🍘56〗ー1ー30年間「衰退の一途」だった日本企業…令和が絶滅期か、再生期か。シュンペーターの理論。~No.153 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   2024年6月9日 YAHOO!JAPANニュース THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)「30年間「衰退の一途」だった日本企業…令和が「絶滅期か、再生期か」の分岐点となるワケ【経営学者が解説】
 平成時代の30年間、なぜ日本企業や日本社会は、昭和時代のような力強さを再現することができなかったのか。なぜ、右肩下がりの下降線を辿らざるを得なかったのか。平成時代は起伏の激しい長い過渡期。その最中に探したとしても解を見つけることはできず、解を得るには、令和を待たなければなりませんでした。次の打ち手を考え出すためには、何が何に変わって、どうなったのかという事実を知ることが必要です。岩﨑尚人氏の著書『日本企業は老いたのか』(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋し、見ていきましょう。
 平成の30年間を通じて、日本企業は確実に弱体化
 ~終身雇用、年功序列、企業内組合…かつては「三種の神器」に守られていたが
 平成時代はわずか4年あまりの短い好景気と、20年を超える長い不況の2つのフェーズに跨ぐ時代であり、この間に日本企業・日本経済は著しくパワーダウンした。併せて、かつて衆目を集めた「日本的経営」という経営システムの価値や矜恃も失墜して、それは大きく変化した。
 本稿では、日本的経営の功罪が日本企業ないしは日本経済の低迷に、どのようにして影響を及ぼしてきたのかについて考えていくことにしよう。
 日本的経営のライフサイクル
 【図表】日本的経営のライフサイクル 出所:岩﨑尚人著『日本企業は老いたのか』(日本能率協会マネジメントセンター
 ~平成時代は日本的経営の「衰退期」
 日本的経営のライフサイクルを考えると、(1)高度経済成長期に至る日本的経営の「形成期」、(2)安定経済成長期の「確立期」、(3)バブル経済時代の「安定期」、(4)平成不況期の「衰退期」、そして(5)令和の「絶滅期」あるいは「再生期」となる【図表】。
 日本的経営の「衰退期」に当たる平成時代、企業行動を支配してきたロジックの核心は、過去の否定と過去との決別であった。同時代、わが国企業の多くは、従前から得手だった連続性のある「改善(カイゼン)」を放棄して、不得手な不連続の「革新(イノベーション)」に重心をおこうとしてきた。そのため、この時代のリーダーシップはかつて一世を風靡した日本的経営の制度的デメリットを強調し、異なるシステムをいかに構築するかに焦点をあててきた。
 確かに、チャレンジングなトップマネジメントやエグゼクティブ、ミドルマネジメントの姿は、いかにも威勢がよく、頼もしく、その試みが正しい選択であるかに映るだろう。とはいえ、革新や変革を無手勝流で進めることは危険である。目標やビジョン達成のために無理をすれば、途中で挫折するか、生き長らえたまま朽ちるか、いずれにしても将来に禍根を残すことになりかねない。そういったチャレンジも、成功すれば喝采ものである。
 スタートアップ企業のように既存のビジネスが存在せずゼロからスタートするのであれば、攻めの一手で進んでも流す血は少ないかもしれない。犠牲にするものが少ない分、身軽で成功する確率も上がるに違いない。ところが、現存している組織や企業は既に現業で糧を得ており、ゼロからスタートする企業が掲げるようなロジックや方法、気合いや情熱だけで革新に挑戦するわけにはいかないことはいうまでもない。
