🍙55〗─1─団塊の世代の生き方・仕事の仕方・余暇の過ごし方は、自分の意思ではなく官僚とマスコミの御膳立であった。~No.295No.296No.297 @ 

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 団塊の世代団塊ジュニア世代からは、世界で活躍する企業家・経営者は極僅かで、ノーベル賞受賞者はさらに少ない。
 特に、60年安保や70年安保を闘った世代は絶望世代で、破壊と崩壊で無秩序をもたらしても再生と新生で秩序をもたらさない。
 経済発展はもう要らないと騒ぐ老人性燃え尽き症候群は、人口爆発を苦労せず享楽で生きてきた団塊の世代団塊ジュニア世代である。
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 2017年6月22日号 週刊新潮団塊絶壁! 大江舜
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 『団塊』最期の『生き方』と『死に方』
 『団塊の世代』を設計製作したのは誰か?
 半世紀以上の時間を経て、その名付け親から意外な真実が明からされた。いずれにせよ、残り時間はあと10年。
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 『団塊の世代』の名付け親である堺屋太一氏に登場頂くと、フィナーレのご褒美か、秘密を明かしてくれた。
 『団塊の世代とは、官僚が創造した作品なのです』
 えっ、いったいどういうこと?あの悲惨な日本の敗戦を招いたのは頭のいい軍人官僚だったことは承知しているが、戦後は文民官僚によってベビーブーマーたちが『望ましき日本人』に育つよう設計図が引かれたということなのか。
 『日本の戦後史をひもとくと、マッカーサーによる占領時代、その後の吉田茂内閣から佐藤栄作内閣までは政治指導だったが、田中角栄の時代になると、官僚丸投げとなります』
 ご自身も『日本列島改造論』の執筆者の一人だった堺屋氏は、戦後、官僚が団塊の世代に対して行ったことは5つあるという。
 『1つ目が情報・産業中枢・芸能界・文化創造活動などの東京一極集中化です。これは田中内閣が〝新潟の人間だって、俺のように東京に来て成功できるようにしてやれ〟と進めた施策。だからこそ新幹線はすべて東京から伸びている。これが首都圏への過度の人口集中を招き、地方との成長格差を助長した。現在地方都市にみられるシャッター通りはその象徴です。2つ目が流通の無言化。かつては雑貨屋の前で店主と奥さんたちが話したりしたものですが、それだと生産性が落ちるので、スーパー、コンビニ、自動販売機など「無言の流通」が拡がった。このため買い物は「楽しい」から「仕事」になってしまった。3つ目が職場単属人間化です。親類や近所の人とも付き合わず、職場内の人間関係だけで生きる職場人間群の造出です』
 都会に出て誰とも話さず、職場にこもって仕事する。これじゃまるで出稼ぎロボットだ。
 『4つ目人生の規格化。生まれてから死ぬまでの流れを官僚が決めてしまったのです。〝生まれたら早くから幼児教育を行い、小学校から大学までは浪人をせずストレートに進学し、卒業後はすぐに就職。ニートになるのは不良だ。就職したら貯蓄しろ、お金が溜まったら結婚し子供を作って、夫婦で子育てをしろ。持ち家を早くローンで購入して、払い終わった頃には中高年。年金を積んで子供に頼るな。官僚に年金を払ってくれたら、頭のいい俺たちが上手に運用するからね、そして老後は老人だけで寂しく暮らせ〟というものです。こうした家庭にまで及んだ官僚主導の施策のため、結果として2世代、3世代で住む昔ながらの暮らし方は激減しました。親と同居すると、嫁姑問題が起きて苦労するといったドラマを盛んに流して、老夫婦単独世帯化に拍車をかけました。これは、現在の老々介護や孤独死問題につながっていきます。5つ目がウサギ小屋と欧米から揶揄された80平方メートル以下の小住宅多部屋主義。この頃の小住宅が空き家になって問題化しているのはご存じの通りです』
