🦋10〗─5─日本の災害史上初、陸の津波。東日本大震災でダム湖決壊、犠牲者8名。〜No.48No.49 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2023年3月11日 YAHOO!JAPANニュース FNNプライムオンライン「日本の災害史上初めて起きた「地震によるダム湖決壊」 家も人々も飲み込んだ濁流の一部始終と、その記憶を繋ぐ若い世代 #知り続ける
 マグニチュード9.0、最大震度7を記録した東日本大震災から、12年が経った。
 その膨大な記録の中には、まだまだ検証が出来ていない被害がたくさんある。
 【画像】震災前のダム湖は緑あふれる中で美しかった…
 未曾有の災害を決して忘れず教訓とするため、12年にわたり放送してきたシリーズ『わ・す・れ・な・い』。
 今回は、これまでほとんど伝えられてこなかった、日本の災害史上初となる「地震によるダム湖の決壊」を取材した。
 2つの集落を突如襲った濁流
 福島県中通りに位置する須賀川市
 その町を見下ろすように作られた藤沼湖という美しい農業用ダム湖が、あの日の揺れで、まさかの被害をもたらしたことはほとんど知られていない。
 あふれ出た水は山肌を伝い、麓を流れる簀ノ子川(すのこがわ)に流入すると、川沿いに広がる2つの集落を襲い、8人もの犠牲者を出した。
 湖からおよそ1キロ先にある滝地区が、最初の被害にあった。
 滝地区では家屋7棟が全壊し、濁流に流された人や、潰れた家の下敷きとなり亡くなった方もいた。
 自宅が跡形もなく流失 そして若い身内までも…
 当時、滝地区で暮らしていた森清道さんが、地震後に勤め先から戻ると、自宅は跡形もなく消えていたという。
 森さんの自宅周辺では、5軒ほどの家が流されていた。
 その絶望に追い打ちをかけたのは、若い身内を亡くしたことだった…。
 森さんの姉の孫、林萌子さん、14歳。その日はたまたま母親と、滝地区にある姉の家を訪ねていたという。
 「初めのうちはしっかりお母さんと手をつないで…。萌ちゃんと手をつないでいたんだけども、途中で手が離れちゃって、一言二言(萌子さんが母を)呼んだんだけども、そのまま聞こえなくなっちゃった。お母さんお母さんって、それは耳に焼きついてるってお母さん言ってるね…」(森さん)
萌子さんは、震災から1カ月以上が過ぎた頃、およそ40キロ下流で発見されたという。
 濁流の中ガードレールにしがみつく妻を夫が救助
 さらに、濁流は簀ノ子川沿いに下降し、長沼地区へ流れていく。ダム湖の決壊など知る由もない住民は、突然押し寄せた水の正体さえわからぬままだった。
 川沿いに住む内山さん夫婦が異変に気付いたのは、揺れが収まり隣に建つ実家を見に行った時のこと。
 普段は穏やかな簀ノ子川の上流から、護岸を乗り越えるほどの濁流が迫っていたという。
 迫り来る黒い濁流が何の水なのかも分らぬまま、それぞれの車に乗り込んだ2人。
 夫・賢二さんの車は間一髪で助かったが、妻・えみさんの車は濁流にのまれ、水没した。
 えみさんはかろうじて浮いていた車の窓を開け脱出したが、すぐにまた、流されてしまう…。
 その後、えみさんは建物の隙間に入ると腕を突っ張り流されないようにするが、再び流されてはガードレールにしがみつくなどして、懸命に耐えていたという。
 「いろんな大きい塊がどんどんどんどん流れてくるんですよ。これにぶつかったら死ぬなって思いながら…」(えみさん)
 ガードレールにつかまっていたえみさんを、夫・賢二さんが発見。水の中に飛び込んで、えみさんを濁流の中から救い出したという。
 「地震と今回の(ダム湖の決壊)は、全然関連付けて考えられなかったので、どうなってんだろうっていうのがまず、ずっと思ってたことでしたね」(えみさん)
 ダム湖決壊の原因は “液状化”と“すべり破壊”か
 日本の災害史上、初となった「地震によるダム湖の決壊」は、なぜ起きたのか。
 その原因を調査し報告書にまとめた、東京大学名誉教授・田中忠次氏を取材した。
