⚡54】─1─日本メーカーのIoT製品はなぜ使い物にならないのか?~No.248No.249 ㉛  

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 日本製品は、競争力がなくなったというより、如何しても、是非が非でも、買いたいという魅力がなく、他人に見せて自慢したいという意欲も湧かない。
 つまり、日本製品は「つまらない」という事である。
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 日本の科学技術力は見る影も無く、作るモノの多くが時代遅れとして役に立たなく、欧米はおろか中国、韓国、台湾、その他の国々が生産する物に比べて競争力がなく売れない。
 1980年代以前のメイド・イン・ジャパン神話は、2000年以降では色褪せ、2010年以降では地に落ちた。
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 2021年10月13日 MicrosoftNews ダイヤモンド・オンライン「日本メーカーのIoT製品はなぜ使い物にならないのか?
 © ダイヤモンド・オンライン 提供 酒井真弓氏(左)、鎌田敬介氏(右)
 「DXの課題は、勉強する気のない子どもをどうやってやる気にさせるかに似ている」――こう表現するのは、Armoris取締役CTOでサイバーセキュリティの専門家である鎌田敬介氏だ。日本企業のDXを阻害する要因は何か、どうすればDXが進むのか?『ルポ 日本のDX最前線』筆者の酒井真弓氏が鎌田氏に訊いた。(ノンフィクションライター 酒井真弓)
 ※本稿は、酒井真弓著『ルポ 日本のDX最前線』(集英社インターナショナル)の一部を再編集したものです。
 国内外でサイバー攻撃演習を実施している鎌田敬介氏は、活動を始めた2007年当時と比較して、特にASEANにおける参加者のレベルが格段に上がっていると証言する。欧米への留学経験者も増えて英語で活発に議論できる上、演習の終了後も質問が飛び交い、有事に見舞われたときに相談できるよう、人的コネクションの維持にも余念がないという。
 一方、「会社に行けと言われたから参加しました」というのが日本の参加者のスタンダード。主体性に乏しく、参加者同士で議論してもらうきっかけを作るのにも苦労することがあるという。経済成長が鈍化し、「失われた30年」などと揶揄される現在の日本だが、サイバー攻撃演習の取り組み方一つ取っても、その一因が垣間見えるようだ。この傾向が、日本企業のDXに無関係とは言い難い。
 形式にとらわれすぎる社員
 酒井 諸外国と日本の会社員を比較して、DXを阻害する要因はどこにあると考えますか。
 鎌田 従来型の日本企業の人たちは形式的なことに興味を持つ、ということがまず言えます。そして海外と比較しなくても、日本でも今風な企業の人たちは、実質的なことに興味があるように思います。形式的なことというのは、服装はスーツにネクタイとか、毎朝9時に出社するとか、仕事のやりとりは会社のメールアドレスでないといけないとか。業務効率が改善する可能性があるのに、そこから逸脱してやろうとは思わない。今風な人たちは、メールでなくてもメッセンジャーやチャットなど、より速く快適に連絡がとれればよいと考えています。
 どうってことのない違いに思えるかもしれませんが、これが実際のビジネススピードに大きく影響するんです。ある日本企業が東南アジアの国の通信省の役人とアポを取るのに公式ルートで3カ月かかりました。一方、私に知り合いのツテがあってLINEから連絡したところ、たった5分でアポが取れてしまったんです。
酒井 それは大きな差ですね。私も普段、「LINEで5分」な人たちと働くことが多いのですが、久しぶりにそうでない人と接すると、面倒くささを感じてしまいます。
 鎌田 私もそうです。グローバルでも、「きちんと手順は踏むけれどそのぶん遅い企業」はもう相手にされなくなると思いますよ。
 酒井 形式を重視するあまり損をする例は他にもありそうですね。
 鎌田 ある日本の大企業が、海外のクラウドサービスを使いたいとなったとき、そこの営業に来てほしいんだけど、日本に担当者がいなかったんです。簡単な説明をしてくれる人も置いていません。じゃあ見積もりを作ってくれと言っても、見積もりも作ってくれません。どうすればいいんだと聞いたら、「試しに使ってみて、よかったら買ってください」と。
 しかしその企業には、そんなふうにサービスを買う習慣がなく、旧来の商慣習を踏襲するために、別のIT商社に見積もりを作らせて、毎月1500円で済むサービスに何倍ものお金を払ってようやく使えるようにしていたんです。
 酒井 コスト削減を重視しているのに、形式を守るために平気で無駄遣いをしてしまうと。
 鎌田 しかも、無自覚でやっているケースが多い。見積書にハンコが必要というのも形式的ですし、本当は見積書なんてなくてもメールに金額が書いてあるだけで事足りるはずです。
 酒井 「日本企業は失敗を恐れる」とはよく言われますが、そういった組織文化がDXを阻害することもあるのでしょうか?
