🍘8〗─1─海水温上昇によるシビア・ウェザー(過酷な天候)が日本を襲う。第15号台風。〜No.20No.21No.22 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本列島は甚大な被害をもたらす自然災害多発地帯である。
 日本の自然災害には、理屈は通用しない、普遍宗教も世界的哲学・思想・主義主張も無力である。
 日本で役に立つのは、ローカルな伝承であってグローバルな物語ではない。
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 命に危険をもたらす甚大な被害をもたらす自然災害は、50年に1度、100年に1度で起きていた。
 現代では、数十年に1度、数年に1度で起きるようになり、ごく当たり前の災害になりつつある。
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 日本列島の河川は、豪雨があると洪水が発生し、濁流が家や人々を押し流した。
 日本民族日本人は、洪水が発生すると生き残る為に押し寄せる濁流から逃げ回っていた。
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 現代日本人は、水害に弱い国に暮らしている。
 現代日本は、本気で国民を助ける気がないほどに諸外国に比べて治水レベルが低い。
 いつ頃から、治水レベルが低く水害に弱い国になったのか、多分、1980年頃からである。
 100年に1度の災害に備える金があったら、いまの生活に使うべきだ。
 そして、気弱な危機感を捨て強気でバブル経済に突入していった。
 現代日本人から、日本民族日本人が持っていた「想像力ある用心深さ」が消えた瞬間である。
 酷な事を言えば、分別を弁えた「勝って兜の緒を締めよ」を捨てた自業自得である。
 それは、近隣諸国の強い要請・圧力で、歴史教育から日本列島で生きてた日本民族日本人の姿が消されたからである。
 つまり、過去へ遡る民族主義の否定、切り捨てであった。
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 2019年14日・21日号 週刊現代「天地がひっくり返ったような豪雨に落雷、秋の真夏日
 これから何が起きるのか
 知れば知るほど怖くなる異常気象
 日本が、気候の穏やかな『四季の国』だったのは遠い昔のこと。連日の猛暑に集中豪雨と、天気はいまや命を脅(おびや)かす凶器へと変わってしまった。そしてこの先には、もっと恐ろしい事態が待ち受けている。
 地球がぶっ壊れた
 怒濤のように押し寄せた水が自動車に衝突して激しく揺さぶり、重りのついたバス停があっけなく押し流されていく、排水溝から溢れた濁流の水圧でマンホールの蓋は吹っ飛び、噴水のように泥水が吹き上がる。水が引いた後、残されたのは陥没したボコボコになった道路だった──。
 9月3日、横浜市を局地的に襲った激しい雨は、集中豪雨の恐ろしさを首都圏の人間にまざまざと見せつけた。同市金沢区では1時間あたり75mmの降水量を記録。天地がひっくり返ったかのような大雨に見舞われ、瞬時にして都市機能はマヒしてしまった。
 『シビア・ウェザー』
 かつてとは明らかに違う、この異常な天候状態のことを、こう呼ぶ。
 災害危機管理アドバイザーの和田隆昌氏が解説する。
 『世界中で、極端としか言いようがない気候、気象状況が頻発しています。これを「過酷な天候」、つまりシビア・ウェザーと言います。いまや日本も、その脅威に直面しているのです。シビア・ウェザーにより、災害の激甚化が危惧されています』
 気象庁のデータによると、1時間あたりの降水量が80mm以上に達した大雨の発生回数が、ここ10年間では1年に平均23回も発生している。これを1976年から1985年までの年平均14回と比べると、約1.6倍になっているという。
 つまり、横浜を襲った豪雨以上の災害発生件数が、近年になって大幅に増加しているのだ。
 この傾向は世界を見回しても同じで、9月初旬にカリブ海では『史上最強クラス』のハリケーン、『ドリアン』が猛威を振るい、バハマでは国土の70%が浸水して壊滅的な被害を受けた。カリブ周辺ではハリケーンの勢力が年々凶悪化し、そのたびに米国トランプ大統領らが『非常事態宣言』を発令することが、日常茶飯事と化している。
