🍙33〗─2─日本の自由・民主化改革や平和憲法制定はルーズベルトの遺志であった。日本難民救済会とララ物資。~No.211 @ 

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 GHQによる、日本の自由・民主化改革や平和憲法制定は親中国反日ルーズベルトの遺志であった。
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 2017年4月27日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
 パンの中の悪意
 日本敗戦の朝、米国人がどやどややってきた。
 今もそうだけれど彼らは日本人に比べて知的レベルは低い。
 例えばGHQスタッフのレオン・ベッカーは、日本は米国に比べて遅れていて、だからまだ奴隷がいると頭から信じていた。
 彼はさんざ探して北海道の炭坑を監獄部屋と決めて『1万3,000人の奴隷を解放した』(新潮社『マッカーサーの日本』)。
 彼らは24時間働かされた、立派な奴隷だったと彼は報告したが、当時は黒いダイヤモンドのブームだった。
 現にこの監獄部屋摘発のあとGHQは『石炭増産のために24時間操業をせよ』(同)と指令している。
 俄かに奴隷とされた炭坑夫も吃驚しただろう。
 米国人はまた日本語の読み書きも文化を遅らせた一因と見做した。
 だってアルファベット26文字の米国人の識字率はやっと60%台。日本人は1万以上の漢字に仮名とアルファベットも使っているから『日本人の85%は新聞が読めないだろう』(同)と推測した。
 『それが日本の民主化を遅らせている』『まずローマ字化し、ゆくゆくは英語化すべきだ』と。
 そんな馬鹿を諭すため文部省は昭和23年、子供から老人までを対象に全国規模の日本語読み書きテストを実施した。
 結果は識字率98%。担当したGHQ将校ジョン・ペルゼルが『識字率をせめて米国並みに改竄してくれないか』と日本側に哀願した話が残っている。
 米医学界も低レベルで新生児は『1年間は植物状態』と信じていた。
 だからGHQの医療担当官は早い時期から添い寝する母子を見て驚愕する。
 添い寝は危険で不潔だからとGHQは産院に母子分離を命じ、ために不幸な取り違え事故が増えた。
 母子添い寝が赤ん坊の情緒安定にいい影響があることを米国人が知ったのは80年代にWHOが公認してからで。
 この辺までは無知ながらどこかに善意は感じられるが、GHQの施策にはそうでないものも結構ある。
 クロフォード・サムスは日本人の頭にDDTをぶっかけた男だが、その次にやったのがマーガレット・サンガーと加藤シヅエを使った産児制限強制だった。
 フランクリン・ルーズベルトは『日本人は四つの島に閉じ込めて滅ぼせ』と遺言した。ポエニ戦役で敗れたカルタゴのようにと。
 それで『四つ』以外の台湾や朝鮮は没収。軍隊は解体させ交戦権も奪った。ローマがカルタゴに提示した降伏条件そのままだ。
 加えてこの産児制限で人口を減らし、滅びをより確実に早めさせた。
 実際、日本の人口はいずれ先の大戦前のそれを割り込むだろう。
 サムスはもう一つ仕掛をした。日系米国人が祖国の窮乏を救うためにいわゆるララ物資を始めた。
 米政府は家畜飼料の脱脂粉乳を出したが、その際に始まった給食に便乗してきた。パン食の普及だ。
 彼らは呼び水に約18万トンの小麦を供与し、見返りに『パンを中心とした給食』を法制化させた。
 山村明義『GHQの日本洗脳』によればマクガバン上院議員は『これで日本を将来にわたる小麦の大口買い入れ国に仕立てられた』と語っている。
 『コメを食うと頭が悪くなる』伝説が伝播されたのもこの時期。朝日新聞は『次代の子供たちまでコメ食につきあわせるな』(昭和39年)と米国からカネを貰ってパンの宣伝をした。
 かくてコメ離れは進んで2011年にはパンとコメの購入額が逆転している。
 小学1年の道徳教科書にあった『パン屋』の話を『和菓子屋』に変えたら検定をパスした。日本の伝統と文化はパンでは語れないという趣旨だ。
 それに朝日が噛み付いた。『パンには伝統と文化もないのか』と。
 そう。何もない。代わりに頭が悪くなるグルテンと年季の入った米国のズルさがどっさり入っている。
 コメの飯を食え。少しは歴史も見えてくる」
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 ウィキペディア
 ララ物資(ララぶっし)とは、ララ(英語: LARA; Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)が提供していた日本向けの援助物資のこと。
 概要
 ララはアメリカ合衆国連邦政府の救済統制委員会(アメリカ合衆国大統領直轄の機関)が、1946年(昭和21年)6月に設置を認可した日本向け援助団体。1946年(昭和21年)1月22日に、サンフランシスコ在住の日系アメリカ人浅野七之助が中心となって設立した「日本難民救済会」を母体としている。
