🗡3〗─1─世界最強軍隊「元寇」を撃退したのは日本の最強武器「和弓」だった。~No14No.15No.16 

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 日本は、古代からバブル経済までナンバーワンを目指して一点豪華主義を追求してきた。
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 日本の和弓は、日本で独自に進化させた最強の武器であった。
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 2024年10月8日 YAHOO!JAPANニュース 山内琉夢歴史プレゼンター「世界最強集団を撃退した日本の最強武器「和弓」!なぜ強かったのか解説
 小倉城庭園の展示物 和弓のイメージ
 弓は、旧石器時代より存在する飛び道具です。
 遠距離攻撃の要であり、安全圏から一方的に敵を攻撃できるメリットがあります。
現在の飛び道具は、銃が一般的です。しかし、銃が登場するより前の日本では遠距離攻撃の主力を担っていました。
 古来より世界中の戦争に用いられてきた弓ですが、日本で独自に進化を遂げた「和弓」は弓のなかでも最強といわれています。
なぜなのか、詳しくみていきましょう。
 ※本記事の内容は様々な方に歴史の魅力を感じていただけるよう、史実を大筋にした「諸説あり・省略あり」でお届けしています。
・和弓の特徴
 小倉城庭園の展示物
 和弓は、弓のなかでも最大級の大きさを誇る「全長7尺3寸(約221cm)」と定義されています。
 この大きさにこだわった理由は、威力と飛距離です。
 そもそも、戦場での弓の立ち位置は遠距離にいる敵を確実に倒すこと。
 その目的を達成するため、弓を大型化するとことで「威力と飛距離」を補いました。
 世界に目を向けると機動力や機能性に特化した小型弓が存在する一方、和弓と同じ用途で製造された大型弓「ロングボウ」も存在します。
 しかし、ロングボウの最大射程は300m(有効射程距離150m)で、和弓の最大射程は450m(有効射程距離300m)。
 和弓とロングボウの形状はさほど変わらないとされていますが、性能については圧倒的な差があります。
 この大きな性能差は、材質によるものです。
 ロングボウの材料となったのは主にニレやイチイの木でした。
 これらの木は加工しやすい反面、硬すぎて耐久性が脆いというデメリットがあったのです。
 弓において「シナリ(柔軟性と反発性)」というのは非常に重要で、硬すぎる材質は弓との相性が悪いといえます。
 一方、和弓の材質には「竹」が使用されていました。
 竹は、強靭・軽い・柔軟性・反発性など全ての特徴が弓とマッチしていたのです。
 こうして最高の材質を得た和弓は、数十m離れた敵を射抜くのに適した最強の武器として君臨したのです。
 小倉城の展示物 銃のイメージ
 同じ遠距離武器の鉄砲が到来した戦国時代でも、弓の汎用性や導入価格の手軽さもあり使い続けられています。
・和弓を扱うことができた日本人
 小倉城庭園の展示物 和弓のイメージ
 最高の素材で完成した和弓ですが、身長の低い日本人が扱うのは至難の業でした。
 厳しい訓練を積んだ弓兵でさえ、大半の者が本来のスペックを発揮できなかったといわれているのです。
 そんな和弓を極めた人物も存在します。
 なかでも有名なのが、平安時代の貴公子「那須与一」です。
 彼は幼少期より、ツバメの足を狙って撃ち落とすという大人でも難しい技を練習していました。
 そんな彼は馬に跨って和弓を扱うなど、器用な戦闘スタイルで戦場を支配。源氏の英雄・源義経も信頼する家臣のひとりとして活躍したといわれています。
・和弓の伝説
 小倉城
 歴史上、和弓が最も活躍したのは「元寇」での戦いかもしれません。
 元寇は、当時世界最大の国力を誇る最強国家モンゴル帝国が日本に侵攻してきた事件です。
 結果として、日本は圧倒的に不利と思われた戦いを勝利しています。
