🍙33〗─1・A─アメリカの対日農業戦略に協力した朝日新聞とエセ保守。~No.209No.210 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 戦後日本のコメ食低脳論と洋食推進運動を推し進めたのは、超難関校出の高学歴の政治的エリートと進歩的インテリ達であり、日本の食糧危機は彼等が生み出した。
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 アメリ穀物業界の小麦戦略は、日本の稲神話を潰し、日本人の食事を和食から洋食に大改造しようとした。
 敗戦利得所であるエセ保守・新右翼は、アメリカの対日占領政策に進んで協力していた。
 朝日新聞天声人語で、「米食からパン食へ」と煽った。
 リベラル左派は、日本民族米食文化を殺した。
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 アメリカの穀物商社各社は、急速に、世界の穀物市場を席捲いていった。
 ユダヤ系国際金融資本は、穀物商社に多額の投資を行い、影響力を強めた。
 アメリカは、日本の食糧を支配する為に、和食を欧米食に切り替える食の大改革を行った。
 日本の食文化を破壊する為に、学校給食で子供達にパンと牛乳を食べる様に指導した。
 西洋礼賛派は、「コメを食うと馬鹿になる」や「アメリカ人の様な知恵と体力を付けるには、魚ではなく肉を食べるべきだ」などと、子供に教えた。
 そして日本文化を破壊する為に、日本語を止めて西洋語を公用語にしようとした。
 言語は、民族であり、文化であり、宗教であった。
 西洋礼賛派は、日本的なモノ全てを日本から抹消して、日本を西洋化しようとした。
 その為に、日本語と和食を破壊する事であった。
 アメリカは、日本を日本人の為に日本らしく再建するのではなく、アメリカ人が理解できる様にアメリカ化して生まれ変わらせようとうとした。
 日本に、アメリカ文化が洪水の様に流れ込んだ。
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 ユダヤ人国際資本は、反日として、日本の全てを完全支配しようとした。
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 2023年10月28日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「日本を余った食料の「輸出先」にしたアメリカ 記憶に刻まれたヤミ米と母の姿
日本を余った食料の「輸出先」にしたアメリカ 記憶に刻まれたヤミ米と母の姿
 © AERA dot. 提供
 年々下降線をたどり、深刻的な状況となった日本の食料自給率。その背景には離農や国土の狭さなど農業の問題ではなく、戦後のアメリカの存在があると、愛知大学名誉教授で同大国際中国学研究センターフェローの高橋五郎氏は指摘する。『食料危機の未来年表 そして日本人が飢える日』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。
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■日本の食料問題は外交問題
 作家(としてだけではないが)の故・野坂昭如さんは自身を「焼跡闇市派」と称して、第2次大戦の敗戦直後の慢性的な空腹の体験を人生の原点に生きた人だった。彼と同じ世代の作家で反戦家、故・小田実さんなども同様に空腹の時代を生きた。
 彼らから影響を受けたとはいえ、筆者は戦後生まれなので、彼らと比べればはるかに恵まれた時代を過ごした。平和でなければメシは食えない、という話は父母からもよく耳にした。いまでは自分もそう思う。
 年間100万人以上の膨大な数の餓死者が生まれるのは複雑な理由からだが、基本的な理由は、食料生産を安定的に持続させる土地・ヒト・資金が営農困難、戦争や内紛で失われているか乏しいからである。
 少なくともアフガニスタンソマリアスーダンエチオピアベネズエラコンゴ民主共和国中央アフリカ北朝鮮などにはこの理由が当てはまるのではなかろうか。
 けっして忘れてはならないのは、このレベルまで食料自給率を失った日本がいったん戦火に巻き込まれるようなことにでもなれば、日本人の餓死者は半年で数十万人を下らないおそれがあるということだ。
