🏗4〗ー1ー災害と性暴力…その根底に「男女格差」。女性たちが上げた声。~No.31 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 戦国時代、合戦があれば乱取りが起きていた。
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 人口激減する日本で、外国人移民(主に中国人移民)が増えて日本が多文化共生社会になると、日本は昔の日本ではなくなり、日本人を縛っていた日本の常識は消えてなくなる。
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 2024年3月8日 YAHOO!JAPANニュース カナロコ by 神奈川新聞「災害時の性暴力…その根底に「男女格差」 徳島新聞・乾栄里子記者「解決へしつこく書き続ける」
 徳島新聞の乾栄里子記者
 災害時の避難生活や防災活動にも女性の視点は欠かせない。「災害と性暴力」をテーマに取材を続ける徳島新聞社の乾栄里子記者は、根本的に解決すべきはジェンダー不平等なのだと説く。「国際女性デー」の8日を迎え、東日本大震災発生から13年の11日を前に、改めて考えたい。
 【写真】「災害と性暴力」をテーマに記事を書き続ける乾記者
◆語れぬ被害者 メディアも加担してきた
 「災害と性暴力」というテーマで記事を書き続けています。大きなきっかけは2015年。「東日本大震災『災害・復興時における女性と子どもへの暴力』に関する調査報告書」を読み、衝撃を受けました。
 調査は、全国の女性支援団体や有識者などでつくる「東日本大震災女性支援ネットワーク」が約1年かけて被害者や支援者の声を集め、性暴力やドメスティックバイオレンス(DV)の実態を明らかにしました。さらに、性に基づく暴力を支える社会構造や、男女格差に立脚した加害の構図を浮かび上がらせました。
 災害時の性暴力に関する調査はおそらく、国内初でしょう。13年12月に公表されましたが、メディアではほとんど報じられず、私自身も15年まで報告書の存在に気付くことができませんでした。そもそも、災害時の性暴力という視点を持ち合わせておらず、猛省しました。
 平時から女性に対する性暴力はまん延しています。言葉や身体的接触を伴うセクシュアルハラスメント、パートナーからのDV…。災害時にだけ性暴力がなくなるということはありません。むしろ深刻化する可能性があります。
 災害時の性暴力の問題に着目せず、報じてこなかったことを考えると、メディア自体が被害者の口をふさぐことに加担してきたと思いました。
◆女性たちが上げた声で
 ある時、阪神大震災時に支援に当たった女性団体の方に問われました。
 「大震災時にメディアは美談ばかり報道しがちだ。その風潮が被害者の告発をしにくくさせている」
 耳が痛かったです。災害時、メディアが美談ばかりを報じることで「みんなが大変なときに被害の話をするな」「助け合っているときに性暴力なんて起こるはずがない」と言う空気をつくりだしていないでしょうか。そうした空気が被害者をより苦しめていないでしょうか。阪神大震災では性暴力を告発した女性たちを一部のメディアが「捏造(ねつぞう)だ」「デマだ」とバッシングしました。
 性暴力の被害者は平時においてもなかなか声を上げることができません。でも、性暴力を告発する「#MeToo」運動や「フラワーデモ」が全国に広がり、社会が少しずつ聞く力を蓄え、「#WithYou(あなたの声を信じます)」の空気が広がりました。女性たちの声が社会を変えたのです。
 メディアは残念ながら先導者ではありませんでしたが、社会の変化に動かされ、災害時の性暴力の問題を報じるようになってきました。私の住む徳島県では南海トラフ巨大地震が想定されています。被災するだけでも大変な目に遭うのに、女性であるが故に暴力にさらされ、二重、三重に苦しむなんてことがあってはなりません。
 東日本大震災の調査は、性に基づく暴力の根底には平時から続くジェンダー格差があることを指摘しています。根本的に解決すべきはジェンダー不平等なのです。これからもしつこく、しつこく書き続けなければいけないと思っています。
 いぬい・えりこ 2007年徳島新聞社に入社。社会部や政経部などを経て、15年から災害とジェンダーをテーマに執筆している。
 神奈川新聞社
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🍙12〗─2─函館大火と死者2,000人。昭和9年3月21日。~No.45No.46 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本軍部は国軍として、国を守る為に海外の戦地で敵と戦い、国民を護る為に被災地に駆け付けて罹災者を助けていた。
 日本軍人にとって、被災地では日本人も朝鮮人も中国人も同じ被災民であった。
 被災地での日本人、朝鮮人、中国人の惨殺事件は、関東大震災だけの唯一の珍事であった。
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 日本国内には、100万人以上の朝鮮人と数万人の中国人が居住し、日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストが暗躍していた。
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 函館大火での救援活動
 大火の報を受けて第7師団歩兵25連隊1個中隊、軍医10人が派遣されたほか、旭川からも工兵50人、救護医官15人、歩兵2個中隊が派遣。毛布や食料の配布、救護活動が行われた。
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 2024年3月31日 YAHOO!JAPANニュース 47NEWS「死者2000人、昭和最悪の火災「函館大火」写真が極秘になった謎…戦争中でないのになぜ? 鍵は「タブーの山」
 焼失した函館市街地。右の印は東本願寺函館別院とみられる=防衛研究所戦史研究センター所蔵
 90年前の1934年3月、北海道で函館大火という惨事があった。明治以降の火災としては、震災や戦災を除いて国内で最大規模とされる。被害の様子を収めた航空写真が、旧日本海軍によって「極秘」とされ、現在は防衛研究所に保管されていることが分かった。
 【写真】取り壊し寸前の江戸城、ハイビジョンのような鮮明さ 幕府崩壊から数年
 第2次世界大戦が始まる前の時期に、戦争と無関係な大火の写真を「極秘」としたのはなぜなのか。軍事史の専門家に話をうかがうと、謎を解く鍵の一つに「タブーの山」の存在が浮かび上がってきた。(共同通信=志田勉)
 ▽死者2166人のうち半数が水死と凍死
 そもそも函館大火とはどのような火災だったのだろうか。函館市によると、1934年3月21日午後6時53分ごろ、北海道函館市の民家から出火。強風にあおられて燃え広がった。最大瞬間風速は推定で39メートル。死者2166人、焼失面積は約416ヘクタールで函館市街地の約3分の1が焦土と化した。
 「壮絶を極める火災だった」
 函館大火に関する資料を長年分析してきた郷土史家の中尾仁彦さん(81)は言う。「元々、函館は強風の街。明治以降、100戸以上焼失した火災は昭和の函館大火まで26回も起きている」
 「昭和の大火当時も計測器が壊れるほどの風が吹いた。水圧が弱く、初期消火にてこずった上、バラックのような木造住宅の多さなど悪条件が重なりました」
 避難者が殺到した木造の三つの橋が崩壊、焼失したことも被害拡大の要因になった。中尾さんが話を続ける。「停電で暗闇の中、大勢の人たちが橋の上で身動きが取れなくなりました。横殴りの風雪が激しく、川に転落し命を落としました」
 死者2166人のうち約半数が水死と凍死だった。
 ▽災害救護の一環で青森・大湊から飛行
 写真は旧海軍の大湊要港部(青森)司令官が海軍大臣に宛てた「函館大火災害救護状況報告」に収められていた。災害救護の一環で、状況把握のため大湊航空隊の水上偵察機1機が火災2日後に撮影した。
 写真を中尾さんに見てもらった。「地上撮影の写真は残っているが、航空写真は初めて見た。大火の全体状況が分かる貴重な資料だ」
 写真は鮮明とは言えない。でも焼失した部分は黒く、焼け残った所は雪で白くなっている。中尾さんは写真を指でなぞりながら建物の手がかりを求めようとした。「旧海軍の手書きの地図と照合すると、焼失を免れた函館駅方面のほか、立待岬大森浜津軽海峡が分かりますね」
 ▽燃えなかった東本願寺函館別院
 地図には「撮影目標物」として、東本願寺函館別院が書いてある。中尾さんが説明してくれた。「函館別院は明治後期の大火で焼失した後、大正時代に寺院として国内初の鉄筋コンクリートで再建された。昭和の大火では近くの防火帯の二十間坂(幅約36メートル)なども功を奏し、延焼を免れました」
 中尾さんはぐっと顔を写真に近づけた。「高度がかなりあり、建物は確認できない。でも東本願寺とみられる印が付いた場所付近で焼失と非焼失部分がはっきりと分かれている。上空から見て、その対称が明確だったので、撮影したのでしょう」
 ▽偵察機の性能とカメラの解像度の流出危惧か
 問題は、この写真がなぜ「極秘」とされたのかだ。旧海軍の報告書では全く触れていない。軍事史に詳しい明治大の山田朗教授に見解を聞いてみた。
 「大湊要港部の報告書によれば、大火翌日の22日は風が強く飛行を見合わせている。写真は地上の状態はある程度分かるが、鮮明とは言えない。偵察機の性能とカメラの解像度が外部に漏れるのを危惧したのではないか」
 函館大火を撮影したのは九〇式2号水上偵察機。山田教授によると、当時の最新式ではなく、旧式化しつつある、いわば過渡期の機体という。それでも旧海軍が旧陸軍よりも偵察飛行の経験値で優位性があったとみる。
 「旧海軍の偵察機は第1次世界大戦で中国・青島を攻撃した時も偵察機を飛ばして撮影している。航空写真の撮影は旧陸軍よりも旧海軍の方が実績があった」。そして付け加えた。「手書きの地図に印を付けて飛行の進行方向と撮影方角を示すのは旧海軍の習慣です」