 経営環境の変化に合わせて事業構造(ビジネスデザイン)を革新していくことは、いかなる企業にとっても重要なことかもしれない。そのため、できるだけ迅速に新規事業や斬新なビジネスデザインを創出することが求められる。いかなる企業もライフサイクルの呪縛から逃れることはできないから、挑戦することは不可避である。とはいっても、インプットに回す経営資源保有していなければ、革新や変革、挑戦もあったものではない。すべてかけてチャレンジできるのは、スタートアップ企業の特権である。失うべきものが少ないということは、スタートアップ企業の最大の強みといってもよいかもしれない。
 その上、現状で事業を展開している企業の場合、ビジネスデザインの革新にチャレンジすると同時に、既存の組織管理構造(マネジメントデザイン)の変革に取り組むことも求められる(*1)。ところがマネジメントデザインの変革には、殊の外、慎重さが必要である。マネジメントデザインには不可視な部分が多く、複雑な上に連続性をもったシステムである。その上、アルゴリズムだけでは動かない感情をもった人間が構成していることも考慮しなければならない(*2)。
 ~「唐突な環境変化」を組織管理体制の打破だけで乗り切ろうとした、平成の初動ミス
 振り返ると、日本的経営が「安定期」を経てバブル経済崩壊に至るまでの間、日本企業の事業展開と「三種の神器」に守られた経営とは、実にうまくフィットして効果的に機能していた。ビジネスデザインとマネジメントデザインが見事に適合していたのである。
 ところが、長期景気低迷で生業が不調になると同時に、グローバル化と技術革新が急速に進み、それらが複雑に絡み合って企業を巡る経営環境と企業活動との間に大きなギャップが生じたのである。そのギャップに対処するために、企業はすぐさま事業革新や経営変革に取り組もうとした。ところが、日本企業にとってバブル経済崩壊はあまりにも唐突かつ突然のことであったために、精度の高い設計図がない中で明確なプランを策定する間もなく、それまでの50年間に刷り込まれてきた組織管理体制を打破することを試みたのであった。一方で、その時点で事業構造に手がつけられることはほとんどなかった。
 企業経営にとって時宜に応じて対症療法を施すことは必要不可欠である。しかし大きな変化を乗り越える場合には、先ずビジネスデザインの革新を進めて、それに見合った形にマネジメントデザインを変革していくのが道理である。ところが、同時代の日本企業の多くは、マネジメントデザインの変革だけで環境変化を乗り切ろうとしたのである。それこそが、平成の初動ミスであった。
 リーダーシップの悪循環
 ~「変革シンドローム」のはじまり
 さらに、その後の展開にも問題があった。バブル経済崩壊後に最初に変革に取り組んだリーダーの多くは、いわゆるメンバーシップ型雇用制度で雇用され(*3)、高度経済成長やバブル景気の恩恵を一身に受けて、形成期や安定期の生粋の日本的経営の中で育てられ昇進・昇格してきた。つまり、事業を拡大し経営基盤の確立にかかわった成功体験者である。そうした彼らが、変化に対する理念もビジョンも持つことなく、また再興プロセスの困難さを察知することなく、自らのバックボーンであった日本的経営に手をつけた。彼らの多くは、成功体験を引きずり自らの権益に固執しながら、コスト削減を旗頭にリストラを断行した。そして、以後続く、変革シンドロームへ道をつけたのであった。
 その後、かのリーダーたちが表舞台から退場した後を引き継いで変革を任されたのは、幼少期に高度経済成長期を経験し、壮年期になってバブル経済の恩恵を受けて、自力で事業の成長や成功を具現化する経験を持たない次世代リーダーであった。日本的経営衰退期に純粋培養されたリーダーである。エグゼクティブやミドルマネジメントなどの重要ポストに就いた次世代リーダーたちは、目前の経営環境の変化に対して自分達があたかもセンシティブであるかのように振舞い先導した。
