🌌34}─3・E─全国で起きている獣害の原因はナラ枯れの放置である。~No.175No.176No.177 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2024年3月13日 YAHOO!JAPANニュース TBS NEWS DIG Powered by JNN「「なんでここにシカがいるの!?」クマにイノシシも…多発する獣害 広がるナラ枯れ 問題の根っこは“森の放置” 「森の国」日本はどこへ?
■「サステナ・フォレスト」 “持続可能な森づくり”
 “木の伐採”問題と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか? 中古車販売大手「ビッグモーター」店舗前の全国の街路樹が枯れたり伐採されたりした問題でしょうか。それとも東京・明治神宮外苑の再開発をめぐる、数百本の樹木の伐採計画がどうなるか、といった問題でしょうか。森林政策の専門家に聞くと、「あまり報じられていない、さらにスケールの大きな森林伐採に関する問題がある」と指摘。『サステナ・フォレスト』、つまり「持続可能な森づくり」の視点が必要だと訴えています。一体、どういうことなのか。
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  川上敬二郎(TBSテレビ「news23」編集長、ドキュメンタリー映画『サステナ・フォレスト~森の国の守り人たち~』監督)
■“森の国”日本で何が起こっているのか?
 日本は、国土の7割が森林です。先進国では、サンタクロースを生んだフィンランド、家具のIKEAで有名なスウェーデンに次ぐ、まさに「森の国」です。ところが、九州大学の佐藤宣子教授(森林政策学)によると、「日本の森は今、非常に不健全な状況にある」と言います。
■かつて森はコンビニでありガソリンスタンドだった
 かつて森は、日本人にとってもっと身近な存在でした。必要なものが揃うコンビニであり、栗や茸やイノシシなどの食材が採れるスーパーマーケットであり、燃料となる木材が確保できるガソリンスタンドでした。人々は都市部の会社に出勤するのではなく、森に通い、様々なものを得ていたのです。でも、森の役割は大きく変わりました。建築用の木材を得るためにスギやヒノキが多く植えられましたが、海外から木材が大量に輸入され、国内の森は放置されるようになりました。その結果、今、森は深刻な状況にあります。多発する獣害のニュース、夏なのに森が赤く染まる「ナラ枯れ」の背景にも、放置の問題があるのです。
■野生鳥獣による農作物の被害 4割はシカ
 「なんでここにシカがいるの!?」。街に住む人がシカを目にして驚いたときの言葉です。ニュースでも報じられました。今、多くの野生動物が街や里にあらわれて、住民や農家に被害をもたらしています。農水省によると、2022年度の野生鳥獣による全国の農作物被害は約156億円。中でも全体の4割を占め、最も大きいのはシカによる被害です。
■イノシシによるけが人は過去最多 捕獲数も20年で約4倍
 シカの次に大きいのは、イノシシによる農作物の被害です。中山間地域の畑に監視カメラを設置すると、夜、入り込んで、キャベツを美味しそうに食べる様子が撮影されていました。さらに近年、イノシシが人に危害を加えるケースもが目立っています。環境省によれば、イノシシによるけが人は、2022年度、過去最多の85人に上りました。獣害としてのイノシシの捕獲数は2000年代に入って、20年余りで約4倍に。昨年度は約59万頭が捕獲されています。
■クマによる人的被害も過去最多 「指定管理鳥獣」に追加へ 
 今年度、クマによる被害も過去最多になっています。環境省によりますと、去年4月から2月まで、クマの被害に遭った人の数は全国で218人(うち死者6人)に上りました。環境省の検討会は、絶滅のおそれが高い四国以外の地域で、クマを「指定管理鳥獣」に追加する対策案をとりまとめました。指定されれば都道府県がクマの捕獲などをする際に、国から補助金などの支援を受けられるようになります。
■人を怖がらない「アーバンベア」 
 クマによる人的被害が増えた理由として、ブナの実などの凶作が指摘されています。エサを求めて行動範囲が大きくなり、街に降りてくる危険性が高まりました。また、『アーバンベア』というクマの存在があります。アーバン(街)にもクマが出てきているのです。威嚇の爆発音にも動じず、車の通り過ぎる音にも反応しないケースも報告されています。クマは本来、警戒心が強いはずですが、人に慣れてきたのでしょうか。
■狩猟免許保持者や林業従事者の減少 過疎化や高齢化も
 シカ、イノシシ、クマ…。動物たちは森にかかわる人たちや、その周辺の中山間地域で暮らす人たちの減少を知っているかのようです。環境省によると、狩猟免許の保持者は1975年、51.8万人でしたが、現在(2019年)は21.5万人。当時の約4割に減っています。狩猟免許者の6割は60歳以上で、高齢化もすすんでいます。さらに林業従事者も減っています。農水省によると1960年には68万人いましたが、現在(2020年)約4万4000人に激減しました。こうして人が森に関わらなくなり、森の“不健全”化が進んでいます。それに加えて里山の過疎化による耕作放棄地の問題もあります。森や付近の田畑の管理が行き届かなくなり、動物たちの住処と人の居住地との境界がますます曖昧になっているのです。
■“ナラ枯れ”急増の首都圏 倒木による事故も
 先に述べた通り、かつて森は燃料となる木材を確保できるガソリンスタンドでもありました。実は、ナラ枯れも 、森の放置が関係しています。ナラ枯れとは、コナラなど広葉樹が次々と枯れることですが、近年、特に首都圏で急増していて、倒木による事故も起きています。ナラ枯れは、体長5ミリの昆虫「カシノナガキクイムシ」、通称「カシナガ」が幹に大量に入りこみ、病原菌であるナラ菌を増殖させ、水の吸い上げる機能を阻害して枯らす伝染病です。
■“ナラ枯れ”拡大の背景にも森の放置が
 京都府森林技術センターの小林正秀・主任研究員によると、カシナガが狙うのは、繁殖に適した弱った木。その弱った木が増えてしまったのです。ナラ枯れは日本に昔からある自然現象ですが、1980年代以降に拡大した原因は、私たちの生活の変化にあります。かつて風呂や食事に使っていた炭や薪ですが、1960年代からのエネルギー革命で、ほとんどは電気やガスに置き換わっていきました。木材がエネルギーとして使われなくなり、ナラなどの広葉樹は放置され、老木化が進んで弱体化。カシナガたちの格好のターゲットになったのです。