 日本の年間コメ在庫は平均200万トン。年間消費量の30%にも満たない。たちまちコメの在庫は底をつき、家庭内保存食料も1週間以内には空になり、半年で少なく見積もっても数十万人、場合によっては数百万人が餓死したにしても多すぎることはない。
 特に大都市圏の食料備蓄は不安である。農水省の試算によると東京の食料自給率(カロリーベース)はゼロ、大阪1%、神奈川2%、埼玉10%、愛知・京都11%、人口はこの6都府県で38%を占める(2020年)。公的備蓄も太鼓判を押せるほどではない。たとえば東京都江東区は人口54万人だが、区役所が住民のために災害用として準備している主食類は五目ごはん17万食・白米15万食・ドライカレー1.5万食・おかゆ1.6万食などである。これでも区予算やスペースなどの制約を最大限拡大させてのことであろう。
 災難は忘れたころにやってくるものだということをもう一度、心しておくべきではないか。
 スイスはおかれた自然環境から、乳製品以外の食料はほとんど輸入に頼るしかない。歴史的に周辺諸国に依存せざるを得ず、他国同士の利害によっては軍事だけではなく、食料問題においてもたちまち危機に陥ることになる。ゆえに永世中立国という選択には合理性があると思われる。
 食料生産資源のメンテナンスを怠り、食料輸入増加に突き進んできた日本の選択は正しい道だったのだろうか? 日本の食料問題は、農業問題としてひとくくりできるような単純なものではない。実態は農業外問題、外交問題であり政治の問題なのである。本書は、その根幹が日本の対米従属関係に由来しているためではないかと思う。
 おすすめのビデオ: 米粉使用のメニューを提供 農水省と外食産業がタッグ コメの消費拡大目指す (テレ朝news)
アメリカの対日農業戦略
 それにしても、どうしてこうも日本の供給システムは縮んでしまったのだろうか?
 そこにはアメリカに逆らえない日本政府の事情があった。
 第2次大戦後の日米の歴史を振り返ると、余剰農産物の処理に困っていたアメリカは、日本をアメリカ産小麦の販売市場として固定化することに成功する。その結果、日本産小麦はほぼ未来永劫にアメリカに敗北し続ける羽目になったのだ。
 アメリカによる戦後の対日復興政策ともからんで日本の人口は増え、1950年代から始まった高度経済成長もあって、アメリカからすれば食料を十分に買い続けられるはずだとの期待が生まれてしまった。
 アメリカで1951年に成立した「相互安全保障法」という法律は右手に銃、左手に食パンをかざしながら、日本人に対して、ソ連からの脅威を防ぎ、自国の余剰農産物で日本人の飢えをしのぐという、当時の日本の弱みに付け込むものだった。
 第2次大戦後、ソ連アメリカはともに日本とドイツを負かした戦勝国として、次の世界の覇権を争い始めたところであり、同時に戦前のアメリカには小麦やコメ・大豆・食用油その他が文字通り腐るほど余っていた。第2次大戦に備えて、生産力を天井にまで高めていた結果である。
 アメリカの肥沃な大地は戦前に大きな土地生産性の上昇を手にし、増える人口と戦争特需を上回る収量をみせていた。農産物価格は低迷し、農村部の経済成長を抑えていた。
 そこで、農産物を援助する代わりに、援助した国に対しては、自らの責任で対ソ・対中防衛に当たるよう指示することに成功したのだった。これはアメリカ発のMSA協定と呼ばれ、日本は、まだ国際的地位の低かった、戦後独立を回復した1951年のサンフランシスコ条約を結んだばかりの1954年に締結国となった。
 「相互安全保障法」に続き、1954年7月アメリカ議会を通過した「農業貿易開発助成法」は、戦前急増した農業生産力の処理のために、第2次大戦で負かした国(日本やドイツ)、そしてインド・パキスタンソ連共産国化圧力に直面している食料不足で悩むヨーロッパの国々に、現地通貨決済という条件付きで穀物を輸出することに成功した。決済は輸入国の通貨で行ない、輸入国政府が民間に売り渡した金額を積み立て、アメリカからの戦略物資を現地通貨で輸入する資金に充てる、という仕組みだった。
 日本も世界の90か国とともに、新しく「余剰農産物協定」と呼ばれるこの仕組みに取り込まれ、1955年と翌年の2回、条約に基づく協定を結んだ。
 アメリカの一連の対外的な食料政策は各国の飢えを緩和させることができた一方、援助対象国となった国の農業生産力の発展を遅らせたと、アメリカ自身も自覚するほどの問題を残した。