 しかしながら、彼らは加速する環境変化を先取りできず、むしろそれに乗り遅れて最悪な場合には追い付くことさえできずに、新しいビジネスデザインを構想することもできなかった。しかしながら、当然のように、自らのポジションの確保と維持には精を出した。「三種の神器」の罪を論い、功を求めて変革や革新をスローガンに掲げて、歴史や伝統を切り捨て破壊するターリバーンの如くにリーダーシップを発揮し始めた。「だめだったら、元に戻せばいい」と手当たり次第に手を付けていった。しかしながら、慣習や文化あるいは制度など組織が歴史の中で作り上げられてきた構造や状況は、一度消去されると復活させることが難しく、カオスはますます高まった。
 ~変革期のリーダーシップに求められる「重大な資質」
 繰り返しになるが、マネジメントデザインを変える際には、慎重かつ熟慮が必要である。部分最適全体最適とは必ずしも一致するわけではないし、部分最適を繰り返していると、当初求めていた全体最適が何であったか分からなくなることすらある。「何を変えるのか」を考えると同時に、「何を変えてはいけないのか」まで思いを巡らせることが、変革期のリーダーシップに求められる重大な資質である。
 変化の振れ幅が大きい経営環境の中にあってリーダーシップは、ビジネスデザイン革新に向けて創造力を大胆に発揮する一方で、複雑系であるマネジメントデザインを変革する繊細さと周到さを備えていなければならない。持つべきは、攻めと守りの「ヤヌスの顔」である。どちらか一方に長けているだけでは不十分である。思いつきや思い入れ、思い込みの強い、後方不注意でおっちょこちょいで、自尊心だけ強い卑屈なリーダーでは困るのである。
 無論、平成時代のトップやエグゼクティブ、ミドルマネジメントの皆がそうだったといっているわけではない。しかしながら、平成末期のリーダーシップの平均値は、概ねこの程度であったのかもしれない。換言すれば、平成日本の凋落をもたらした根本原因は、日本的経営というシステムではなく、時代に仇なしてその中で培われ引き継がれてきた「リーダーシップの悪循環」にあったのではないだろうか。GDP少子高齢化率以外のほとんどの指標で先進国中最低水準となった今、最早悪循環を引き継ぐリーダーシップは不要である。
 今こそ「悪循環」を断ち切る絶好の機会
 ~矛盾と混乱に満ちた現代ならではの勝機
 悲しいかな、かく言う筆者も、リーダーシップの悪循環の片棒を担いできた大いなる勘違い世代の一人である。そのため、言葉に重みや信憑性を欠くことを承知でいえば、「今こそ、悪循環を断ち切るチャンス」である。
 令和時代がスタートし、パンデミックが終息した現在こそ、今後の日本の浮沈を占う重大な時であり、その担い手、主役は青年期や壮年期の血気盛んで働き盛りの人々である。平成の30年間を通じて、日本企業・日本経済は確実に弱体化した。ライフサイクルからいえば衰退期の後に来るのは死滅であるが、それをただ待つのも愚かである。昭和末期の残党の多くも退場しつつあるから、今こそ悪循環を断ち切る絶好の機会である。
 幸か不幸か、この30年間に社会環境も経営環境も地球規模で大きく変わり、「何が正で、何が否であるか」の線引きも不鮮明になっている。かつて不適切であったものが適切に転じたかもしれないし、かつて適切であったものが不適切に転じたかもしれない。あるいは、かつて不適切であったものは依然として不適切かもしれず、逆も真なりかもしれない。
 どちらにしても、不連続で魑魅魍魎が跋扈するグローバリゼーションが進展した現代社会には、処々にチャンスの窓が開いていることは確かである。東京2020オリンピックでメダルの数が激増したのは、アスリートの血の滲むような努力だけではない。新しい競技や復活した競技が増え、それに果敢に挑戦したことも大きな要因である。
 矛盾と混乱に満ちた世界では、それを解消する手段を見つけることで大きなチャンスが生まれるはずである。不連続な今こそ、これまでの悪循環を断ち切ってやり直すことができるはずである。

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【注】

