⛻16〗─2─裏面の大阪学。新大阪人とは、地方出身低賃金労働者、朝鮮人移民、ヤクザ。~No.79No.80No.81 ⑩ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 朝鮮人は、日本人よりも中国人やユダヤ人に似ている。
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 日本人と朝鮮人・韓国人とは別人であり、幾ら心を通わせて話し合おうとしても分かり合う事はできず、理解し合う事ができず、どうやっても友人・知人にはなれない。
 いざという時、朝鮮人・韓国人は日本人ではなく中国人などに味方する。
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 上方の伝統芸能文化を産み育てた大坂人は、昔の大坂人であって現代の大阪人ではない。
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 大阪は、朝鮮人移民と地方出身日本人労働者が大量に住み着いて変質した。
 古き良き伝統的上方芸能文化は、外から来て住み着いた新大阪人にウケけず、客足が遠のいて廃れた。
 上方芸人は、新大阪人にウケるように古典芸を今風に変えていった。
 そして、興行主・勧進元は商人からヤクザに代わった。
 ヤクザは、賭博・ギャンブル、売春、芸能、アヘン・麻薬で大金を稼いでいた。
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 関西圏とくに大阪は、その時代ごとで住民が大きく入れ替わっていた。
 その為、現代の大阪と江戸時代の大坂・明治時代の大阪とでは多くの面で異なる。
 つまり、現代の大阪から昔の大坂を言ってもしかたがない。
 大正時代以降の大阪は、教養も品性・品格・品位もない下品で卑猥なだけの下層民らによる金儲け主義の騒々しい社会に変わっていった。
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 昔の大坂船場の金儲け商売と現代の大阪の金儲け経営とでは全く別ものである。
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 2020年1月17日・24日号 週刊ポスト「ヤクザ、在日、芸能、西成・・・
 お笑い、食いだおれ、商人──ナニワの街はそれだけでは語れない
 裏面の『大阪学』
 東京五輪の陰に隠れているが、大阪がいま、再び注目を集めている。
 1970年以来、55年ぶりとなる大阪万博の2025年開催が決まり、IR法案に関連してカジノ誘致も盛り上がる。
 政界では維新新旋風が吹き荒れ、昨年4月の大阪知事・市長ダブル選で圧勝。府と市の二重行政をなくし、特別区を設置する『大阪都構想』は、今年11月にその是非を問う住民投票が予定されている。
 さらにはインバウンド・ブームで、関西空港にショッピングエリアの心斎橋や難波と、どこも外国人客で賑わっている。日本有数のコリアンタウンである鶴橋(大阪市)は国内外からの観光客で溢れ、道頓堀周辺のドラッグストアに殺到する中国人客の爆買いはいまや大阪名物だ。
 不動産市場も好調で、タワーマンションやホテルの建設ラッシュが続く。
 だが、光が当たれば影も色濃くなる。
 芸能界に目を向ければ、吉本興業の闇営業問題で大阪が生んだお笑い文化と反社会勢力の〝切っても切れない〟関係が露呈した。
 ヤクザの世界では、山口組抗争をめぐり、大阪市内の傘下事務所に対し、大阪府警が使用制限の仮命令を通達。組員や連絡に事務所を使うことを禁じた。府内初となる措置に衝撃が走った。
 光と陰、清と濁が渾然一体となりながらあらゆる方向にエネルギーを解き放つ街──この力の源泉はどこかにあるのか。
 大阪の『裏面史』を研究することで、その答えを探る。
 政界、財界、芸能界から販社までが複雑に絡み合う。
 万博を控えたこの街ではいつも何かが起きている──
 PART1 在日と大阪
 『血と骨』の世界からコリアタウンへ『在日の首都』と呼ばれた歴史的ルーツ
 朴一
 『大阪は在日の首都である』
 そう表現したのは、かつて『戦後最大のフィクサー』と呼ばれた許永中だ。イトマン事件や石橋産業事件で逮捕された彼は、在日韓国人2世として大阪の中津に生まれ、この街をホームグランドにした。
 全国の在日韓国・朝鮮人50万人のうち、大阪府には最も多い10万5,000人あまりが暮らす(18年末)。日本国籍を取得した在日も少なくないため、実際にははるかに多い数の人が朝鮮半島にルーツを持つと見られる。
 大阪市立大学教授の在日韓国人3世の朴一が、在日の大阪に集まった歴史的経緯を解説する。
 『江戸時代から商業の中心地だった大阪は、大正時代には「東洋のマンチェスター」と呼ばれるアジア随一の商工業都市となり、朝鮮半島からも労働者が押し寄せた。とりわけ、朝鮮半島が日本の植民地支配下にあった1922年に大阪と済州島をつなぐ定期航路が開かれると、その流れが一気に加速しました』