 「戦後の時期に急いで造ったと。近くの材料で比較的砂っぽい材料が使われていた。だから地震で揺すられると強度が低下して、液状化的な現象が起こった」
 田中氏によると、液状化した堤防が上部から湖側に滑りはじめ、水が溢れ始めたことで堤防の強度が低下。一気に“すべり破壊”という現象が起きたのではないかという。
 藤沼湖決壊の記録史に込められた、切なる願い
 去年、地元の有志によって発行された記録史「あの日を忘れない」。
 数々の被害写真や、当時の体験記が収められている。
 中心となってまとめた柏村國博さんには、この記録を残すことに切なる願いがあった。
 「時間が経てば経つほど薄れて、みんなの記憶からなくなってくるし、慰霊碑だけでは伝わらないことがある。
 1冊の本を見てみれば、地震から藤沼湖ができた経過から、(水が)抜けてなくなって、どうやってもう一回復元したのか(がわかる)っていう、そういう記録史を作って後世に伝えようと。
 それでなかったら亡くなった人はかわいそうじゃないですか」
 沿岸部の被害に隠れてしまいがちだからこそ、後世に残すべき記録がある…。
 その思いは今、若い世代にも伝わっている。
 福島県須賀川創英館高校では、先人の経験を聞き、自ら現場に立つことによって次の被害を防ごうという試みが行われている。
 生徒たちは「実際自分が(藤沼湖に)行って自分の目で見てみて、ここが満水になるまでの水が入っていて、それが一気に流れて出てたって考えると怖いなって思いました」、「もし起きてしまった時の避難方法とかを、周りで確認しあっていくのも大切じゃないかと思います」などと話す。
 想定外は必ず起こる…。
 だからこそ、次の想定外に備えるために…。
 震災から12年。未曾有の災害を教訓とするため、今後も当時の記憶を若い世代に伝えていくことが求められる。
 (『わ・す・れ・な・い 映像教訓 巨大地震から生き延びる』より 2023年3月11日放送)
 フジテレビジョン
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 福島民報
 震災・原発事故10年ルポ 被災地の残像
 【震災・原発事故10年ルポ】災禍伝える活動続く 須賀川市・藤沼湖 「陸の津波」恐怖次代へ
 2021/03/08 08:12
 決壊した直後の藤沼湖=2011年3月12日午前11時ごろ(鈴木信弘撮影)
 堤防(左)が復旧し、農業用水をたたえる藤沼湖=2021年2月
■当時郡山本社から取材応援 鈴木信弘
 辺りは澄み切った冬の空気と静寂に包まれ、湖面は凪(な)いでいる。須賀川市長沼地区の農業用ダム「藤沼湖」を十年ぶりに訪れた。あの日、巨人の手で破壊されたかのように崩れ去った堤防は復旧し、当時の爪痕はない。今年も春になれば水田を潤し、一帯の自然公園は四季の移ろいとともに華やぐだろう。
 再建された堤の上を歩く。ダム決壊による「陸の津波」の猛威を見せつけられた当時の記憶がよみがえる。
   ◇  ◇ 
 二〇一一(平成二十三)年三月十一日。激しい揺れで藤沼湖の堤防は崩れ、鉄砲水が発生した。翌日、郡山本社報道部から取材の応援で現地に入った。ダムにあるはずの水は跡形も無く、本来なら見えないはずの湖底が目の前に広がっていた。
 百五十万トンもの湖水はダム付近の簀ノ子(すのこ)川に沿って下流域の滝、北町両集落に濁流となって押し寄せた。流された車や樹木が一面に散乱し、川沿いでは基礎部分だけを残した家の跡が点在していた。
 簀ノ子川の橋に、なぎ倒された巨木が引っ掛かっていた。「黒い水が宙を舞って向かってきたんだ」。橋の木にぶつかって空へと跳ね上がった鉄砲水を、当時目撃した住民はそう振り返る。
 取材をしていると、遺体を引き上げる捜索隊の様子が見えた。「決壊だなんて、想像もしなかった」。家を流された会社員男性(58)=当時=の言葉に、返す言葉は見つからなかった。
   ◇  ◇ 
 終戦直後の一九四九(昭和二十四)年に完成した藤沼湖は農業用水の役目を果たすとともに、自然公園としてキャンプ場や温泉、コテージが一帯に整備され、親しまれてきた。