1) 岩﨑尚人、『コーポレートデザインの再設計』、白桃書房、2012年を参照。

2) ハラリY. N. は、著書『21レッスンズ』の中で、生命体の活動はすべてアルゴリズムで決定されているとするものの、心だけは異なると指摘している。Harari, Y. N., “21 Lessons for the 21st century”, Random House,2018を参照。

3) メンバーシップ型雇用の対概念は、ジョブ型雇用である。前者の雇用タイプの典型は終身雇用制であり、後者の典型はプロフェッショナルの社外人材である。わが国でも日立、富士通KDDI資生堂などがその導入に積極的に取り組んでいる。

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 岩﨑 尚人
 成城大学経済学部教授、経営学
 1956年、北海道札幌市生まれ。早稲田大学大学院商学研究科博士課程後期単位取得満期退学。東北大学大学院経済学研究科修了、経営学博士。経営学の研究に加え、企業のコンサルティング活動に従事。主な著書に、『老舗の教え』『よくわかる経営のしくみ』(ともに共著、日本能率協会マネジメントセンター)、『コーポレートデザインの再設計』(単著、白桃書房)などがある。
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 12月30日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「日本の経済成長を止めたのは自由な市場競争、評論家・中野剛志氏が唱える「失われた30年の真因」
 宇宙関連の巨額投資が米国のイノベーションを支えた(写真:Alones/shutterstock)
 1990年代初頭にバブルが崩壊し、日本経済は長い冬の時代に突入した。いわゆる「失われた30年」である。デフレが続き、賃金の上昇はぴたりと止まった。
 【リスト】日本で進められた主な新自由主義的な政策
 なぜ日本経済は停滞しているのか。その答えは、経済学者ジョセフ・シュンペーターの理論の中にあると語るのは、『入門シュンペーター 資本主義の未来を予見した天才』(PHP研究所)を上梓した中野剛志氏(評論家)である。中野氏に、日本経済の成長を阻む要因とシュンペーターの理論との関係について、話を聞いた。(聞き手:関瑶子)
■ シュンペーターの教えに逆らって経済停滞
 ──今回のテーマであるジョセフ・シュンペーターは20世紀前半から半ばにかけて活躍した経済学者です。なぜ今、シュンペーターに着目する必要があるのでしょうか。
 中野剛志氏(以下、中野):昨今の世界情勢の複雑化に伴い、政府による産業政策やイノベーション政策が重要視されるようになってきました。
 そのような政策の必要性を主張している人たちの多くが、シュンペーター派の経済学者です。そういった流れから、今一度、シュンペーターについて学びなおす必要があるのではないか、と感じた次第です。
 もう一つは、日本が抱える特殊な事情です。日本ではこの30年、経済の停滞が続いています。イノベーションもほとんど起きていません。
 その一方で、日本は戦後25年、30年の期間で経済が急成長し、経済大国になったという過去もあります。
 あるシュンペーター派の経済学者によると、急成長を遂げていた頃の日本の経済システムは、非常に「シュンペーター的」だったそうです。
 戦前、日本からも何人かの経済学者がシュンペーターのもとに教えを請いに、はるばる海を渡りました。彼らが戦後日本で活躍したのです。
 これに対して、この「失われた30年」の間、シュンペーターであれば経済発展のために「やってはいけない」と考えたであろう経済政策を、日本政府は片っ端からやってきました。
 日本はシュンペーターの教えに従って経済発展を果たし、シュンペーターの教えに逆らって経済停滞をしている、というのが私の見立てです。
■ シュンペーターの教えとは? 
