🦋2〗─1─1990年代に笑いの寅さんと生真面目な忠臣蔵が消えた。〜No.2 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本映画の喜劇、男も女も、子供から老人まで、多くの日本人が挙って笑って楽しめる人情喜劇映画・滑稽喜劇映画・悲喜劇映画は『男はつらいよ』と共に終わった。
 それは同時に、日本人が古い伝統・文化・歴史・芸能を持った旧式日本民族日本人ではなくなり始めた事を意味していた。
 変わっていったのは日本と日本人であった。
 その象徴が、2019年の名古屋で社会問題となった表現の不自由展であった。
 賛成派も反対派も同レベルに過ぎない。
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 昔には昔の生き方があり、今には今の生き方があり、将来には将来の生き方がある。
 今の生き方で、昔の生き方をとやかく言っても意味がなく、将来の生き方にしようとしても無意味である。
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 2020年1月2日9日号 週刊文春「『男はつらいよ
 50周年・50作公開 新春特別企画
 帰ってきた『寅さん』50年の秘密
 産みの親が最新作に込めた思い『寅さんはいるまでも生き続けている』
 山田洋次
 寅さんを演じていた渥美さんが1996年に亡くなってから、早いもので23年が経ちます。でも、シリーズ50作目となる新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』(12月27日全国公開)を撮ることが、大変だとか難しいと考えることはありませんでした。それは寅さんが日本人が好きな想像上の人物、つまり〝典型〟になっていて、僕と観客が、その存在を共有しているという思いがあったからです。
 ……
 周りは老いていくけれど、寅さんだけは年齢の〝縛り〟から解放されている。いつのまにか僕の中で、寅さんは年を取らないキャラクターとして作り上げたのでしょうね。もちろん細かく観ていると、『ああ、渥美さんはこの頃から体調が悪かったんだな』ということはわかります。でも、寅さんはいつまでも変わらずに生き続けている幻のような存在なのです。
 ……最後の頃はマネージャーも付け人も付けず、ひとりでタクシーに乗って撮影所やロケ現場にやってくるのです。その頃にはC型肝炎から肝硬変になっていて、あと数年の命であることを、ドクターに告知されていましたから、今思い出せば、意を決して死を待つ求道者のごとく寅さんを演じていました。
 ……
 上手な噺家は、おかしい話をおかしくないようにボソボソ喋(しゃべ)ります。そのほうが面白くなるのと一緒で、人間の気持ちをリアルに表現することによって観客は大爆笑するほどおかしくなるのです。
 『男はつらいよ』が1969年に始まって50年が経ちますが、ずいぶんと日本も世界も変わりました。1970年初頭の頃を思い返すと、あの当時の方がいまよりも日本人が幸せだったような気がしてなりません。前向きで、元気でした。」
 『男はつらいよ』がかかっている映画館に大勢の観客が詰めかけて、タバコを吸ったり、ビールを飲んだり、『いいぞー!』なんて大声をあげながら賑やかに観ていたものです。いまのように上演中におしゃべりするなんとか食べる音を立てないでくれとか、こまごましたルールのおしつけはありませんでした。
 若い人にこそ観てほしい
 日本の電化製品は世界の市場を圧していて経済は悪くなかったし、高齢化社会になる前でセーフティーネットもうまくいっていた気がします。あの頃の日本人は、今より安心して生きていたのではないでしょうか。そんな時代に寅さんというかなり出鱈目で調子のいい男が誕生しています。暮らしにゆとりがあったからこそ、寅さんを困ったやつだなと思いながらついつい許してしまうことができたのでしょう。
 あの時代に比べてなにかと窮屈で融通の利かない今を生きる中学生や高校生といった若い人こそ、観てほしいですね。僕らが学生の頃はタバコを吸うとか酒を飲むとか、親や教師が怒るような冒険をするスリルを楽しんだものです。大人の価値観に反攻してみる、という体験は子供が大人になるプロセス、通過儀礼みたいなものではないでしょうか。おつかいに行ったら店のおじさんに『坊や、偉いな。おまけしてやろう』なんて言われて嬉しくなったりしたものだけど、スーパーマーケットではそんな体験はできない。
 寅さんは、出鱈目で無鉄砲で他人に迷惑をかけるけど、自由奔放に楽しく生きることを貫いていました。こんな生き方があるのか、それが許された時代があったのかと笑いながら思いあたってほしい。
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 鈴木敏夫
 大ファンの映画人が寅さんがいた時代を語る
 『邦画が寅さんとともになくなると思った』
 映画の内容もさることながら、僕としては客席の反応を見るのもおもしろかったですね。最初のうちは渋谷の映画館で見ていたんですけど、あるとき上野へ行ってみたんです。そうすると、お客さんの笑いどころが違う。
 そのあとしばらくして、今度は浅草へ行くようになりました。浅草では先輩のお客さんたちが劇場に入ってくるなり、まず足元に新聞紙を敷くんですよ。そして靴を脱いで、寛いで映画を楽しむ。劇中、寅さんがフラれそうになると、観客席から『寅、泣くな。がんばれ!』と声がかかる。あの風景は忘れないですね。
 山田さんは寅さんという人を客観的に捉えて映画をつくっていたと思うんです。『こんな変なやつがいたらおもしろいでしょう』という発想ですよね。渋谷のお客さんなんかは、その視点から見ていた気がします。