 大げさではなく、まさに地球が、壊れかけているのである。
 日本に目を戻せば、夏が終わり秋にさしかかったこの時期以後も、次々と台風が押し寄せ、『シビア・ウェザー』が収まる気配はない。日本経済新聞編集委員気象予報士安藤淳氏が警告する。
 『今シーズンは初めのうち台風が少なかったが、これから次々に襲来する可能性があります。いま危惧されるのは、台風が勢力を保ったまま日本にゆっくり近づき、前線を刺激して各地で延々と集中豪雨をもたらすような状況になることです。大雨が降った後に一時おさまって、また大雨、という最悪のパターンが続く恐れがあります』
 秋の台風は進行速度が速く、日本上空をすぐに通り過ぎる傾向がある。しかし、今年は太平洋高気圧が日本付近に張り出した夏型に近い気圧配置が続くため、台風の速度が上がらず、ノロノロと進みながら同じ場所に豪雨を降らせる可能性が高いというのだ。
 『暖かく湿った空気が高気圧の縁(ふち)に沿って日本に吹き込むため、雲が発達しやすくなり、1時間に100mmというような信じられない雨が降ることも想定されます。豪雨災害は西日本に多いイメージもありますが、最近は関東から北海道まで、どこで大雨が降ってもおかしくない状況です。
 東京、名古屋など都市圏は海面より低い土地が多いので、浸水被害に厳重な注意が必要です。一時的な雨なら排水ポンプなどで何とかなっても、何時間も降り続く排水能力の限界を超えて洪水になる恐れがあります』(前出・安藤氏)
 大竜巻が迫ってくる
 265名もの犠牲者を出した昨年の豪雨では、高知県馬路(うまじ)村で10日間に1,852mmという降水量を記録した。これは同地域における7月平均降水量の、なんと3倍にも達する数字だった。現在の『シビア・ウェザー』は、過去の経験則では測れない常識外れの災害を引き起こす。
 前出・和田氏もこう語る。
 『首都圏は水害対策が進んでいるが、それでも想定を超えたゲリラ豪雨や巨大台風の場合、対応が間に合わずにビルの地下等で被害が出る可能性は否定できません。実際、99年に神新宿区で浸水による溺死被害が発生しています。
 一方、地方自治体では水害対策が進んでいないところも多い。危険度は、堤防や水利の工事がどれほど進んでいるかなどにも左右されます。土砂災害は同じような場所で起きる傾向があり、近くに崩れやすい山や氾濫しやすい河川があるならば、空振りになったとしても早めに避難するように心掛ける必要があります』
 さらに、豪雨災害だけではない。すべてが『苛酷化』していくシビア・ウェザーでは、他にも注意をしなければいけない災害がある。そのひとつが『雷』だ。
 雷に関する気象情報を専門に扱う、気象情報会社フランクリン・ジャパン所属の気象予報士・今村益子氏がこう語る。
 『我々の観測では、最近になって雷雲の発達のスピードが非常に速くなっていると感じています。予測を超えた速さで気づく間もなく雲がどんどん発達して、突然、雷に襲われることもあり得る。
 雷に直撃された場合、即座に心肺蘇生を施さなければ死亡率は90%を超えます。グランドやゴルフ場など周囲に何もないところにいる場合、雷の標的となり、非常に危険です。また樹木の傍(そば)も「側撃」といって、木に落ちた雷が人体へ飛び移る現象が起きやすい』
 一方、車の中は電流が金属製の外側を流れるために比較的安全という。『電線の下も、電線が避雷針代わりになるため避難場所になり得る』(今村氏)ことも、覚えておくといざという時、役に立つかもしれない。
 荒れ狂う気象災害として、他に『竜巻』の脅威にも警戒しなければならない。地球物理学者の島村英紀氏が警告する。
 『異常気象には地球温暖化が大きく影響していますが、亜熱帯となった日本では以前に比べて竜巻が起きやすくなっている。その発生数は今後ますます増加していく傾向にあり、9月から11月にかけて注意が必要です』
 秋が来ない
 12年には茨城県つくば市で、『本場』アメリカのような巨大竜巻が発生。直撃した建物を崩し、1人が死亡した。黒々とした天から延びる不気味な竜巻が地上を薙(な)ぎ払いながら近づいてくる恐ろしい様子が動画に撮られ、拡散された。