 当時、済州島は『風と石だけ』と言われるほど痩せた土地で、多くの人がこの船に乗って日本に渡ったとされる。慶尚南道など朝鮮半島本土からの移民も急増。1928年に3万5,000人だった大阪市朝鮮半島出身者の人口は、35年に15万人、42年に31万人と終戦まで膨らみ続けた。
 40年に日本が行なった国勢調査によると、朝鮮半島ではソウルに次ぐ都市だった平壌が28万人、釜山が24万人。いかに多くの朝鮮半島出身者が大阪で生活していたか分かる。
 なかでもその多くが住みついたのが、東成区から生野区にかけての猪飼野地区だった。
 『当時、この地区には地場産業として零細ゴム工場がたくさんあり、日本人に比べて賃金の安い朝鮮人は歓迎されました。ゴム工場で働く男子従業員の94%が朝鮮人だったと記録もあります』(朴教授)
 その多くは低賃金、長時間労働に苦しめられ、梁石日の小説『血と骨』さながらの壮絶な生き様を余儀なくされた。
 終戦後の混乱期には、猪飼野のそばの鶴橋に闇市が形成され、朝鮮人たちが次々に軒を構えるようになる。これが現在、国内外の観光客が集う鶴橋のコリアタウンや国際市場のルーツとされる。
 この鶴橋の闇市の『ドン』と呼ばれたのが、李煕健(イヒゴン)である。
 1930年代に慶尚北道から大阪へ渡った李は、鶴橋の闇市で自転車チューブの行商を始めて蓄財し、夜は子分を引き連れて賭博場を開き、市場の顔役へとのし上がった。そして38歳で大阪興銀(のちの関西興銀)の設立に関わる。
 『終戦後も大阪にとどまった在日コリアンたちは、日本の労働市場から排除され、焼肉やパチンコなど在日しかできないニッチなビジネスへと活路を求める人が多かった。その際にネックになったのは金融機関からの融資です。在日に対する偏見や差別から金融機関は法外な担保や日本人の連帯保証人を求めることが常態化していた。この金融機関の設立がそうした在日たちを救い、在日企業の育成に大きな役割を果たした』(朴教授)
 在日が大阪に多く暮らす理由として、『気質が合う』という点も見逃せない。朴教授はこう分析する。
 『東京はかつて武士が人口の5割も占め、建て前を重んじる武家社会の影響がいまも色濃く残っています。一方、大阪はもともと商人や職人の街。「オレとつきあうか、つきあわへんか、はっきりせい!」という直球の性格が在日コリアンに合ったのでしょう』
 PART2 ヤクザと大阪
 義侠と無頼を容認する土壌をつくった江戸幕府に対抗する『反権力気質』
 鈴木智
 いまでこそ大阪のヤクザ社会では山口組が圧倒的な影響力を持つが、1960年代に神戸から山口組が本格的に進出するまでは、群雄割拠の時代だった。
 ……
 大阪に多くの組織が生まれた背景を、ヤクザに詳しいフリーライター鈴木智彦はこう説明する。
 『江戸時代の大阪は天下の台所と言われ、全国の最も金が集まる都市でした。そういう場所で賭博を開くのが大きなシノギでしたから、自然とヤクザが乱立したわけです。また、彼らは差別され行き場を失った人たちの受け皿として機能した側面もあります。
 商業都市らしく大阪のヤクザはリアリストです。既得権としての縄張りにこだわず、実力次第でどこにでも出て行く胆力を重視する気風がある。おかげで〝一匹狼〟が成り立つ要素が生まれ、多くの中小組織が入り乱れるようになったという経緯があります』
 江戸時代の大阪は、反権力の街でもあった。豊臣秀吉を『太閤さん』と呼んで慕った大坂の町人たちは、豊臣政権を倒して天下を握って江戸幕府への反抗心を潜在的に持ち続けた。こうした伝統がヤクザを容認してきた背景にあるのかもしれない。
 ……
 PART2 芸能と大阪
 『最上の伝統芸能』から『闇営業』へ──工業都市政策が招いたタニマチ気質の変化
 木津川計井上章一
 大阪を象徴する芸能文化といえば、『吉本のお笑い』を思い浮かべる人も多いだろう。吉本新喜劇を始め、大阪の市井の人々には、吉本のお笑い文化が深く根付いている。
 ……
 吉本芸人と反社会勢力の近さを露呈させる出来事となったが、『本来、大阪の芸能文化は闇社会とはほど遠いものだった』というのは、立命館大学名誉教授で上方芸能に詳しい木津川計氏だ。
 『江戸時代の元禄期あたりから大阪が文化の中心となりますが、この時期の大阪は近松門左衛門井原西鶴が出て最高に進んだ文化・芸能の都市でした。江戸の歌舞伎も文化・文政期あたりまでは、大阪弁でやっていたほど。江戸時代は大阪弁が標準語のようなものだったのです』(木津川氏)
 そうした〝上質な文化〟を支えたのが、『天下の台所』と呼ばれた大阪の富であった。だが、その優位性も明治時代になると東京に奪われてしまう。天皇が東京に移り、政治、経済、そして文化とすべて東京を中心とするようになったのだ。
 『東京に対抗するには経済しかないと、大阪は工業化に邁進し、煙の都となって経済力を高めた。その結果、大正時代になると大阪は工業生産力で東京をはるかに凌駕しましたが、一方で経済を重視したことは文化の軽視にも繋がりました』(木津川氏)