 ▽津軽海峡の防衛を目的とした軍事要塞だった山
 山田教授は旧海軍が「極秘」にした理由として、もう一つ考えられるという。函館山(334メートル)の存在だ。「焼け跡と隣接する函館山は、かつて砲台などがあった軍事要塞でした。周辺を含めた写真の流出を懸念した可能性もある」。確かに写真には函館山は写っていない。
 現在、函館山函館市の観光名所。特に夜景は「日本三大夜景」の一つとして知られ、国内外から大勢の観光客が訪れる。しかし、軍事要塞だった歴史に目を向ける人は多くない。
 函館市史などによると、函館要塞は明治時代、日露戦争を想定し、津軽海峡の防衛強化を目的に建設された。函館山に大小5カ所の砲台や戦闘司令所などを設置した。実際には商業港としての函館港を守る役目を担った。
 同じ頃、「要塞地帯法」という法律が制定された。函館山は戦後まで一般市民の立ち入りが禁止され、写真撮影や模写も厳しく制限された。当時の市民には「タブーの山」だった。
 函館大火が起きたのは満州事変の約2年半後。軍靴の足音が近づいていた時代状況を踏まえ、山田教授は災害救護の一環で撮影した旧海軍には別の狙いもあったとみる。
 「函館と大湊は重要な軍事拠点。大湊から偵察機を飛ばして、どのくらいの時間で任務を完了できるか。そういう経験を搭乗員に積ませたいという目的もあったのかもしれない」
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 ウィキペディア
 函館大火とは、北海道函館市で発生した大規模火災(大火)。
 函館は明治から昭和戦前期にかけて少なくとも25件の大火に見舞われているが、一般的に発生年を付さない場合には、死者2166名、焼損棟数11105棟を数える大惨事となった1934年(昭和9年)3月21日の火災を指す。本項ではこの1934年の大火について詳述する。

 救援活動
 大火の報を受けて第7師団歩兵25連隊1個中隊、軍医10人が派遣されたほか、旭川からも工兵50人、救護医官15人、歩兵2個中隊が派遣。毛布や食料の配布、救護活動が行われた。

 復興への道
 函館市慰霊堂
 函館型三方式地上式消火栓
 函館港まつり
 大火により打撃をうけた市民の士気を引き立て、市勢の振興をはかる目的で1935年(昭和10年)より毎年8月に開催されているのが「函館港まつり」である。
 メインイベントは北海道新聞主催の花火大会および、幹線道路を踊りながら練り歩く「ワッショイはこだて」(旧・一万人パレード)で、従来の函館港おどり(第一部)と併せていか踊り(第三部)が踊られる。
 詳細は「函館港まつり」を参照
 共愛会の設立と慰霊堂
 昭和9年函館大火の義援金の一部をもとに1934年(昭和9年)9月に財団法人共愛会が設立された。復興事業として簡易住宅600戸余の建設や保育所の運営、被災者への授産事業、職業紹介を行った。また遭難死者の霊を追悼する目的で亀田川の大森橋に近接した地に慰霊堂(現・函館市慰霊堂)を建立した。のちに函館市が引き継いだ。
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 函館の大火について
 寺田寅彦
 昭和九年三月二十一日の夕から翌朝へかけて函館(はこだて)市に大火があって二万数千戸を焼き払い二千人に近い死者を生じた。実に珍しい大火である。そうしてこれが昭和九年の大日本の都市に起こったということが実にいっそう珍しいことなのである。
 徳川時代の江戸には大火が名物であった。振袖火事(ふりそでかじ)として知られた明暦の大火は言うまでもなく、明和九年二月二十九日の午(ひる)ごろ目黒(めぐろ)行人坂(ぎょうにんざか)大円寺(だいえんじ)から起こった火事はおりからの南西風に乗じて芝(しば)桜田(さくらだ)から今の丸(まる)の内(うち)を焼いて神田(かんだ)下谷(したや)浅草(あさくさ)と焼けつづけ、とうとう千住(せんじゅ)までも焼け抜けて、なおその火の支流は本郷ほんごうから巣鴨すがもにも延長し、また一方の逆流は今の日本橋区(にほんばしく)の目抜きの場所を曠野(こうや)にした。これは焼失区域のだいたいの長さから言って今度の函館のそれの三倍以上であった。これは西暦一七七二年の出来事で今から百六十二年の昔の話である。当時江戸の消防機関は長い間の苦(にが)い経験で教育され訓練されてかなりに発達してはいたであろうが、ともかくも日本にまだ科学と名のつくもののなかった昔の災害であったのである。
 関東震災に踵(くびす)を次いで起こった大正十二年九月一日から三日にわたる大火災は明暦の大火に肩を比べるものであった。あの一九二三年の地震によって発生した直接の損害は副産物として生じた火災の損害に比べればむしろ軽少なものであったと言われている。あの時の火災がどうしてあれほどに暴威をほしいままにしたかについてはもとよりいろいろの原因があった。一つには水道が止まった上に、出火の箇所が多数に一時に発生して消防機関が間に合わなかったのは事実である。また一つには東京市民が明治以来のいわゆる文明開化中毒のために徳川時代に多大の犠牲を払って修得した火事教育をきれいに忘れてしまって、消防の事は警察の手にさえ任せておけばそれで永久に安心であると思い込み、警察のほうでもまたそうとばかり信じ切っていたために市民の手からその防火の能力を没収してしまった。そのために焼かずとも済むものまでも焼けるに任せた、という傾向のあったのもやはり事実である。しかしそれらの直接の原因の根本に横たわる重大な原因は、ああいう地震が可能であるという事実を日本人の大部分がきれいに忘れてしまっていたということに帰すべきであろう。むしろ、人間というものが、そういうふうに驚くべく忘れっぽい健忘性な存在として創造されたという、悲しいがいかんともすることのできない自然科学的事実に基づくものであろう。
 今回の函館(はこだて)の大火はいかにして成立し得たか、これについていくらかでも正鵠(せいこく)に近い考察をするためには今のところ信ずべき資料があまりに僅少(きんしょう)である。新聞記事は例によってまちまちであって、感傷をそそる情的資料は豊富でも考察に必要な正確な物的資料は乏しいのであるが、内務省警保局発表と称する新聞記事によると発火地点や時刻や延焼区域のきわめてだいたいの状況を知ることはできるようである。まず何よりもこの大火を大火ならしめた重要な直接原因は当時日本海からオホツク海に駆け抜けた低気圧のしわざに帰せなければならない。天気図によると二十一日午前六時にはかなりな低気圧の目玉が日本海の中央に陣取っていて、これからしっぽを引いた不連続線は中国から豊後水道(ぶんごすいどう)のあたりを通って太平洋上に消えている。こういう天候で、もし降雨を伴なわないと全国的に火事や山火事の頻度(ひんど)が多くなるのであるが、この日は幸いに雨気雪気が勝っていたために本州四国九州いずれも無事であった。ところが午後六時にはこの低気圧はさらに深度を強めて北上し、ちょうど札幌(さっぽろ)の真西あたりの見当の日本海のまん中に来てその威力をたくましくしていた。そのために東北地方から北海道南部は一般に南西がかった雪交じりの烈風が吹きつのり、函館(はこだて)では南々西秒速十余メートルの烈風が報ぜられている。この時に当たってである、実に函館全市を焼き払うためにおよそ考え得らるべき最適当の地点と思われる最風上の谷地頭町(やちがしらまち)から最初の火の手が上がったのである。
 古来の大火の顛末(てんまつ)を調べてみるといずれの場合でも同様な運命ののろいがある。明暦三年の振袖火事(ふりそでかじで)は、毎日のように吹き続く北西気候風に乗じて江戸の大部分を焼き払うにはいかにすべきかを慎重に考究した結果ででもあるように本郷(ほんごう)、小石川(こいしかわ)、麹町(こうじまち)の三か所に相次いで三度に火を発している。由井正雪(ゆいしょうせつ)の残党が放火したのだという流言が行なわれたのももっともな次第である。明和九年の行人坂の火事には南西風に乗じて江戸を縦に焼き抜くために最好適地と考えられる目黒の一地点に乞食坊主(こじきぼうず)の真秀(しんしゅう)が放火したのである。しかし、それはもちろんだれが計画したわけでもなく、偶然そういう「大火の成立条件」がそろったために必然的に大火が成立し、それがためにこそ稀有(けう)の大火として歴史に残っているに過ぎないのである。同様に現在の函館の場合においても偶然にも運悪くこの条件が具備していたために歴史的な大火災ができあがったに相違ないのである。
 江戸の火災の焼失区域を調べてみると、相応な風のあった場合にはほとんどきまって火元を「かなめ」として末広がりに、半開きの扇形に延焼している。これは理論上からも予期される事であり、またたとえば実験室において油をしみ込ませた石綿板の一点に放火して、電扇の風であおぐという実験をやってみてもわかることである。風速の強いときほど概してこの扇形の頂角が小さくなるのが普通で、極端な例として享保年間のある火事は麹町(こうじまち)から発火して品川沖(しながわおき)へまで焼け抜けたが、その焼失区域は横幅の平均わずかに一二町ぐらいで、まるで一直線の帯のような格好になっている。風がもっともっと強くなればすべての火事はほんとうに「吹き消される」はずである。しかし江戸大火の例で見ると、この焼失区域の扇形の頂角はざっと六十度から三十度の程度である。明暦大火の場合はかなりの烈風でおそらく十メートル以上の秒速であったと思われる根拠があるが、その時のこの頂角がだいたいにおいて、今度の函館(はこだて)の火元から焼失区域の外郭に接して引いた二つの直線のなす角に等しい。そうしてこの頂角を二等分する線の方向がほぼ発火当時の風向に近いのである。これはなんという不幸な運命の悪戯であろう。詳しく言えば、この日この火元から発した火によって必然焼かれうべき扇形の上にあたかも切ってはめたかのように函館全市が横たわっていたのである。