 このときから、日本はアメリカの農業地帯選出議員のロビー活動とそのブローカーの餌食になる運命をたどる。そして、その後の日本のコメ単作の農業体制が固まった。
 敗戦国の日本は、アメリカのこのような強硬な政策で、確かに、空腹が我慢できる程度にまで回復した。しかし、主食のコメは国産体制を強めたが、流通は厳しい統制下におかれ、市民が自由に購入できない配給制度が続いた。
 筆者は子どものころ、配給米では足らないため、母親に連れられて暗くなった道をヤミ米を扱う老夫婦の家に出かけ、古米特有の香り漂う米びつから、持参した木綿製の袋にマスですくうようにコメを流し込んだ母親の姿を覚えている。戦後約80年、アメリカは日本がいまなお有力な食料輸出相手であるとみなし続けている。
●高橋五郎(たかはし・ごろう)
 1948年新潟県生まれ。農学博士(千葉大学)。愛知大学名誉教授・同大国際中国学研究センターフェロー。中国経済経営学会名誉会員。専門分野は中国・アジアの食料・農業問題、世界の飢餓問題。主な著書に『農民も土も水も悲惨な中国農業』2009年(朝日新書)、『新型世界食料危機の時代』2011年(論創社)、『日中食品汚染』2014年(文春新書)、『デジタル食品の恐怖』2016年(新潮新書)、『中国が世界を牛耳る100の分野』2022年(光文社新書)など。
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 2022年11月17日 「米食文化」を殺した朝日新聞天声人語」と安倍政権の今井尚哉秘書官の大罪
 食料自給率37%の危機(2)
 鈴木 宣弘東京大学大学院農学生命科学研究科教授
 三菱重工に天下った安倍政権の今井尚哉秘書官
 食料安全保障を後手に回し、日本を餓死者大発生の危機にさらしている“戦犯”を、東京大学の鈴木宣弘教授は近著『世界で最初に飢えるのは日本』で名指しで批判する。
 〈岸田政権は「経済安全保障」という方針を掲げ、軍事面の安全保障も予算を倍にするとぶち上げているが、どこを探しても、「食料」のことは出てこない。それもそのはずである。日本の「食」を、安全保障の基礎として位置付けるどころか、むしろ、貿易自由化を推し進め、相手国に差し出す「生(い)け贄(にえ)」のように扱ってきたのが、いまの政府だ。その結果、自動車などは、輸出先の関税が下がったので、大きな利益を享受している。しかし、日本国内の農業は、大きな打撃を受け、食料自給率は過去最低水準まで下がってしまっている。
 この記事は短期集中連載の第2回です。第1回はこちらから
 我が国の政府に、国民の生活を守る「安全保障」に対する考え方が欠落していることが、日本を食料危機に脆弱(ぜいじゃく)な国にしてしまったのだ。
 もし世界食料危機によって、日本国内で飢餓が発生すれば、それは紛れもなく、「人災」と言うべきであろう。
 もちろん、政府の中にも、食料自給率を上げようと思っている人はいる。だが、いまの政府で力を持っているのは、経済産業省や、財務省だ。かつては、経済産業省、外務省、農水省財務省はもっと対等な関係だった。重要問題について官邸で相談する際も、各省庁の秘書官が、対等な立場で、それぞれの意見を主張し、バランスの取れた政策に持っていくことが何とかできた。
 しかし、第二次安倍晋三政権以降、その仕組みが崩れてしまった。第二次安倍政権では、今井尚哉(たかや)秘書官を始め、経産省出身者が官邸を牛耳った。それにより、経産省政権と揶揄(やゆ)されたほど、官邸が経産省の意向で動くようになってしまった。〉(『世界で最初に飢えるのは日本』57〜58ページ)
 官邸で絶大な力を発揮した今井尚哉秘書官は、岸田政権成立後に何をやっているのだろう。
 〈安倍元総理の退陣にともない、今井元補佐官は官邸を出て、その後三菱重工の顧問に天下りしている。
 岸田政権になって、一見、経産省の力が弱まったようだが、規制改革推進会議を中心に、政策を決定している顔ぶれや構造はあまり変わっていないのではないか。
 改革をすれば、みんなが幸せになると言いながら、規制緩和による利益は、自分たちが「総どり」してきたのである。
 一部の「お友達企業」だけが儲かるのでは、いったい、誰のための規制緩和なのか。その「お友達企業」には、アメリカの穀物メジャーや、種子・農薬企業、金融・保険業界も含まれている。彼らにとって、最大の関心事は「自分たちの利益」だ。
