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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本列島とは、同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
日本を自然災害が襲えば、広範囲で甚大な被害が発生し、夥し人が犠牲となった。
日本民族の叡智として、数多くの甚大な被害をもたらす自然災害の中を生き延び、数多の深刻な難題が山積の復興事業を乗り越えて、日本独自の宗教と哲学・思想そしてムラ式民主主義を生み出した。
現代日本人は、民族的な伝統力・文化力・歴史力そして宗教力を捨てた為に、民族特有の叡智は薄れ始めている。
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2024年2月20日 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「南海トラフ巨大地震で日本を失わないために
<能登半島震災のインフラ復旧の遅れを見ると、将来の震災の救援・復興支援体制は大丈夫かと不安になる>
輪島の孤立した集落に救援物資を届ける自衛隊員(1月7日) JOINT STAFF OFFICE OF THE DEFENSE MINISTRY OF JAPANーHANDOUTーREUTERS
能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、一日も早い復興をお祈りする。
【グラフ】日本社会は「ワーキングプア」の人たちに支えられている
日本経済を破壊しかねない「南海トラフ」大地震が数十年以内に起きる可能性が高まっているだけに、これを機に地震と国運の関連を考えてみたい。
1755年11月、ポルトガル沖の海底で起きた大地震は、津波と火災でリスボンを破壊し、約6万人の死者を出した。16世紀にはスペインと世界を二分する勢いのポルトガルだったが、17世紀に新興のオランダ、イギリスに香辛料貿易を牛耳られ、一時スペインに併合されて勢いを失い、この大地震でとどめを刺された、と言われる。
日本も、ものづくり、終身雇用、滅私奉公の大企業を核とする経済モデルを脱却し切れないうちに、GDPの順位がずるずると落ち始めた。その上、南海トラフ大地震が起きて、原発や企業間のサプライ・チェーンが破壊されたらどうなるのか。
そこで思い立って、チャットGPTに聞いてみる。「世界の歴史で、地震のために滅びたメジャーな文明はあるかい?」。5つほど挙げられた回答の中で、もっともだと思ったのは、クレタ島のミノア文明だけ。紀元前1600年頃、地中海サントリーニ島の大噴火で起きた津波などで破壊され、その後放置された。つまり、よほどの地形破壊がない限り一つの大都市、文明が地震だけで消えることはない。江戸幕府も1855年の安政大地震で滅びたのではない。
だが、南海トラフ大地震が起きた場合、救援・復興支援体制は大丈夫だろうか? 膨大な人員、資材、資金が必要になる。能登半島地震は個々のケースの報道ばかりで全体像が分からないのだが、現地にはトイレの問題から始まって、道路が復旧しないから救援物資が届かない、重機が来ない、ボランティアも来られない、電気や水道が復旧しない、という不満がある。
■断層地帯の原発は閉鎖の検討を
日本で地震のような天災が起きた場合、災害対策基本法を根拠に内閣府が関係省庁を調整する。今回、内閣危機管理監の発表資料を見ると、防衛省・自衛隊から全国知事会、消防、日本医師会、日本水道協会まで、人員や資材、バキュームカーの派遣等々、至れり尽くせりに見える。
しかし今回道路の修復が肝要だったのに、それに最も適した自衛隊の施設科(工兵)の人員派遣は十分だったのだろうか。そもそも今回、内閣危機管理監は入院中で、石川県知事は元日で東京の自宅におり、リーダーシップと危機感に欠けていた。