 06年には北海道の佐呂間町で建設現場のプレハブが竜巻によって巻き上げられ、中にいた9人の作業員が命を落としている。
 『今後は台風に伴って竜巻が発生することも起きてくるでしょう。竜巻の原因tなる気温の急上昇などはコンクリートに覆われた都市よりも、平野部で起きやすい。障害物のない沿岸部や、山間部に近いエリア、関東平野で言うと茨城などで竜巻が発生しやすいと言えます』(和田氏)
 ここまで見てきたように、日本を襲うシビア・ウェザーの多くは『気温』が影響している。初夏は猛暑、秋になっても猛暑・・・。前出の島村氏は『日本は四季を失ってしまった』と語る。
 『地球温暖化により、サハラ砂漠のような元々雨が降らない場所にはますます雨が降らなくなり、一方で日本のように雨が多い場所では、いっそう雨量が増えていく、このように両極端になるのが現在の気候の特徴です。今年も9月以降、夏の暑さがそのまま持ち越される恐れが十分あります』
 まさかと思われた秋の猛暑と大熱波、そんな可能性もこれからは捨てきれないということだ。
 常識では測れなくなった異常気象に、我々はどう対処するべきあのか。
 『一番大切なことはテレビ、ラジオ、インターネットといった複数のメディアから情報を取る努力をすることである。最近の気象情報はかなり正確になっています。自分のいる地域にどのような危険が迫っているか確認することが最も重要です。
 豪雨などの災害で命を落とす人は同じ土地に長い間住んでいて、自分は大丈夫だと思っていた人が多い。過去の経験は邪魔になる。それを肝に銘じて備えるべきです』
 『前は大丈夫だった』『今度もなんとかなる』、これらはもはや禁句だ。シビア・ウェザーの脅威の前では、過去の経験則に囚われた者から淘汰されてしまうのである」
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 10月16日 産経新聞「【台風19号】42年ぶり台風に命名か 気象庁、来年5月までに判断
 気象衛星が捉えた、12日16時30分の台風19号(気象庁提供)
 東日本の広範囲に被害を出した台風19号について、気象庁は名称を付けるかどうか検討する。命名されれば「令和元年◯◯台風」となり、◯◯には地名が入ることになる。台風に命名する場合は被害規模などのほか、「伝承に必要」という基準もあり、この基準に該当するかどうか、来年5月までに判断する。
 気象庁は平成16年以降、災害に命名する際の基準を「損壊家屋1千棟以上、浸水1万棟以上」と設定。昨年には「相当の人的被害」という基準も追加した。今回は既に死者・行方不明者80人以上が確認され、浸水家屋は1万棟を超える可能性がある。
 ただ、台風の場合には「後世への伝承の観点から特に名称を定める必要があると認められる場合」という基準もあり、これに該当するか同庁は検討を進める。地名には、伝承の観点から最も適したとされる顕著な被害が起きた自治体名や河川名が入るため、被災地域が広範囲にわたる今回は検討が難航するとみられる。
 台風に命名されれば、昭和52年の「沖永良部(おきのえらぶ)台風」以来で42年ぶり。同庁の規定に沿って応急活動中は「台風19号」の表記を使い、原則的に来年5月までに名称を定める見通し。
 平成23年に紀伊半島で88人の犠牲者を出した台風12号は、当時、人的被害の基準がなく命名されなかった。沖永良部台風では人的被害は大きくなかったが、損壊家屋が5千棟を超えた。」
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 日本のローカルな自然には、世界的な普遍宗教やグローバルな哲学・思想・主義主張・イデオロギーは無力であり、通用しなかった。
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 宝暦治水事件は、江戸時代中期に起きた事件。幕命によって施工された木曽三川木曽川長良川揖斐川)の治水事業(宝暦治水)の過程で、工事中に薩摩藩士51名自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老・平田靱負も自害した。
