🦋5〗─1─1990年代半ばから日本は愚かになり最先端科学技術が理解できなくなり貧しくなった。~No.11 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本が大国になれない理由は、生きる為に必要な食糧と経済に必要な物資・資源生産と生活に必要なエネルギーを自給できず海外で米ドル建てで購入し、金融・経済、情報・サービス、インターネット、運輸、輸送、その他の各種サービスをアメリカに頼り、海上輸送・空輸の安全をアメリカ軍に依存しているからである。
 日本は、何一つとして自国だけで自力で賄えない。
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 非正規雇用とリストラの現代日本では、終身雇用と年功序列、忠君愛国と滅私奉公が当たりまであった古い時代の忠臣蔵は流行らない。
 そして、キリスト教マルクス主義共産主義とは相いれない残虐な仇討ち物語りである。
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 現代日本の常識は「金の切れ目は縁の切れ目で」あり、時代は親の遺産相続を兄弟・親族で奪い合う骨肉の熾烈な争続の時代であり、親子・兄弟・親族など血縁よる家族関係が破綻した時代である。
 「遠くの親族より近くの他人」とはいうが、人情で繋がっていた地域社会=世間は崩壊し、「自分は自分、他人は他人」として昔のお互い様、相身互いは霧散している。
 現代日本は、子供などあてにできない、親などあてにできない、兄弟は他人の始まり、だから、子供は親を見捨て、親は子を見捨て、兄弟は疎遠となって関わりを持たない。
 現代の日本は、昔の日本とは全く違う日本に変貌しつつある。
 それが、戦後民主主義教育が目指してきた個・私を重視する理想的社会である。
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 2022年1月号 Voice「世界史の転換点、日本の正念場
 信じられないほど貧しくなった日本。
 その淵源は90年代半ばにある。
 中国の変質により世界が大きく揺れ動くいま、日本が中長期で向き合うべき本当の課題とは──
 野口悠紀雄
 信じられないくらい貧しくなった日本
 日本はいま、非常に深刻な課題をいくつも抱えています。本号の特集は『2022年の日本』と編集部から聞いていますが、その課題は2022年中に解決できるものではありません。しかし、だからといって思考停止してしまえば何も起こらない。来年を変革の端緒(たんちょ)の1年にするために、私たちはいま何を議論すべきなのか、以下で考えたいと思います。
 私が日本における最大の問題と考えるのは、日本の賃金が上がっていない点です。20年間ほぼ一定であり、とくに最近は円安ですから国際比較をしたときに日本人の賃金は低くなる。私はまず、自分たちが置かれている深刻な事態を、明確に自覚する必要があります。
 この事実は、一人当たりGDPをはじめいくつもの指標でたしかめることができます。もっともわかりやすいのが『ビックマック指数』でしょう。各国のマクドナルドで販売されるビックマック1個当たりの価格を比較して導(みちび)き出指標のことで、英『エコノミスト』誌が1980年代から発表し続けています。
 2021年6月の段階で、日本のビックマックの価格をドル換算すると、アメリカの6割程度でした。これは驚くべき安さです。もちろん、価格が安いこと事態は悪いことではありません。問題なのはビックマックの価格が賃金と関連しているからです。賃金とビックマックの価格の比率はどこの国でもおおよそ同じです。つまりは、日本の賃金はアメリカの6割くらいであると推察されるのです。
 以下は日本の読者にとって耳の痛い話でしょうが、ビックマック指数をもう少し詳しくみると、韓国は日本を大きく上回っていますし、中国は2021年6月段階では下でしたが、9月から10月にかけての円安を踏まえると、私の試算では現在は日本を抜いている可能性があります。日本よりも下の国はごく少なく、ポーランドなどの旧社会主義国かアフリカの国々などです。
 ビックマック指数以外の統計をみても、日本の賃金の安さは確認できます。たとえば、実質実効為替レートという数字があります。これは日本円の購買力を表す指標ですが、現在の日本の水準は1970年代の値(あたい)と同程度です。70年代というば、日本が経済大国になる前の時代です、私個人も、1ドル360円の時代にアメリカに留学して日本の貧しさを実感した経験があります。日本はその後、80年代から90年代頭にかけて豊かになりました。しかし、90年代の後半から坂を転げ落ちていき、いま再び70年代までに戻っているわけです。