<現行の災害対応体制をもっと磨くべき>
だから、憲法を改正して緊急事態法を制定すべきだと言いたくなるが、その前に、現行の体制をもっと磨くべきだ。南海トラフ大地震が起きた場合に備えて、総理官邸や都道府県の危機管理センター・室のレジリエンス(抗堪性、こうたんせい)を高め、電力供給が絶える場合に備えて、全国通信網確保のための自家発電体制、そして人工衛星を使う通信体制を整えないといけない。断層地帯にある原発は停止を続け、廃炉も検討する。
日本列島をめぐるトラフの動きはまだ一定している。復旧不可能なほどの急激な、地形破壊は起きないものと想定したい。救助・復興要員・資材確保の目安を付け、事業所や家屋再建を助成する体制を整え、救助要員・ボランティアのために現地のホテル・旅館を公費で確保する体制を整えておくこと等が必要だ。東日本大震災の例を見ても、工場の再稼働は比較的に短期で実現する。
地震で破壊されたリスボンも、今では美しく生活がしやすい街として世界上位に付けている。巨大な南海トラフ地震だからといって、最初から諦めることはない。
河東哲夫(外交アナリスト)
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2月21日 MicrosoftStartニュース 東洋経済オンライン「「安全になると不安が増す」パラドックスの理由 災害、事件、事故による死者数は減少トレンド
日沖 健
© 東洋経済オンライン
今年は年初から能登半島地震やJAL機の事故などがあり、国民の安全が脅かされています。「日本の安全神話は崩壊した」と言われることもありますが、実際はどうなのでしょうか。日本社会の「安全」について、関連する「安心」と併せて考えてみましょう。
【グラフを見る】他殺による死亡者数は減少トレンド
自然災害・交通事故・他殺による死亡者数は減少
生命の安全というと国民にとって気になるのが、自然災害・交通事故・殺人事件(他殺)でしょう。この3つによる死亡者数の戦後から現在までの推移を確認します。
①自然災害
自然災害による死亡者数は年ごとの変動が大きく、阪神・淡路大震災があった1995年の6482人と東日本大震災があった2011年の2万2575人は突出した数字になっています。ただ、それ以外は近年100人を切る年もあり、戦後・高度成長期と比べてかなり減少しています(内閣府「防災白書」)。これは、戦後の復興から高度成長期にかけてインフラ投資が活発に行われ、国土の強靭化が進んだことによるものでしょう。
②交通事故
戦後の自動車の普及とともに交通事故による死亡者数は増え続け、1970年には1万6765人に達しました。日清戦争での日本の戦死者数(2年間で1万7282人)に迫ったことから「交通戦争」と言われ、大きな社会問題になりました。
しかし、警察や小中学校を中心に安全対策を進めた結果、その後は減少に転じました。2023年は前年比68人増の2678人と8年ぶりに増加に転じましたが、ピークの6分の1という低水準です。
③殺人事件(他殺)
戦後の混乱期から1950年代にかけて、他殺による死亡者数は年1500人以上で推移していました。しかし、1955年の2119人をピークに減少を続け、2022年は213人とピーク時の約1割にまで減っています(厚生労働省「人口動態統計」)。これは、警察機能の強化、所得水準の向上、若年層の人口減少などによるものでしょう。
「安全になると不安が増す」パラドックスの理由 災害、事件、事故による死者数は減少トレンド
© 東洋経済オンライン
このように、地震以外の自然災害や交通事故・殺人事件による死亡者数は激減し、主要国では最少レベルになっています。統計から判断する限り、「安全神話が崩壊した」どころか、世界で最も安全な社会が実現したと言えるでしょう。
安全になると不安が増す?