 二十二日午前六時には低気圧中心はもうオホツク海に進出して邦領カラフトの東に位し、そのために東北地方から北海道南部はいずれもほとんど真西の風となっている。それで発火後風向はだんだんに南々西から西へ西へと回転して行ったに相違ない。このことがまた実に延焼区域を増大せしめるためにまるであつらえたかのように適応しているのである。もしも最初の南々西の風が発火後その方向を持続しながら風速を増大したのであったらおそらく火流は停車場付近を右翼の限界として海へ抜けてしまったであろうと思われるのが、不幸にも次第に西へ回った風の転向のために火流の針路が五稜郭(ごりょうかく)の方面に向けられ、そのためにいっそう災害を大きくしたのではないかと想像される。この気象学者には予測さるべき風向の旋転のために死なずともよい多数の人が死んだのである。
 火災中にしばしば風向が変わったと報ぜられているがこれは大火には必然な局部的随伴現象であって現場にいる人にとっては重大な意義をもつものであるが、延焼区域の大勢を支配するものではないから、上記の推測に影響を及ぼす性質のものではないと思われる。
 要するに当時の気象状態と火元の位置とのコンビネーションは、考え得らるべき最悪のものであったことは疑いもない事実である。
 函館(はこだて)市は従来しばしば大火に見舞われた苦(にが)い経験から自然に消防機関の発達を促され、その点においては全国中でも優秀な設備を誇っていたと称せられているのであるが、それにもかかわらず今日のような惨禍のできあがったというのは、一つには上記のごとき不幸な偶然の回り合わせによるものであるには相違ない。おそらくそのほかにもいろいろ平生の火災とはちがった意外な事情が重なり合って、それでこそあのような稀有(けう)の大火となってしまったであろうと想像される。
 だれも知るとおり火事の大小は最初の五分間できまると言われている。近ごろの東京で冬期かなりの烈風の日に発火してもいっこうに大火にならないのは消火着手の迅速なことによるらしい。しかし現在の東京でもなんらか「異常な事情」のためにほんの少しばかり消防が手おくれになって、そのために誤ってある程度以上に火流の前線を郭大せしめ、そうしてそれを十余メートルの烈風があおり立てたとしたら、現在の消防設備をもってしても、またたいていの広い火よけ街路の空間をもってしてもはたして防ぎ止められるかどうかはなはだ疑わしい。幸いに大雨でも降り出すか、あるいは川か海か野へでも焼け抜けてしまわない限り鎮火することは到底困難であろうと考えられる。それで函館の場合にも必ず何かしら異常な事情の存在したために最初の五分間に間に合わなかったのではないかと想像しないわけにはゆかないのである。しかしどんな事情があったかを判断すべき材料は今のところ一つもない。いろいろの怪しいうわさはあるがにわかに信用することはできない。しかしそういうことを今詮索(せんさく)するのはもとより自分の任でもなんでもない。ただ自分は今回の惨禍からわれわれが何事を学ぶべきかについていくらかでも考察し、そうして将来の禍根をいくらかでも軽減するための参考資料にしたいと思うのである。
 あんなにも痛ましくたくさんの死者を出したのは一つには市街が狭い地峡の上にあって逃げ道を海によって遮断(しゃだん)せられ、しかも飛び火のためにあちらこちらと同時に燃え出し、その上に風向旋転のために避難者の見当がつかなかったことなども重要な理由には相違ないが、何よりも函館(はこだて)市民のだれもが、よもやあのような大火が今の世にあり得ようとは夢にも考えなかったということにすべての惨禍の根本的の原因があるように思われるのである。もう一歩根本的に考えてみると畢竟(ひっきょう)わが国において火災特に大火災というものに関する科学的基礎的の研究がほとんどまるきりできていないということが究竟(きゅうきょう)の原因であると思われる。そうして、この根本原因の存続する限りは、将来いつなんどきでも適当な必要条件が具足しさえすれば、東京でもどこでも今回の函館以上の大火を生ずることは決して不可能ではないのである。そういう場合、いかに常時の小火災に対する消防設備が完成していてもなんの役にも立つはずはない。それどころか五分十分以内に消し止める設備が完成すればするほど、万一の異常の条件によって生じた大火に対する研究はかえって忘れられる傾向がある。火事にも限らず、これで安心と思うときにすべての禍(わざわい)の種が生まれるのである。
 火事は地震や雷のような自然現象でもなく「おやじ」やむすこのような自由意志を備えた存在でもなく、主としてセリュローズと称する物質が空気中で燃焼する物理学的化学的現象であって、そうして九九プロセントまでは人間自身の不注意から起こるものであるというのは周知の事実である。しかし、それだから火事は不可抗力でもなんでもないという説は必ずしも穏当ではない。なぜと言えば人間が「過失の動物」であるということは、統計的に見ても動かし難い天然自然の事実であるからである。しかしまた一方でこの過失は、適当なる統制方法によってある程度まで軽減し得られるというのもまた疑いのない事実である。
 それで火災を軽減するには、一方では人間の過失を軽減する統制方法を講究し実施すると同時に、また一方では火災伝播(でんぱ)に関する基礎的な科学的研究を遂行し、その結果を実地に応用して消火の方法を研究することが必要である。
 もちろん従来でも一部の人士の間では消防に関する研究がいろいろ行なわれており、また一方では防火に関する宣伝につとめている向きも決して少なくはないようであるが、それらの研究はまだ決して徹底的とは言い難く、宣伝の効果もはなはだ薄弱であると思われる。
 消防当局のほうでもたとえばポンプや梯子(はしご)の改良とか、筒先の扱い方、消し口の駆け引きといったようなことはかなり詳しく論ぜられていても、まだまだだいじないろいろの基礎的問題がたくさんに未研究のままで取り残されているのである。たとえば今回のような大火災の場合に当たって、火流前線がどれだけ以上になった場合に、どれだけの風速どの風向ではどの方向にどこまで焼けるかという予測が明確にでき、また気象観測の結果から風向旋転の順位が相当たしかに予測され、そうして出火当初に消防方針を定めまた市民に避難の経路を指導することができたとしたらおそらく、あれほどの大火には至らず、また少なくもあんなに多くの死人は出さずに済んだであろうと想像される。こういうことはあらかじめ充分に研究さえすれば決して不可能なことではないのである。
 それからまた不幸にして最初の消防が失敗しすでにもう大火と名のつく程度になってしまってしかも三十メートルの風速で注水が霧吹きのように飛散して用をなさないというような場合に、いかにして火勢を、食い止めないまでも次第に鎮圧すべきかということでも、現代科学の精髄を集めた上で一生懸命研究すれば決して絶対に不可能なことではないであろう。
 現代日本人の科学に対する態度ほど不可思議なものはない。一方において科学の効果がむしろ滑稽(こっけい)なる程度にまで買いかぶられているかと思うと、一方ではまた了解のできないほどに科学の能力が見くびられているのである。火災防止のごときは実に後者の適例の一つである。おそらく世界第一の火災国たる日本の消防がほとんど全く科学的素養に乏しい消防機関の手にゆだねられ、そうして、いちばん肝心な基礎科学はかえって無用の長物ででもあるように火事場からはいっさい疎外されているのである。
 わが国で年々火災のために灰と煙になってしまう動産不動産の価格は実に二億円を超過している。年々火災のために生ずる死者の数は約二千人と見積もられている。十年たてば二十億円の金と二万人の命の損失である。関東震災の損害がいかに大きくてもそれは八十年か百年かに一回の出来事であるとすれば、これを年々根気よくこくめいに持続し繰り返す火事の災害に比すれば、長年の統計から見てはかえってそれほどのものではないと言われよう。
 年に二千人と言えば全国的に見て僅少(きんしょう)かもしれないが、それでも天然痘や猖紅熱(しょうこうねつ)で死ぬ人の数よりは多い。また年二億円の損失は日本の世帯から見て非常に大きいとは言われないかもしれないが、それでも輸入超過年額の幾割かに当たり、国防費の何十プロセントにはなりうる。
 これほどの損害であるのに一般世間はもちろんのこと、為政の要路に当たる人々の大多数もこれについてほとんど全く無感覚であるかのように見えるのはいったいどういうわけであるか、実に不思議なようにも思われるのである。議会などでわずかばかりの予算の差額が問題になったり、またわずかな金のためにおおぜいの官吏の首を切ったり俸給(ほうきゅう)を減らしたりするのも結構であるが、この火災による損失をいくぶんでも軽減することもたまには講究したらどんなものであろうかと思われる。この損失は全然無くすることは困難であるとしても半分なり三分の一なりに減少することは決して不可能ではないのである。
 火災による国家の損失を軽減してもなるほど直接現金は浮かび上がっては来ない。むしろかえって火災は金の動きの一つの原因とはなりうるかもしれない。このことが火災の損害に対する一般の無関心を説明する一つの要項であるには相違ないのであるが、しかしともかくも日本の国の富が年々二億円ずつ煙と灰になって消失しつつある事実を平気で見過ごすということは少なくも為政の要路に立つ人々の立場としてはあまりに申し訳のないことではないかと思われるのである。
 文明を誇る日本帝国には国民の安寧を脅かす各種の災害に対して、それぞれ専門の研究所を設けている。健康保全に関するものでは伝染病研究所や癌(がん)研究所のようなもの、それから衛生試験所とか栄養研究所のようなものもある。地震に関しては大学地震研究所をはじめ中央気象台の一部にもその研究をつかさどるところがある。暴風や雷雨に対しては中央気象台に研究予報の機関が完備している。これらの設備の中にはいずれも最高の科学の精鋭を集めた基礎的研究機関を具備しているのである。しかるにまだ日本のどこにも一つの理化学的火災研究所のある話を聞いた覚えがないのである。
 もちろん警視庁には消防部があって、そこでは消防設備方法に関する直接の講究練習に努力しておられることは事実であるが、ここでいわゆる火災研究とはそういうものではなくて、火災という一つの理化学的現象を純粋な基礎科学的な立場から根本的徹底的に研究する科学的研究をさしていうのである。
