📉8】─2─バカな日本人増殖中…「精神年齢が幼児の大人」が社会システムを腐らせ。〜No.15 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 現代日本人は、日本人極悪非道の罪人史観の戦後民主主義教育を疑問を持つ事なく素直に、真面目に受けてきた。
 その教育を優秀な成績で卒業してきたのが、超エリート層と言われる超難関校出の高学歴な政治的エリートと進歩的インテリ達である。
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 2024年11月20日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「バカ増殖中の日本に知の巨人が警鐘…「精神年齢が幼児の大人」が社会システムを腐らせる絶望的事実
 お客様は神様ですと本気で信じているのか、土下座での謝罪を要求する。自分が絶対的な正義だといわんばかりに、SNSで他者を叩き続ける。政治家の劣化もはなはだしい。バカが増殖する今、賢者の声に耳を傾けよう。
 【図表】過去3年間の企業におけるハラスメント該当事例の有無
■抑制の利かない人が社会の主流を占める
 【内田】日本人の知性はどんな状態なんでしょう。ネット上では、やけに威勢のいいことを言う人間が増えました。差別的な思想や利己的な考えは、心の中にあっても口にはしないものだったのですが、今は思ったことをそのまま口に出すようになりました。これは知性の問題というより、むしろ抑制の問題ではないかと思います。僕はもう10年ほど、「抑制が利いてる」という評言を耳にした覚えがありません。「抑制の利いた文体」を褒めるのも久しく見たことがない。
 【養老】10年くらい前ですけれど、「子どもの辛抱」について研究してる人がいてね。パソコンの画面を見せて「こういうことがあったらボタンを押しなさい。こういうときは押したらいけない」と指示すると、子どもというのはボタンを押したがるので、押してはいけない場合に解答を間違えやすいんですよ。
 結果は、間違える割合が、当時の小学校6年生と2年生で同じくらいだった。要するに「6年生なのに、2年生くらいの辛抱しかできなくなっている」という結論が印象的でした。子どもだから素直だといえばその通りですが、かつては教育なりしつけなりが、分別や我慢を教えていました。共同体の中で、抑制はひとりでに養成されていたんです。それがなくなって野放図に育った人たちが、社会の主流を占めるようになったんじゃないですか。
 【内田】幼児のまま成長が止まっているという印象は僕も受けますね。抑制というのは市民的な成熟を要求することですから。常識が抑制のための装置として機能しなくなってきたと感じますね。「いくらなんでも非常識」という言葉の実効性が失われてきました。
 カスタマー・ハラスメントも、消費者が本当にサービスの質の向上を求めるなら、するはずのない行為ですよね。従業員に理不尽な屈辱感を与えれば、働き手がいなくなって、人手が足りなくなり、やがて閉店する。それまで受けられたサービスが受けられなくなるから損失をこうむるのは消費者自身なのに。
 【養老】学校の教育もそうですよね。教員が離職する理由の第一が、保護者からのクレームですから。
 【内田】カスタマー・ハラスメントにしても保護者からのクレームにしても、昔だったら口を開く前に、一度足を止めて「これをすることで結果的に自分に利益がもたらされるかどうか」を計算すれば、「言わないほうがいい」ということのほうが多いはずなんです。でも、それよりいきなり相手に屈辱感を与えて、いっときの爽快感や全能感を手に入れることを優先する。そのせいで社会システムがあちこちで崩れ始めている。その被害をこうむるのは自分たちですから、まことに愚かです。
 【養老】常道というのは、社会が醸成するものですからね。
 【内田】言葉の厳密な意味でもっと「利己的に」ふるまうべきだと思うんです。長期的なスパンで、安定的に自己利益を確保できるかどうかを配慮したら、その場で自分の一時の感情に流されるより、抑制したほうが利益が多い。感情を剥きだしにすることは太古的な共同体では禁忌でした。抑制するというのは別に近代的なマナーであるわけではなく、人間が共同的に生きてゆくために必須の人類学的ルールなんです。
SNSでの主張は他人の受け売り
 【養老】心理学の教科書には、喜怒哀楽が表情でわかると書いてあります。顔には表情筋というのがたくさんあるので、「感情の変化によって、どの筋肉がどのくらい収縮するという客観的な基準があるはずだ」と仮説を立てて徹底的に調べた人がいるんですが、成り立たないんですね。感情というのも社会的かつ相対的なもので、客観的な定義が存在するわけではありません。