■森の国の“守り人たち”が置かれた厳しい現状
 獣害もナラ枯れも、森の放置が大きく関わっていることを理解いただけたでしょうか。これ以上の放置を防ぐためには、改めて、“森の国”日本という認識が必要です。その上で、森に関わりながら生計を立て、森を見守ってきた“守り人たち”が置かれた厳しい現状を改善する必要があります。例えば林業従事者の平均年収は、危険かつ重労働であるにも関わらず、他の業種より低く、343万円(2017年)。成り手が減ってしまった原因でもあります。それでは、私たちはどうすればいいのか。佐藤教授や小林研究員などの専門家や実践家を取材したTBSのドキュメンタリー映画「サステナ・フォレスト~森の国の守り人たち~」(3月中旬から東京・大阪・福岡・名古屋・札幌・京都で上映)は、こうした森の現状を映像で描き、対策を探っています。映画をきっかけに、“森の国”に住む私たち一人一人がじっくりと考えていけたらと願っています。
 執筆者:TBSテレビ「news23」編集長 川上敬二郎
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 日本の自然を破壊している、マイノリティ・ファシズムエコ・テロリストヒューマニズム原理主義、環境過激派、リベラル・ファシズム(エセ・リベラル)は、文化マルクス主義の反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人達である。
 そして彼らは、イデオロギー的不寛容な差別主義者である。
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 昔の日本の自然環境は、数万年前の縄文時代から人里、里山(人工の林)、森(原初の森)からなる不文律で調和が取れ、人と獣がお互いの領域を侵す事なく住み分けていた。
 獣の森に君臨し秩序をもたらしていたのは、熊ではなく、日本狼であった。
 戦後日本は里山を放置し、西洋キリスト教価値観で日本狼を絶滅させ、近代科学至上主義で日本の自然を野蛮として破壊してきた。
 数万年前の縄文時代から、日本は森の国であり、日本民族は森の民であった。
 日本神道は、自然崇拝宗教として神々が棲む山林を御神体と定め神聖不可侵の聖地として保護してきた。
 森の神として崇め畏れられていた日本狼は、反宗教無神論の日本人によって害獣として絶滅させられた。
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 吉村均「日本人は自然の力を人間の世界の外に排除して、その代償として、決まった日に来てくれたら、歓迎してもてなし、送り返すまつりをおこなう必要があった」『日本人なら知っておきたい日本の伝統文化』
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、旧石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人に、南方揚子江弥生人(渡来人)、北方満州系古墳人(帰化人)が乱婚を繰り返し混血して生まれた雑種(ハーフ)である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりの事であり、日本の個人主義とは自分の仕事に誇りを持つ事である。
 つまり、日本民族日本人とは集団主義者であると同時に個人主義者でもあった。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の旧石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。

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 日本民族文化における自然観とは、縄文時代以来、自然と人間が対立しない、自然との繋がりを大切に文化である。
 それを体現しているのが、自然物をご神体とする神社である。
 日本民族の美意識は、「わび、さび、簡素」だけではなく、濃くて派手な縄文系、シンプルで慎(つつ)ましい弥生系、統一された形式としての古墳系が複雑に絡んでいる。
 それを、体現しているのが神社のしめ縄である。
 それは、「全てが、控えめにして微妙に混じり合っている」という事である。
 谷崎潤一郎「言い難いところ」(『陰翳礼讃{いんえいらいさん}』)

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 日本列島とは、同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
 日本の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。

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 日本民族は、旧石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
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 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」

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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
 それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
 日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
 如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
 日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
 つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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