関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
キケロ「汝は生きる為に食うべきで、食う為に生きるべきでない」
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前年からの持ち越し(古米) 406万石。
昭和14年産米 …6,896万石。
昭和15年度消費量…7,809万石。
昭和15年度輸入量…1,117万石。
昭和15年度移入量… 318万石。
昭和15年総人口…7,284万人。
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1940年 農林省は、食糧自給率を上げるべく植樹報国運動推進を決定した。
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陸軍は、戦地の将兵に日本米を食べさせるべく国産米を買い上げた為に、国内の米が不足した。
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日本政府は、人口を増やす為に国民優生法を公布して、産児制限を禁止し、如何なる理由があっても人工避妊・中絶を認めなかった。
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娘の身売りは、1933年以降は減少し、36年にはほとんどなくなった。
マーク・ラムザイヤー(ハーバード・ロースクール教授)「私娼は年齢が高かった。……20代後半や30代前半の女性の占める割合は、無許可センターの方が認可センターよりも高かった」(『芸娼妓契約性産業における「信じられるコミットメント」』)
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臨時米穀配給統制規則。
1月1日 皇居の大膳寮は、昭和天皇の希望により「紀元二千六百年」の記念とし、前線将兵と同じ食事3食を正月料理として天皇・皇后両陛下に出した。
1月12日 関西では、石炭不足で火力発電が低下して、30%の電力制限が強行された。
1月20日 国民新聞「事変勃発の昭和13年を契機として、今まで平均210万人づつ増えていた人口が、僅かに180万人に減ってしまひ、此の調子で行けば大陸経営どころか国家の前途さへ危まれます、そこで厚生省人口問題研究所では、此の人口減少状態の原因を詳細にさぐって、その欠陥を除き、人口増加の黄金時代、大正9年の人口増加率に引き上げ、更に増率して、国家百年の大計に協力するため今20日を期して全国一斉に『出産力調査』を行ふことになりました」
1月26日 アメリカは、経済制裁の一環として、日米通商航海条約を失効された。
日米無条約時代に突入し、日本の国際貿易は不安定になった。
日本は、経済活動の為の資源がない上に食糧が不足した為に、通商航海条約の失効は深刻な問題であった。日本は、国外依存度が異常なまでに高い為に、必要な物資を手に入れる交易ができなければ生きていけなかった。経済制裁の発動は、日本に対する死刑判決に匹敵した。
大国アメリカは、何時の時代でも自分の都合の良いルールや原則を決め、相手の事情を無視して理不尽に強制し、従わなければ勝手な理由を付けて制裁行動を取って打撃を加えた。
日本が近代化するにあたって朝野を挙げて西洋礼賛一色となり、国産品は偽物、劣った物、まがい物、二流品と嫌い、欧米からの舶来品を本物、進んだ物、優れた物、一流品として大金を出して購入した。
アメリカが日米通商条約を破棄し経済制裁を強化した事により、日本は以前の様に自由に欧米産商品を購入できなくなった。
日本は、欧米から最新の優れた工業製品の輸入が制限された為に、国産品で補わざるをえなくなった。
日本政府と軍部は、国産品に自信を持たせる為に、西洋礼賛から民族自慢に教育方針を大転換し、日本だって欧米に負けない良い所・優れた所が数多くあるとのプロパガンダを行った。
軍国教育は、子供達に、世界に出ても臆する事なく自己卑下せず、外国人に接しても物怖じせず堂々として、自己意識を強く持ち臆病にならず自己主張し、絶望せず前を向いて歩める様に、「日本民族は世界的に優秀な民族、日本国は欧米に負けない強い国」という自国中心神話の皇国教育を行った。
日本は、殖産興業の近代化はローカルを捨てグローバル化する事で目指したが、国家の成熟と民族資本・国内産業の体力強靱かはグローバルからローカルへの回帰で達成した。
日本が国際的に強くなる為には、起動時の西洋礼賛から絶妙なタイミングで御国自慢に軌道修正を図る必要があった。
日本の強みは、自分の意思で、数百年の年月をかけてゆっくりと、グローバルな外国礼賛とローカルな御国自慢の切り替えを問題を起こさず抵抗少なく行えた事にある。
だが。その緩やかな転換が、アメリカによって日本否定として暴力的強制的に押しつけられて為に、大混乱の中で対応せざるを得なかった。
それが、日本人の体質に合わない不似合いな大東亜共栄圏構想である。
日本製品が、欧米列強の経済保護政策で国際市場から排除された以上、自前の販売市場を確保する必要に駆られた。
それが、大東亜経済圏である。
日本人は、西洋礼賛という熱病が覚めて瞬間である。
1月31日 日本政府は、電力確保の為に、北海道・東北を除く地域に電力調整令発動を決定した。2月10日に、関東30%・関西35%削減と決定し、電力を消費する工場での生産は短縮操業を命じられて打撃を被った。
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2月1日 日中戦争の長期化に伴い、労働不足が深刻となり青少年雇用制限令を国内で公布し、朝鮮には適用しなかった。12〜30歳の男子、12〜20歳の女子の「不急産業(サービス業)への就職を制限し、軍事産業に労働者を集めた。日本国民は一等国民の義務として職業選択の自由は制限されたが、二等国民の朝鮮人は対象外とされた。