 宝暦治水とは、江戸時代の宝暦年間(1754年(宝暦4年)2月から1755年(宝暦5年)5月)、幕命により薩摩藩が行った治水工事である。濃尾平野の治水対策で、木曽川長良川揖斐川の分流工事。三川分流治水ともいう。
 木曽川長良川揖斐川の3河川は濃尾平野貫流し、下流の川底が高いことに加え、三川が複雑に合流、分流を繰り返す地形であることや、小領の分立する美濃国では各領主の利害が対立し統一的な治水対策を採ることが難しかったことから、洪水が多発していた。また、美濃国側では尾張藩の御囲堤より3尺(91cm)以上低い堤しか作ってはいけなかったとする伝承もある。
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 輪中(わじゅう)は、集落を水害から守るために周囲を囲んだ堤防。また、堤防で囲まれた集落や、それを守るための水防共同体も指す[1]。
 岐阜県南部と三重県北部、愛知県西部の木曽川長良川揖斐川とその支流域の扇状地末端部から河口部に存在したものが有名。この地域では、曲輪(くるわ)、輪之内(わのうち)とも呼ばれる。加納輪中や室原輪中のように、集落が山裾や高位部に接していて、上流側からの大量の水が流入する可能性が低いため、その部分に大きな堤防を持たないものもみられるなど、完全に堤防に囲われていない例外もある。
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 日本民族日本人が生き残ったのは、賢さや優れているという特別性ゆえの必然からではなく、偶然と幸運、勢いと活力からである。
 人として、命を捨てても、愚直・馬鹿なほどに信用と信頼、約束を守ったからである。
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 自然災害で生き残るのは、自己判断と自己責任である。
 生きるも死ぬも一人。
 自分と家族を守るのは自分一人である。
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 日本の社会・地域・世間や日本民族日本人の体質・性格・思考・行動などは、命の危険に関わる深刻な自然災害を逃げ回りながら生まれてきたきたものである。
 昔の日本・日本人は、気長に、自然災害が少ない中華(中国・朝鮮)の諸子百家や西洋の哲学・思想・主義主張から有益無益で取捨選択し、日本の風土に合うように改善・改良を加え、時間を掛け、ゆっくりと取り入れて利用した。
 現代日本は、よくよく見極め吟味して取り入れるという伝統文化を古臭い時代遅れとして切り捨て、性急に日本的なモノを壊し、ことの良し悪しを深く考えず西洋由来は優れているとして無条件に取り入れ日本を作り替えてきた。
 それが、戦後教育であった。
 現代日本でさらに最悪なのは、世界では常識的に進められている最新防災を拒否する日本人が増えてきている事である。
 例えば、スーパー堤防建設は、景観を損ねるから反対、生活を不便にさせるから反対、土地の評価を下げ地価を下落させるから反対、などなど。
 自分一人の為に、他人を犠牲にする、他人に迷惑を掛ける、そうした発想力・想像力・思考力の乏しい主張する日本人が増えてきている。
 戦後教育は、国家、社会、地域、家庭をバラバラにする為に「人としての個の権利や個の自由のみを追求する事が正しい」と子供たちに教えてきた。
 他人の権利や命より、自分の利益。
 その先にあるのが、「人の命、人の権利は金で買える」である。
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 テレビやラジオで災害報道や被災地情報ばかり流すと気が滅入る。見ている聞いてるには人間には、災害地帯や被災地帯でない人間もいるから、被災者には気の毒に思うがそうした情報は放送しないで欲しい。被災地に住んでいない者にとって、暴力情報に過ぎない。遠く離れた所に住んでいる自分には関係ない話である。
 一斉に、横並び的に、災害報道や被災地情報だけを放送するのは、狂気であり、異常であり、おかしく、多様性を否定する事である。
 全て、国・政府や自治体が責任を持って対処すべきである。