 ところが、この現実にどれだけの日本人が気づいているでしょうか。今秋以降の円安でビックマック指数はさらに低くなっていますが、メディアも含めて強く指摘する向きはありません。給料は安いけれども、買うものも安いから問題ないと考える人が少なくないでしょう。とくにコロナ禍以降は外国を訪れる機会もありませんから、そうした発想に陥(おちい)りやすいのは無理からぬことです。
 しかし忘れてはならないのは、日本にかぎらず一国が世界から孤立して生きていける時代ではないということです。日本も世界中の国々と貿易をしていますし、むしろ国内だけで完結するビジネスの方が少ない。つまり、外国に足を運んでビックマックが買えないのはいいとしても、いろいろなものに対する購入のハードルが上げあっているのです。
 そのときに、とくに深刻なのが働き手の問題です。日本でも労働者不足を指摘する声は存在しますが、いざとなれば外国人労働者を日本に呼べばよいと考える人が多いように思います。しかし、その考え方はとんでもなく甘い。もしも日本の賃金が低いままならば、日本がアテにしている東アジアの労働者は中国や韓国に出稼ぎに行くでしょう。
 高齢化社会が進む日本にとって、これは深刻な問題です。いま以上に介護人材が必要になったときに、たとえば中国から呼べばよいと考えているのならば真逆の話です。むしろ日本人が高い賃金を求めて海を渡る時代が来るのです。その懸念(けねん)が現実のものになれば、介護を受けられない高齢者が続出する悲惨な未来が待ち受けるでしょう。もちろん介護は一例であり、たとえば研究開発の分野ですでに『頭脳流出』が問題視されていますし、企業が他国の駐在員を送ろうとしても住居費その他が高くて難しくなるでしょう。
 何度も繰り返しますが、日本は信じられないくらいに貧しくなりました。私は2022年がその事実を日本人が認識する年になってほしいと願っています。
 円安という『麻薬』に呑み込まれた
 私たちは厳しい現状を、どう打開すればいいのでしょうか。日本が貧しくなった原因を探さなければいけません。ターニングポイントは90年代半(なか)ばです。それまで日本の為替レートは円高の一途を辿(たど)り、賃金も上がり続けていました。
 では、90年代半ばに何が起きたのでしょうか。まず重要なのが、世界を大きく変えた技術革新です。1995年といえばWindows95が発売された年で、多くの人がインターネットを使えるようになりました。その後、多くの国がその新しい技術を応用し、仕事の手法を改革して生産性を向上させました。ビジネスモデルを変えて、経済の仕組みそのものを変質させたのです。その典型例がGoogle′Apple′Amazon′そしてMetaと名称を変更したFacebookuです。いずれも90年代から2000年代前半にかけて登場した若い企業で、いまでは4社の時価総額だけで日本の全企業のそれを上回っています。
 日本の社会と企業は、残念ながらその技術革新に対応できませんでした。コロナ禍でも明らかになったように、いまだに80年代と同じような働き方やビジネスモデルを続けている。つまり、インターネットを使いこなせていないわけです。デジタル化に移行できずに、印鑑やFAXの文化が残っている点をみても、日本人の賃金が上がらない理由がよくわかります。
 日本が貧しくなったもう一つの理由は、為替レートにあります。つまり、90年代半ばまで円高でしたが、それに日本企業が耐えられなくなり『円安にしてほしい』という声を上げはじめた。なぜかといえば、円安にすると企業の利益が上がりやすいからです。しかし、これもよく考えれば不思議な話であることがわかるでしょう。
 円安になると輸出企業にとっては輸出物価が高くなり売上も上がりますが、いうまでもなく輸入物価も同じ比率で高くなります。それなのに、なぜ企業の利益が増えるのか。それは輸入物価が高くなった分の負担を一部を、最終的に消費者に転嫁(てんか)しているからです。そして輸出物価が高くなって売上が増えた分は、労働者の賃金のアップではなく企業の利益となる。
 最大の問題は労働者がこの事実に対して声を上げていないことです。2000年ごろから、日本政府は企業の声を受けて為替市場に介入して円安を求め続けてきました。象徴的だったのが、2010年ごろのことで、日本は民主党政権です。当時の民主党は働く人びとの立場を重視すると語っていましたから、本来であれば円安基調に対して問題提起すべきでした。それにもかかわず、自民党政権と同じく必死に円高を阻止(そし)することに終始した。その試みは奏功(そうこう)したとはいえませんでしたが、これは日本には働く者の立場に立つ政党がないことを明確に示しました。
 自民党政権が返り咲いて以降は円安が続いたのは周知の通りです。企業の立場に拠(よ)る自民党からすれば当然の政策で、残念だったのは国民から反対の声が上がらなかったことです。問題提起しなかったジャーナリズムも責任は免(まぬが)れません。こうして現在に至るまで同様の政策が続いており、2021年9月以降はまた著(いちじる)しい円安になっているのです。これに対して危機感が叫ばれていないのは、また大きな問題といえます。