 工業都市となった大阪を嫌い、江戸時代から文化人のパトロンとなった船場の豪商たちが離れてしまう。その結果、芸能文化も市井と密着するものになっていった。『大阪的』の著者で国際日本文化研究センター教授の井上章一氏が指摘する。
 『工業の煤煙や空気汚染を避けて、ブルジョアジーたちが神戸や芦屋の六甲山麓に移ってしまった。そうして空洞化した大阪中心部には、河内や和泉、さらには九州や四国から続々と労働者が流れ込み、芸能文化も彼らに寄り添うものになっていきました』
 かくして人形浄瑠璃に象徴されるたおやかな大阪の芸能文化は、吉本新喜劇に代表される大衆文化に変わった。
 芸人たちはドサ回りに精を出し、その土地で興行を仕切るヤクザたちとも距離が近くなる。そしてヤクザを利用し、また利用される芸人たちが出てきた。
 ……
 前出の井上氏が語る。
 『メディアの作る〝大阪的イメージ〟もそうした土壌形成を後押ししたのではないでしょうか。テレビ受けするようにどんどん大阪芸人の言葉がきつくなり、品格がなくなっていきました』
 一連の吉本新喜劇の闇営業問題は、大阪の芸能文化の変質を象徴するものと言えるかもしれない。
 PART3
 西成と大阪
 公募を経て橋下徹市長に任命された区長経験者が回顧する『ディープ大阪』ど真ん中
 臣永正廣
 12年から16年までの4年間、大阪市西成区の区長をしていました。大阪の24区は東京と違って自治体ではない。区長は選挙ではなく市長が任命する形でした。そこで橋下徹市長が大阪都構想の前段階として区長を公募し、私もそれに応募したんです。
 貧困層の子供たちが十分な教育を受けられるよう、区の支援体制を充実したいという思いがありました。
 ただ、現実は大変でした。地元の徳島から来て、初め新今宮駅に降りたら、おしっこの匂いがしたのをよく覚えています。在任中は、あいりん地区など大阪一ディープな街をど真ん中で見て来ました。
 何しろ覚醒剤が街中で普通に売られていましたから。注射器も路上に転がってた。検挙される人の3割は生活保護受給者で、使用も売買も同じくらいの割合。だから『税金で密売人と使用者を養っているようなものだ』と西成署の刑事がよく愚痴ってました。
 もちろん、真面目に働いて現状を脱却しようとする生活保護受給者もいましたし、彼らから生活保護手帳を取り上げる闇金業者もいて、それは許せないことでした。支給日に借金取りが付いていって、支給されたそばから現金を取り上げてね。賭博を紹介して、借金漬けにする。そういう連中は警察と連携してどんどん取り締まっていきましたよ。
 ヤクザももちろん多い。西成署によると、いわゆる暴力団の組事務所は東組のような大手を含めて区内に十数か所ありました。ただ、在任中に派手なドンパチはありませんでした。
 それよりも、当時は不法投棄が横行してまして、捨てられたゴミで通学路が塞がれてしまうほど。ゴミ山で子供たちの登校もままならないような状態でした。
 それを知った当時の橋下市長が激怒して、『なんとかしろ』と大号令が下りたんです。橋下さんが上手いのは、独自予算を組んで環境局と建設局への根回しもきちんとやること。西成署にも依頼して、それまで目をつぶってきたような案件でも検挙するようになりました。
 こんなことを話しておきながらなんですが、西成はいいとこです。意外に治安はいいし、夜中に歩いてもまず襲われません。繁華街に近いし、交通の便もいい。最近は環境もずいぶん良くなって、ホテルも増えたし、地価も上昇している。大阪観光の際は、ぜひ西成に遊びに来てほしいですね」
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 日本に渡った200万人以上の朝鮮人で、日本人と友人になろうとした帰化人的朝鮮人が2割、日本人への恨感情を持つ反日朝鮮人が3割、日本人と友人になろうと思わなかった渡来人的朝鮮人が5割。
 親日派知日派が2割。反日派敵日派が3割。無関心派が5割。
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 日本人は、一等国民として、国民の義務から徴兵され戦場に送られ戦死・病死・餓死し、そして靖国神社に神として祀られた。
 日本の男子だけではなく、女性や子供もまで戦って玉砕した。
 日本人女性は、囚われ強姦の辱めを受けない為に投身自殺などで自裁した。
 朝鮮人は、二等国民として、国外に出れば日本国民と同等の権利を得たが、国内では国民の義務である徴兵が免除されていた。
 つまり、日本国民日本人は死ぬ運命にあり、日本国民朝鮮人は死を免除されていた。
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 死ぬ事を義務とされている日本人にとって、死を免除されている朝鮮人は戦友ではないし友でもなかく、「生きて」金を稼ぎ女性と楽しく遊んで暮らしている朝鮮人が癪に障る目障りな存在であった。