 これらを、人生の規格化は文部省、小住宅多部屋主義は建設省、流通無言化は通産省・・・と、各省庁が分担。さらに官僚制度は終身雇用・年功序列・正社員優遇だから、社会の方もそれに準じさせられたというから開いた口が塞がらない。
 人が死ぬ姿を・・・
 『こうした状況で育った団塊の世代を一言で表すなら「猛烈なエンジン」でしょうか。ただしこのエンジンは後押しをするばかりで肝心の方向舵がありません。操縦席に座るのは、私たち、ひとつ前の世代の官僚です。大きな力の方向性は私たち官僚と、私たち世代の企業家が決めていたわけです』
 それゆえ団塊の世代には、世代的特徴として、自主性・創造性が希薄だという。
 『正確に言えば、もちろん、自主性・創造性はあるけれど、集団の中では、そういったものを発揮しない方が得なんです。その証拠に800万人もいるのに、ユニクロの柳井(正)さんらを除けばこの世代はユニークな企業家を生み出していませんし、ノーベル賞の受賞者もいない』
 えろうすみません。不甲斐ないなあ、団塊の世代
 『私が関わった大阪万博のとき、官僚のシナリオ通りに育った団塊の世代は、大学を出たばかり。彼らは、消費者として、車やクーラーなd大量生産品を大量に購入することで、日本経済を大いに後押ししてくれました。会社に入ると、今度はモーレツサラリーマンとして、自分たちをターゲットにして大量生産品を生み出し、経済のパイを大きくしてくれた。そして会社で中堅社員になる頃、社内のポスト競争に勝ち抜くためにたちあげた過剰なプロジェクトこそバブルの遠因になったのではないか』
 その結果、しわ寄せはそういう親を見て育った、団塊ジュニア世代以下の『欲ない、夢ない、やる気ない』という形で出てきた。
 『日本は、安全・安心・正確・清潔の4点では世界1位水準。すべてに満足をしてしまい、生物として最も根源的な「子孫を増殖させたい」という欲望がなくなってしまった。むしろ、地獄の風を吹かせて、活力と苛立ちのある競争社会を作った方がいいのかも』
 何だ、結局われらは、官僚というお釈迦様の手の平で遊ばされていた孫悟空だったということか。こう聞くと懸命に生きてきた70年弱が何だかむなしい感じになりませんかね。猿ではなく、人間に戻るチャンスはまだあるのか。これからの10年で挽回できるのか。
 『島耕作』シリーズで団塊サラリーマンの喜怒哀楽を描いてきた漫画家の弘兼憲史氏(昭和22年生)が提言する。
 『やるべきことが3つある。1つ目は消費すること。身体の自由がきく60代のうちに海外旅行に行って、お金を使いましょう。残った3割くらいのお金で70代を過ごせばいい。税金を払って国に役立つ事にもつながるし、NK細胞(ナチュラルキラー細胞)が活性化し、免疫力も上がる』
 2つ目がボランティアをすることだという。
 『介護の現場もいい。専門的なことではなく、手助けでいい。車いすを押したり、話し相手になるだけだっていい。若い人よりも世代が近いから共通の話題もあります。介護ボランティアをした人は、優先的に介護施設に入れてもらえたり、スーパーや映画館で使えるポイントを出してあげたらいいと思う』
 そして3つ目は、いかに死んでみせるか。
 『人が死ぬ姿を子供たちに見せてやることが団塊の世代の役割だと思っています。子供たちに、人間は「生まれて死ぬ」というプログラムの中で生きていることを教えてやらないといけません。ゲームの世界しか知らず、人間は生き返ると信じている子供たちに、実際に人間の死体を見せることが必要なのです。私の祖母は元気だったのですが、ある日、洗濯物を干している最中に庭の池に落ちて亡くなってしまった。学校から帰ってきて〝あれ、おばあちゃんは?〟と聞くと〝亡くなった〟親に言われたんです。白い布をかぶせてあった祖母のところに行き、〝触ってあげなさい〟と促されて触ると、冷たい。人間って死ぬとこうなるんだと思った。今の子供たちにそれを見る機会がないのは不幸です』