 鎌田 失敗を恐れるというよりは、「試しにやってみよう」くらいの感覚で新しいことに取り掛かるような、ライトウェイトな仕事のやり方ができていないということだと思います。何をやるにも検討に時間をかけ、大仰な社内儀式を経てやっとやるかやらないかが決まる。やり始めるまでのコストが高すぎて、「試しにやってみて、失敗して、また次」と気軽に回せるようなスピードで仕事ができないということだと思います。
 「自分の考え方は古い」と自覚することが、DXの第一歩
 酒井 課題山積であることはわかりましたが、ズバリDXはどうすれば進むと思いますか?
 鎌田 まずは、形式重視から実質重視な組織に変わること。形式重視の人たちがどうしたら実質重視に変わるかというと、自分の考え方は古いと自覚する機会を増やすことです。
 いっとき、いろいろなIoTデバイスを買い込んで遊んでいたのですが、海外製品は大抵どれも他のデバイスと連携させる目的でデータが取得できるのに、日本の製品は違った。「繋がらない」なんて、IoTの本来の価値を見失っています。IoT製品を作ること自体が目的になっているからそうなるんだと思います。
 それで何が起きるかというと、いろんなメーカーのモノを組み合わせて自分のデータ分析基盤を作ろうとしたときに、海外製品なら選択肢がたくさんある。でも、国内製品で揃えようとすると、要件を満たさず使い物にならない。国内製品を積極的に選ぶ人ほど損をするし、自由度が低くて「IoTなんてこんなもんか」とがっかりさせてしまうような状況をメーカーが自ら作り出しているんです。
 日本のメーカーは、価値を生み出すのはソフトウェアであるという事実に長く目を背けてきました。「ものづくり大国」と言われた頃の成功体験が足かせとなり、ニーズの変化にどう対応していいかわからなかったとも言い換えられる。これが今、作り手と市場との間に大きなギャップを生んでいます。昔のバランス感覚のままでは生き残れない。そこに気づけない会社は淘汰されるということです
 実質重視の人が増えればDXは進むが……
 酒井 どうすれば組織の中に実質重視の人が増えるのでしょうか?
 鎌田 会社にいることが仕事だと思い込んでいるような人でも、周りが皆そうじゃないと言い始めれば意外と変わっていくものです。「朱に交われば」ってやつですね。集団心理を逆手に取るんです。
 実質重視の人がマジョリティな組織になっていけば、企業はDXしやすい方向に傾いていくと思います。いかにそういう人たちを増やしていくか、そして、会社として実質重視の人たちをどう守っていくかを考えなければなりません。
 酒井 確かに。そういう人って潰されがちですよね。
 鎌田 大企業あるあるですね。以前、ある大企業のセキュリティの検討会に同席し、その場にいた1人だけがまともで、他の10人が古くてまともでない考えを言っているという場面に遭遇しました。当然そんな状況では前者の意見ではなく、人数が多い後者の意見のほうが通るわけです。
 酒井 古い意見に賛同した人たちも、本当は間違っているとわかっているのでしょうか?
