🐟25〗─1─蝕まれる日本の国有林。あなたの山林が狙われる。~No.103No.104No.105 

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 日本人は、自然を愛し、自然を大事にし、自然を護っている、はウソである。

 2024年4月26日6:02 YAHOO!JAPANニュース WEDGE Online(ウェッジ・オンライン)「【蝕まれる日本の国有林】積み上げた債務は3.8兆円!知られざる国有林の姿とは?
 多くの国民が国土の3分の2が森林であることを意識しないで、見かけは安穏な都市生活を享受している現代である。国有の森林だってあるだろう程度の認識はあっても、その実態について関心があろうはずがない。
 しかし、かつては国民的関心を受けた時代もあったのだ。昭和30年代、いわゆる高度経済成長期の入口に差しかかったころ、木材需要の急増と木材価格の高騰によって、世論は国有林に対して木材増産迫っていた。そしてその木材増産がもたらした副作用ともいうべき大規模な森林の皆伐が、自然保護を訴える国民的運動の標的となり、悪役として有名を馳せた。
 もっとも良くも悪くも脚光を浴びたことは、国有林にとって幸せなことだった。とてつもない科学技術の進化によって見果てぬ経済成長を追い求める現在、国有林など身の置き所もなく、世間から忘れ去られている。
 しかし、わが国の森林の30%、国土の20%、760万ヘクタール(ha)を占める国有林潜在的価値には金銭的尺度では測りえないものがある。しかも、その価値が、国民的理解もなく、政治的議論もなく蝕まれていくとしたら、禍根を千載に残すであろう。そうした事態を避けるために私たちがなすべきことを考えてみたい。
 国有林の分布の偏りとその歴史
 国有林は、江戸時代に各藩が所有していた藩有林や幕府の直轄地である天領の森林を引き継いだものが多い。しかし、主に西日本では国に引き継がなかった藩も多く、図1のように中部地方以北に偏在している。
 戦前は、農林省山林局所管の内地国有林、皇室財産の御料林、内務省所管の北海道国有林だったものが、1947年(昭和22年)に1つに統合されて農林省山林局(現在の農林水産省林野庁)所管の国有林となっている。
 それと同時に一般会計(財源は税金)に頼らず民間企業的な効率的経営を行うために特別会計制度(独立採算制)を導入し、山林局長などの主要ポストは事務系官僚に代わって、林業技術に関する専門教育を受けた林学出身の技術系官僚が務めるようになった。
 森林の維持回復から積極的経営へ
 白神山地
 戦後しばらくは、戦時中の乱伐のためはげ山だらけだった国有林を早急に回復することに主眼がおかれていた。昭和30年代に入り、木材需要の急増に対処して森林生産力の増強を図るため、民有林と歩調を合わせて積極的に森林の改良を進めることになった。これが拡大造林政策で、成長量の低い広葉樹を伐採してスギ、ヒノキ、カラマツなどの建築用材向けの針葉樹を植栽したのである。
 明治期にドイツ林学から移入された保続理論が長らく国有林経営の基調であった。特定の年に過度な伐採をするのではなく、毎年の伐採量を抑制的かつ均等にして、森林資源の枯渇を防ぎ、安定的な収入を維持していこうとするものだ。
 今風に言えば森林の持続的経営だろうが、保続の方がたった2字で言い得て妙である。具体的には、年間収穫量(伐採量)を年間成長量以下に抑えることによって荒廃森林の回復を目指したのである。
 ところが、それでは増大した木材需要に到底応えることはできない。林野庁は保続理論のタガを外して増伐に踏み切ろうとするが、これに対して林学界が猛然と反発した。ここに森林経理学論争と呼ばれる日本林学史上最大のイベントが起きた。森林経理学とは保続理論を基礎とする学問であり、その有効性をめぐって大家である東京大学教授相手に論陣を張ったのは何と林野庁の一係長だった。
 もともと河野一郎農林大臣(当時)の強権で木材増産が打ち出されていたから、この論争の帰趨(きすう)は明らかであった。それに国有林としてもまったく保続理論を無視したわけではなく、拡大造林によって広葉樹天然林から針葉樹人工林に転換することによって将来的に増加するであろう成長量を見込んで、収穫量の増加を正当化したのである。
 さらに、早成樹種の開発、林地への施肥など技術的な確証もないまま成長量増加の根拠にした。何やら昨今の少花粉スギの導入や早成樹の開発と瓜二つである。
 果たして妙手と思われた将来成長量の増加はやはり机上の空論だった。国有林における拡大造林は一般に奥地の天然広葉樹林皆伐して針葉樹を植栽したのだが、寒冷や風害などによって不成績造林となることが多く、思うように成長量の増加は果たせなかった。