 ところが上野、浅草ではみんな寅さんと自分をかぶせて見ていた。だから、くるまやの人たちが『寅は馬鹿だな』と噂話をする場面になると、よく怒ってました。映画づくりの手法としては主観性を排除しているんですけど、寅に感情移入して見る人もいる。映画というのは難しいものだなと思った記憶があります。
 いまは寅さんの居場所がない
 『男はつらいよ』が終わったとき、僕が一番感じたのは、『ああ、これで日本映画は終わる』ということでした。これまで日本映画ではいろんなテーマを扱ってきたでしょう。家族、貧困、差別、インテリと庶民・・・『男はつらいよ』って、そういうテーマが全部入ったシリーズなんですよね。そういう〝日本映画〟が寅さんとともになくなっちゃうんじゃないかと思って、寂しさを感じました。
 それもあって、僕はこの20年、周囲の若い人にずいぶん寅さんを見てきたんですよ。そうしたら、みんなおもしろがってくれた。そこへ来て今回の新作は、今の時代に生きる人に向けた新しい映画になっている。そういうものを山田さんがちゃんと作られた。それは評価されてしかるべきだと思います。
 ただ、それと同時に考えこんでしまったのは、『もし現在の日本に寅さんがいたらどうなるんだろう?』ということです。50年ぐらい前は、こういう人の居場所があったんですよ。自由な寅さんへの憧れすらあった。でも、いまはどう考えても居場所がない。そういう寛容さが失われてしまった。それが現代の日本だと思います。この50年の間に、動物だった人間が動物じゃなくなった。そんなふうにも思います。
 試写を見た後、コメントを求められたんですが、ふと浮かんだのがのがブレヒトの言葉でした。『英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ』。それを捻ってこうコメントしました。『寅さんのいない日本は不幸だけど。寅さんを必要とする日本はもっと不幸だ』。ある意味、この50作目は寅さんの居場所がなくなっちゃったことに対する怒りの映画でもあると思うからです。
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 芥川賞作家・滝口悠生による
 人生に効く寅さん入門ガイド
 どこから見ても大丈夫
 男はつらいよといえば『大衆的な喜劇』というイメージを持つ人も多いですが、僕はからりアグレッシブでパンキッシュな作品でもあると思っています。未見の人にはまずそのことを訴えたいですね。主人公の車寅次郎はテキ屋家業のフーテンで、完全なアウトサイダーです。そんな人間だからこそ言える言葉があって、常識にとらわれがちな我々の心を打ったりもするんですが、その言動は必ずしも正義とか善良さだけでは割り切れない。常識や規範に異を唱える場面もあるし、多くの人が思い描いているより、いろんな意味で危険で複雑です。通底しているのは、寅さん自身がそうであるように、どこか弱さや寂しさを抱えている人たちの物語であること。個人に寄り添うからこそ、正義や善良という大文字では割り切れないところが出てくる。
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 家族に疲れたら・・・
 そもそも『とらや』の家族構成がなかなか複雑です。叔父(おいちゃん)と叔母(おばちゃん)と甥(寅さん)と姪(さくら)、しかも寅さんとさくらは母親違いの兄妹です。縦にも横にも少しずつずれた関係性なのですが、深いつながりで結ばれた家族として成り立っています。血縁に縛られない家族というのは、山田監督のほかの作品にも通じるテーマだと思います。血のつながりではなく、一緒に同じ時間を過ごし、その重なりが家族を作っていく、そんな家族観だと思います。」
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 笑う事は万国共通であるが、何を可笑しく感じて笑うかその内容は千差万別である。
 日本のお笑いと中国・朝鮮のお笑いとは、何処となく、微妙に、心情的に、何となくニュアンスが違う。
 日本の笑いも時代によって変わり、昭和時代と平成時代では違う。
 特に、1990年初頭のバブル経済崩壊と平成7(1995)年1月17日の阪神淡路大震災で日本は全く違う日本に変わり始め、日本民族色を消すように伝統、文化、歴史、生活から社会、人から会社・政府などあらゆる面で加速的に変質していった。
 その変化は2011年の東日本大震災でハッキリと表面に現れ、その変化が止まる事なくさらに進んで行く。
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 昔は良かったという昔は、昭和時代と平成時代では違う。
 今の若者は駄目だという若者は、昭和時代と平成時代では違う。
 平成時代後期の問題は、若者ではなく大人の側にあり、令和時代は確実にバブル経済時代を楽しんだ大人である。
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 バブル経済まではアリとキリギリス(セミ)のアリの時代だったが、バブル経済時代からはキリギリスの時代となり、令和時代からは先も見通しが付かない冬の時代に入っていく。
 それは、若者が多く老人が少ない人生50年の人口爆発期から若者が少なく老人が多い人生100年の人口激減期に突入する事を意味する。
 楽観で調子の良い根明で抱腹絶倒で笑い転げる時代から悲観で不機嫌な根暗な嘲笑卑屈笑いで自己卑下する時代への転換である。
 本来の日本民族日本人は、前者であって後者ではなかった。
 冬の時代とは、人と人が触れ合わない、人情味の薄い、人の情が通いづらい時代で、弱い者や適応できない者が切り捨てる時代である。
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