 中野:シュンペーターの著書は、非常に難解で、十分に内容を理解している人はそう多くはないと思います。そこで、この失われた30年を打ち止めにするため、シュンペーターが言わんとしていたことをみなさんに知ってもらいたいと思っています。
 ──「シュンペーター的な経済システム」とはどのようなものですか。
 中野:シュンペーターは1912年に『経済発展の理論』を発表しました。その中で、シュンペーターは現在の主流派経済学の基礎である市場均衡理論と真っ向から対立するような主張をしました。
 市場均衡理論は、個人が自己利益を最大化するために自由に経済活動を行うと、市場原理が働いて需要と供給が一致する、というものです。
 シュンペーターは市場均衡理論では、イノベーションや経済発展が説明できないことを指摘しました。そして、経済の中でどのようなダイナミズムが起きて発展を遂げていくのかを突き詰めて考えた結果が『経済発展の理論』です。
 また、シュンペーターは1942年に発表した『資本主義・社会主義・民主主義』の中ではさらに踏み込んで「市場で完全競争をするとイノベーションは起きない」と断言しました。
 ところが、日本はこの30年間、バブル崩壊後の日本経済の停滞を打破するためには、市場原理に任せて自由競争を促進すればいいという方向で規制緩和や民営化を推し進めてきました。
 当時の日本の経済政策を担当した政治家や官僚、あるいは経済学者は市場で自由な競争が起こればイノベーションが起き、経済は発展すると思い込んでいました。しかも、それがシュンペーターの教えであると勘違いしていたのです。
 シュンペーターの主張は全く逆です。
 戦後、日本はシュンペーターの教えの通り、過度な競争ではなく適度な競争制限をすることで経済を発展させてきました。けれども、ここ30年は「市場原理で自由競争を」という政策ばかりしてきた。その結果、イノベーションも経済成長も起こらなくなったのです。
 ──なぜ競争を制限するとイノベーションが起こり、経済が発展するのでしょうか。
■ イノベーションを起こせるのは誰なのか? 
 中野:例えば、馬車しかなかった世界で、私が自動車を発明したとしましょう。私は膨大な利益を得るでしょう。その利益を投資して、もっと速く走れる自動車や環境に配慮した自動車を開発すれば、次のイノベーションを起こすことができます。
 これは、最初にイノベーションを起こしたものが他の追随を許さずにイノベーションを起こし続け、利益を得られるという例です。
 ここで、自由競争の世界で私が自動車を発明したと想定してみましょう。この世界では競争は自由なので、次から次へと私の発明をまねて自動車を製造する企業がたくさん現れるはずです。最初にイノベーションを起こした私の懐に入ってくるはずだった利益は、多くの自動車会社にもっていかれてしまうでしょう。
 これでは、どの企業も次のイノベーションを起こすに十分な利益を得られません。自由な経済競争では、いつ潰れてもおかしくないような中小零細企業が乱立するようになります。そんな状態で、誰がイノベーションを起こせるのでしょうか。
 『資本主義・社会主義・民主主義』の中でシュンペーターは、イノベーションを起こすのは大企業であると述べています。第一に、大企業は内部資金が豊富なため、多少の不況でも倒産することはありません。
 また、企業が将来的に利益を得ていくためには、投資をして次のイノベーションに備える必要があります。そして、自社を少しでも有利にするために、他の企業が入ってこられないよう自分たちのマーケットを囲い込むようになります。
 他の企業の参入を阻止することは、まさに「競争の制限」と言えるでしょう。
 つまり、競争を制限するような企業こそが、イノベーションを起こせるのです。そのような強大な力を持つのは、大企業にほかなりません。
 複数の企業が自由に競争をすれば、どの企業も利益がほとんどない零細企業になってしまいます。イノベーションが起こらないので市場は均衡しているかもしれませんが、経済発展を望めるような状態ではありません。
 現在の日本では、スタートアップ企業がイノベーションを起こすのだから、スタートアップ企業をサポートすることが大事だともてはやしている風潮がありますが、シュンペーターはそんなことを一切言っていません。
■ シュンペーター派が訴える株主資本主義の危険性
 ──利潤を確保して次のイノベーションに向けて再投資をする米国のやり方が、株主資本主義によって崩れてしまったという話が書籍に書かれていました。これは、具体的にどのような現象だったのでしょうか。