 勝因は「天候が味方した説」が通説として語られていますが、実は実力も決して劣っていなかったといわれているのです。
 蒙古軍(モンゴル軍)の強みは、弓と集団戦でした。
それまでの日本では一対一の戦いが基本であり、初見の集団戦には苦戦を強いらたといいます。
 そこで、日本軍は弓の性能差で戦いを有利に進めました。
 蒙古軍が使用した弓は殺傷能力が低い代わりに、矢に猛毒を塗りつけたもの。
 しかし、日本軍は長距離射程の和弓を使用していたため、蒙古軍の弓の射程圏外から安全に攻撃できたのです。
 諸説ありますが、元寇での勝因には和弓の存在も大きく関わっていたと考えられています。
 小倉城庭園
 今回筆者が撮影した画像の和弓は、元寇の戦場となった九州の福岡県にある「小倉城庭園」で撮影したものです。
 小倉城と同じ敷地内にあるため、一緒に観光することができます。
 興味を感じた方は、足を運んでみてください。
 山内琉夢
 歴史プレゼンター
 歴史ライターとしての活動経験を持ち、今までに32都府県の歴史スポットを巡ってきました。実際に現地へ行くのが難しい方に向けて、取材した歴史スポットについて紹介します。また、歴史に興味をもったことがなかった方にも楽しんでいただけるよう、歴史偉人の意外な一面や好きな食事・おやつの紹介など、ワクワクするような内容をお届したいです。
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 刀剣・日本刀の専門サイト 刀剣ワールド 弓の基礎知識
 弓の基礎知識「弓・弓矢の基本知識」
 「弓矢」は、狩猟用に生み出された武具です。遠方の獲物に気付かれず、素早く仕留められる優れた狩猟道具であることから、世界各地で開発・改良されました。日本における弓矢は、西洋の弓矢と構造や形状が異なっているため、「和弓」とも呼ばれています。和弓は、現代でも競技の一種「弓道」で扱われ、その形状の美しさだけではなく、弓矢を構える姿の格好良さから海外でも人気です。「和弓」の特徴と共に「弓の名手」と呼ばれた武将たちの逸話をご紹介します。
 弓矢の歴史 YouTube動画
 【名古屋刀剣ワールド】弓矢の歴史|YouTube動画
目次
 弓・弓矢とは
 和弓の特徴
 和弓の使用用途
 弓の名手
 弓・矢籠・矢屏風・鏃写真/画像
 武具である弓や、矢籠・矢屏風・鏃といった芸術品を解説や写真でご覧いただけます。
 弓・弓矢とは
 弓を引いている人
 弓矢は、日本だけではなく世界各地で古くから使用されていた狩猟用の武具です。縦に起こして使用する以外に、横向きに構える「ボウガン」(クロスボウ)などの種類が存在します。
 狩猟をするために開発された弓矢ですが、手を触れることなく遠方の獲物を仕留められることから、特別な道具として神事や呪術などにも使われてきました。
 現代でも、日本の国技である「相撲」では、弓を用いた「弓取式」(ゆみとりしき:大相撲の本場所において行なわれる儀式のひとつ)が行なわれる他、「破魔矢」(はまや)や「破魔弓」(はまゆみ)などのように、家内安全を願うお守りとして浸透しています。
 和弓の特徴
 弓道
 「和弓」は、日本の弓矢を示す言葉です。世界にある弓矢と比較して、特筆すべき点はその大きさで、弓単体の長さは2m以上。
 また、長大なために弓を握る位置も中央ではなく、やや下部を握ることも特徴のひとつ。
 「弓道」という形で現代でも使用されていますが、練習しなければ真っ直ぐ飛ばすことができないほど、扱いがとても難しい武具です。
 和弓の構造
 和弓の種類と素材
 和弓は、歴史とともにその形が変化しています。
 石器時代の原始的な狩猟用の弓からはじまり、対人用の武器として「丸木弓」(まるきゆみ)が考案され、威力を上げるために竹と木を組み合わせた「合弓」(あわせゆみ)が登場し、そこからさらに合戦向けの「籐弓」(とうゆみ)へと発展したのち、戦国時代後期頃からは現代の弓道にも流用されている「弓胎弓」(ひごゆみ)などの競技用の弓矢が主流となりました。
 原始的な弓