 七人の命が奪われ、一人が行方不明となった内陸の災禍から十年。堤防や湖畔の道路は再整備された。被害が甚大だった滝、北町両集落には防災公園や集会所が設置され、住宅の建て替えも進んだ。真新しい慰霊碑を除けば、当時をしのばせるものは少ない。
 藤沼湖自然公園復興プロジェクト委員会は、震災後に湖底で見つかったアジサイを「奇跡のあじさい」と名付け、公園内での植栽や全国への株分けを通して震災の経験を伝えている。「記憶を風化させず、経験を次代に伝えることが大切」。自らも濁流の危機を間一髪で免れた深谷武雄委員長(75)は、強い思いを口にする。
 地元では有志による震災体験の証言集作りが進み、語り部を目指す高校生も記憶の伝承を誓う。被災地の人々のそうした思いや営みを伝え続け、風化と戦うことは報道の使命でもある。防災公園を歩きながら、その思いを改めて胸に刻んだ。(本社報道部副部長)
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 福島県須賀川市藤沼ダムの決壊 <事例報告>
 地震によるダム決壊の速報とその意義
 2011年3月11日東日本大震災では内陸部のアースダムの決壊も生じました。決壊した藤沼ダムは、須賀川市中心部から西へ約12の山間部に位置します。1949年に竣工した灌漑用のアースダムで、堤高約18.5m、貯水容量約150万あり、被災時はほぼ満水状況でした。地震後ダム堤体が決壊し、貯水されていた水が泥流となり本川を駆け下り、大災害となりました。アジア航測はダム決壊による被災状況をいち早く把握するため、空中写真(DMC:対地高度約1500m、地上解像度約16)を撮影し、関係機関に速やかに配布しました。
 被災状況
 藤沼ダムからの泥流は、ダム下流約3以上を流下し、河川沿いの家屋を飲み込み、死者・行方不明者8名、流出家屋11戸、床上・床下浸水55戸という大災害を引き起こしました。被害は田畑にもおよび、田植時期の土壌も流出しました。ダムから流下した泥流は、河川沿いの樹木も巻き込み、その破壊力を増したものと考えられます。地震によるダムの決壊は世界でもほとんど例がありません。当ダムは、土砂材料を台形に盛ったアースダムという形態で、ロックフィルダムのようにコア材とロック材のような複合構造は持ちません。地震動他と決壊の原因は詳細な調査を待つ必要がありますが、近隣の比較的新しいアースダムは無傷であったこともあり、この決壊には何らかの堤体部の要因もあったことを伺わせます。アジア航測の空中写真からは、ダム堤体部の決壊状況や下流側の侵食状況が詳細に分かります。また、周辺部の副堤付近にも亀裂や沈下などの変状が生じていることが分かります。
 アジア航測の対応
 未曾有の東日本大震災では、津波以外の被害も注目されています。アジア航測は、関係機関からの要請や社会的な意義も鑑み、積極的に情報収集に努め、どこよりも早く本現場の撮影計画を立て、3月14日に撮影を実施しました。撮影に際しては後続の図化などにも配慮し、1/1000図化も可能となるよう高解像度のデジタル空中写真(DMC)で実施しました。また、撮影範囲はダム決壊部だけでなく、泥流が到達した広い範囲を含めるようにし、土砂流出災害の全容を把握できるようにしました。撮影後は画像を速やかに関係機関へ配信・提供し、関係機関では被災状況の把握や原因究明のため即座に利用していただきました。
 我が国では、地震時に15mを越えるハイダムが決壊した事例は近年なく、社会的にも衝撃を与えた災害でした。東日本大震災のような、被災範囲が広く多様な災害が生じている状況の中で、どこをいつ撮影するのか、依頼の優先度はどうするべきなのか、自社責任でも撮影すべき箇所はどこなのか、機材繰りは大丈夫なのかなど、混乱の中、素早い意思決定が必要とされます。特に自社機を多く有するアジア航測では社会的な責任も含めて重要な判断となります。本ダム災害の撮影もその最中に決断されたものであります。本災害においては原因究明が重要な課題となります。老朽化や締め固め不足、遮水機能などの不足が言われていますが、現場での痕跡が少なくメカニズムの解明には時間がかかる状況です。そのような中、今回のDMC画像は解像度約16と高く、堤体に発生した亀裂などの状況を詳細に記録しているため、決壊発生の原因究明などに幅広い活用が期待されます。また、同様に老朽化したアースダムがある河川では、万一決壊した場合の被災シミュレーションなどの参考データとしても、防災上貴重な記録となっています。今後も、このような社会的に意義のある計測、撮影が自主的にできる会社であり続けることがアジア航測の責務と考えます。