 中野:株主資本主義は、教科書的な市場原理主義に従って出てきた考え方です。株価は各企業の価値を正確に反映するので、自由な株式市場での株の取引に任せておけば、効率的な企業の株価がより高くなる。その結果、効率的な企業が株式市場から選ばれるから経済全体が効率的になる──というロジックです。
 したがって、株式市場を活性化するためにさまざまな制限を取っ払うべきである。企業は株価を上げることを目指して活動すべきだ。そういうイデオロギーが1980年代以降、米国で蔓延しました。
 シュンペーターは1950年に亡くなりましたので、彼自身が直接、株主資本主義に異を唱えたというわけではありません。株主資本主義に対して、その危険性を指摘したのは、シュンペーターの流れを汲む経済学者たちです。
 イノベーションは企業が起こすものです。しかしそれは、株主だけの手柄ではなく、経営者の手腕、さらには従業員・労働者の能力のたまものです。
 本来であれば、イノベーションによって得られた利益は、労働者、経営者などいろいろなステークホルダーに分配されてしかるべきです。ところが、株主資本主義においては、利益はすべて株主のものであり、株価として反映させるべきだという議論になってしまいます。株主が、利益を独り占めしてしまうのです。
 利益をステークホルダーに分配することはおろか、次のイノベーションのための研究開発投資や設備投資に回せなくなります。株主が強くなると、研究開発投資や設備投資よりも株主への利益還元が優先されてしまうのです。
 そんな企業がイノベーションを起こせるわけがありません。これが、1980年代のシュンペーター派の経済学者たちの主張です。
 ──米国では、1980年代以降の株主資本主義の流行により、設備投資も研究開発投資もやりにくくなりました。にもかかわらず、なぜ米国にはいまだにイノベーションを起こす会社が複数存在しているのでしょうか。
■ 実は強力な産業政策を推し進めている米国
 中野:株主資本主義が強まった結果、以前と比較すると米国でも企業がイノベーションを起こしにくくなったと指摘されています。
 株主資本主義が流行りだす1980年代より前のほうが、米国経済は成長していましたし、多くのイノベーションが起こっていました。設備投資もふんだんになされていましたし、従業員の給料も右肩上がり。今ほど格差も大きくありませんでした。
 今の米国では、格差が拡大しているだけではなく、1980年代よりも前と比較すると生産性も落ちています。イノベーションも以前ほど起こっていません。
 にもかかわらず、AppleGoogleAmazonなどはイノベーションを起こしています。いずれも大企業です。最近では、生成AIがもてはやされています。
 このようなイノベーションは、どのようにして起きているのでしょうか。
 米国のイノベーションは、米国政府の莫大な投資によるものであると分析したのは、シュンペーター派の経済学者であるマリアナ・マッツカートや、社会学者のフレッド・ブロックです。
 実は米国では、米国防総省や米航空宇宙局(NASA)などにより、軍事目的あるいは宇宙目的で巨額の投資が行われています。その技術開発投資が、米国のデジタル産業の基盤となっているのです。
 一番有名な例は、インターネットでしょう。インターネットは、国防総省の特別機関である高等研究計画局(ARPA、現DARPA)の資金提供により開発されたARPANETを基盤として民間に転用されたものです。加えて言えば、半導体もソフトウェアも、もとは軍事ないしは宇宙開発目的で開発されたものです。
 アポロ計画で月にロケットを飛ばす際には、膨大な量の計算が必要となります。その計算のために、米国はコンピュータ技術を発達させました。米国のソフトウェア産業は、宇宙開発事業の産物なのです。
 マッツカートやブロックが明らかにしたのは、米国は市場原理を唱えて株主資本主義を推進しているものの、その裏で政府が強力な産業政策をやっているということです。
 一方、日本は米国から株主資本主義をまねし、市場原理主義を真に受けて、産業政策は市場を歪めるという理由でやめて市場の自由に任せました。その結果が「失われた30年」なのです。(後編:「自由な市場競争ではイノベーションは起きない、中野剛志氏が語るイノベーションと不可分な銀行制度と信用貨幣論」に続く)
 中野剛志(なかの・たけし)