 石器時代に使用された狩猟用の弓は、長くても160cmほどで、現在の和弓より小さかったと言われています。なお、素材が木材であるため現存する史料が少なく、当時の弓がどのような形状をしていたのかは明瞭になっていません。
 丸木弓
 丸木弓は、木の枝をそのまま利用した原始的な弓。奈良時代頃まで使用されていましたが、その構造は両方の先端部を削って、そこに弦を引っ掛けるだけという簡素な造りでした。
 弓の素材は木の枝だけなので、その威力は木の弾力性に頼るしかなく、また飛距離も短かったと言います。
 威力を少しでも上げるために、「梓」(あずさ)、「檀」(まゆみ)、「柘」(つげ)など、比較的弾力のある樹木が素材に用いられました。
 合弓
 「合弓」は、木を主な材料にして、外側に竹を張り合わせるという構造の弓。
弾力性がある竹と組み合わせることで威力が向上し、丸木弓よりも丈夫なため、のちに開発される弓胎弓の原型にもなっています。
 籐弓
 籐弓は、「籐」(とう:ヤシ科の植物)を巻き締めた弓。弓に籐を巻くことで、竹と木の接着を補強し、さらに威力を向上させることができます。
籐弓で代表的なのは「重籐弓」(しげとうゆみ)。長さが2mにもなる世界最大の弓です。最大飛距離は400mにもなり、また有効射程(敵に致命傷を負わせられる距離)は約80mもあったと言われています。
 弓胎弓
 弓胎弓は、弓を構成する素材のほとんどに竹を使用した合弓。
 従来の弓よりも耐久性や弾力性が優れており、また中心となる「芯」の部分にも竹を組み込んだことで威力が増しました。
 素材・構造共に現代の弓道で使用する弓具の基礎となった弓とも言われており、弓の弦を引く際に使われる手袋型の弓具「弽」(ゆがけ)も、弓胎弓が制作された頃にその原型が作られたと言います。
 和弓と洋弓の違い
 日本の長大な弓を「和弓」と呼ぶのに対し、西洋の弓は「洋弓」と言います。
 洋弓には主に、縦向きにして使う「ロングボウ」型の長弓、ロングボウより短い弓「コンポジットボウ」、横向きにして使う「クロスボウ」型の機械弓などがあり、国や時代によってそれぞれ独自の進化を遂げました。
 和弓に最も近い形状の「ロングボウ」は、グレートブリテン島ウェールズイングランドなど、ヨーロッパの中でも一部の地域では使用が確認されています。
 しかしそのあと、日本同様に銃が普及したことで徐々に戦場から姿を消しました。
 なお、和弓と洋弓はその形状だけではなく、素材や矢をつがえる位置も異なっています。和弓では、弓の中央からやや下部で矢をつがえますが、これは張力を上げるためです。
 張力が上がれば、より遠くへ矢を放つことが可能になりますが、正確に的へ飛ばすには高い技術力が必要になります。
 また、和弓には立った状態で射る「立射」(りっしゃ)、床に膝を付いた状態で射る「座射」(ざしゃ)の他、「射法八節」(しゃほうはっせつ)と呼ばれる独特の作法が存在するなど、洋弓とは様々な点で異なっているのが特徴です。
 一方で、弓の中央に矢をつがえる洋弓は、最低限の練習等は必須ですが、的に当てることは和弓ほど難しくないと言われています。

         和弓         洋弓
大きさ      約210cm       約120~180cm
主な素材     竹・ハゼノキ・唐木  イチイの木・ニレの木
射程       400m以上      約300m
矢をつがえる位置 中央より下部     中央

 和弓の使用用途
 狩猟
 日本では、石器時代から狩猟用の武器として弓矢が用いられていました。
 当時、制作された銅鑼(どら)に彫られた絵には、弓矢を携えている人の様子が描かれていますが、実際に当時の弓がどのような形状をしていたのかは、実は定かになっていません。
 理由は、弓が天然素材の武器であるため。本体部分が木などで作られていたと想定される矢に関しても、発掘調査などで出土するのは、石や骨の他、鉄などの金属で作られた「鏃」(やじり:矢の先端に付く、的に刺さる部分)のみです。