 なお、円安は技術革新への対応の遅れとも密接に結びついています。円安になれば利益が増えますから、企業からすれば技術革新のための投資を行なう必要がないのです。経営者にとって変革とは労働者の配置換えなどコストを伴(ともな)うもので、なるべくなら避けたい。しかし、円安になれば、何もせずに利益が上がる。そして企業が怠(なま)けた結果がいまの日本であり、その意味で円安とは痛み止めであり、麻薬だといえるでしょう。
 政府に頼っている場合ではない
 私たちがまず行うべきは、円安が労働者を貧しくするというトリックを認識することです。ただし、今回の円安に関しては従来と異なる条件があります。それは原油価格などの資源価格の上昇と重なっているため、輸入物価を著しく上昇させており、川下産業や消費者に転嫁することが難しいということです。これは円安が企業利益を圧迫するという『悪い円安』です。
 そのうえで、私たちは私たちはデジタル化に取り組む必要があります。2020年、印鑑文化を見直そうという動きもありましたが、実際にどれだけの変化が起きたでしょうか。銀行に行けば、いまだに多くの書類に捺印(なついん)を求められます。
 日本政府は20年前に世界一のデジタル国家を目指すといいながら、何もできなかったのが現実です。そうであれば、重要なのは個々の企業や人が新しいデジタル技術を使うことです。単純な話ですが、これしかないのです。
 一般的な意味のデジタル化でいえば、日本は1980年代には世界の最先端を走っており、たとえば世界に先駆けてATMからお金を引き出せるようにしました。これは古い時代のデジタル化です。つまり、大型のコンピュータを使う時代には日本は強かったことを意味します。企業が縦割りでそれぞれ独立的な世界をつくっていたことと、大型コンピュータの技術とが噛みあっていたのです。しかし、90年代半ば以降は、それが逆になった。インターネットはオープンな仕組みで、日本は社会の構造を根底から覆(くつがえ)さないと適応できないのです。
 インターネットは働く者の味方であり、それを使いこなせれば劇的に生産性を上げることができる。政府から降りてくる変革に期待するのではなく、まずは一人ひとりのマインドセットを変えること、そして少なくとも現在の日本の仕組みに疑いをもつことからしか、事態は変わらないのです。
 『第二次文化大革命』へ舵を切った中国
 ここまで日本が抱える深刻な課題についてお話ししてきました。一方で世界に目を向けたときにもっとも重要なのは、中国の問題です。中国はこの1年くらいあいだに、大きな方向転換をしました。それは、世界史の転換点になるかもしれません。
 ……
 GAMA型ともいうべきアメリカの社会が、いつまで安定性を持続できるかはわかりません。中国が推し進める『共同富裕』型の社会のほうが成功を収める可能性はゼロではない。世界はアメリカと中国のシステムのどちらが持続性を備えるのか、歴史的な大実験を行っているところなのです。
 日本はラストチャンスを摑めるか
 ……
 これに比べると、現代の日本で繰り広げられている政策の議論はあまりにもスケールが小さくて呆然とします。アメリカにせよ中国にせよ、自分たちの価値観や歴史に沿って、いま新しい社会のモデルを模索しているのであり、その行方を注視しつつ、わが国も国のかたちをいま一度、真摯に考えなければいけないはずです。
 ……私たちはそうして、90年代半ば以降、世界から取り残されたのです。その意味でも、日本人一人ひとりが意識を変革するほかないと思うのです。
 日本が2022年のうちにこれらの課題を解決することはできないでしょう。それほどに私たちが直面している問題は深刻で根深いものです。それでも、世界の現在と日本自身の課題を認識する1年とすることはできるはずです。私たちはいま、まさしく変革へのラストチャンスを迎えていることを自覚すべきなのです。」
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 1980年頃までの経済発展の日本は、明治時代からの若者が多く老人が少ない人口爆発時代であった。
 1990年代はバブル好景気でアメリカを追い越せるという自信から、株や土地を爆買いして大金を稼ぎ、若者はディスコ音楽で狂ったように踊り、老いも若きも酒をあびるようにして飲んで乱痴気騒ぎ浮かれ、自制心を失い自由奔放で性風俗は乱れた。
 現代の日本人は「怖れ」という宗教心を捨て去った。
 その所業は神を怖れぬ、バベルの塔か、ソドムとゴモラであった。
 2000年頃からの経済衰退の日本は、少子高齢化による老人が多く若者が少ない人口激減時代に突入した。