 鎌田 わかっていない。勉強しないので、昔の知識や思い込みで判断してしまうんです。勤務時間以外は仕事には関わらないと決めて、大企業になればなるほど頭を使わない人の実数も多く、自己研鑽のために自腹を切るという発想も危機感もありません。
 「大企業の社員であること」という、いびつな満足感
 酒井 大企業の人間ではないですが、私にとっても耳の痛い話です。確固たる理想像があれば勉強するようになるのでしょうか。
 鎌田 そうとも限りません。マズローの欲求5段階説でいうと、形式重視で勉強しない人たちは「社会的欲求(所属と愛の欲求)」か、せいぜい「承認欲求」のところにいるんですよ。大企業に属していれば、一応「社会的欲求」は満たされるでしょう。理想像を追い求めるのは、その上の「自己実現の欲求」です。
 酒井 「社会的欲求」で止まっているんですね。だから、社名や肩書のほうに興味があると。「大企業の社員」という型にはまっているほうが楽なのかもしれませんね。

 鎌田 「井の中の蛙」の状態ですよね。プライベートのときでさえ、会社の看板を背負って社外の人と接してしまったりする。大企業に入ることが一生安泰に繋がらなくなって久しいけれど、未だにそういう価値観で子育てをしている親はたくさんいる。「いい大学入って有名な大企業に入るのが一番幸せ」って。
 一方、私が取り組むサイバー攻撃演習で主体性を発揮する東南アジアの若者たちは、「自己実現の欲求」ステージにいます。現代的な価値観を備えており、向上心があって形式にとらわれない。自律的に学び、「知らない」を「知っている」に変えられて、「できない」を「できる」に変換する能力がある。例えば、「アジャイル」という言葉が出てきたとき、本を読んで理解したつもりになっている人たちには永久に理解できない世界観です。
 本を読んだだけでわかったつもりにならず、自分の足で歩いて、見聞きして、人と話して、現代の価値観と自分の感覚にどのくらいギャップがあるかを肌で感じてほしい。例えば、50代のおじさんがデジタルネイティブの高校生と本音で話し合う機会を30分でも得られれば、どんな本を読むよりも多くの学びが得られるでしょう。そういった機会を自ら取りに行くというメンタリティがあるかどうか。それこそが、これから必要とされる人材とそうでない人材の境目だと考えています。身近にない、なるべく遠い世界と接することにヒントが隠れているはずです。
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 日本白物家電はメイド・イン・ジャパンとして飛ぶように売れたが、中国企業や韓国企業との価格競争そして技術競争に敗れ、国際市場はおろこ国内市場からも姿を消し、有名か家電企業が中国資本に買われ中国共産党・中国軍支配下の中国系日本企業となった。
 自動車産業やその他の製造業も、何れは中国資本の傘下に吸収される可能性が高い。
 それは、日本民族が古代から怖れていた悲惨な状況であるが、国内の親中国派・媚中派、反米派・反安保派、護憲派・反自衛隊派そしてマルクス主義の反天皇反民族反日的日本人達の暗躍で、昔の日本人が怖れ避けていた方向へと徐々に進んでいる。
 つまり、中国共産党による日本のチベット化・ウイグル化・内モンゴル化である。
 現代日本人が理想とする日本人とは、歴史的伝統文化を生み出してきたローカルな日本民族ではなく、歴史的伝統文化を捨てたグローバルな日本国民である。
 つまり、日本民族とは滅び行く民族である。
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 日本の最大の悲劇は、日本民族としての少子高齢化による人口激減が加速化している事である。
 その原因は、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者・学者が戦前の「生めよ殖えよ」策や徳川幕府の出産・育児奨励、老親孝行などの人口増加政策を犯罪行為として完全否定しているからである。
 日本の総人口は、徳川幕府初期約1,600万人、幕末期約3,000万人、1945年頃約8,000万人、1980年頃約1億3,000万人で、全ての時代が人生50年時代で若者が多く老人が少ない、子供がうるさいほどに遊びまわる強欲な活動期であった。
 今後の日本は、人生100年時代で老人が多く若者が少ない、気力が萎えた老人がヨタヨタ歩きで徘徊する無欲な衰退期である。
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