 研究すべき問題は無数にある。発火の原因となるべき化学的物理学的現象の研究だけでもたくさんの問題が未解決のまま残されている。たとえばつい近ごろアメリカで、巻き煙草(たばこ)の吸いがらから火事の卵のできる比率条件について実験的研究を行なった結果の報告が発表されていた。しかしその結果が気候を異にする日本にどこまで適用されうるかについてはだれも知らない。またたとえばガソリンが地上にこぼれたときいかなる気象条件のもとにいかなる方向にいかなる距離で引火の危険率が何プロセントであるかというようなことすらだれもまだ知らないことである。
 火災延焼に関する方則も全然不明である。延焼を支配するものは当時の風向風速気温湿度等のみならず、過去の湿度の履歴効果も少なからず関係する。またその延焼区域の住民家屋の種類、密集の程度にもよることもちろんである。これらの支配因子が与えられた場合に、火災が自由に延焼するとすればいかなる速度でいかなる面積に広がるかという問題についてたしかな解答を与えることは現在において困難である。しかしこれとても研究さえすれば次第に判明すべき種類の事がらである。この基礎的の方則が判明しない限り大火に対する有効な消防方針の決定されるはずはないのである。
 火災の基礎的研究には単に自然科学方面のみならず、また心理学的方面、社会学的方面にも広大な分野が存在する。たとえば東京市の近年の火災について少しばかり調べてみた結果でも、市民一人あての失火の比率とか、また失火を発見して即座に消し止める比率とか、そういう人間的因子が、たとえば京橋区(きょうばしく)日本橋区(にほんばしく)のごとき区域と浅草(あさくさ)本所(ほんじょ)のごとき区域とで顕著な区別のあることが発見されている。ともかくも、この種の研究を充分に進めた上で、消防署の配置や消火栓(しょうかせん)の分布を定めるのでなければ決して合理的とは言えないであろうと思われる。
 これらの研究は化学者物理学者気象学者工学者はもちろん心理学者社会学者等の精鋭を集めてはじめて可能となるような難問題に当面するであろう。決して物ずきな少数学者の気まぐれな研究に任すべき性質のものでなく、消防吏員や保険会社の統計係の手にゆだねてそれで安心していられるようなものでもなく、国家の一機関として統制された研究所の研究室において徹底的系統的に研究さるべきものではないかと思われる。
 西洋では今どきもう日本のような木造家屋集団の火災は容易に見られない。従ってこれに対する研究もまれであるのは当然である。しかし、西洋に木造都市の火事の研究がないからと言って日本人がそれに気兼ねをして研究を遠慮するには当たらない。それは、英独には地震が少ないからと言って日本で地震研究を怠る必要のないと同様である。ノルウェーの理学者が北光(オーロラ)の研究で世界に覇(は)をとなえており、近ごろの日本の地震学者の研究はようやく欧米学界の注意を引きつつある。しかしそれでもまだ灸治(きゅうじ)の研究をする医学者の少ないのと同じような特殊の心理から火事の研究をする理学者が少ないとしたらそれは日本のためになげかわしいことであろう。
 アメリカでは都市の大火はなくても森林火災が頻繁(ひんぱん)でその損害も多大である。そのために特別な科学的研究機関もあり、あまり理想的ではないまでもともかくも各種の研究が行なわれ、その結果はある程度まで有効に予防と消火の実際に応用されている。西部の森林地帯では「火事日和(かじびより)」なるものを指定して警報を発する設備もあるようである。
 わが国でも毎年四五月ごろは山火事のシーズンである。同じ一日じゅうに全国各地数十か所でほとんど同時に山火事を発することもそう珍しくはない。そういう時はたいていきまって著しい不連続線が日本海を縦断して次第に本州に迫って来る際であって同時に全国いったいに気温が急に高まって来るのが通例である。そういう時にたとえばラジオによって全国に火事注意の警報を発し、各村役場がそれを受け取った上でそれを山林地帯の住民に伝え、青年団や小学生の力をかりて一般の警戒を促すような方法でもとれば、それだけでもおそらく森林火災の損害を半減するくらいのことはできそうに思われる。われわれ素人(しろうと)の考えではこのくらいのことはいつでもわけもなくできそうに思われるのに、実際はまだどこでもそういう方法の行なわれているという話を聞かない。そうして年々数千万円の樹林が炎となり灰となっていたずらにうさぎやたぬきを驚かしているのである。そうして国民の選良たる代議士でだれ一人として山火事に関する問題を口にする人はないようである。
 数年前山火事に関する若干の調査をしたいと思い立って、目ぼしい山火事のあったときに自分の関係の某官衙(ぼうかんが)から公文書でその山火事のあった府県の官庁に掛け合って、その山火事の延焼の過程をできるだけ詳しく知らせてくれるように頼んでやったことがあった。しかしその結果は予期に反する大失敗であって、どこからもなんらの具体的の報告が得られなかったばかりか、返事さえもよこしてくれない県が多かった。これはおそらく、どこでも単に「山火事があった」「何千町歩やけた」というくらいの大ざっぱなこと以上になんらの調査も研究もしていないということを物語るものであろうと思われた。たださえ忙しい県庁のお役人様はこの上に山火事の調査まで仰せつかっては困ると言われるかもしれないが、しかしこれも日本のためだと思って、もう少しめんどうを見てもらいたいと思うのである。山が焼ければ間接には飛行機や軍艦が焼けたことになり、それだけ日本が貧乏になり国防が手薄になるのである。それだけ国民全体の負担は増す勘定である。
 いずれにしても今回のような大火は文化をもって誇る国家の恥辱であろうと思われる。昔の江戸でも火事の多いのが自慢の「花」ではなくて消防機関の活動が「花」であったのである。とにかくこのたびの災害を再びしないようにするためには単に北海道民のみならず日本全国民の覚醒(かくせい)を要するであろう。政府でも火災の軽減を講究する学術的機関を設ける必要のあることは前述のとおりであるが、民衆一般にももう少し火災に関する科学的知識を普及させるのが急務であろうと思われる。少なくもさし当たり小学校中等学校の教程中に適当なる形において火災学初歩のようなものを插入(そうにゅう)したいものである。一方ではまたわが国の科学者がおりにふれてはそのいわゆるアカデミックな洞窟(どうくつ)をいでて火災現象の基礎科学的研究にも相当の注意を払うことを希望したいと思う次第である。
 まさにこの稿を書きおわらんとしているきょう四月五日の夕刊を見るとこの日午前十時十六分函館(はこだて)西部から発火して七十一戸二十九棟(むね)を焼き、その際消防手一名焼死数名負傷、罹災者(りさいしゃ)四百名中先日の大火で焼け出され避難中の再罹災者七十名であると報ぜられている。
 きのうあった事はきょうあり、きょうあった事はまたあすもありうるであろう。函館にあったことがまたいつ東京大阪(おおさか)にないとも限らぬ。考え得らるべき最悪の条件の組み合わせがあすにも突発しないとは限らないからである。同じ根本原因のある所に同じ結果がいつ発生しないと保証はできないのである。それで全国民は函館(はこだて)罹災民の焦眉(しょうび)の急を救うために応分の力を添えることを忘れないと同時に各自自身が同じ災禍にかからぬように覚悟をきめることがいっそう大切であろう。そうしてこのような災害を避けるためのあらゆる方法施設は火事というものの科学的研究にその基礎をおかなければならないという根本の第一義を忘却しないようにすることがいちばん肝要であろうと思われるのである。
(昭和九年五月、中央公論
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⚡70】─1─古墳を取り囲む“無数の太陽光パネル”、それは侵略か破壊か。~No.286No.287No.288 

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 反原発派や自然擁護派は、現代・未来の再生可能エネルギーの為ならば過去の宗教・文化・伝統・歴史さえ破壊する。
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 2024年3月4日 YAHOO!JAPANニュース テレビ朝日系(ANN)「古墳を取り囲む“無数の太陽光パネル” 「侵略している」SNSで批判の声も…実態は?
 古墳を取り囲む“無数の太陽光パネル” 「侵略している」SNSで批判の声も…実態は?
 真ん中にポツンと見える島のようなものは「古墳」です。その周りをずらりと囲んでいるものが太陽光パネルです。
 【画像】太陽光パネル設置でトラブル頻発 背景に“やむにやまれぬ事情”
 こうした古墳を取り囲むような太陽光パネルは各地にあり、景観などについて物議を醸しています。なぜこうなったのか現場を取材したところ、意外な事実が浮かび上がってきました。
■メガソーラー構想などの土地計画を巡り紛糾
 五條市の地元住民
 「急に説明もなく計画変更なんて、五條市民を馬鹿にしておる、何がメガソーラーだ。そんな勝手な話ありますか?私は納得できない」
 奈良県五條市では、メガソーラー構想などの土地計画を巡って紛糾していました。
 県は当初、滑走路もある防災拠点を整備する計画を立てていましたが白紙に…。ヘリポートや備蓄倉庫とともに、およそ25ヘクタールのメガソーラーを設置する案を発表しました。
 これに対し、予定地を県に売却した地元自治会などが強く反発しています。
■古墳を取り囲む太陽光パネル SNSでは批判の声
 今、全国でソーラーパネル設置に関するトラブルが頻発しています。
 熊本県阿蘇では、山の斜面がソーラーパネル一色になり、景観を壊していると話題になっています。
 そして、奈良市内でも…。何かを囲むような形で設置されたソーラーパネル。ちょうど真ん中辺り、ぽっかり空いている所にあるのは古墳です。
 数年前から、ソーラーパネルが設置されていましたが、SNS上では「メガソーラーが古墳を侵略している…」「お墓の周りにソーラーパネルはないわ」などの声が上がっていました。
 一体、何が起きたのでしょうか?