 評論家。1971年神奈川県出身。専門は政治経済思想。東京大学教養学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学。同大学院にて2005年に博士号を取得。2003年に論文 ‘Theorising Economic Nationalism’ (Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。
 関 瑶子(せき・ようこ)
 早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程修了。素材メーカーの研究開発部門・営業企画部門、市場調査会社、外資コンサルティング会社を経て独立。YouTubeチャンネル「著者が語る」の運営に参画中。
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 12月29日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「トップ恋愛日本は、この人に従って高度成長し、その後この人に背いて衰退した…今、日本が学ぶべき天才経済学者の名前
 日本は、この人に従って高度成長し、その後この人に背いて衰退した…今、日本が学ぶべき天才経済学者の名前
 イノベーションの理論を確立した天才経済学者シュンペーターが日本に与えた影響とは。評論家の中野剛志さんは「日本はシュンペーターの教えを貪欲に吸収して戦後の発展を手に入れたが、1990年代に入ると、シュンペーター的な中核をもった日本的システムを自ら進んで破壊してしまった」という――。
 ※本稿は、中野剛志『入門 シュンペーター』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
 聴衆の前で話をする登壇者
 シュンペーターは日本の伝統文化に魅了された
 「イノベーションの理論の父」といわれる経済学者ジョセフ・アロイス・シュンペーターは、日本とどのような関わりがあったのでしょうか(*1)。
 明治維新以降、経済発展を目指す日本にとって、『経済発展の理論』の著者であるシュンペーターは非常に重要な経済学者でした。このため、戦前、多くの経済学者がシュンペーターから学ぼうとしました。後に戦後日本の経済学界における重鎮となる中山伊知郎東畑精一は、ボン大学に留学してシュンペーターに学び、ハーバード大学では都留重人が彼の指導を受けました。
 また、1924年、銀行の頭取を辞した後のシュンペーターに、最初にポストをオファーしたのは東京帝国大学だったそうです。1931年、シュンペーターは日本に招かれて講演を行ない、大きな反響を呼びました。この来日時、シュンペーターは、東京、日光、箱根、京都、奈良、神戸を訪ねて日本の伝統文化に触れ、大いに魅了されたようです。
 シュンペーターの理論が、戦後日本の奇跡的な発展に結実
 シュンペーターが著した11の書籍のうち、10が邦訳されています。これほどシュンペーターの著作の翻訳が出た言語は、日本語だけとのことです(*2)。
 このように、戦前の日本人たちは、かなり早い段階からシュンペーターに着目し、その理論を貪欲に吸収しようとしていたことが分かります。
 そして、それは、戦後日本の奇跡的な経済発展へと結実しました。シュンペーターの評伝を書いたトーマス・マクロウは、こう書いています。
 日本では、占領軍が撤収した1952年から石油危機の1973年まで、政策担当者たちが、シュンペーターの示唆の多くを非常に注意深く採用したのである(*3)。
 もちろん、純粋にケインズ的、マルクス主義的、シュンペーター的あるいはハイエク的な国民経済というものは、存在しない。しかし、1953年から1973年の奇跡的な経済成長期における日本的システムの中核がシュンペーター的であったことは間違いない(*4)。
 戦後日本の経済発展は、まさにシュンペーターの理論を立証するものだったのです。そして、シュンペーター派の研究者たちからも、そう見なされていました。例えば、イノベーション研究の第一人者クリストファー・フリーマンは、日本の産業政策を研究しています(*5)。
 シュンペーターの理論を継承した経済学者のウィリアム・ラゾニックも、日本の資本主義に関心をもっていました。
 シュンペーターに背いて衰退した国、日本