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 金を持つと、若者は遊び盛りとして浪費家になるが、老人は無駄遣いせず倹約家として貯蓄する。
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 急増している外国人移民(主に中国人移民)は、生産者・労働者になっても消費者・生活者にはならない。
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 賢く優秀な人材は、高収入で自由を保証してくれ会社や職場を自分で選ぶ。
 才能なく能力のない人間は、生きる為に低収入でも働き場所を求める。
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 日本は世界で信用されている、日本人は世界で愛されている、はウソである。
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 日本人における進歩の原動力とは「欲」である。
 貧しく拙く愚かでバカさ加減を人一倍自覚する為に、そこから抜け出すべく、努力して精神を鍛え研鑽を積み、自分の限界を超え、人として成長し発展して賢さと豊かさを手に入れて成功し、第一人者となって名を天下・世・世間に知らせたいという強欲に取り憑かれていた。
 そして、今この時・この時代でのナンバーワンとオンリーワンを目指した。
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 日本の失敗とは、世界で新しく起き始め始めていたIT革命で社会をデジタルに切り替えるべきだったが、「無用な人情論」で時代遅れとなるアナログ企業を守り大量の失業者を出さない為に保護し、社会のアナラログを守った事である。
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 2020年の素晴らしい日本とは、実態のない蜃気楼・幻でしかない。
 いつ日本がそうなったのか、それは1990年代頃からである。
 その原因は、成功モデル、ビジネスモデルからの伝承・改善的イノベーターを採用し、奇抜・破壊的イノベーションを追い求める事を捨て、短期的利益を優先し長期的利益を求める失敗を無駄な浪費として切り捨てた事である。
 日本は、IT革命が叫ばれても軽視し、アナログからデジタルへの切り替えを渋り、インターネットが秘めている無限の可能性が理解できなかった。
 音楽は、音を記録するレコード盤、テープ、CD、そしてインターネット配信。
 映像は、映写フイルム、ビデオテープからLD(レーザーディスク)、DVD、そしてインターネット配信。
 光の光源は、松明、ロウソク、白熱電球、蛍光管からLED(発光ダイオード)に。
 コンピューターの記録は、フロッピーディスクからUSBメモリーフラッシュメモリー、外付けサーバー。
 奇抜・破壊的イノベーションは、時代遅れの産業や古い製造業を廃業に追いこみ、流れ作業での職種がなくなり大量の失業者を生み出すが、時代の最先端産業をつくり、新しい製造業を育て、少数だが有能な人材に働き場所を提供する。
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 現在の日本は、昔のような世界第2位の豊かな経済大国ではないし最先端技術を持った科学技術大国でもない。
 新型コロナ対策の醜態で、日本は途上国並み・三流国並みに衰退している事が明らかとなった。
 パンデミック封じ込め失敗、治療薬とワクチン開発の失敗、子供騙しのアベノマスク、医療崩壊、困窮者救済の稚拙、同調圧力、マスク警察、その他。
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 日本は国内生産で食料・資源・エネルギーを自給する力がない為に、稼いだ外貨・米ドルを支払い海外から生きるに必要なモノを輸入するしかない。
 潤沢な外貨・米ドルがある内は内需は可能だが、外貨・米ドルが不足すれば内需が盛んでも先細りとして衰退していくだけである。
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 円高は、輸出に不利だが、輸入品を安く欲しいだけ買える。
 円安は、輸出に有利だが、輸入品が高額になって生活を苦しめる。
 日本が家庭家電など多くの製品をメイド・イン・ジャパンとして大量輸出している時代は、円安は有力な武器であった。
 現代は、外国の工場で外国人労働者が生産された部品を輸入し、国内で組み立てて日本製品として輸出する時代である為に円安は不利である。
 円安は、日本国内の下請けの中小企業や孫請けの零細企業が作った部品を集めて製品を完成させて輸出するのには有益であったが、外国の工場で生産した単価が高くなったなった外国産部品を輸入して国内で製品を完成させて輸出するのには有害であった。。