 当時、アメリカ合衆国における対外的な慈善活動は「海外事業篤志アメリカ協議会」(American Counsel of Voluntary Agency for Work Abroad) が担っていたが、その対象地域はヨーロッパのみであり、日本は含まれていなかった。そのため、日本に対する援助物資輸送のために、新たな援助団体を設立する必要があった。アジア解放前の抗日運動が冷めやらぬ中での「アジア救援公認団体」認可に際しては知日派のキリスト友会員の協力によるところが大きい。
 支援物資は、1946年(昭和21年)11月から1952年(昭和27年)6月までに行われ、重量にして3300万ポンド余の物資と、乳牛や2000頭を越える山羊などもあり、全体の割合は食糧75.3%、衣料19.7%、医薬品0.5%、その他4.4%となった。多数の国家にまたがり、多くの民間人、民間団体からの資金や物資の提供であったためその救援総額は不明であるが、推定で当時の400億円という莫大な金額であったといわれている。
 救援物資の20%は、日系人が集めたものだといわれている。
 「アイスクリームにチョコレート、日本のみんなに下さった、ララのみなさんありがとう」という歌があったという[3]。また、療養所でララ物資を受け取った歌人の短歌がある(「華麗なる ドレス身につけ ひとときは はしゃぎてはみぬ ララの配給」)。
 年表
 1946年(昭和21年)11月30日 - 第一便 (ハワード・スタンズペリー号) が横浜港に到着。
 1946年(昭和21年)12月24日 - 東京都・千代田区立永田町小学校(現:千代田区立麹町小学校)において贈呈式を実施。
 1947年(昭和22年)7月31日 - 国会・衆議院本会議において感謝決議(救援物資の寄贈に関し亜細亜救援公認團体に対する感謝決議)を全会一致で可決。
 1948年(昭和23年) - 東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸の6大都市の約300ヶ所の保育所でララ物資による給食が開始。
 1952年(昭和27年) - ララ物資の終了。
 1997年(平成9年) - 外務省は第14回外交記録公開で受け入れ経緯などを示す史料、外務省記録「ラ・ラ(アジア救済連盟)関係雑集」を公開。
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 戦勝国の連合国(国連)が戦犯国の日本に行った善意とは、世界正義という崇高なる理想で、文明文化度の低い未開な日本を普通の国家に導き、日本人を歪めている野蛮性を矯正して、西洋マナーを身につけた礼儀正しい大人しい真っ当な人間に生まれ変わらせる事であった。
 端的に言えば、日本のキリスト教化である。
 アメリカは自国第一主義で自国の利益獲得を最優先して、日本を占領し支配し搾取した。
 日本がアメリカの保護国・属国・従属国であるという証拠が、国防権と外交権を剥奪した日本国憲法である。
 護憲派市民団体とは、そうしたアメリカの日本奴隷化政策を擁護維持する反天皇反日的日本人勢力である。
 アメリカの日本奴隷化政策からの解放を目指す日本人が、歴史修正主義者として糾弾され、表舞台から追放されるのはこの為である。
 日本は、食糧・物資・エネルギーをアメリカに支配され、アメリカの恩恵で輸入している。
 そして、金融・経済、安全保障さえもアメリカに支配されている。
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 日本を取り巻いている周辺諸国とは、友好を望む平和な諸国ではなく、敵意を剥き出しにし日本を支配しようとした反日派諸国である。
 その危険な構造は、中国や朝鮮とは古代から変わらないし、ロシアとは江戸後期から続いている。
 中国・朝鮮そしてロシアは、日本と対等な友好関係を望まず、日本を屈服し従属化・奴隷化する好機を虎視眈々と窺っていた。
 日本は自衛戦争として、一国のみで、清国(中国)・朝鮮共同軍と日清戦争を戦い、ロシア・清国・朝鮮共同軍と日露戦争を戦い、中国・ナチスドイツ・ソ連連携国と日中戦争を戦い、そしてアメリカ・イギリスの連合国と絶望的太平洋戦争を戦った。
 中世キリスト教会は、日本をキリスト教化するべく、日本人奴隷貿易に積極的に協力し、布教活動に必要な大金を稼いでいたいた。
 日本には敵がいて味方がいなかったというのが、修正すべき真実の歴史である。
 日本が最も恐れたのが、キリスト教共産主義であった。
 何故なら、日本民族が古代から守り伝えた天皇を中心とした国體を破壊し消滅させようとしていたからである。
 日本の軍事行動は、日本天皇日本民族を守る為のローカルな自衛行動であった。
 それ故に、グローバルな世界から目の敵にされた。


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