 奈良市職員
 「あの古墳は公有地ではなく、市が所有するものではありません。そのため、市が管理しているわけではありません」
 市は土地の所有者と話し合ったうえで、数カ月間にわたって調査を実施。古墳部分を保護する形になったといいます。
太陽光パネルと共存…背景に“やむにやまれぬ事情”
 日本にはおよそ16万基あるといわれている古墳。その中でも、宮内庁が管理するのは天皇などを埋葬した陵墓などで、わずか899カ所。古墳の大半は個人所有のものとなっています。
 ソーラーパネルと共存した形の場所は他にもあります。
 群馬県高崎市にある庚申塚(こうしんづか)古墳。大きな古墳の上にソーラーパネルがドンと乗っている状態です。
 番組が古墳を所有する男性に話を聞くと、切実な事情が浮かび上がってきました。
 古墳を所有する男性
 「(古墳を)母から相続して、この土地そのものが草ぼうぼうになって、かなり樹木も生い茂っていたんですが。消防署の方から、いきなり通知書で除去しなさいと」
 数年前、古墳のある土地を母親から相続したという男性。雑草が生い茂る古墳に対し、近隣住民からクレームが寄せられ、市や消防から管理を徹底するよう通知書が送られてくることもあったといいます。
 一時は、先祖代々、相続してきた土地を手放すことも検討しましたが…。
 古墳を所有する男性
 「文化財保護法によって、土地の売買というのができなくなっています。移転もできない。所有者であっても、その土地を何もすることはできません」
 八方ふさがりとなった男性は、市に相談。整地し、ソーラーパネルを設置して管理することにしました。その結果、大きなメリットがあったといいます。
 古墳を所有する男性
 「(古墳はもともと)5メートルぐらいの高さがあったと思われると、それが今になって測ってみると、3メートルになってしまって。(雨風で)浸食されてきているということで、コンクリートとかを置いて浸食防止に努めましょうと。そうすれば、文化財保護のためにもいいのではないかということで、市の方と協議させていただいて、そういう方法を決めさせてもらった。共存共栄ですね」
 番組が取材した、無数のソーラーパネルに囲まれた古墳には、やむにやまれぬ事情がありました。
 (「グッド!モーニング」2024年3月4日放送分より)
 テレビ朝日
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🌌59}─2─人も、技術も、お金も減っていき日本の水道は〝孤独死〟寸前。~No.282 

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 昔の日本は「水と安全はただ」であったが、現代の日本は「水と安全は有料」である。
 日本人は、自然を愛し、自然を大事にし、自然を守は、ウソである。
 現代の日本人は「今だけ自分だけ金儲けだけで」、昔の日本人つまり日本民族とは違う。
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 2024年3月22日6:02 YAHOO!JAPANニュース Wedge(ウェッジ)「人も、技術も、お金も減っていく……。日本の水道は〝孤独死〟寸前? 転換を図るための道、技術は「既にある」
 約98%を誇る、日本の水道普及率。その維持にかかるコストも膨大だ(SIRIRAK/GETTYIMAGES)
 「能登半島地震」では水道施設に甚大な被害があり断水が続いている(1万8880戸/2月29日現在)。水道事業者は施設や管路の耐震化を進めてきたが、道半ばと言える。
 1995年の阪神淡路大震災を教訓に「地震に強い水道づくり」を検討した厚生省(当時)水道耐震化検討委員会は「老朽化した水道管を向こう5年以内にすべて耐震性のものに更新する」という提言を出した。2004年にまとめられた「水道ビジョン」には「浄水場、配水池などの基幹施設、基幹管路の耐震化率を100%にする」とある。
 30年にわたる号令にもかかわらず、現在の基幹管路の耐震適合率は41.2%(厚生労働省「水道事業における耐震化の状況〈2021年度〉)にとどまる。この数字はばらつきがあり1位の神奈川県は73.1%だが、最下位の高知県は23.2%と50%の開きがある。能登半島地震で水道被害が大きかった石川県は36.8%で、やはり全国平均よりも低かった。さらに耐震化率の伸びは20年から21年で0.5%程度。財源と人手の不足が影響している。
 水道事業は料金収入の激減から経営難に陥っている。そのため耐震管への切り替え、老朽管の更新が進んでいない。24年1月1日時点の日本の概算人口は1億2409万人で、前年同月から66万人減少した。
 人口減少は水道利用者の減少、利用水量の減少にほかならず、当然、料金収入も減少する。総務省によると料金徴収の対象となる水量(有収水量)は、00年の日量3900万トンをピークに減り続け、65年には日量2200万トンになると予測される。
 水道経営は今後ますます厳しくなる。水道が敷かれた頃は多くの市民に注目されたが、老朽化の実態は社会で共有されているとはいえず、水道は〝孤独死〟寸前である。
 また、水道施設の維持・修繕をする技術者も不足している。コロナ禍で注目されたキーワードの一つに「エッセンシャルワーカー」があるが、水道施設の技術者もそうであろう。だが技術者の待遇面は向上せず、社会を支える人材は不足している。最近は施工事業者の人手不足が深刻で、施設の改修工事の入札が不調に終わることも多い。
足元で減る、金・技術・人材国からの策は実現可能か
 施設の老朽化、財源不足、人材不足の三重苦から持続性が危ぶまれる水道事業に対し、国は広域化と官民連携という対策を打ち出した。18年12月に改正水道法が公布され、「水道基盤強化計画」(改正法第5条)の策定による広域連携(経営統合、業務の共同化、災害時等の応援協定、資材の共同整備など)がさらに推奨された。
 だが、広域連携は進んでいない。「水道広域化推進プラン」(厚労省/2021年度)の策定の進捗状況によると、広域化推進プランを「策定済み」の自治体は5団体にとどまっている。
 さらに言えば、広域化し経営効率を上げれば、水道の持続が図れるかといえば、そうではない。昭和時代の水道を持続するだけでは意味がない。
 水道事業は昭和時代に供給量の増加への対応、水源の汚染への対応を課題とし、設備を建設することで課題解決を図ってきた。現在の課題は人口減少への対応、災害頻発への対応である。国が進める広域化のメリットとして、経営規模を拡張することで経費節減ができるといわれている。たしかに大口の発注などでコスト削減は可能だが、水道は設備産業であるため一定の材料費、施工費(労務費)、維持管理費がかかる。だから経費節減だけを強調すると誤解を招く。水道を供給する⾯積が広いほど、広⼤な面積を管理しなくてはならないし、人口減少が進む地域では⽔道の維持が難しくなる。
 そこで昭和時代に広げた傘を折りたたんだり、複数の小さな傘に差し替えたりする必要がある。広げた傘を折りたたむとは、ダウンサイジングのことだ。水使用量の減少から全国の水道事業の平均施設利用率(稼働率)は6割程度。つまり減価償却費や施設維持管理費などの費用が発生しているにもかかわらず、利益を生まない資産が4割ある。これを段階的に減らしていく。
 岩手県北上市花巻市紫波町は、それぞれ別に水道事業を行っていたが、14年に岩手中部水道企業団に統合した。岩手中部水道企業団の特色は人材育成にある。一般的な一部事務組合の場合、職員は自治体から出向する。約3年で人事異動があり専門性は蓄積されにくい。岩手中部水道企業団は専任職員だけで構成される。
 事業開始時に3市町の水道職員に移籍希望調査を行った。条件は、身分、待遇は変えず、水道の仕事に専念することだった。すると正職員の定員72人のうち、初年度だけで65人が役所を退職し、水道のプロとして働くために企業団に移籍した。11年の事業計画時から19年までに計25の施設を削減し、25年までにさらなる削減を計画する。施設削減の結果、約89億円の投資を削減できた。
 さらに職員の技量アップを図りながら有収率(給水する水量と料金として収入のあった水量との比率)を向上させた。有収率が低い主な原因は漏水だったが、15年から18年の3年で有収率が6.2%上がり、水が有効に使用された。
 その結果、配水量が日量7000トン減り、新浄水場の建設計画が白紙に戻った。将来投資が大幅に削減され、ダウンサイジングを図ることに成功したのだ。これにより漏水工事のための職員の残業も減り、突発的な工事に伴う心的負担の低減にもつながった。多くの公務員は数年で人事異動となるが、専門人材を育成する大切さを考えさせられる。
求められる「小規模分散化」地域の将来像を描けるか
 破損した水道管から水が噴き出す現場。このような事態が今後、全国で頻発する可能性も否定できない(THE MAINICHI NEWSPAPERS CO., LTD./AFLO)
 ただしダウンサイジングの結果、過疎地域の切り捨てが起きてはならない。人口が極端に少ない地域での持続策も考えるべきだ。それが小さな複数の傘への差し替えだ。
 大きな施設で浄水処理し、そこから水を道に通して運ぶのが「水道」だとすれば、給水ポイントを小規模分散化して、水の道を極力短くし、数個から集落を対象とした「水点」をつくる。浄水やポンプ導水にかかるエネルギーを減らし、安価で管理しやすく、災害に強い方法を導入する。安全な水を安価に持続的に供給する目的が達成されるなら手段は柔軟でよいはずだ。
 いくつかの例を紹介しよう。
1.集落への水デリバリー「運搬給水」
 宮崎県宮崎市の持田地区、天神地区、静岡県浜松市の水道未普及地域などでは運搬給水を行っている。浄水場から、配水池までタンク車で水を運び、配水池から各家庭へは水道管で水が供給される。メリットは、水道管の維持管理が不要で費用が安いこと、デメリットは、気温の影響を受けやすいので水質管理に注意が必要なこと、事故や災害に備える必要があることだ。
2.井戸水と紫外線発光ダイオードによる殺菌
 井戸は有効な水源で、能登半島地震の被災地でも住民が新たに手製の井戸を掘って活用するケースがある。ただ、地下水の水質は地域によって異なり、食中毒や感染症を起こす目に見えない病原菌が含まれていることもあるので、消毒が必要だ。
 その点で注目されているのが、東京大学大学院工学系研究科の小熊久美子教授が研究・開発に取り組んでいる小型の紫外線発光ダイオード装置だ。紫外線が水中のウイルスや細菌などの微生物の遺伝子に損傷を与え、増殖を抑えることで感染を食い止められる。
3.地元住民が管理する緩速ろ過
 日本各地には地元の住民が管理する小規模水道がある。岡山県津山市の水道未普及地域では、維持管理を地元組合が行うため、(1)構造が単純で管理の手間が少ない、(2)ポンプなどの動力を使用しない、(3)できる限り薬品類を必要としないことが考慮され、「上向流式粗ろ過」と「緩速ろ過」を組み合わせた装置が採用された。
 設備はコンクリートの水槽と砂利があればよく、地元業者でも施工できる。メンテナンスも安価で簡単だ。住民が水道に関わり続けることで人材育成も可能になる。
4.水の循環利用
 企業が小規模な技術を開発するケースもある。従来の「使った水は流す」から「再生して繰り返し使用する」という考え方にシフトして開発されたのがWOTA BOX(WOTA、東京都中央区)だ。
 排水をろ過して繰り返し循環させることで、水の量を通常の50分の1以下に抑えることが可能。普通私たちは1回のシャワーに100リットルの水を使うが、WOTA BOXで循環利用すると100リットルで100人がシャワーを浴びられるため、能登半島地震の被災地でも活躍した。配管工事が不要で、電源さえあれば水が使える。
 現在の上下水道システムには大量のエネルギーが使われている。水源からポンプで取水し浄水場まで導水する、浄水場で浄水処理する、ポンプで各家庭まで送水・配水する。いずれも電力が必要だ。今後は脱炭素にも留意する必要がある。浄水場まで水を運ぶにあたり、遠くのダムなどから導水するのではなく、近くの伏流水やコミュニティー内の地下水などを利用すれば、導水する際の電力の使用量を抑えることができる。
 地下水が清浄であれば塩素殺菌するだけで十分であり、浄水処理での電力使用を抑えられる。さらには取水施設や浄水場に小水力発電を導入し売電することで、水道施設の費用をまかなうこともできる。「昭和型システム」の維持には限界があるが、広げた傘を折りたたんだり、複数の小さな傘に差し替える技術は揃っている。あとは自治体がどの技術を選び、どう管理するかが課題となる。
 橋本淳司
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 2023年8月22日 Wedge REPORT「「水」は世界企業の戦略物資 日本流でリスク管理の強化を
 橋本淳司( 水ジャーナリスト)
 企業の生産活動に水は欠かせないが、多くの水資源を使用する業種とは何か。経済産業省によると、日本における工業用水の業種別使用割合は、パルプ・紙・紙加工品製造業(27%)、化学工業(22%)、鉄鋼業(14%)だが、近年は莫大な水量を使用する業種が登場している。半導体産業である。半導体は特定の物質を加えて用途ごとの電気的性質を与える。不純物が付着すると性質が変化してしまうため、洗浄に純度の高い水が大量に使われる。