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 自衛隊違憲で廃止すべきである。
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 災害と犠牲者を忘れない為に、回向目的で、祭り、花火大会、相撲大会など賑やかな伝統行事として残した。
 日本の伝統的祭りは神道・仏教に基づく宗教行事で、宗教性を排除した金目的、人集め目的のイベントではなかった。
 宗教性を排除した所に伝統的祭りは存在しない。
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 亡くなった人々を弔う方法は、声を出すのも憚れるようなお通夜のように「しょぼくれた」事ではなく、その逆に、笑顔で華やかに賑やかにする躍動する事であった。
 特に、未来を生きる子供が笑い声を張り上げて元気よく走り回ってはしゃぐ事が死者への最高の供養であった。
 それが日本の伝統的祭りである。
 そして夜、昼の笑顔とはうって変わって、亡くなった家族を想いその悲しさ、寂しさ、切なさにさめざめと泣いた。
 それが、日本民族日本人である。
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 現在の地球の気温は、産業革命前に比べて1.4度上昇し2度まで上がる事は止めようがなく、異常気象は海水温の上昇で発生している。
 このまま温暖化が進めば、100年後には4度に達するといわれている。
 海水温上昇による地球の温暖化を自然に冷ますには、数万年から十数万年かかる。
 人間にできる事は、気温上昇を食い止める事であり、地球を冷やす事ではない。
 科学は、破壊・崩壊しても再生・蘇生・復活はできない。
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 人類の文明とは、1を壊し作り替えて新たな1か2を得る、という転換文明、破壊文明である。
 豊かさと便利の為に自然を犠牲にする、それが現代文明である。
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 日本列島は誕生以来、生き物の例外なく命を奪う最悪な自然災害多発地帯であった。
 日本民族日本人は、縄文時代から必然として賢く勇気を出し立ち向かって生き残ってきたのではなく、偶然と幸運そして勢いと活力で愚かで臆病になって立ち回り逃げに逃げて生き残ってきた。
 日本民族日本人とは、愚かで臆病なのがであって、賢さや勇気などはなかった。
 日本民族日本人の生き方は、何もかも捨てて裸一貫として「逃げる」であった。
 日本民族日本人の知恵とは、命を守る為に逃げるに当たって、考えられる限り、できる限りの手立てをこうずる事であった。
 日本民族日本人の常識は、「災害は必ず起きる」であり「如何なる頑強な堤防も決壊する」であり、「その時」に備え、災害に襲われたら逃げ延びて生き残り、助かったら生活を続ける事であった。
 現代日本人は、歴史が嫌いなだけに、そうした民族的知恵を忘れた、捨てた。
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 日本民族の歴史を学ぶ者は生き。
 日本人の過去にこだわる者は死ぬ。
 集団知日本民族と個人知の日本人は同一ではない。
 特に、「賢者は歴史を学び、愚者は自分の経験に頼る」と知ったか振りで言う日本人は信用しない事である。
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 昔の日本民族日本人は、事件・事故・災害などの歴史を正確に公文書、日記、物語、出版物など多くの方法で後世に残した。
 そこには、忖度や配慮や遠慮はなく、捏造も歪曲も改竄もなかった。
 重要なのは、恣意的に作られる真実ではなく確実に起き隠しようのない事実であった。
 それが日本の歴史であり、天(天帝)中心・王朝中心・人間中心の中国の歴史や朝鮮の歴史とは違う点である。
 真の日本の歴史とは、神仏の霊験や人間の知恵・英智を超えた自然の営みである。

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