 石器時代の弓矢は、後世に発達した弓胎弓(ひごゆみ)などのように、強度や威力は高くなかったと推測されるので、使用する際は近距離の動物などを狙ったと考えられます。
 合戦
 時代を経て、狩猟から対人用の武器として変化した弓矢は、次第にその形状も長大さを増していき、合戦時には刀剣や槍などの近接用武器をしのいで、弓矢が主要武器として使われるようになりました。
 対人武器として用いられた時代は長く、平安時代頃から戦国時代中期、つまり鉄砲が普及した直後までは、合戦で欠かせない武器として重宝されます。
 「源平合戦」をはじめとした中世の合戦では、騎兵を含めてすべての兵が弓矢を携え、矢を使い終わったあとに太刀を使用して近接戦闘を行なったと言われています。
 また、戦国時代になり、鉄砲が登場しても弓矢は依然として主要武器であり続けました。理由は、鉄砲より静かに遠距離を狙えるため、隠密行動時の武器として優れていたため。
 また、鉄砲は威力が高い一方で装填に時間がかかったり、雨のときは火薬が湿気ると着火できなかったりするなどの欠点があったことも理由に挙げられます。
 合戦では、鉄砲の装填時間を考慮して弓矢部隊を傍に配置し、鉄砲隊が次弾を装填する間に弓を射り、敵を牽制するという連携で欠点を補いました。
 源平合戦
 歴史上の人物が活躍した合戦をご紹介!
 弓の名手
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 ウィキペディア
 和弓(わきゅう)とは、日本の弓道・弓術およびそこで使用される長弓の弓を指す。また「和弓」とは洋弓(アーチェリーの弓)に対する語。日本の弓の特徴は、長さが2メートル以上もある長弓であるということと、弓幹の中央よりも下を握って使用することの二点である[1]。古来は大弓(だいきゅう、おおゆみ)と呼ばれており、全長およそ2メートル以上のものを指した。現代では全長は七尺三寸(約221センチメートル)が標準とされている。これ以外に半弓(六尺三寸)や、より短いものも存在する。一般的には複数種の素材を積層させた複合弓「ラミネーテッドボウ(英語版)」に分類される。
 なお、和弓において、弓を製作する人のことを弓師、矢を作る人は矢師、ゆがけ(手にはめる手袋)を作る人はかけ師と呼ぶ。

 特徴
 和弓を引いたイラスト
 洋弓が全長160センチメートル前後、弓の中心を把持しハンドル、リム等にパーツが分かれている構造なのに対し、和弓は全長が標準で七尺三寸(約221センチメートル)、下から3分の1、弓の中心から見て下部寄りを把持し(上長下短)下から上まで全長に渡ってひと繋がりの構造となっており、全長だけ見れば和弓は世界最大の弓である。
 上長下短の構造は一見バランスが悪いように思えるが、握りの位置が丁度弓の震動の節にあたり、持ち手に来る振動が少ないという利点がある。また高度な技術ではあるが、上下の長さの差から来る弓の上下の反発力の違いを利用し、矢の飛び方に変化(飛距離を出す、鋭く飛ばす等)を付けることができる。
 また一説では、弦を張った状態の弓を矢を番える位置で上下に分けると長さの比率が黄金比になると言われており、そのことも美しさの所以とされている。
 弓は原則として左手(弓手)に持ち、矢は弓の右側に番え(洋弓は左側)、右手に弽(ゆがけ)を挿して(はめて)引く[* 1]。取り掛けは右手親指根辺りで弦を保持し、筈を人差し指根で抱え込むように保持する蒙古式を取る(洋弓は人差し指〜薬指で弦を保持する地中海式)。上から大きく引き下ろし、最終的に右手が右肩辺り、弦が耳の後ろに来るまで大きく引く。
 なお、弓本体の右側に矢をつがえて放つという構造上、そのまま矢を放てば矢は弓本体に阻まれ、狙いは右に逸れてしまう[2]が、弓手の手の内の働きにより弓は反時計回りに素早く回転する。射手の技量の度合いによるが完全に弓手の手の内が働くと弓は180度以上回転し、これを「弓返り」(ゆがえり)と言う。但し放った後に弓が回転しながらも握り革より下に落ちる場合は弓手の手の内の働きは不十分かつ、緩く弓を握っているだけであり、正しい弓返りとは言わない。また弓返りすることで弦が矢に接触している時間が長くなり、矢はより加速されるという。