 工業用水としての重要性が高まる水資源。〝使いっぱなし〟は許されなくなっている(NOPPAWAT TOM CHAROENS INPHON/GETTYIMAGES)
 台湾の半導体大手、台湾積体電路製造(TSMC)のCSRレポートによると、2019年には台湾の3つの科学工業団地で、1日当たり合計15万6000トン、20年には同19万3000トンの水を使用した。半導体が高性能化し回路線幅が小さくなると不純物を取り除くための水使用量はさらに増え、次世代チップは1.5倍の水を消費すると予測されている。
 意外なところではChatGPTだ。米カリフォルニア大学の研究チームのレポート「Making AI Less ‘Thirsty’ 」によると、ChatGPTのトレーニングに必要な水量は原子炉の冷却水タンクとほぼ同量という。主としてデータセンターの冷却水で、ChatGPTで25〜50個の質問をすると500ミリリットルの水が必要になるという。今後AIの活用が世界的に進むと考えられるが、水を「戦略物資」として認識し、持続的に活用することが鍵を握るだろう。
 一方、世界的には水資源の枯渇が懸念されている。地政学リスク専門のコンサルティングファーム、ユーラシア・グループが公表した「TOP RISKS 2023」にも「逼迫する水問題」があげられている。水はもともと地域に偏在しているが、一定量の水がある地域でも過剰な使用、汚染などの人間の使い方の問題がある。さらに気候変動による気温上昇も水不足に拍車を掛ける。水が少ない地域では干ばつが発生しやすくなり、水の多い地域では雨が降りやすくなるため、水資源の地域偏在はさらに進む。
 こうした中で企業は水リスクへの対応を始めている。全ての国内総生産GDP)は自然を何らかの形で利用して生み出されるという前提で考えると、今後、環境問題は自然資本という考え方で経済システムに組み込まれ、環境負荷に対する情報開示が求められる。
 現在注目されているのが国際会計基準IFRS)の情報開示案だ。国際会計基準審議会(IASB)によって設定された会計基準の総称で、各国で上場するには国際会計基準で財務諸表を作る必要があり、今後世界標準になるだろう。この中には企業が水をどう使うかという情報も当然含まれる。
 メタも水循環システムを導入
 また、環境情報開示の世界的なプラットフォームであるCDP(00年に英国で設立された国際環境NGO)は、すでに世界各地の機関投資家などの要請を受け、環境に関する質問書を企業に送付し、回答を公開している。発足当初は「カーボン・ディスクロージャー・プロジェクト(Carbon Disclosure Project)」という名称で、気候変動に特化していたが、09年から水リスク対応などを指す水セキュリティー、11年から森林減少対策などを指すフォレストに関する質問書の送付も始めた。
 近年ではESG(環境・社会・企業統治)情報開示の重要性の高まりから、参加する機関投資家数、質問書に回答する企業数は増加している。22年は、680以上の金融機関(運用資産総額130兆ドル超)、280以上の主要購買企業・団体(6兆4000億ドルの購買力)がCDPを通じて企業の情報開示を要請した。一方、企業は1万8700社以上が質問書に回答し、その時価総額は合計60兆8000億ドルと世界の株式市場の時価総額の約半分を占めた。国別の上位5カ国を見ると、米国(3700社以上)、中国(2500社以上)、日本(1700社以上)、英国(1400社以上)、ブラジル(1300社以上)だった。
 日本で水セキュリティー最高位のAリスト認定の企業は18年の8社から22年に35社になった。この5年間の水セキュリティーAリスト企業を業種別に見ると、のべ133社のうち、ソニーグループや富士フイルムなど製造55社(41%)、キリンホールディングスサントリーホールディングスなど食品・飲料・農業25社(18%)、LIXILグループ東レなど素材25社(18%)となっている。
 拠点内で水循環システムを導入
 情報公開だけでなく具体的な取り組みを始めた企業もある。それが「ウオーター・ポジティブ」という活動で、消費するより多くの水を供給することを目指す。どのようにそれを実現させるかと言えば、水使用量を減らす活動(節水や再利用)、水供給量を増やす活動(地表から地下に水を浸透させる、森林や湿地の保全、雨水浸透など)を組み合わせる場合が多い。
 インスタグラムやフェイスブックを運営するメタはデータセンターの冷却水として大量の水を使用している。データセンターの高密度化に伴い消費電力が増えているからだ。冷却システムに障害が発生すればサーバーに悪影響が及ぶため、冷却効率の高い水冷式が採用されている。そのため米ニューメキシコ州の中央部に位置するアルバカーキのデータセンターでは年間5万トンの水使用権を持つ。
 メタは水利用の効率を高めるとともに、施設がある流域での涵養プロジェクトを始めた。ニューメキシコ州カリフォルニア州など6州で湿地の保全などを行い、年間32万トン以上の水を地表から地下へ浸透させるという。
 熊本では20年前から涵養事業実施
 マイクロソフトは水使用量を減らす活動として、敷地や建物に雨水を集めるシステムを装備した。排水として流していた雨を使うことで、従来の地下水使用量を減らす。また、水をリサイクルしたり、冷却水のかわりに外気を使用し始めた。水供給量を増やす活動としては、湿地の保全アスファルトなどの水を浸透しない表面を除去するプロジェクトに投資を行う。
 今後、多くの企業が水循環システムを導入するだろう。実際、TSMCは製造過程で使用する水を工場内で少なくとも3.5回再利用しており、20年には使用した水の約87%に相当する約1億7300万トンを再利用した。
 目的は排水を再利用し、高騰する水に関するコストと水使用量を削減することにある。工場内で極限まで水を繰り返し利用すれば、水環境への影響を最小限に抑えられるうえ、地域の水不足の解消にも貢献できると考えられている。これが世界標準となり、日本企業でも導入する例が増えてくるだろうが、水環境は地域によって千差万別。地域に合ったやり方を選択すべきだ。
 TSMCが進出した熊本では
 20年前から涵養事業を実施
 国内に目を転じると、前述のTSMCが現在、熊本県で工場建設を行っている。進出先に熊本が選ばれた理由は、関連企業の集積、交通アクセスのよさはもちろんだが、半導体生産に欠かせない地下水が豊富なことにある。熊本県生活用水の8割が地下水で、特に熊本地域の水道はほとんど地下水に依存している。
 メキシコのなぞなぞに、「土の中に家があり、地中に王国がある。天にも登るが、再び帰ってくるものはなにか」というものがある。答えは「水」で「地中の王国」とは地下の帯水層を指す。
 この巨大な貯蔵庫に蓄えられる水は、地表にある水の100倍。雨水が地中にしみ込んで蓄えられるが、それを上回る量を汲み上げたら、地中の王国は空っぽになり、枯渇、塩害、地盤沈下、砂漠化などを引き起こす。
 では、半導体工場が水を大量に汲み上げることで地下水が枯渇する懸念はないのか。
 熊本県には「地下水保全条例」(01年改正)があり、地下水を大口取水する事業者に、知事の許可を得るよう制約を課し、地下水は水循環の一部であり、県民の生活、地域経済の共通の基盤である公共水との認識に立っている。
 改正のきっかけは地下水の減少である。08年の地下水採取量は1億8000万トンと17年前の75%に減少していたにもかかわらず、地下水位は低下していたのだ。10年に熊本県が地下水位観測井戸を測定したところ、1989年に比べ、14カ所中12カ所の井戸で水位が4.5メートル下がっていた。原因は水田が宅地などに変わり涵養量が減ったことだった。
 そこで熊本では企業が涵養事業を行うようになった。ソニー半導体工場は2003年度から地元農家や環境NPO、農業団体と協力し事業を開始。協力農家を探し、稲作を行っていない時期に川から田んぼに水を引き、その費用を負担した。そのほか富士フイルムサントリーコカ・コーラなどが田んぼの水張りを支援している。海外で「ウオーター・ポジティブ」と言われているものを日本では20年前からやっていたことになる。
 水は石油などと違い、使い切ったら終わりではない。「再び帰ってくるもの」だ。地下水は上流の森林の保全、水田や湿地の保全によって涵養できる。地域とのコミュニケーションを大切に、地下水の流動、使用量、涵養量についての情報共有を図り、保全しながら活用していくことが、地域および企業の持続性につながる。企業にとって「水リスク」の管理は、自社の利益を確保するためにも自社がかかわる地域の環境保全・改善のためにも、ますます重要なテーマになることは間違いないが、そのやり方は地域で決めるべきだ。
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🦋6〗─10・B─独身女性のおひとりさま老後はキャリアウーマンからマイペースへ。1970年代。~No.27 

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 2024年3月23日 LIMO | くらしとお金の経済メディア「結局「おひとりさま」は社会的弱者なのか…ロールモデルの不在に苦しむ独身女性の歩き方
 西田 梨紗
 未婚者が暮らしやすい社会になりつつも、未だ残る「結婚」のしがらみ
 結局「おひとりさま」は社会的弱者なのか…ロールモデルの不在に苦しむ独身女性の歩き方
 © LIMO | くらしとお金の経済メディア
 現代社会では、女性が男性と対等に働けることに一応はなっています。
 実際のところ、男性以上に仕事に注力する女性やハードワークをこなす女性も珍しくありません。
 女性の未婚率が高まり、子どもを望まない女性が増えたのは「女性の社会進出」や「女性の選択肢が増えた」からだという意見が多々あります。
 しかし、現代社会では以下のような悩みを抱える女性も多くいることを見落としてはなりません。
 「キャリアウーマンでもないし、仕事にやりがいもない。かといって、恋人もいない」
 「不安定な雇用形態で将来が不安。でも、結婚願望もそんなにない」
 当然のことながら、未婚女性のすべてが仕事を生きがいにしているわけでも、高い収入を得ているわけでもありません。
 むしろ、将来に不安を抱えている人や、経済的に不安定な人が現代社会におけるおひとりさま女性の過半数を占めていると考えられます。
 本記事では、おひとりさま女性に対してつくられてきたイメージや、おひとりさま女性の現状について見ていきましょう。
 ※編集部注:外部配信先では図表などの画像を全部閲覧できない場合があります。その際はLIMO内でご確認ください。
 2000年代はじめ頃からつくられた「未婚女性=キャリアウーマン」のイメージ
 「おひとりさま」という言葉を世に広めたのは岩下久美子さんといわれます。
 岩下さんはいわゆるキャリアウーマンであり、精神的にも経済的にも自立した女性でした。
 彼女は青山学院大学の法学部を卒業し、おひとりさま向上委員会を主宰した他、現代社会におけるコミュニケーションの問題を追及し、ストーカー研究にも多大なる貢献をするなど、さまざまな実績があります。
 さらに『おひとりさま』(2001)のほか『ヴァーチャルLOVE』(1999)を出版するなど、著述家としても精力的に活動していました。
 彼女の著作『おひとりさま』では、おひとりさまとは「個」の確立ができた大人の女性であることが前提となっています。
 本著において経済的なゆとりのあるおひとりさまがイメージされていることは明らかで、バーやホテルステイといったきらびやかで、お金がかかるような娯楽の楽しみ方が伝授されています。
 また、テレビやスクリーンなどでは、天海祐希さんがおひとりさまのイメージを形成するのに一役買っているといえるでしょう。2008年に放送された『Around40 〜注文の多いオンナたち〜』(TBS系列)では優秀な精神科医の女性を演じています。
 彼女の趣味は旅館でひとりまったり過ごすこと。このような趣味が成り立つのも医師としての安定的、かつ高収入があることが前提になります。
 2012年に放送された『結婚しない』(フジテレビ系列)で天海さんはガーデンデザイナーの独身女性を演じました。彼女は上司からの信頼も厚く、マンションを40歳代前半にして購入できるほど経済的に自立した女性です。
 天海さんがドラマで演じている「おひとりさま」は、岩下久美子さん著『おひとりさま』がターゲットとしている読者層にもあてはまっているといえるでしょう。
 平成一桁生まれの女性たちは現在、筆者も含めて「結婚適齢期」ともいえる年齢になっています。
 中高生の頃こうしたドラマが放送されたことでドラマと現実は違うと分かりつつも、おひとりさまに対して「キャリアウーマン」をどこかでイメージしがちです。
 未婚者が生きやすい世の中になってきているとはいえ、現状の自分と作品で描かれてきたおひとりさまのイメージの乖離にあせりや不安を感じる人も少なくありません。
 現代社会のおひとりさま女性は「キャリアウーマン」よりも「マイペース」が多いのか?