 団塊の世代は、どうせまもなく死ぬ。死ぬ人間が病院のベッドを長期間占領して、治療したら社会に復帰できる若い人のスペースを取り上げてしまうのは、申し訳ない。弘兼氏も在宅死をしようと主張する。
 『私の父は88歳で亡くなったのですが、亡くなる前の半年間、植物人間になり、延命治療をしました。酸素吸入器をつけていますから、いつも口は半開き。舌は乾いて干し柿のようになっていて痛そうだった。栄養は鼻から管を入れて送っていた。意識はないはずなのですが、管を入れるとき、痛いのか顔を少ししかめるんです。母はそれを見て〝お父さんは意識あがる!だからもっと生かさないと!〟と言った。親父にひどいことをしたと今も後悔しています』
 マリファナ養老院
 ようやく『団塊』を巡る旅も終わりに近づいてきた。連載を始めた時から、最後はこの人の話で締めようと思っていた。おそらく日本で最も知られた『団塊』人、ビートたけし氏(昭和22年生)、その人である。ある意味、『団塊』の枠から外れた生き方をしてきた氏は、こんな風に〝総括〟する。
 『おいらたちは本当に恵まれていると思うよ。戦争に巻き込まれることもなく、貧乏からバブルまで経験した。風俗は未でにあるし、文科省事務次官が出会い系バーに行く時代を一緒に生きることができて、何を焦るのかね。とっとと断崖から落ちて死ねばいいんだよ。図々しく生き残ろうという魂胆が分からない。……』
 ……
 人生は夢のまた夢、だ。
 『我々は今この場しか現実はないのに外側に宇宙があると勘違いしているだけかもしれない。太陽系とかアンドロメダとかはあろうがなかろうが、かまわない。今のこの空間さえあれば、我々は宇宙を想像できるわけだから。生死についても同じことが言える。何年生きようが、死ぬ時にその長さを感じるかよ、ってこと。死ぬ時に認識できるのは一瞬だ。ただそれだけ。生まれたきた以上、完璧に、死ぬ。あとは順番の問題であって、せいぜい長くて100年が限度。無限に生きることはあり得ない。宇宙だって、有限か無限か、結論が出ていない。すると、生き死になんてどうでもいいと思えてくる。人間なんて生まれた時から絶壁の上にいるんだよ。産婆さんが落としたら終わりでしょ。どうせ死ぬんだから、おたおたするんじゃねえってこと』
 悟りに至らず死んでいく老人たちになりたくなければ、……。
 死ぬまでみんなで夢を見て、わいわいお祭り騒ぎ、それが団塊絶壁世代らしい生き方というものさ。……」
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 敗戦後の日本官僚主流派は、マルクス主義統制経済派で各種の規制をおこなった。
 GHQの幹部の多くが共産主義シンパで、日本を共産主義化する為に日本人共産主義者を支援して保守派を追放した。
 GHQの共産主義シンパと日本人共産主義者は、日本を重工業中心の一等経済国家ではなく中小家内工業中心の三等農業国に生まれ変わらせようとしていた。
 敗戦国家日本は、表向きには人口爆発に伴う戦後復興・高度経済成長・バブル経済で世界第二位の経済国家になったが、内面で自己責任回避の指示待ち命令待ちの没個性的空洞的空虚的人間が量産された。
 人口爆発で増えた地方の人を東京など大都市に吸い上げる事で、日本の産業はフル回転できた。
 都市に出た人は、稼いだか金の一部を貧しい地方に送金して支えた。
 大都市圏で生産された数多くの製品は、送金された地方に出荷されてその金を都市に還元し、内需を強めた。
 人口爆発時代は、考える事なく、生活の全般を政府・国家・官僚に丸投げしていれば、揺り籠から墓場まで平穏無事に過ごし、幸せの内に死ぬ事ができた。
 それは、今だかって日本に存在しなかった生き方である。
 そんな歴史は、日本には一度もなかった。
 人口激減と共に、幸せな日本モデルは強制的に終了する。



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