 「彼らが儲かるかどうか」だけを基準とするなら、日本の食料自給率がいくら下がろうと、どうでもいい。日本の農家が全部潰れてしまおうが、儲かりそうなところだけ、自分たちの会社で持っていければ、それでいいのである。
 しかし、そこには「食料安全保障」の観点、国として国民生活をどう守るか、という観点が欠如している。〉(『世界で最初に飢えるのは日本』64〜65ページ)
 「米食からパン食へ」と煽った朝日新聞天声人語
 戦前・戦時中の大半の日本人は、パンなど一度も口にしたことがなかった。にもかかわらず、戦後の高度成長期に学校給食にパン食が導入され、日本人の食生活はすさまじい勢いで変貌していく。今や白米をほとんど口にせず、パンや麺類ばかり食べている日本人が多い有り様だ。
 なぜ伝統的な食生活のあり方が、こうまでドラスティックに変化してしまったのだろう。
 〈第二次大戦後、米国は日本人の食生活を無理やり変えさせてまで、日本を米国産農産物の一大消費地に仕立てあげようとした。そのために、さまざまな宣伝・情報工作も行われた。
 日本人にアメリカ産の小麦を売るために、「米を食うとバカになる」という主張が載った本を、「回し者」に書かせるということすらやった。『頭脳—才能をひきだす処方箋』(林髞(たかし)著、光文社)という本がそれである。食料難の戦後がようやく終わったころの一九五八年に出版されたこの本は、その後の日本の農業に、大きなダメージを与えることになった。いまでこそ、同書の存在はほとんど忘れ去られているが、当時は発売三年で五〇刷を超える大ベストセラーであり、日本社会に与えた影響は非常に大きかったのである。
 この『頭脳』という本には、「コメ食低能論」がまことしやかに書かれている。著者の林氏によると、日本人が欧米人に劣っているのは、主食のコメが原因なのだそうだ。
 (略)
 著者の林氏が慶應大学名誉教授であったことも手助けしたのか、当時はこれが正しい学説としてまかり通ったのである。〉(『世界で最初に飢えるのは日本』75〜76ページ)
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 左寄りの論調を旨とする朝日新聞の看板コラム「天声人語」までもが、白米食をディスってアメリカにすり寄る論陣を張っていたというから驚く。
 〈朝日新聞のコラム「天声人語」にも、「コメ食否定論」が堂々と掲載されていた。
 「近年せっかくパンやメン類など粉食が普及しかけたのに、豊年の声につられて白米食に逆もどりするのでは、豊作も幸いとばかりはいえなくなる。としをとると米食に傾くものだが、親たちが自分の好みのままに次代の子供たちにまで米食のおつき合いをさせるのはよくない」(一九五八年三月一一日付朝日新聞天声人語」)
 有名大学教授、名だたる大新聞がこぞってコメ食否定論を唱えていたのだから、日本社会への影響は非常に大きかっただろう。〉(『世界で最初に飢えるのは日本』76〜77ページ)
米食はこんなにスゴイ 10のメリット
 独立行政法人農業環境技術研究所」(現在は国立研究開発法人「農業・食品産業技術総合研究機構」)のレポート(2009年2月1日「農業と環境」)で、米食がいかに優れているか10項目にわたって解説しているそうだ。
 重要なポイントなので、やや長くなるがご紹介しよう。
 〈まず一番目に、CO2排出量を低減できる。食料の輸送量×輸送距離を定量的に把握したものをフードマイレージというが、食料自給率が上がるということは、海外からの輸入が減り、フードマイレージが下がるということだ。そのため、食料を海外から輸送するための燃料が不要になり、CO2排出量が減る。
 二番目に、国内のコメ消費量が増え、国内のコメ生産量も増えるので、水田稲作が活性化する。水田稲作は、少ない肥料で高い収量をあげられるため、環境にやさしい。日本が世界にもっと誇るべき農法なのである。
 三番目に、コメ中心の和食は、健康にいい。世界中で和食の良さが高く評価されるようになっている。コメ中心の食生活は、日本人全体の心身を健全にし、QOL(生活の質)を高める。
 四番目、和食によって、日本国民が健康になれば、生活習慣病が予防される。そうすると、日本全体で三〇兆円とも言われる医療費を削減することができる。