 図の説明
 図1 決壊した藤沼ダムと泥流経路
 泥流は下流3以上まで達しました(青色矢印)。途中の家屋などを流出させ大惨事を引き起こしました。
 図2 決壊した堤体
 堤体頂部を通るアスファルト道路も含み、えぐり取られたように流出しています。下流渓岸部の樹木もなぎ倒され流出しています。
 図3 ダム堤体部の被災前の写真との比較
 アジア航測のLVSquareにより、新旧の写真を比較、閲覧できるようにしました。(上段の写真はGoogleEarthより)
 図4 ダム下流約500mの滝集落を直撃する泥流
 泥流(青色矢印)は家屋へ直交方向にぶつかり、再び河川沿いに向きを変え、より下流の集落にも達しました。(上段の写真はGoogleEarthより)
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 朝日新聞
 3.11 震災・復興
 データから見る被災地と少子化
 震災でダム決壊、怖かった 短大生になっても語り継ぐ記憶
 斎藤徹2022年3月17日 9時00分
 写真・図版
 藤沼湖決壊の犠牲者慰霊碑の前に立つ五十嵐夏菜さん=2022年3月6日午前10時24分、福島県須賀川市滝、斎藤徹撮影
 写真・図版写真・図版写真・図版
 東日本大震災で決壊し、死者・行方不明者8人が出た福島県須賀川市の農業用ダム「藤沼湖」。11年前、ダム近くの小学校で被災した五十嵐夏菜(かな)さん(18)が今春、閉校する地元高校を卒業した。ふるさとを襲った災害の語り部として、新しい一歩を踏み出す。
 あの日、小学1年だった五十嵐さんは、藤沼湖から1・7キロほどの長沼小学校の教室にいた。午後2時46分、大きな揺れに襲われ、校庭に避難した。
 揺れが収まって校舎に戻ろうとしたとき、誰かが叫んだ。「水がきたぞ。逃げろ!」。ゴーッという音とともに校庭に濁流が入ってきた。何が起きているかわからないまま、高台にある体育館付近に逃げた。
 地震の揺れでダムが決壊し、150万トンもの水が流出。川沿いの集落で家や人が流された。自分の家族や家屋に被害はなかったものの、土砂に埋もれたほかの集落や壊れた道路を見て、とても怖かったことをいまも覚えている。
 ダム決壊により、生まれ育った地域でどんな被害があったのか。毎年3月11日が来るたび、心にひっかかっていた。被災した住民から話を聞いて育ったが、家族や友だちと災害の話をすることはなかった。
 意識が変わったのは長沼高校2年のときだ。社会科の先生に勧められ、県内各地の高校生が震災や復興について話し合う「ふくしま創生サミット」に参加。ダム決壊について話した。
 浜通り津波被害や原発事故はみんな知っているのに、内陸の災害はあまり知られていなかった。つらい思いをしている人がまだいるのに、このままではやがて忘れられてしまう――。危機感が募り、「私が語り部になって語り継いでいこう」と決心した。
 地元小学校の防災学習などで体験を話してきた。そんなときに伝えているのは、自分たちの住む地域で想像できないような災害が起きた事実と、ふだんから避難経路の確認など防災の意識をもつことの大切さだ。
 今月1日、五十嵐さんは長沼高校を卒業した。同校は4月から市中心部の高校と統合されて閉校する。「最後の卒業生になったのはさみしい。でも、だからこそ、ふるさとで起きた災害をこれからも伝えていこう」。そんな思いが、わいてきた。