 実際の社会において「おひとりさま=経済的に自立した女性」というわけではありません。
 それどころか、恋愛に対する関心が低い女性の方が恋愛に積極的な女性よりも仕事にもどこか消極的という傾向もあるのです。
 日本労働組合総連合会は「非正規雇用で働く女性に関する調査2022」を実施。対象者は非正規雇用で働く女性(20歳〜59歳の女性1000名の有効サンプルを集計)です。
 本調査では初職の雇用形態別に配偶者(事実婚・同性パートナーを含む)の有無についても明らかになっています。
 【図表1】配偶者の有無と初職の雇用形態の関係性
 © LIMO | くらしとお金の経済メディア
 【図表1】では初職の雇用形態が「正規雇用」の人の方が配偶者が「いる」割合が高くなっています。
 非正規雇用など比較的不安定とされる職に就いている女性の方が、配偶者がいる=結婚しているというイメージもありますが、実情は異なるようです。
 自ら「非正規雇用」を選んだおひとりさま女性
 さらに興味深いのは、非正規雇用で働いている配偶者のいない人の多くが自ら望み、こうした働き方を選択していることです。
 【図表2】世帯形態別・今の就業形態を選んだ理由(複数回答)
 © LIMO | くらしとお金の経済メディア
 【図表2】によると、配偶者が「いない」人たちからもっとも多くの回答を集めたのは 「ある程度 労働時間・労働日を選べるから」が36.8%と最多でした。次いで、「通勤時間が短いから」を選んだ人が多いという結果に。
 一方、「正社員・正規職員として働けるところがなかったから」と回答した人の割合は16.6%となっています。
 もちろん、職を選べず仕方なく選んだ人もいるでしょう。しかし、なかには別の理由をもって非正規雇用を選択した人もいるのかもしれません。
 おひとりさまの貯蓄額は既婚者よりも少ない傾向に
 続いて、金融広報中央委員会の調査から40歳代における単身世帯と2人以上の世帯の金融資産保有額を見ていきましょう。
 金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査[単身世帯調査](令和5年)」では、40歳代・おひとりさま世帯の金融資産保有額は以下のようになっています。
 【図表3】40歳代・単身世帯の金融資産保有額【一覧表】
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・金融資産非保有:40.4%
・100万円未満:11.1%
・100~200万円未満:5.2%
・200~300万円未満:4.0%
・300~400万円未満:3.7%
・400~500万円未満:2.5%
・500~700万円未満:4.6%
・700~1000万円未満:7.7%
・1000~1500万円未満:6.2%
・1500~2000万円未満:2.2%
・2000~3000万円未満:4.3%
・3000万円以上:4.3%
 あわせて、二人以上の世帯の貯蓄額を見ていきましょう。
 【図表4】40歳代・二人以上世帯の金融資産保有額【一覧表】
 © LIMO | くらしとお金の経済メディア
・金融資産非保有:26.8%
・100万円未満:9.6%
・100~200万円未満:8.9%
・200~300万円未満:4.9%
・300~400万円未満:5.7%
・400~500万円未満:3.8%
・500~700万円未満:7.4%
・700~1000万円未満:5.6%
・1000~1500万円未満:7.4%
・1500~2000万円未満:3.5%
・2000~3000万円未満:5.3%
・3000万円以上:6.5%
 【図表3】と【図表4】を比べてみると、単身世帯よりも二人以上の世帯の金融資産保有額が高いことが明らかです。
 おひとりさまの方が経済的に厳しい傾向にあるといえるでしょう。
 社会的に認められてきたおひとりさま、社会の変化をキャッチして
現代社会ではおひとりさま女性にとってのロールモデルは少ないといえます。
 「結婚」という選択はせず、仕事を楽しみ年齢を美しく重ねている女性もいます。
 とはいえ、ほとんどのおひとりさまにとって自分の生活や状況と彼女たちを重ねることは難しいでしょう。
 たとえば、テレビで活躍する未婚を選んだ女性から老後についての話題が出ることもあります。
 しかし、マンションを買って隣同士で住む……といったプランを実現できる人は一部に限られており、“普通の”おひとりさまにとって現実的ではありません。
 また、現在の結婚適齢期の世代やその少し下の世代は、親や祖父母は結婚が当たり前という価値観の中で結婚適齢期をすごした人たち。
 このため、親や祖父母を手本にしたり、親族からアドバイスをもらったりするのも難しいでしょう。
 今後はますますおひとりさまが増えると言われているものの、単身世帯の高齢者を対象とした制度や入院時の対応などはまだまだ整っていません。
 年金の受給も十分に見込めないおひとりさまの「よりどころ」も限られているといえます。
 「結婚しない」という生き方を社会的に肯定するといった感情論だけではなく、彼らが生きやすいような仕組みを整えていくことも求められています。
参考資料
岩下久美子「おひとりさま」
・『結婚しない』(フジテレビ系列)
・『Around40 〜注文の多いオンナたち〜』(TBS系列)
日本労働組合総連合会「非正規雇用で働く女性に関する調査2022」
金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査[単身世帯調査](令和5年)」
金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査](令和5年)」
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 キャリアウーマン(女性長期賃金労働者)とは、専門的な職務遂行能力を生かして長期に仕事に就く女性の呼称である。専門分野で就労する女性を呼ぶこともある。
 長期に渡り、企業における管理職志向が強い女性に対して使用された言葉であり、社長夫人が取締役に名を連ねたような、勤務実態の無い形では使用されなかった。1970年代頃からよく使われるようになった言葉であるが、女性がキャリアを持つことを特別視する言葉でもあるため、現在ではあまり使われなくなった。
 概要
 日本の企業は従来より、女性従業員に対しコピーやお茶汲みなどの雑務を任せるなど、女性の仕事は寿退社(結婚による退職)までの花嫁修業と考えられていたが、1980年代に男女雇用機会均等法が制定され、女性に対する労働上の差別をなくすための法改正が行われた。それ以降、さらなるキャリアアップを望み有能な成績を持つ女性が多く職場社会で長期に雇用されている。オフィスでの事務作業だけでなく、自動車整備士や鉄道運転士など、これまで女性の就労例が少なかった現業職に女性が就くことが増えている。
 かつては企業などで男性より優秀な実績を上げている女性が、女性という理由だけで昇進できないという時代もあった。しかし現代では男女平等化の促進により、各々の実績に応じて性別に関わらず管理職にも起用しようという流れがある。むしろ近年では同等の実績をあげている者の場合、女性を優先させるという動きが強い。
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🍞2〗ー16ー食糧輸入国日本の食料安保は現場の実情を踏まえてこそ。~No.17 

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 日本農業はバブル経済時の「日本農業不要論」で切り捨てられ、日本人農家は人口激減で消滅へと加速した。
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 2024年3月4日 YAHOO!JAPANニュース 京都新聞「社説:農業と「食料安保」 現場の実情を踏まえてこそ
 政府が今後の農政の在り方や食料確保策を示す「食料・農業・農村基本法」の改正案など関連3法案を国会に提出した。
 1999年の施行以来、初となる基本法の改正案は食料安全保障の確保を柱に置く。
 併せて新設する「食料供給困難事態対策法」で、コメや小麦、大豆などの供給目標を決め、食料危機の際には政府が農家に増産を指示する体制を整える。
 気候変動やロシアによるウクライナ侵攻をはじめとする国際紛争感染症の拡大などが食料の生産や流通に深刻な影響を与えている。長期的な視野に立ち、食料の安定供給体制を強化するのは重要な課題だ。
 そのためには、先細りを続ける農業の担い手と基盤の実情を踏まえた冷静な議論が欠かせない。
 主に農業で生計を立てる基幹的農業従事者は2020年までの過去20年でほぼ半減した。全体の70%が65歳以上で、49歳以下は11%に過ぎない。耕作放棄地も増えている。
 担い手や生産インフラである適切な農地を確保できなければ、新たな政策もかけ声倒れになりかねない。
 基本法改正案は食料の自給、自立のほか、肥料や飼料、農業資材の確保などを念頭に目標をつくり、達成状況を調査するとしている。だが、喫緊の課題に具体的な踏み込みが足りないのが気になる。
 日本の22年度の食料自給率(カロリーベース)は38%と、先進国で最低水準が続いている。この心細い状況は、長年続けたコメの減反政策や、小麦や大豆、飼料作物を輸入に頼ってきたことが響いている。
 国産肉でも国産飼料で育ったものは30%に満たない。飼料の高騰の影響などで、滋賀県内の酪農家の戸数は昨年、前年比17%減少した。
 減反をはじめ、結果的に農業の衰退を招いた政策を総括し、国内生産のてこ入れを急ぐ必要がある。何より、これからの担い手になる若い就農者を増やすことが急務だ。
