナァ。
 細かい部分だが、葉の硬い脈の部分はそぎ取るべし。
 削ぎとった脈がこれだ。案外たくさんある。捨てるのは勿体無いナァ。
 こうして見ると、結構な分量だ
 ヨシ、食うべし!
 マヨネーズをつけて!
 ごちそうさま!
 そうしたら、今日一番の山場だ。キャベツで巻いていく。
 破れないように気をつけながら、種を真ん中に置いて、両端を折って、下からクルリと巻くと、こうなる。
 出来上がりは四角い感じになる。案外簡単だナァ。どんどん巻いていこう。
 真ん中に種を置いて、両端を折って…
 下の脈の部分から巻いていくと…
 うん、仕上がりも悪くない
 あとはこれを焼けば、出来上がりだ。
 フライパンにバタを溶かし、中まで火が通るようにじっくり焼く。火が強いと焦げてしまうので気をつけるべし。
 焦げつく不安がある場合は、湯を少し入れても良いそうだ
 キャベツ巻御飯の完成なり
 いただきます!
 中の飯にバタの旨味と香りが染み込んでいて、これは存分にやれる。
キャベツの香ばしさと甘みがとても良く合うナァ。飯もこれだけ西欧風の味付けにしてやれば、パンにも存外合うんだナァ。
 しかし、全体的にやや薄味か。
 これはウォスターソースなどをつけると一層やれるかもしれない。
 やはり思った通りだ。一層パンが進むナァ。
 ソースの味とパンの相性はもちろん良い
 ちなみに家内はというと、やはり中の飯がうまいとのこと。しかしウォスターソースは必要ないという。
 そうかナァ?
 断面はこんな感じだ
 私はどうも、ソースやケチャップに頼りがちでいけないナァ。
 ごちそうさま。またうまいものを作ろうと思う。
 動画も楽しんでいただけると有り難し!
 キャベツの巻き方など、詳しく動画で見たい方はこちらをどうぞ。
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 映像をつくる人
 左利きの映像製作者。気分転換は料理です。「左利き」とGoogle翻訳に入力してみたところ「Sake Drinker」と出てきたため、それに日々の記録という意味での「Diary」を足しました。お酒は好きですが、浴びるほどは飲みません。
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