 6日に被災現場であった「大震災と藤沼湖の記憶をつなぐつどい」にも参加し、「誰かが語り続けなければ歴史は消えてしまう。それができる1人が私なんだ」との思いを新たにした。
 4月から郡山市の短大に通い、栄養士をめざす。新生活が始まっても、語り部の活動は続けていくつもりだ。(斎藤徹
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 朝日新聞
 「あの日を忘れない」 須賀川市ダム決壊の記録誌、地元住民らが発刊
 斎藤徹2022年3月4日 10時30分
 写真・図版
 記録誌「あの日を忘れない」を編集した柏村国博さん=2022年2月28日午前10時17分、福島県須賀川市長沼、斎藤徹撮影
 写真・図版
 11年前の東日本大震災で8人の犠牲者が出た福島県須賀川市の農業用ダム「藤沼湖」決壊をまとめた記録誌を、災害を体験した地元住民らが作った。原発事故に埋もれがちな地元の災害を記録に残すことで、災害の風化を防ぎ、今後の防災に役立ててもらおうとの願いを込めた。
 記録誌は「あの日を忘れない ~そして語り継ぐ未来へ~」。地元住民らでつくる犠牲者慰霊碑建立の実行委員会が、須賀川市補助金や全国各地からの寄付金を活用して編集・作製し、今月1日に発刊した。
 ダムの決壊直後、約150万トンの水が濁流となって集落を襲う様子を撮影した地元住民の写真や、被災者28人の聞き取り証言、県の決壊原因調査報告書、地元紙の関連記事のほか、藤沼湖が造成された背景や復旧の過程も載せた。A4判で全128ページある。
 編集作業の中心として携わったのは、地元の長沼地区の区長を務める柏村国博さん(66)。2018年から住民の聞き取り調査などを始めた。
 被災した顔なじみの住民に「話を聞かしてもらえないかい?」と頼んで回ったが、「つらい被災体験を思い出したくない」と断られることもあった。それでも趣旨を説明すると、「あんたになら話す」と重い口を開いてくれた。
 住民の証言から、見えてきた災害の全容はこうだ。
 大きな揺れの後、山の木がバキバキと音をたてながら、立ったまま黒い水とともに集落に迫ってきた。そして濁流にのまれた家々が流され、崩れた。車とともに流れの中に消えていった人、木につかまって助けを求める人、家族や隣人を助けようと濁流に飛び込んだ人がいた――。
 当時須賀川市職員だった柏村さんは災害発生時、市中心部で仕事をしていた。時を経て被災者の証言を聞き、想像を絶するような災害が身近に発生したことに、改めて戦慄(せんりつ)を覚えた。同時に、住民同士助け合って救助にあたり、惨事を乗り越えてきたことに心を揺さぶられた。
 ダム決壊で家を流され、親族を失った森清道さん(65)も、柏村さんとともに冊子編集に携わった。「遺族や被災者にとって震災の記憶を思い出すのはつらい経験だが、それでも誰かが記録を残さなければならない。それが九死に一生を得た我々の役目だと思う」
 記録誌は3500部作り、地区の全世帯や全国の支援者、行政機関に寄贈する。市内の全小中学校にも配り、防災学習に役立ててもらうつもりだ。作製の過程で、これからを生きる子どもたちに災害の実相を伝えていくことが大事だと痛感したためだ。
 災害は全国どこでも起きる可能性があり、だれもが当事者になりうる。柏村さんは「自然災害や、災害で亡くなった人の生きた証しを継承していくことが、次の災害に備えることにつながる」と話している。(斎藤徹
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 〈藤沼湖の決壊〉 藤沼湖は農業用水をためるため、土を台形状に固めて造成された貯水量約150万トンのダム。2011年3月11日、震度6強地震で決壊し、ダムの水が周囲の谷底を濁流となり流れ、簀(す)ノ子川沿いの集落を襲った。7人が死亡し、1歳の赤ちゃんが今も行方不明。住宅22戸が全壊し109戸が浸水、約90ヘクタールの農地が土砂で埋まった。ダムは16年に復旧した。
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