2月2日 第75回帝国議会。斉藤隆夫代議士は、「支那事変処理を中心とした質問演説」で政府と陸軍のやり方を激しく非難し、責任を強う追及した。
陸軍は、民主主義的正攻法で厳しく軍部批判を続ける斉藤代議士に手を焼き、軍部寄りの右派的代議士を動かして、斉藤代議士を衆議院から除名した。国会が堕落し軍部の言いなりになったのは、国会の権威を守ろうとしなかった右派の政治家が原因であった。
しかし、大戦中の第21回総選挙で、反政府反軍部の斉藤隆夫は高得票で当選した。
帝国憲法は、軍人の政治介入を禁止する為に、皇族同様に軍人にも選挙権を認めていなかった。
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『思想』3月号・林達夫「満州からトウモロコシも郄梁も大豆粕もろくに来ない。しかも大豆粕たるや魚粉とともに無機質肥料の逼迫のため慌ててつくられた有機質肥料会社との争奪の的である。仏領インドシナやジャワや南米のトウモロコシ、カナダの小麦屑がほとんど輸入できなくなったゆえにこそ肥料難……馬鹿は結局、馬鹿なことしかしでかさない」
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3月7日 アメリカは、中国支援として2,000万ドルの借款を行った。中国は、その金を抗日戦に注ぎ込み、アメリカやイギリスから武器弾薬を大量に購入した。
蒋介石は、強権的ファシスト諸政策を採用し、戦争や天災で被災した国民を救済せず、政府・党・軍部の幹部と共に援助金を横領して私腹を肥やしていた。
フランスは、抗日戦用の軍事物資を北部仏印に陸揚げし、雲南鉄道を利用して重慶に運ぶ事を黙認していた。
中国戦線の日本軍は、欧米列強の支援を受けた中国軍と熾烈な戦いを繰り返し、多くの犠牲を出していた。
戦死者は、靖国神社に祀られた。
3月21日 農林省は、国土保全により農産物増産し自給率を上げるべく植樹報国運動推進を決定した。日本は古来、食糧生産を神事として自然保護に取り組み、各地で植林を行っていた。
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4月 阿蘇山噴火。噴石により負傷者1人。
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4月3日 東京は、米不足対策として、22年ぶりに販売する米に南方産の外米4割を混ぜる事を決定した。
4月10日 消費者が外米混入米に不満を持ち、小売店が取り扱いを渋った為に、強権を持って米穀強制出荷命令を発動した。国家によって、国民の選択の自由が制限された。 4月12日 閣議は、資源の無い日本が輸入制限を受けたとき、如何にして資源を確保し自給体制を維持するかについての科学動員計画を決定した。
4月24日 米・味噌・醤油など10品目に切符制の採用を決定した。
4月30日 吉田茂厚相は、閣議で、「国内物資不足の『デマ』は将兵に想像以上の衝撃を与えている」と前線視察報告を行った。
この後、情報統制が強化され、検閲で許可された情報のみが公表された。
国民は知る権利を失い、政府や軍部に都合の悪い情報は意図的に隠蔽された。
政府は、貧困家庭児童や虚弱体質児童の健康を維持する為に、学校給食奨励規定を制定した。
一般家庭は、戦時中を考え、国家に甘える事を恥として、給食に頼らず手作りの弁当を子供に持たせた。
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5月3日 食糧不足の中であっても、戦地の将兵に日本米を食べさせるべく許す限り米を送った。
東京・大阪など都市で外米の混入を6割と決定し、都市の消費者に一層の我慢を強いた。
5月7日 ルーズベルトは、日本を威圧する為に、太平洋艦隊を真珠湾に無期限滞留する事を発表した。
5月8日 名古屋で「肉なしデー」が始まり、全国に広がった。
東京は、翌41年5月8日から毎月2回、肉屋で肉の販売を中止、食堂での肉料理を止めた。
5月10日 都市部で、週1回節米デーが始まる。
ドイツ軍は、マジノ線を突破してフランスに侵攻し、各地でフランス軍を撃退した。
5月12日 東京の渇水が深刻になった為に、水道局は給水車を出動させた。
5月14日 ペルーのリマで中国支持の抗日暴動が起き、400件以上が被害を受けてた。同様の暴動が、中南米で多発していた。
5月15日 軍令部は、対米戦の図上演習を行い、持久戦に持ち込んでも最大2年が限度で、到底アメリカには勝つ事はできないとの結論を出した。
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6月 ハル国務長官は、「過去1年間、日本に経済的圧力を加えてきた。その結果は現れてきた」との演説を行った。
東南アジアの米を含む食糧は、欧米の国際的穀物商社と反日的華僑に支配されていた。
資源の無い日本は、人口増加と食糧不足から海外への依存度を高めていた。アメリカの対日経済制裁は、軍需産業はもとより民間人の生活まで深刻な影響を与えていた。
日本人は、ひしひしと感じるアメリカの圧力に憂鬱感を募らせていた。
6月7日 アメリカ統合計画会議は、ルーズベルトの内意で、日本とナチス・ドイツと戦う為の作戦計画を承認した。
6月16日 台湾総督府は、日本の食糧不足を緩和させる為に、台湾農民にさらなる米の増産を命じていた。
東京は、台湾産の増産が見込めるとして、「第34回配給米は、内地米8割、台湾産米2割で久しぶりに外米なし」と発表した。
6月29日 有田外相は、円貨を基軸通貨とする大東亜共栄圏の確立を公式に表明した。
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