 【内田】感情表現は明らかに社会構築的ですね。学生を見ていると感情表現が僕らの頃に比べると明らかに過剰なのがわかる。同意を示すときに「そうだね」と頷くのではなく、ピョンピョン跳ねてハイタッチする。疲れるだろうと思うんですけれども(笑)、それくらい過剰に感情表現しないとコミュニケーションが成立しないらしい。言葉の抑揚や表情の変化からメッセージを読み取る能力が著しく低下している。
 【養老】アメリカ式へ寄ったんですね。
 【内田】アメリカのように出自が異なる集団間では、わずかな発声や表情の変化では意味が通じない。だから、どうしてもオーバーアクションになる。でも、日本人がそれを真似ることはないんですよ。それと同じように、話を簡単にする圧力も感じます。複雑な話を嫌う。メディアはコメントを一言でまとめることをうるさく求めますね。
 【養老】僕もそう感じます。コメントを求められたとき、本当は「そんなこと、一言で言えるわけないだろ。バカもん!」と答えたい。僕が大学でいつも怒っていたのは「先生、やさしく説明してください」と言われることです。問題が難しいんだから、説明だって難しくなる。
 【内田】SNSでも、何か一言言わないと気が済まないという人が多いですね。どうして、そんなに口をはさみたいのかな。あれはもしかすると、自分が多数派に属していることを確認したいからじゃないかと思うんです。マジョリティに属していることを承認してもらわないと気持ちが落ち着かない。
 【養老】もはや、自己表現という病じゃないでしょうか。
 【内田】いや、あれは自己表現というのではないと思いますよ。だって、言っている中身は他の人の受け売りや、定型句の繰り返しなんですから。「自分は『その他大勢』である」ということを声高に主張するのを「自己表現」とは呼ばないでしょう。あの人たちにとって、たぶんコンテンツはどうでもいいんです。メンバーの頭数が多い言論集団に参加していたいだけなんです。ネトウヨやヘイトが隆盛するのも、あそこにいくと、みんな同じ言葉づかいをするからでしょう。あそこにいれば個体識別されない。
 集団に溶け込んで、匿名性を獲得したいという気持ちはわかるんですよ。頭数の多い集団に属していると楽ですから。どんな乱暴な、非論理的なことを言っても、自分の同族の誰かがエビデンスを示したり、理路整然と論証してくれることを「当てにできる」から。だから、多数派に属していると、どんどん言葉づかいが粗雑になる。テレビのコメンテーターで暴論を吐く人たちは「俺のバックには、同じ意見の人間が何十万、何百万もいる」と信じているからあんな言葉づかいができるんです。養老先生や僕のような「こんな変なことを言うのは自分しかいない」というような少数派の人間は、誰かが意見をもっと上手に代弁してくれることをまず当てにできません。だから、情理を尽くして語るしかない。道行く人の袖を掴んで、「ちょっと僕の話を聞いてくれませんか」とお願いするわけですから、どうしても話がくどく、長くなる(笑)。
 【養老】調べ物でも何でもスマホに頼って、他人と同じ結果を得て満足するのと、同じ構図でしょう。楽なほうが気持ちよくて面倒くさいのは嫌だという、単純化の方向へ流れているんです。
 【内田】「論破」ということをありがたがる風潮もよくないですね。だって、相手をうっかり論破したりすると、その成功体験が後々災厄をもたらすでしょう。後になって自分が言ったことが間違っていたとわかっても、相手に傷を負わせたという事実は変えられない。今さら謝っても仕方がない。となると、論破した人は「私は一度も間違ったことを言っていない」という物語にしがみつくようになる。でも、人間は自分の誤りを間断なく修正しながら成長するものです。うっかり論破なんかしたら、成長を自分で止めることになる。自分に対する呪いですよ。
■身体を動かすことで頭を使えるようになる
 【養老】内田さんと『逆立ち日本論』(新潮選書・2007年)という対談本を出したとき、「我々にはオバサンぽいという共通点がある」と気づいて笑いましたね。オジサン的というのは、僕の若い頃を席捲したマルキシズムのように、社会観なり歴史観が予めあって、物事を裁断する。それに対してオバサンぽいというのは、具体的で日常的な事柄から説き起こすことです。
 僕はマルキシズムに対する反動みたいな形で自分の考えを形作ってきたので、日常に関わりのないテーマを熱くなって議論してみても仕方がないと思っています。学生時代に、嫌というほど刷り込まれた実体験です。