 改正案を取りまとめた農林水産省の部会では、農業で生活できる収入の重要性が指摘された。改正案では、スマート農業による生産性の向上などを明記しているが、農家の安定収入の確保策こそ必要ではないか。
 大規模化や農地の集約をさらに進めるとしているが、国土と環境保全の観点からは、地域・集落農業の維持も重要だ。
 食料供給困難事態対策法案は、農家に指定作物の作付けや増産、流通制限も指示できる。罰金規定もあり、統制色が際立つ。土壌や肥料が違う品目へ強制的に切り替えさせるようなことが、現実的とは思えない。
 「食料安保」の名の下で危機感をあおるばかりでなく、現実的な政策を着実に積み上げていく必要がある。
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🍘50〗ー1ーバブル崩壊後の過去30年で日本の格差は危険なレベルにまで拡大した。~No.147 

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  2024年3月21日 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「過去30年で日本の格差は危険なレベルにまで拡大した
 <富の格差の度合いを測る「ジニ係数」を見ると、今の日本の格差は許容範囲を超えている>
 世帯収入の「ジニ係数」で日本社会の格差の実態がよく見える Prazis Images/Shutterstock
 日本は格差社会になりつつあるというが、富の格差の度合いを測る指標として「ジニ係数」がある。人々の暮らしの格差を測るには、個人の収入よりも生計の単位である世帯収入のデータで計算するほうがいい。
 【グラフ】世帯収入のジニ係数が0.4を超える都道府県(1992年と2022年)
 2022年の総務省『就業構造基本調査』によると、年収が分かるのは5463万世帯。うち年収200万円台が811万世帯と最も多く、300万円未満の世帯が全体の3分の1を占める。これは世帯の単身化や高齢化が進んでいることによる。年金で暮らす高齢世帯だと100万円台、いや2桁もザラだ。
 ここで計算するジニ係数は、各階層の世帯数と、各階層の収入総額の分布のズレを数値化するものだ。「世帯数では●%でしかない富裕層が、富全体の▲%を占有している」といった現実を可視化する。各階層が手にする富(収入総額)は、階級値を使って算出する。年収200万円台の世帯の年収は、一律に中間の250万円とみなす。この階層の世帯数は811万世帯なので、収入の総額は250万円×811万世帯=20兆2638億円となる。
 <表1>は同じやり方で、14の階層の世帯数と、各々が手にする富量を割り出したものだ。
 <表1>
 真ん中の相対度数を見ると、年収300円未満の世帯(①~③)は世帯数では36%を占めるが、得ている富は全体の12%でしかない(黄色)。一方、世帯数では11%しかいない年収1000万円以上の層(⑪~⑭)が、富全体の31%を得ている(青色)。
 当然ながら、社会の富は均等には配分されていない。問題は、これが許容範囲であるかどうかだ。世帯数と富量の分布のズレは、右欄の累積相対度数をグラフにすることで可視化される。横軸に前者、縦軸に後者をとった座標上に、14の階層のドットを配置して線でつなぐと<図1>のようになる。この曲線をローレンツ曲線という。
 <図1>
 曲線の底が深いほど、各階層の世帯数と富量の分布の隔たり、すなわち収入格差が大きいことになる。ジニ係数は色付きの面積を2倍した値だ。極限の不平等状態の場合、色部分は四角形の半分となるので、ジニ係数は0.5を2倍して1.0となる。逆に完全平等の場合、曲線は対角線と重なるのでジニ係数は0.0となる。現実の不平等は、この両端の間のどこかに位置する。
 上図の場合、色部分の面積は0.2087なので、ジニ係数はこれを2倍して0.4174となる。一般にジニ係数が0.4を超えると、常軌を逸して格差が大きいと判断される。よって今の日本の世帯収入格差は、許容範囲を超えていることになる。
 同じ方法で1992年の世帯収入ジニ係数を計算すると0.3790で、この30年間で格差が広がっていることが分かる。47都道府県別の数値も計算し、危険水域(0.4)を超えた県に色を付けた地図にすると<図2>のようになる。
 <図2>
 左右の地図の違いが大きい。1992年では世帯収入ジニ係数が0.4を超える県は10県だったが、2022年では大半の県が危険色に染まってしまっている。「失われた30年」における格差社会化の進行だ。2022年で最も高いのは高知県で0.4456となっている。
 世帯の単身化・高齢化も背景にはあるが、それだけではないだろう。各県のジニ係数は、単身世帯や高齢世帯の割合とは相関していない。単身世帯の増加とて、結婚して家庭を持てない者の増加という、貧困の文脈でとらえることもできる。持てる者と持たざる者の格差が広がっていることは、多くの人が肌で感じているはずだ。
 政府の役割は、所得の再分配によってこうした格差を是正することだ。相次ぐ増税で、国の税収は過去最高になっているが、近年の内訳を見ると、所得税法人税よりも消費税が多くなっている。税金には累進性を持たせるべきであって、その逆のことをしている場合ではない。
 <資料:総務省『就業構造基本調査』>
 舞田敏彦(教育社会学者)
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 2月28日 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「生涯賃金から見える日本の学歴格差、男女格差、地域格差
 舞田敏彦(教育社会学者)
 生涯賃金格差
 生涯賃金で見ると男女差、地域差はかなり大きい Eviart/Shutterstock
 <大卒女性の生涯賃金は高卒男性より少なく、東京と沖縄では1億円近くの差がある>
 2022年の総務省『就業構造基本調査』に、正規職員の年収分布が出ている。それをもとに20代前半の大卒男性正社員の年収中央値を計算すると306万円。同年齢の女性大卒正社員は283万円だ。この時点で20万円以上の差があるが、定年間際の50代後半では男性が758万円、女性が625万円と、133万円もの違いになる。
 大卒は22歳から59歳まで38年間働くのだが、毎年の賃金を累積した「生涯賃金」で見ると、男女でとてつもない差になっていそうだ。生涯賃金を出すには、個人を入職から退職まで追跡し、各年齢時点での年収を累積しなければならないが、単年の調査データによる便法推計もできなくはない。
 上記の『就業構造基本調査』から、大卒男性正社員の年収中央値を計算すると、20代前半が306万円、20代後半が398万円、30代前半が481万円、30代後半が554万円、40代前半が610万円、40代後半が672万円、50代前半が747万円、50代後半が758万円。これら全部を足すと4525万円。8つの時点の年収の合計値だが、これを4.75倍すれば38年間の年収合計の近似値になる。
 これによると、大卒男性正社員の生涯賃金は2億1721万円と見積もられる。<表1>は同じやり方で、男女正社員の学歴別の生涯賃金を試算したものだ。
 大卒男性は2億1721万円であるのに対し、大卒女性は1億7160万円。同じ大卒正社員でも、生涯賃金に4500万円以上の開きがある。退職金も含めれば、差はもっと大きくなるだろう。
 学歴の差も大きい。高卒を100とすると、男性は大卒が126、大学院卒は149となる。女性は大卒が157、大学院卒は200と、男性よりも学歴差が大きい。高等教育進学の効用は、男性より女性で大きいと言えるかもしれない。
 性別と学歴を絡めてみると、女性の生涯賃金は一段下の学歴の男性より低くなっている。大卒女性は高卒男性より低く(黄色)、院卒女性は大卒男性より低い(青色)。就いている職種の違いにもよるが、女性の場合、家事や育児等の負荷がかかるためでもあるだろう。スーツ姿の男女が陸上競技のスタートラインについているものの、女性のコースには家具や家事道具といった障害物が配置されているSDGsのポスターが話題になった。上記のデータは、不当なジェンダー格差の表れとも見るべきだ。
 予想されることだが、地域による差もある。<表1>と同じやり方で、47都道府県別に正社員男女の生涯賃金を計算してみた。値が高い順に並べたランキングにし、上位10位と下位10位を取り出すと<表2>のようになる。
 男性を見ると、東京の2億4136万円から沖縄の1億4880万円までの開きがある。この両端では、同じ男性正社員でも生涯賃金に1億円近くもの差が出る。経済学者エンリコ・モレッティの「年収は住むところで決まる」というテーゼを彷彿させる。
 分布の性差も明白で、男性では沖縄を除く全県で1億5000万円を超えるが、女性でこのラインを超えるのは東京と神奈川しかない。地方の女性正社員の40年間の稼ぎの総額は1億1000万円ほど。1年あたりの年収は280万円ほどで、自活するのも容易でない。
 地方では物価が安いというメリットがあるものの、収入が少ないというデメリットのほうが大きいように思える。子どもの大学の学費などは、全国どこでも同じだ。これも地方から人口が流出する要因で、都会の大学で多額の奨学金を借りた若者は、稼げない地元にUターンするのをためらう。まずはこうした生活格差を埋めないことには、地方創生も進みそうにない。
 <資料:総務省『就業構造基本調査』(2022年)>
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