 五番目、同じ土地に同じ作物を植え続けると、だんだんと正常に発育しなくなってくる。これを連作障害というが、水稲には連作障害がまったく起こらないという特徴がある。従って、農業をコメ中心とすると、収量が安定し、安定した食料供給を可能にする。〉(『世界で最初に飢えるのは日本』83〜84ページ)
 さらに米食のメリットをご紹介しよう。
 〈六番目、農家にとって、コメは持続的に収穫可能な、安定した農産物である。コメ中心の食生活によって、農業におけるコメの比率が増えれば、コメ農家経営の安定性が高まる。経営が安定することで、農業従事者はより自信を持ち、高いモチベーションを維持できるので、農業の質も向上する。
 七番目、地方に行くほど、経済において農業が占めるウエイトが大きくなる。コメをはじめとする国産農産物の消費拡大は、地方経済を活性化し、地域格差の是正につながる。
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 八番目、山や森に降った雨は、土壌に少しずつ染み込み、地下水となってゆっくりと流れ出ていくことで、川などが急に増水し、洪水になるのを防ぐ効果を持つ。これを水源涵養(かんよう)というが、水田はこの水源涵養効果が高い。すなわち、水田稲作が活性化されれば洪水防止につながり、国土の保全および災害対策にもなる。異常気象が常態化し、毎年のように洪水被害が起きる日本において、必要な対策と言えるだろう。
 九番目、水田には水質浄化機能がある。とくに、脱窒と呼ばれる、土壌中の窒素を大気へ放出する大変重要なメカニズムがある。水田稲作の振興は日本の水環境全体の保全につながる。
 一〇番目、水田稲作は日本文化の礎であり、精神的な価値がある。景観の維持という面でも、水田稲作を継承し守り続けることの価値は、計り知れない。〉(『世界で最初に飢えるのは日本』84〜85ページ)
 10項目のメリットを見ると、水田を大切に管理して米を増産することは、日本にとってメリットだらけであることがよくわかる。そろそろ日本はアメリカのポチとして振る舞う行き方をあらため、洋風偏重の食生活を切り替えるべきときではなかろうか。
 (11月18日公開の第3回へ続く)
 鈴木宣弘著『世界で最初に飢えるのは日本 食の安全保障をどう守るか』
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 2022年11月24日 プレジデントオンライン「「米を食うとバカになる」と洗脳された…日本人の食生活を激変させた洋食推進運動の恐ろしすぎる内容
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 日本の食料自給率はなぜ低いのか(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Rawpixel
 なぜ日本の食料自給率は低いままなのだろうか。東京大学大学院教授の鈴木宣弘さんは「戦後アメリカが進めた食生活改変政策は、日本人の伝統的な食文化を一変した。伝統的なコメ食を減らしたことで、日本の農業は力を失い、自給率が低下していった」という――。(第1回)
 ※本稿は、鈴木宣弘『世界で最初に飢えるのは日本』(講談社+α新書)の一部を再編集したものです。
■なぜ日本人は食料自給率を気にしないのか
 日本の食料自給率は、2020年度で約37%と、きわめて低い水準にある。
 しかも、これはカロリーベースであり、本当の自給率はもっと低い。日本でつくられる農産物は、種やヒナを輸入に頼っているからだ。
 日本という国の規模、人口、歴史などを考えると、これは異常な低水準と言わざるを得ない。
 しかし、不思議なことに、日本ではあまり懸念する声が聞かれない。
 多くの国民は、「食料自給率が低いのは仕方ない」と思っているのではないだろうか。
 日本は島国で、国土面積が限られている。農地の面積も狭くならざるを得ない。そのため、狭い耕地を少人数で耕(たがや)す、小規模で非効率な農業をやらざるを得ない。
 しかも、現代の日本人は、肉やパンを好んで食べるが、食肉生産や小麦生産は、日本より海外のほうが大規模で効率がいいので、輸入が増えるのは仕方がない。
 と、およそこういった考えが、行き渡っているのではないだろうか。
 しかしながら、こういった考えは、「誤解」に過ぎない。
 食料自給率が下がった最大の原因は、貿易自由化と食生活改変政策にある。
 自動車などの関税撤廃を勝ち取るために、日本の農業は、農産物の関税引き下げと、輸入枠の設定を強要されてきた。