 【内田】僕は、マルクスも本質的にはオバサンだったんじゃないかと思ってるんです。マルクスは実際に自分が見聞したヨーロッパの労働者たちの悲惨な就労環境に対する激しい怒りに駆動されて、資本主義はどうしてこんなに非道な仕組みなのかを解明しようとした。生々しい惻隠の心から発しているんです。でも、それ以後のマルクス主義者は、マルクスを勉強してマルクス主義者になった。だからオジサンなんです。
 【養老】だから僕は、「みんな田舎へ行け」と言ってるんですよ。都会では人の顔を見て口や手だけ動かしていれば済みますが、田舎暮らしだと、何でも自分の身体全体を使ってやらなければいけないからです。
 身体を動かすのに頭を使う必要があると、普段から意識している人はほとんどいません。しかし身体を使うことを省略していったら、脳みそを使うことも省略されます。頭を使わなきゃ身体は動かないって、脳卒中になったらわかりますけどね
 【内田】僕は合気道の稽古を通じて自分の身体を観察しているので、本を読むときも、人の話を聞くときも、自分の身体の反応を観察しています。身体って非常に知的な器官ですからね。
 【養老】ところが役に立たないと思ってるんですよ、この国は。
 【内田】僕の見る限り、小学校6年生までの子どもは昔とあまり変わらないです。素直で、元気です。でも、中学に入って高校を卒業するまでの6年間で、みんな萎れてしまう。この中等教育6年間が、日本の教育の一番の弱点のような気がします。
 【養老】それは、いろんな面から指摘されていますね。小学生は口が達者で困りますけど(笑)。とてもかなわないですもん。
 【内田】言葉ってある種の呪力があるんですよね。「すみません、そこの窓開けてもらえますか?」と言うと、誰かが窓を開けてくれる。これ、よく考えたらすごいことなんです。わずか一言で他人を動かして複雑なタスクが一つ達成されるんですから。都会の子どもたちはこの「言葉の魔力」にいささか頼りすぎなんだと思います。田舎だと、「そこの雑草を抜いて」と言っても、誰も自分の代わりに抜いてくれる人がいない。自分の身体を動かすしかない。身体を使うしかないという場面に身を置けば、言葉がもつ全能感に対して抑制がかかるんじゃないでしょうか。
 言葉の魔術的な力は年々強まっているように見えます。SNSで罵倒されたせいで鬱になったり、自殺したりする人もいますが、言葉が、それも面と向かっての言葉じゃなくて、電気信号でしかない言葉が、他人を動かしたり、苦しめたり、場合によっては殺すことまでできる。言葉の呪力がここまで高騰したことはかつてなかったんじゃないでしょうか。
 【養老】オウム真理教の「ポアしなさい」という言葉を思い出しました。
 【内田】言葉の呪力にアディクトした人がより高い全能感を求めると、今度はものを壊すようになる。創造するより破壊するほうが簡単だから。創造を通じて現実を変えるのと、破壊を通じて現実を変えるのでは、破壊のほうが100倍出力が大きいといわれています。100年かけて建てた建物でも一夜で灰燼に帰すし、10年かかって築き上げた信頼関係も心ない一言で一瞬で壊すことができる。だから、全能感だけを求めて行動する人は決してものをつくらない。壊すようになる。
 【養老】僕は政治にまったく無関心で、チラッと聞こえてくるだけでも不愉快なんですね。というのは、岸田さんが選ばれた前回の自民党総裁選のとき、候補者4人の政策を新聞で一応読んだら、環境問題が皆無だったからです。だからもう、政治家に何を言っても無駄だと諦めていました。
 そうしたら岸田さんが、辞めると言い出す直前の7月に「観光立国推進閣僚会議」というのを開いて、「全国に35カ所ある国立公園すべてに、高級ホテルを誘致する」と提唱したんです。何を言ってるのか。国立公園では、虫1匹捕るのも規制されてるんですよ。
 【内田】そんなに厳しいんですか。
■破壊の快感に酔う政治家たちの無責任
 【養老】それなのに、平気でああいうことを言うなんて……。自然保護関係の団体がクレームを入れたみたいですけど、とんでもない話です。
 【内田】国立公園で動物や植物を保護するためには、日々の積み重ねが必要ですよね。そういう努力はなかなか可視化されません。でも、高級ホテルを建てて、それまで守ってきた自然を破壊することはあっという間にできる。だから、別に国立公園に高級リゾートを誘致しようとしている人は、それで金を儲けたいということだけじゃないと思うんです。それよりもみんなが大切にしているものを破壊することに快感を覚えているんだと思う。
