🍞4〗ー1ー日本における究極の食料安全保障は皇室神話・宮中祭祀・天皇の宗教である。~No.26No.27No.28No.29 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 何故、反宗教無神論・反天皇反民族反日のリベラル左派やマルクス主義過激派、その他が皇室を否定し天皇制度を廃絶しようとしているのか。
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 日本民族心神話に隠された意図とは、最高神である女性神天照大神天皇家の祖先神)による揚子江流域から伝来した南方稲神話である。
 中国と朝鮮の黄河流域は、北方麦神話である。
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 稲神話に基ずく皇室神話・宮中祭祀天皇の宗教とは、国の安寧と国民・民族の幸せと五穀豊穣を祈る事であり、食糧を生産して食べ物を確保して餓死者を出さない事であった。
 その事を誰よりも知っていたのが、植物学者であった昭和天皇であった。
 アメリカとの戦争である太平洋戦争の真の原因は、石油のエネルギー問題ではなく、コメの食糧問題であった。
 つまり、日本民族は信仰宗教やイデオロギー儒教的真偽の為ではなく「コメの為に生きる」民族であった。
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 2023年6月2日 YAHOO!JAPANニュース NEWSポストセブン「天皇と米の深い繋がり 歴代天皇は稲作を通じて五穀豊穣と国の安寧を祈願、現在も続く皇居内での稲作
 皇室の稲作は昭和天皇が始めたもので、上皇さま、天皇陛下へと代々引き継がれている(写真/PIXTA
 5月16日、皇居内の生物学研究所脇にある水田。五月晴れの青空の下、長袖のシャツに長靴姿で水田に入られた天皇陛下は、およそ15cmに育った稲の苗20株を、素手で1株ずつ丁寧に植えられた。苗は、うるち米の「ニホンマサリ」と、もち米の「マンゲツモチ」の2種類。いずれも、今年4月に陛下がまかれた種もみから育った苗である。
 【グラフで丸わかり】米の消費量は60年前の半分に!
 天皇が自ら田植えをする「皇室の稲作」は、1927(昭和2)年に昭和天皇が始められて以来の伝統行事だ。皇室解説者の山下晋司さんが指摘する。
 「『日本書紀』に記されている神話の世界では、アマテラスオオミカミが孫のニニギノミコト高天原で作った神聖な稲穂を授け、『人々の“命の糧”としてお米を作りなさい』と命じたことを日本の稲作の始まりとしています。ですから、ニニギノミコトの子孫とされている天皇と稲作には深いつながりがあり、歴代の天皇は米などの五穀豊穣を祈り、国の安寧を願ってきました。その思いは現在まで連綿と続いています」
 古代から中世、近代を経てたどり着いた現代。昭和天皇が始めた皇室の稲作もまた、歴代天皇の願いを受け継ぐものだ。
 「最初に昭和天皇がお田植えをされた水田は、いまは園遊会の会場となっている赤坂御用地にありました。昭和3年昭和天皇香淳皇后は皇居に引っ越されましたので、皇居内に新たに水田が作られました。以降、この皇居内の水田で稲作が行われ、現在に至ります。天皇の稲作は豊作を願い、農業を奨励するとともに、品種改良などの研究目的もありました」(山下さん・以下同)
 昭和天皇から受け継がれた上皇さまは2009年、皇室の稲作について、「それを行う意義を重視していくことが望ましい」と話された。
 「昭和天皇は皇居の水田でお田植えとお稲刈りをされていましたが、上皇陛下は種まきからやろうとお考えになり、お田植えの前に苗代に種もみをまく『お手まき』を始められました。以降、春に『お手まき』、『お田植え』、秋に稲を収穫する『お稲刈り』をされるようになりました」
 収穫された米は、例年秋に行われる重要な宮中祭祀新嘗祭」などに使われる。皇室の稲作に参加するのは歴代の天皇だけでない。これまで皇居で行われたお手まきやお田植え、お稲刈りでは、皇太子時代の天皇陛下雅子さま愛子さま、さらには秋篠宮ご一家が加わり、ご一緒に作業に励まれる場面がしばしば見られた。そのお姿からは、皇室がいかに米作りの「意義」を重視し、取り組まれてきたかがわかるだろう。
 2019年の御代がわりの際は、退位する直前の上皇さまがまかれた種もみを、即位したばかりの天皇陛下が田植えされ、その年の秋に実りの時期を迎えた稲を収穫。平成から令和へ、皇室の稲作のバトンがつながれた。
 「国民の代表として豊作を願う昭和天皇のお気持ちは、平成、令和の天皇へと大切に受け継がれました。3代にわたる稲作のリレーはこれからも継続されていくでしょう」
 そうした歴史をひもとくと、米作りがこの国にとっていかに大切なものなのかわかる。稲作、そして米食は私たち日本人を作り上げ、そして結びつける根幹なのだ。
 ※女性セブン2023年6月15日号
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