 日本人による朝鮮人に対する差別はここから生まれた。
 それが、日本の朝鮮植民地支配の実態であった。
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 在日朝鮮人(200万人以上)は、アメリカに忠誠を誓って軍隊に志願入隊した日系アメリカ人とは違っていた。
 在日朝鮮人には、日系アメリカ人の二世部隊は存在しないし、日系アメリカ人に対する非人道的強制収容所もなかった。
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 朝鮮人には「生きる権利」があったが、日本人には「死ぬ義務」しかなかった。
 敗戦後。生き残った日本人による朝鮮人差別が酷かったのも「やむを得ない」事であった。
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 敗戦の混乱を利用した在日朝鮮人による日本人への暴行・強姦・強奪そして惨殺などの重大事件が日本全国で頻発していた。
 GHQは、朝鮮人による凶悪犯罪を減らす為に在日朝鮮人を半強制的に帰還させるように日本政府に命じた。
 日本政府は、朝鮮人・韓国人は日本国民ではないとして諸権利を停止した。
 それを不満として起きたのが、東京暴動事件、大阪騒乱事件、神戸戒厳令事件などであった。
 だが、国際世論は、韓国や在日朝鮮人に同情して日本を激しく非難する。
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人共産主義テロリスト同様に昭和天皇と皇族を惨殺するべくつけ狙っていた。
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 朝鮮儒教で激しい地域差別・身分差別・性差別・職業差別を受けていた、済州島などの南部地域から下級民・貧民達は仕事を求めて逃げるように日本に移住した。
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 敗戦後。在日朝鮮人の多くが朝鮮半島へ帰還したが、少数が大阪などの関西圏に残った。
 帰還しても仕事が見つからなかった韓国人が、日本に密入国して住み着いた。
 現代日本に住みついている在日朝鮮人在日韓国人は、そうした朝鮮人・韓国人の子孫である。
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 大阪や関西圏では、北朝鮮中国共産党から密輸された大量のアヘン・麻薬・覚醒剤が蔓延していた。
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 昔の大阪貧民窟・部落民地区・下層民地区には、同じ日本人から差別され虐げられていた日本人が住んでいた。
 日韓併合によって朝鮮人貧困者による出稼ぎ労働者や移民が、地価や家賃の安いそうした日陰地域に流れ込み朝鮮人居住地域・コリアタウンが生まれた。
 そこには、徴用工や女子挺身隊などという非人道的強制連行は存在しない。
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 暴力的に強制連行しなくても、1945年には200万人近い朝鮮人が日本国内に住んでいた。
 低賃金重労働で生計を立てていた日本人下層民者は、低賃金で長時間よく働く朝鮮人に仕事を奪われ、朝鮮人より貧しい生活を強いられた為に、反朝鮮人意識を強めて朝鮮人を見つけると暴力を振るった。
 日本人経営者・企業家にとって、高給を取りながら不平不満を並べて適当に仕事をする日本人より低賃金で真面目に働く朝鮮人を好んで雇った。
 つまり、日本人の差別民である部落民や賤民を雇用するぐらいなら朝鮮人を雇うと言う事である。
 平民社や水平社などの諸団体は、仕事を失て極貧に陥った部落民・賤民を救済するべく差別糾弾闘争として部落解放運動や社会主義運動を展開した。
 それ故に、反朝鮮人感情が強かったは日本人下層民(部落民や賤民)であり、在日朝鮮人と喧嘩・暴力事件を起こしていたのも日本人下層民(部落民や賤民)であった。
 日本人下層民(部落民や賤民)に同情して味方したのが、ヤクザや不良達であった。
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 朝鮮人の中から、衆議院議員に当選する者や日本陸軍で将軍に出世する者など成功者が現れた。
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 中国共産党系中国軍系中国資本は、密かに、個人的遺産相続や企業の赤字経営対策で売り出されている土地や建物を買い漁っている。
 関西圏で増加する中国人移民は、大阪や神戸で新たにチャイナタウン、チャイナシティーを建設するべく動いている。
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