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 日本人は賢く優れている、はウソである。
 それは、昔の日本人であって現代の日本人の事ではない。
 昔の日本人は、ナンバーワンとオンリーワンを同時に目指していた。
 2010年頃の民主党政権時代に、日本人は世界一、ナンバーワンを目指すのを放棄して、他国・他者とを比べない自分だけのオンリーワンに安住し惰眠する事を選んだ。
 現代の日本人・日本企業は、自分だけ良ければいいとし、他者に対する信用や信頼に価値を持たず、見た目だけの優位性・実績として「バレなければいい」として報告書・説明書などの数値を改竄・捏造など不正に手を染めても恥じなくなった。
 不正が発覚すれば、記者会見で謝罪の言葉を述べ頭を下げて禊ぎは済んだとして有耶無耶にし、今度は見つからないように巧妙な不正を繰り返した。
 現代の日本は昔の日本とは違い、不利不利益でも厳格さを守るという意気込み気概はない。
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 武士・サムライは、二の矢はないとの覚悟で、口にした言葉に責任を持ち、重大な間違いが発覚し主君・上司・同僚、藩・お家に迷惑をかけ損害を出せば、責任を取って切腹した。
 百姓は、正しい言霊を信仰するがゆえに、ムラ仲間に対して神前で証文を書いて誓った事に対し正当な理由がなく自分の都合で不義理を働き不利益を与えれば、村人から村八分にされ相手にされなくなった。
 現代の日本人は、昔の日本人とは違う。
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 日本の歴史は、古いモノを壊し新しいモノを作る歴史であった。
 奈良時代は高貴な皇室の時代から身分低い公家の時代つまり文化の時代に移り、鎌倉時代は公家の時代から身分の低い武士の時代つまり精神の時代に、明治時代は武士の時代から身分低い軍人の時代つまり軍事の時代に、昭和21年以降は軍人の時代から身分が低かった企業家の時代つまり科学技術の時代を築いてきたが、1990年代のバブル経済崩壊で平成の時代は企業家の時代から新しい時代に変貌すべきであったが、日本人は古いモノを壊して新しいモノへ発展・進化・進歩して変わる事を諦めて令和の時代に突入した。
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 衰退する日本の問題とは、少子高齢化による人口激減であり、その結果として生産者不足ではなく消費者減少が深刻化する。
 人生100年時代の日本とは、蓄えのある老人と貧しい若者が住む社会で、老人に贅沢に遊んで貰い、若者はわずかな給料で奉仕・介護に勤しむ。
 約30年後、消費する老人がいなくなると、日本には貧しい若者と家族がいない孤独な老人が残される。
 老後の資金が足りないのは、今の高齢者ではなく、20年~30年後の高齢者である。
 何故なら、貧しい若者には社会保険料や税金などを納税する能力がないからである。
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 日本の近代化が成功した秘訣は、武士の世を消して支配階級であった武士を失業させて無職の貧困層に堕とし、財力を築いていた寺社仏閣の宗教勢力に対して神仏分離令と神社合祀令で特権と荘園を没収し、多く僧侶や神主を還俗させて職を奪った事である。
 士族(元武士・サムライ)は、手に金を稼げるような技術を持たなかった為に低賃金で働く肉体重労働者となったが、安い賃金では貧困生活から抜け出せない為に、若い妻や娘を女郎に売って娼婦にし、その金を資金として新しい仕事を始めた、それが昔の自助と男尊女卑であった。
 そうした惨めな生活に耐えきれない士族は、萩の乱西南戦争などの内乱を起こし、それで死にきれなかった者は各地で自由民権の運動・暴動・騒動を起こしていた。
 明治維新の成功は、人に優しい温情の理想論ではなく人に苛酷・残酷・非情な現実論である。
 現代日本歴史教育は、ご都合主義でウソ混じりの綺麗事で事実は少ない。
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 日本が貧しかった明治時代から昭和初期までは、学歴や職歴のない貧困層の日本人は、日本での生活を諦め仕事や土地を求めてハワイ、北米、南米そして中国、満州へと移住していた。
 将来、貧しくなった日本に絶望する学歴や職歴のある富裕層はより豊かさを求めて中国やアメリカ、オーストラリア、シンガポールなどへと逃げるように移住していく。
 つまり、日本自体がスラム化する。
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