国民が安全に暮らせるようになったことは、平均寿命が84.3歳(2022年)と世界最長になった=国民が健康になったことと並んで、戦後の日本が世界でもまれな成功を収めた証しです。
ところが、多くの日本人が安全を実感できておらず、不安を感じているようです。自然災害・交通事故・殺人事件が起こると、ネット掲示板やSNSでは「安全な暮らしが失われた」「物騒な世の中になった」といった声が上がります。また、各種の国際比較調査からも、日本人は不安感が高く、幸福感が低いことが明らかになっています。
まず確認したいのが、安全と安心の違い。私たちは、「安全・安心」とひとくくりにしますが、別物です。「安全」は物理的に危険が少ない状態、「安心」は心理的に危険を感じない状態です。
日本では1960年代に立ち上がった警備業の市場が急拡大しています。主要な警備業界の売上高は、昭和の時代まで2兆円足らずでしたが、最近は3.5兆円に上っています(警察庁「警備業の概況」)。
セコムやALSOKといった警備業者は、警察と違って犯罪者を捕まえるわけではないので、直接的には「安全」を提供していません。「見守ってくれていると安心」ということで、「安心」を主に提供しています。
安心を提供する警備業が隆盛しているというトレンドから、日本では、社会がどんどん安全になっているのに、逆に国民の不安が増していると見ることができます。
この「安全になると不安になる」という、一見逆説的な現象をどう解釈するべきでしょうか。筆者は2つ大きな原因があると考えます。
1つは、インターネット・SNSの普及です。かつては、自然災害・交通事故・殺人事件が発生しても、大規模なものや特徴的なものを除いて、多くは地方紙・地方テレビ局で報道されるだけでした。ところが近年は、小規模なものでも殺人未遂事件でも、インターネット・SNSで瞬時に全国民に共有されるようになっています。
以前よりも、自然災害・交通事故・殺人事件の情報に触れる機会が爆発的に増えた結果、多くの日本人が自分の身の周りでも安全を揺るがす事態が起こっていると錯覚し、不安に感じているのでしょう。
安心は安全よりも高度な欲求
もう一つ、日本が「安全」になったことで、日本人は「安心」というより高度な欲求を満たそうとするようになり、かえって不安が増したと筆者は推測します。
安全と安心のどちらを優先するかと言われたら、まずは物理的な安全でしょう。人はとにかく生きることをまず願います。そして、安全な状態が実現し気持ちに余裕が生まれたら、次に「安心して暮らしたい」と考えるようになります。
アメリカでの殺人事件発生総数は1万3537件(2021年)で日本874件の15倍、強盗事件は12万1373件で日本1138件のなんと106倍です(外務省「海外安全情報」)。アメリカ人は「まず安全を確保したい」と考えるだけで、その先の欲求である安心について考えるに至りません。
それに対し日本では、どんどん安全になっているので、「安心して暮らしたい」という発展的な欲求を持つ国民が増えます。一方、安心は心の問題で、「これで十分」と満たされることはありません。これが、日本で「安全になると不安になる」という現象が起きている理由でしょう。
ここまでの考察を知り合いの外国人に伝えました。すると、「日本人がうらやましい!」と「日本人はかわいそう」という真逆の反応がありました。
「昨年、自宅のすぐ近くで発砲事件があって、息子が危うく巻き込まれそうになった。さすがに、アメリカの銃社会がつくづく嫌になったよ。その点、日本の安全な社会ってすごいね。正直うらやましい。日本は生活コストも格安なようだし、リタイアしたら移住しようかな」(アメリカ人)
「命の危険がなく、健康に暮らせて、おまけに寿司もおいしいし、女性もキレイ。それで『何だか不安で、幸せだと思わない』って、日本人の思考回路はいったいどうなっているんだ? まったくかわいそうな人たちだ。歌って踊って、もっと人生を楽しもう!」(ブラジル人)
気持ちを変えるために
日本の状況を変えるには、どうすればいいのでしょうか。安心という人の気持ちを変えるのは容易ではありませんが、先ほどの2つの原因が当たっているとすれば、以下の取り組みが必要です。
①政府・マスメディアは、自然災害・交通事故・殺人事件などの過剰な情報提供を控える。重要性・緊急性などでランク付けし、メリハリを付けて情報発信する。
②政府・マスメディアは、戦後から今日に至る政策や諸外国と比べた日本の安全・健康などの現状を国民に知らせる。
恵まれた生活環境で暮らしながら、不安にさいなまれている日本人。政府も国民もこの問題を直視し、幸福を感じられるようになることを期待しましょう。
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