🦋13〗─1─アメリカの恩恵で日本は世界第二位の経済大国になり、アメリカの衰退で日本経済は凋落した。平成28年~No.53No.54No.55 @ 

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 歴史はくり返さない以上、昔の『素晴らしい日本』は二度と戻らない。
 中国やロシアは、日本にアメリカのような恩恵をもたらさない。
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 2016年10月号 Hanada「日本はどう生きるか
 日本から失われる『二本の柱』   中野剛志
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 『どうすれば日本は甦るのか』との問いには、『かつての日本は素晴らしかった、いまは駄目になった』という含みがあることは言うまでもない。では、いつの時代の日本を指して素晴らしかったと言っているのか。これをあらかじめはっきりさせておくことこそが、答えを導くうえで死活的に重要となる。
 敗戦後の日本は、焼け跡のなかから復興し、高度経済成長を成し遂げ、世界第二位の経済大国にまで上り詰めた。このことを指して、『かつての日本は素晴らしかった』と言うつもりなのだろうか。もしそのような認識なのだとしたならば、『どうすれば日本は甦るのか』などと問うことは全くもって馬鹿げていると筆者は思う。その理由を明らかにするために、改めて戦後復興と経済成長はどのようなものだったかを振り返ってもよう。
 まず、当時の時代背景として最も重要なことは、戦後まもなくして冷戦が始まったというこである。
 冷戦はイデオロギー対立としての性格が強かったことから、アメリカの戦略に単にソ連からの軍事的な攻撃に対する防衛のみならず、世界各国の共産主義化を防ぐことを目的としていた。資本主義経済が失敗に終われば、共産革命への道が拓かれることになる。そして、ヨーロッパやアジアが共産主義化すれば、アメリカの安全保障上の脅威となる。
 そこでアメリカは、ヨーロッパ諸国やアジア諸国共産主義化を防ぐため、これらの国々の経済的成功を確保し、資本主義の恩恵を享受させようとした日本は敗戦国にもかかわらず、アメリカの極めて寛大な占領政策の恩恵に浴するという僥倖(ぎょうこう)を得たのだ。
 特に、アメリカは西側世界の守護者として朝鮮戦争に介入したが、これによって発生した特需のおかげで、日本は戦後復興の端緒を掴んだのである。
 また、1950年代、アイゼンハワー大統領は、日本の共産化を防ぎ、西側世界に留めておくためには、日本がアメリカに対して積極的に製品を輸出できるようにしておく必要があると考えていた。そこで、アメリカは関税を広範にわたって引き下げたが、日本には主要な関税を維持することを認めるという、日本にとって極めて寛容な貿易政策を採った。アメリカ国内では、これによって不利益を被る産業から不満の声が上がったが、アイゼンハワーは耳を貸そうとはしなかった。
 加えて、日米安全保障条約のおかげで、日本は防衛負担を軽くしたまま経済大国化に邁進するという歴史上、稀有(けう)な機会を享受した。日本の貿易に必要な国際秩序の安全は、『世界の警察官』としてのアメリカが担ってくれた。
 日米同盟は『ビンの蓋』
 こうしてみると、戦後日本の経済的繁栄などは結局のところ、『冷戦』と『アメリカ覇権』という特殊な地政学的環境のうえに咲いた徒花(あだばな)に過ぎなかったことがわかるだろう。したがって、『冷戦』が終結するか、『アメリカ覇権』が凋落すれば、それに依存してきていた日本経済の繁栄も、当然にして終わることとなる。実際、そうなった。
 1990年代初頭に『冷戦』が終結した結果、アメリカは共産主義の脅威から日本を守り、繁栄させておく必要がなくなった。それとともに、アメリカは日本を次なる脅威とみなし、対日封じ込め戦略に傾くこととなるのである。
 たとえば、ペンタゴンの機密文書
 『1994〜99年のための国防プラン・ガイダンス』は、アメリカが世界唯一のスーパー・パワーであるためには競争相手となる大国の出現を阻止すべきだと宣言し、『我々はまた、同盟諸国、特に日本あるいは潜在的には韓国が役割を拡大することで生み出される地域不安定化の洗剤効果に対して、引き続き敏感でなければならない』と明記している。日米同盟は、まさにヘンリー・キッシンジャーが言ったように、日本の大国化を阻止するための『ビンの蓋』だったのだ。
 経済面においても、1993年に発足したクリントン政権は『経済安全保障』を掲げ、日米包括協議を実施し、日本に対して構造改革を強硬に要求した。これは経済版の対日封じ込め戦略にほかならない。この戦略は、日米規制緩和対話、日米規制改革および競争政策イニシアチブ、そしてTPP(環太平洋経済連携協定)へと続いている。そのうちに日本はアメリカの外圧がなくとも、率先して構造改革に邁進するまでになり下がったのだが、その間、日本経済は凋落の一途を辿ってきた。『冷戦』の終焉と日本の経済成長の終焉が軌を一にするのは、偶然ではないのである。
 そして現在、我々が直面しているのは、『アメリカ覇権』の後退である。戦後の日本経済の繁栄を支えてきた『冷戦』という柱のみならず、もう一つの『アメリカ覇権』という柱までも失われようとする時代に、我々は生きているのだ。
 さて、以上の認識を踏まえたうえで、改めて設定された問題の意味を考えてみよう。
 『どうすれば日本は甦るのか』
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 日本の奇跡の復活は、日本人の勤勉なる努力の賜であったが、それ以上に国内の人口爆発と国外のアメリカの恩恵の2つがあったから成功した。
 冷戦下で日本の復活を破壊しようとしていたのが、ソ連中国共産党そして日本共産党などの左翼・左派勢力であった。
 日本共産党綱領は、自衛隊解体と天皇制度廃絶を、「情勢が熟した時、国民の総意によって解決されるべきものである」と明記した。
 日本共産党は、ソ連と訣別しソ連の崩壊後は、中国共産党の様な社会主義国家を目指していた。
 不破哲三旧ソ連は、社会主義への道を途中で外に踏み出した。いま私たちが社会主義をめざす国としてあげているのは、中国、ベトナムキューバの三ヶ国です。人口は合わせて14億人以上、経済的発展もめざましく、世界での政治的、経済的比重はますます大きくなっています」(『科学の目で見る日本と世界』新日本出版、2011年)
 日本共産党中国共産党は、結党以来深い関係にある。
 日本共産党は、人民革命成功の為に、中国共産党の対日阿片戦略による「日本人廃人化計画」に積極的に協力していた。
 日本の盾となっていたのは、第九条の平和憲法ではなく武力の日米安全保障条約であった。
 日本国憲法が認めている国民主権は、アメリカが軍事力で認定しているから存在しているに過ぎない。
 その証拠が、国連の敵国条項である。
 日本の国防力を禁止しているのは、平和憲法の第九条ではなく、国連の敵国条項である。
 その国連を支配しているのは、アメリカと欧米の国際金融資本・国際資本・多国籍企業である。
 国連の敵国条項による要注視監視指定国からの解除と自主独立を武力を用いて守るだけの軍事力保持ができないうちは、日本は真の意味での自主独立国・主権国家とは言えない。
 つまり、主権の発動として戦争ができる国になると言う事である。
 第九条平和憲法における護憲運動の真の目的は、非暴力無抵抗の平和国家建設ではなく、アメリカの保護国状態と国連の要注意監視継続を維持させる事である。


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