 日本の武士は長弓を騎乗時にも使っていたが、短弓と比較して馬上で扱いにくく、馬手(右手)側を狙うのが困難であるため、長弓を馬上で扱う技術は日本以外では発展しなかった。モンゴルなどの騎射を主体とした騎馬民族の多くは馬上で扱いやすい短弓を使っていた。

 威力
 和弓は世界的に見ても大型の弓であり、矢も長くて重いため射程は短くなるが、武器としての威力は高い。「ナショナルジオグラフィックチャンネル」の番組「武士道と弓矢」の中で、ドロー・ウェイト23キログラムの和弓と、同23キログラムのイギリスの長弓(ロングボウ)の威力を科学的に比較する実験を行い、高速度カメラで撮影して検証したところ、矢の速度は両者とも34メートル毎秒で同等だが、和弓のほうが矢が長くて重いこと、和弓独特の射法のおかげで和弓から放たれた矢は安定して直進すること(イギリスの長弓から発射された矢は、飛行中わずかに斜めに曲がる)などの理由により、威力は和弓が勝るという結果になった。具体的には、人体の密度を再現した銃弾テスト用のジェルブロックを的として矢の貫通力を比較したところ、イギリスの長弓の矢が25センチメートルの深さまで刺さったのに対して、和弓の矢は30センチメートル刺さった。
 また、筑波大学教授であり日本武道学会弓道専門分科会会長[5]他を務める森俊男が行なった実験では、全日本弓道連盟五段の人物の放った矢は15メートル先の水の入ったブリキのバケツ、厚さ9ミリメートルの木材3枚を貫通するなどし、空中に吊した厚さ1ミリメートルの鉄板を火花を散らせつつ数センチメートル射貫き、また厚さ1.6ミリメートルのフライパンをも2センチメートル程度射貫く威力を見せた。この実験に用いた弓は、22キログラム(矢尺90センチメートルの時)。この文献には矢の性能諸元は明記されていないが、2005年現在の平均的な射手の場合、矢の初速は60メートル毎秒(216キロメートル毎時)程度であると述べられている。
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 在日本大韓民国民団
 韓国文化の素晴らしさ科学で証明…米で教材に
 射程距離に優れた韓国弓
 慶州博物館のエミレの鐘
 ナノテク権威の金京淑教授・人気講座
 「古代の弓も知恵の結晶」
 ナノテクで世界的に認められている在米韓国人科学者の金京淑・米ブラウン大学教授(機械工学科、60)は、科学的に韓国文化の素晴らしさを説明する手作りの教材を講座に用い、受講生たちの人気を集めている。
 金教授は同大学工学部の基礎必須科目「力学と振動」の講義で、645年に高句麗の安市城で楊万春将軍が、高句麗に攻め入った唐の太宗の目を矢で射ったという一説を用いた後、弓の作動原理を工学的に究明し、世界的にも韓国の弓が優れている根拠を示した。
 実験で使用した韓国弓の弦の長さは120センチ、英国の長弓180センチ、日本の弓2センチに比べて短いが、射程距離は2、3倍長く、最大1㌔まで飛ぶことを確認した。
 韓国の伝統的な「角弓」は、水牛の角と牛の腱、竹やクヌギの木などを使った複合弓で、異なる材質を合わせることで強度が増し、大きな力が生まれるのが特徴だ。体型にあまり左右されずに、遠くまで飛ばすことができる。
 また金教授は、韓国の弓は湾曲部の頂点が2カ所あり、1段目、2段目の反発力で矢を加速させることを明らかにし、「推進力を高めるための、昔の人の知恵」と話した。
 「弓だけでなく、エミレの鐘、亀甲船、鮑石亭のような韓国の文化遺産が科学の原理を基盤としている」と話す金教授は、エミレの鐘の音が西洋の鐘と異なり、遠くまで響く原理を究明した「アドバンス・ダイナミックス」という教材を作成し、活用している。
 金教授はこの教材を米国全域に広めるため、米工学教育協会で発表した。
 (2012.2.8 民団新聞)
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