 ところが、1990年代に入ると、日本は、構造改革と称して、シュンペーター的な中核をもった日本的システムを、自ら進んで破壊し始めました。しかも、その構造改革を高らかに宣言した2001年の「骨太の方針」は、シュンペーターの言った「創造的破壊」をやるのだとぶち上げていました。
 もちろん、それまでの日本の経済構造や企業経営のあり方にも問題や限界があったのでしょう。時代の変化に応じた改革が必要だったのも事実でしょう。
 しかし、だからと言って、シュンペーターの理論にまったく反するような改革をやることはないでしょう。しかも、そんな改革の方針を、シュンペーターの言葉を引きつつ閣議決定までしたというわけですから、これは、相当にたちが悪い。その後の日本経済の衰退や日本企業の没落は、その当然の報いだと言うほかありません。
 シュンペーターに従って発展し、シュンペーターに背いて衰退した国。それが日本だと言ってもよいのではないでしょうか。
 バブル崩壊のイメージ
 シュンペンターをしっかり学び直すことが大切
 読者の中には、このことにショックを受けて、「私たちは、具体的にどうしたらいいのだろうか、教えてほしい」「どんな政策をやればいいのか、処方箋を提示してほしい」と思われた方もいるかもしれません。
 実は、シュンペーターは、そういう「具体的な政策提案をよこせ」という性急な求めに応じるのを嫌がる人だったようです。それは、経済理論は価値中立的な科学であるべきだという彼の信念によるものだと思われます。
 中野剛志『入門 シュンペーター』(PHP新書
 また、シュンペーターの理論は、長期的かつ壮大な経済システムのヴィジョンなのであり、彼が提示している資本主義の問題は、そう簡単に解決できるような性質のものではないという事情もあったのかもしれません。
 とは言うものの、シュンペーターの貨幣に関する理解を受け継ぎ、イタリアやフランスにおける異端派の経済学者たちが発展させた「貨幣循環理論」、前述の経済学者ラゾニックの「革新的企業の理論」や、同じくシュンペーター派の一人であるマリアナ・マッツカートの「企業家国家論」など、シュンペーターの流れを汲む現代の経済理論は、日本政府がどのような政策を行なえばよいか、あるいは、行なってはならないかをはっきりと示しているはずです。
 私たち日本人にとって大切なことは、シュンペーターをもう一度しっかりと学び直すことです。
 シュンペーターが猛然と反論した理由
 ところで、資本主義の不可避的な崩壊を予測した『資本主義・社会主義・民主主義』(*6)に対しては、その出版当時から、これをシュンペーターの「敗北主義」だとして批判する声があったようです。そういう批判に対して、シュンペーターは、同書の第2版の序文において、猛然と反論しています。
 敗北主義とは、行動との関連においてのみ意味をもつ一定の精神状態をいう。事実そのものやそれから導き出される結論は、たとえそれがいかなるものであろうとも、けっして敗北主義的でもその反対でもありえない。ある船が沈みつつあるとの報告は、けっして敗北主義的ではない。ただこの報告を受け取る人の精神のみが敗北主義的たりうるにすぎない。たとえば、船員はこの場合に座して酒を飲むこともできる。また船を救うべくポンプに突進することもできるのである。その報告がたんねんに実証されているにもかかわらず、ただ単にそれを否定するような人があれば、そのような人は逃避主義者である。
 ここに、シュンペーターの精神の高貴さが表れていると思います。こういう台詞が言える人間に、是非ともなりたいものです。
*1 McCraw(2007,p.182,n.41)
*2 McCraw(2007,p.182,n.41)
*3 McCraw(2007,p.182)
*4 McCraw(2007,p.182,n.41)
*5 Freeman(1987)
*6 J・A・シュムペーター著、中山伊知郎東畑精一訳『資本主義・社会主義・民主主義』(東洋経済新報社)1995年
 中野 剛志(なかの・たけし)
 評論家
 1996年東京大学教養学部教養学科第三(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)入省。2001年エディンバラ大学より優等修士号(政治理論)、2005年同大学より博士号(政治理論)取得。特許庁制度審議室長、情報技術利用促進課長、ものづくり政策審議室長、大臣官房参事官(グローバル産業担当)等を経て、現職。
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