 【養老】僕は環境と自然に関わって長いので、内田さんの言われた“壊す容易さ”というのがよくわかります。虫の標本だって、作るのにはえらい手間がかかるけど、壊すのはわけもない。
 【内田】政治がこの間やってきたことって、小泉純一郎から後はすべて「ぶっ壊す」ことですよね。既存のシステムを壊すことを「改革」と呼んでありがたがっている人たちは全能感にアディクトしているんだと思う。病気ですよ。
 よく「政治家がバカなのは、選ぶ有権者がバカだからだ」という言い方をしますけれど、僕は違うと思う。あの人たちが世の中の空気を決めているんです。政治家がバカになったのが先なんです。それを真似て有権者もバカになった。だから、バカ度の高い政治家がより高いポピュラリティを獲得する。政治が劇場化してからは声や動作の大きな人間、意外性のある芝居をする人間に目が行くようになった。
 【養老】日本人の面白いところは、本気にならないことだと僕は思うんですね。あまり必死にならず、考えずに済まそうとする習性があるんじゃないのか。
 いい例が地震への備えです。京都大学の総長も務めた地震学者の尾池和夫先生が、南海トラフ2038年という説を唱えています。しかし政治家もメディアも、税金で専門家を養成しながら、本気で話を聞きません。日本人には、悪い予測やシミュレーションは聞かない悪いクセがあるんです。
 今年元日の能登半島地震クラスが人口稠密(ちゅうみつ)地帯で起こったら本気で考えるようになると思うんですが、まだ必要に迫られていないので、なんとなく毎日を過ごしています。
 【内田】アメリカ人は最悪の事態を含めて複数のシナリオを併記しますね。「あり得ないようなシナリオ」を思いついて、その場合でも対処できる対策を起案できる知性が高く評価される。日本ではそういうことがない。さまざまなシナリオを考えて、それぞれについて被害を最小化する対応策を立てるという発想がない。最悪の事態に備えて整えた準備が仮に無駄になったとしても、それは何の備えもせずに最悪の事態を迎えた場合に失われるものとは桁が違います。ですから、本当に経済合理性に基づいて考える人なら、最悪の事態に備えて準備するほうが、楽観的に構えて何もしないより「算盤に合う」ことがわかるはずなのに。
■日本人の身体の6割は外国産である
 【養老】「東京一極集中を止めよう」というのが典型でした。文化庁が京都へ行ったきり、あとは知らんぷり。
 【内田】先生は、以前都市と田舎を定期的に入れ替える参勤交代みたいな制度を提唱されていましたね。
 直下型地震が首都圏を襲って、日本の統治機能も経済活動も壊滅的な被害を受けるというのがさし当たり想定しうる最悪の事態なわけです。だったら、とにかくリソースを地方に分散することですよね。リスクヘッジを考えたら東京一極集中は最悪手です。でも、実際には役所がひとつ京都に移っただけで、一極集中はさらに進行した。
 【養老】ちょっと考えれば誰でもわかるはずなんだけど、みんな本気じゃないんですよ。日常生活が保障されているのには功罪あって、その日常が壊されなければ真剣に考えない。食の安全保障もそうでしょう。食料はどこかから買ってくればいいだろうという現在の方策は、世界が天候不順で不作になった途端に破綻します。
 農林水産省は食料自給率がカロリーベースで4割に満たないと、ずっと前から警鐘を鳴らしていますが、誰も本気で聞いていない。だから僕は、「日本人の身体の6割は外国産だよ」と言ってるの(笑)。
 【内田】東大大学院の鈴木宣弘教授は、輸入している種や化学肥料まで含めて試算した実質自給率は、9.2%だと言っていますね。
 【養老】エネルギーの自給は、食料より難しいです。日本の場合、地熱か海を使うしかないでしょう。バイオマスの試算を見たことがあるんですけど、毎年の植物生産量をエネルギー換算すると、現在の日本人が使っているエネルギーの4%にしかならないそうです。
 【内田】たった4%ですか。江戸時代の人はよくやってましたね、薪だけで。
 【養老】ほとんどの山は、裸になってましたけどね。六甲山が典型ですけど。
 【内田】江戸時代は全国が276の藩に分かれ、食料もエネルギーも基本的には藩単位での自給自足体制でした。それで300年近くシステムが安泰だった。最終的に黒船がやって来て、このままでは植民地にされるので、やむなく藩を廃して、国民国家をつくった。
 【養老】内田さんは“廃県置藩”を提唱していたけど。
 【内田】そうです。県を廃してかつての藩に戻そうと今も主張してます。行政単位をもっと細かく割って、水力でも地熱でも潮力でも、それぞれの地域の特性を活かしてエネルギー自給体制を構築しておけば、どこかで発電が止まってもリスクヘッジできる。小さな単位に分けて、それぞれの単位内でエネルギーと食料の自給を考えるほうが安全だし、合理的ですよ。