 そこに、アメリカやヨーロッパが、輸出のための補助金をジャブジャブ出して、ダンピングを仕掛けてきたのだから、たまらない。
 日本の農業は壊滅的な打撃を受けてしまったのである。
■「米を食うとバカになる」という本が大ベストセラーに
 第2次大戦後、米国は日本人の食生活を無理やり変えさせてまで、日本を米国産農産物の一大消費地に仕立てあげようとした。
 そのために、さまざまな宣伝・情報工作も行われた。
 日本人にアメリカ産の小麦を売るために、「米を食うとバカになる」という主張が載った本を、「回し者」に書かせるということすらやった。
 『頭脳 才能をひきだす処方箋』(林(はやし)髞(たかし)著、光文社)という本がそれである。
 炊きたてのご飯
 写真=iStock.com/gyro
 「米を食うとバカになる」という本が大ベストセラーに(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/gyro
 食料難の戦後がようやく終わったころの1958年に出版されたこの本は、その後の日本の農業に、大きなダメージを与えることになった。
 いまでこそ、同書の存在はほとんど忘れ去られているが、当時は発売3年で50刷を超える大ベストセラーであり、日本社会に与えた影響は非常に大きかったのである。
 この『頭脳』という本には、「コメ食低能論」がまことしやかに書かれている。
 著者の林氏によると、日本人が欧米人に劣っているのは、主食のコメが原因なのだそうだ。
 「これはせめて子供の主食だけはパンにした方がよいということである。(中略)大人はもう、そういうことで育てられてしまったのであるから、あきらめよう。悪条件がかさなっているのだから、運命とあきらめよう。しかし、せめて子供たちの将来だけは、私どもとちがって、頭脳のよく働く、アメリカ人やソ連人と対等に話のできる子供に育ててやるのがほんとうである」(『頭脳』161~162ページ)
 この記述は、当然ながら、科学的根拠がまったくない「暴論」と言わざるを得ない。
 だが、著者の林氏が慶應大学名誉教授であったことも手助けしたのか、当時はこれが正しい学説としてまかり通ったのである。
■大手新聞のコラムが「コメ食否定論」
 その当時、さる有名な大新聞のコラムにも、「コメ食否定論」が堂々と掲載されていた。
 「近年せっかくパンやメン類など粉食が普及しかけたのに、豊年の声につられて白米食に逆もどりするのでは、豊作も幸いとばかりはいえなくなる。としをとると米食に傾くものだが、親たちが自分の好みのままに次代の子供たちにまで米食のおつき合いをさせるのはよくない」
 有名大学教授、名だたる大新聞がこぞってコメ食否定論を唱えていたのだから、日本社会への影響は非常に大きかっただろう。
■日本の食を変えた「洋食推進運動」
 当時は世界の農業生産力が高まっており、米国では小麦の生産過剰が問題となっていた。
 そのため、米国は日本に余剰小麦を輸出しようとする。
 その売り込み戦略として展開されたのが、悪名高き「洋食推進運動」である。
 「日本人の食生活近代化」というスローガンのもとに、「栄養改善普及運動」や「粉食奨励運動」が日本各地で展開されることになった。
 これらはまさに、欧米型食生活を「崇拝」し、和食を「排斥」する運動だった。
 キッチンカーという調理台つきのバスが二十数台も用意され、それらが分担して都市部から農村部まで日本全国津々浦々を巡回し、パン食とフライパン料理などの試食会と講演会を行った。
 キッチンカーでハンバーガーを販売する人
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 キッチンカーが日本全国を巡回した(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/shih-wei
 前述の『頭脳』の著者、林髞氏も、この講演会にしばしば呼ばれていた。
 こうした宣伝活動によって、本来は洋食に反対する立場のはずの農家の人々までが洗脳され、欧米型食生活を崇拝するようになってしまった。
■余ったコッペパンと、半分腐ったような脱脂粉乳の給食
 日本人のように、これほど短期間のうちに、伝統的な食文化を捨てた民族は、世界史上でもほとんど例がないという。
 それほど、この「洋食推進運動」は強烈なものだった。