 【養老】なぜ巨大化してきたかというと、効率を考えるからですね。人生のタイパコスパと同じで、効率で考えるとろくなことがありません。いずれまた黒船が来るでしょう。ずっとアメリカでしたが、次は中国かもしれません。
 【内田】アメリカは中国との戦争は絶対に避けたいと思っています。でも、在日米軍基地がある限り、日本列島近辺で偶発的に起きた軍事的衝突に米軍が巻き込まれるリスクは常にある。だから、米中戦争のリスクを回避しようと思ったら「在日米軍基地を撤収する」というのが最も合理的な解なんです。もしトランプが再び大統領になったら、日米安保条約廃棄という「ブラフ」を仕掛けてくる可能性はありますよ。
 【養老】新たな黒船が来たならローカルのほうが潰される。これが歴史の通例だと思います。
 【内田】次の黒船がどういう形で来るかは想像がつきませんけれど、今のように効率と収益性を重視して自給自足を軽んじる行き方にはまったく危機耐性がないのは確かです。もっとリスクに強い国づくりへシフトすべきです。
■人間がAIに勝てる唯一の部分とは
 【養老】シミュレーションが進みすぎて、シミュレーションから外れる事態は想定外だと言って消してしまう。それをやっていると当然、詰めて考えないクセがつくでしょう。考えることは生成AIにやらせて人間は楽をすればいいと構えていたら、考える訓練をどこですればいいのかわかりませんね。
 【内田】人間がAIに勝てる唯一のアドバンテージは、想像力を暴走させることができる点だと思うんです。経済も政治も複雑系ですから、わずかな入力変化で劇的な出力変化が起こる。必ず想定外の出来事は起こる。だから、どこまで想定外を想定できるかが人間が機械に勝てる点だと思いますね。
 【養老】そうですね。理科系の研究では人間がコンピューター的にシミュレーションするので、出てくる結果は想定内でクソ面白くもない。
 日本人が気づきを得るために、僕は南海トラフ待ちなんですよ。逆説的な言い方ですが。
 【内田】南海トラフが来たら、どうなります?
 【養老】「さて、これからの生活どうする?」という大問題に直面するでしょう。復興の過程で、大量の食料やエネルギーを輸入して消費する現在の形をどこまで維持しようとするか。仕方なく思い切って縮小して、ここまであればいいと割り切れるかどうか。
 そうした判断を今押しつけるわけにもいかないし、そのときになってみなければわかりませんけどね。
 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年10月18日号)の一部を再編集したものです。

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 養老 孟司(ようろう・たけし)
 解剖学者、東京大学名誉教授
 1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、毎日出版文化賞特別賞を受賞し、447万部のベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)のほか、『唯脳論』(青土社ちくま学芸文庫)、『超バカの壁』『「自分」の壁』『遺言。』(以上、新潮新書)、伊集院光との共著『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)、『子どもが心配』(PHP研究所)、『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~』(扶桑社)など多数。

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 内田 樹(うちだ・たつる)
 神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長
 1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。2011年、哲学と武道研究のための私塾「凱風館」を開設。著書に小林秀雄賞を受賞した『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、新書大賞を受賞した『日本辺境論』(新潮新書)、『街場の親子論』(内田るんとの共著・中公新書ラクレ)など多数。

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