 その結果、食のアメリカ化が一気に進み、学校給食でも、朝鮮戦争で余ったアメリカ産小麦のコッペパンと、牛ですら飲まない、半分腐ったような脱脂粉乳が出された。
 大量のコッペパン
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 「余ったコッペパンと、半分腐ったような脱脂粉乳」が給食に(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/chef2323@hotmail.co.uk kevin
筆者はその給食を食べて育った世代で、逆にそれがきっかけで、アメリカの食がイヤになった。
 しかし、日本全体としては、「宣伝」の効果によって、伝統的なコメ中心の食文化が一変してしまった。
 その結果、このころから、我が国ではコメ消費量の減少が始まった。
 消費量が減ると、コメの生産が過剰となり、水田の生産調整が行われはじめる。
 これをきっかけに、我が国の農業・農政が、国内で力を失っていったのである。
■食を握れば日本を完全にコントロールできる
 故宇沢(うざわ)弘文(ひろふみ)氏といえば、シカゴ大学などアメリカの大学で教鞭(きょうべん)を取り、「社会的共通資本」を提唱したことでも知られる、日本を代表する経済学者である。
 その宇沢氏は、かつてアメリカの友人から、「米国の日本占領政策の2本柱は、①米国車を買わせる、②日本農業を米国農業と競争不能にして余剰農産物を買わせる」というものだと聞いたと述懐(じゅっかい)している。
 その占領政策は、いまもなお続いている。
 それだけではなく、②に関してはより一層強化されているのではないだろうか。
 1973年、当時のバッツ農務長官は、「日本を脅迫するのなら、食料輸出を止めればいい」と豪語したという。
 また、アメリカのウィスコンシン州は農業が盛んな地域として知られているが、そのウィスコンシン大学のある教授は、農家の子弟向けの講義において、次のような趣旨の発言を行ったという。
 「食料は武器であり、標的は日本だ。直接食べる食料だけでなく、日本の畜産のエサ穀物を、アメリカが全部供給するように仕向ければ、アメリカは日本を完全にコントロールできる。これがうまくいけば、同じことを世界中に広げるのがアメリカの食料戦略となる。みなさんそのために頑張ってほしい」
 このアメリカの国家戦略は戦後一貫して実行されてきた。
 それによって、日本人の「食」は、じわじわとアメリカに握られていったのである。
アメリカで学んだ学生が帰国して新自由主義を広める
 アメリカが行ったもう一つの「洗脳」政策がある。それが、「留学生教育」だ。
 アメリカは世界中から留学生を受け入れ、シカゴ学派的な市場原理主義経済学を彼らに叩き込んでは、母国に返していった。
 鈴木宣弘『世界で最初に飢えるのは日本』(講談社+α新書)
 東京大学経済学部では、アメリカで博士号を取り、現地で助教をつとめたくらいの人物でなければ、教員として採用されないくらいだったという。
 そうした構造の中、アメリカで洗脳された人々が、日本に戻ってきては、一流大学で教え、市場原理主義の信奉者が増えていった。
 また、それらの人材が大企業や官庁の中にも入り込んで、徐々に力を持っていく。
 その結果、まるで寄生虫に頭を乗っ取られたカタツムリのように、日本政府がアメリカ流の新自由主義者たちに乗っ取られてしまった。
 規制改革が社会全体の利益になると信じ込ませておいて、実のところ米国の多国籍企業の利益のために働くよう仕向けていたのである。

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 鈴木 宣弘(すずき・のぶひろ)
 東京大学大学院農学生命科学研究科教授
 1958年三重県生まれ。82年東京大学農学部卒業。農林水産省九州大学大学院教授を経て2006年より現職。FTA 産官学共同研究会委員、食料・農業・農村政策審議会委員、財務省関税・外国為替等審議会委員、経済産業省産業構造審議会委員、コーネル大学客員教授などを歴任。おもな著書に『農業消滅』(平凡社新書)、『食の戦争』(文春新書)、『悪夢の食卓』(KADOKAWA)、『農業経済学 第5版』(共著、岩波書店)などがある。

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