 結果論ではあるが、最初から保続理論を捨てて必要な木材を増産し、木材需要が緩和されるか、森林資源が枯渇した時点で伐採を休止して、事後はもっぱら森林の再生に専念すべきだったのである。江戸時代には、過伐によって森林が荒廃して連年のように洪水が発生する事態はよく起きたが、領主はその流域を留(と)め山にして伐採を禁じ、森林の回復に努めた。
 青森の津軽藩白神山地や岐阜の天領裏木曽(うらぎそ)などにそうした事例がみられる。特段ドイツ林学の精緻な理論によらなくても、日本流でよかったのだ。
 この森林経理学論争が残したものは、実態を反映せずともよくできた机上理論を珍重する悪習を林野技官に植え付けたことである。現在でも机上理論は林野技官を支配し続けており、ともすれば理論に溺れ、予算をかけて逆に森林を劣化させる事態が散見される。
 また、これ以後の学界に精彩が失われ、現在に至るまで机上理論の後付け証明をする、行政の脇役に成り下がったとしか思えない。行政と学界が現場実態を踏まえた真の論争に立ち返ることを期待したい。
 国有林経営の破綻と累積債務
 図2は、国有林野事業をめぐるさまざまな要素を時系列に示したもので、林野庁が作成したものである。なかなか秀逸で、資料作成能力は高い。このような能力を現場で発揮してもらうとうれしいのだが。
 3つのグラフを遠目に見てもらえばそれぞれの要素が相関を持って変動しているのが一目瞭然である。ポイントは上の図の濃紺の折れ線で示されている収穫量である。
 1961~1971(昭和36~46)年にかけて2000万立法メートル(㎥)を超える量を収穫してピークを迎えた。このころの成長量(赤線)は収穫量のほぼ半分程度である。当然収入は増大して国有林野事業は活況を呈する。収入が支出を上回って生じた剰余金は、試験研究(林業試験場)、林木育種(新しい品種の開発)、官行造林(民有地を借りて国が行う造林)、治山など関連事業に当てられたほか、一般会計への繰入も行った(下の図の青い棒グラフ)。
 上の図を見ると濃紺の収穫量、緑の新植(苗木の植栽)面積、水色(定員内)と黄色(定員外)の職員数はぴったり相関している。収穫量が増えれば、皆伐面積が増え、造林面積も増える。それらの事業を実行するための要員も増加する。経営を圧迫した1番の要因は人件費であるが、この図を見るかぎり収穫量と連動して要員数は調整されていると見るべきであろう。
 しかしながら、高度経済成長下での賃金単価の上昇、国の事業であるがための事務量の多さに対応するための定員内職員の比率の高さが足枷となる。また、労働運動の高まりで、雇用条件や労働条件等の待遇改善要求も厳しくなって、それに伴う支出の増加と作業能率の低下に苦しむようになった。
 もっとも山村に対する貢献度は大で、2300カ所を超える担当区事務所(森林官の駐在所)、350の営林署は山村の雇用(請負事業も含む)と地域経済におおきく寄与していた。
 しかしながら1971(昭和46)年以降、明治・大正期に造林された優良な人工林は少なくなり、加えて自然保護運動の高まりで1カ所当たりの皆伐面積の縮小、奥地の原生的な天然林の伐採は大幅に制限され、収穫量は急激に減少した。収入不足によって1976(昭和51)年度以降は借入金(財政投融資資金)を導入するようになった。
 ここがターニングポイントだった。一般会計化して政治レベルで環境庁(現環境省)に移管するような提案もあったようだが、平たく言えば官僚の縄張り争いで実現しなかった。財政投融資資金は当時の郵便貯金を財源とするもので大蔵省が年8%の高利で貸し付けており、行き場のなかった当資金が国有林に押し付けられたとも言われていた。
 これらの諸対応によって、農林省は国土の20%の国有林を確保し、林野庁は融通の利く特別会計制度を維持でき、労働組合は3公社5現業並みの権利を維持し、消費者金融のような大蔵省は貸付先を確保して、同床異夢ながら官庁間ではめでたく収まった。
 しかし、当座しのぎの解決策は巨大な借金地獄と化して、累積債務は1998(平成10)年には約3.8兆円という途方もない額に達してしまった。林業という利益の薄い事業において、このような超巨額の債務が生じたことは政治家や行政官庁の無策と場当たり的対応、根本的解決を先延ばしした結果であった。膨らんだ累積債務のうち2.8兆円が一般会計(国税)で、1兆円(その後1兆2,796億円まで増加)が利子補給を受けつつ木材販売代金等で50年かけて返済されることになった。
 2013(平成25)年に至ってようやく国有林野事業は一般会計化されたが、2022(令和4)年度末で1兆125億円の債務を残し、2048(令和30)年度末までに林産物収入等により償還することとなっている。このことは未だ国有林経営に対する足枷となっているだけでなく、林業全体さらには国民生活にも及ぶ災厄の恐れをはらんでいる。
 次回以降、このように膨らむ債務を孕みながら、環境問題、林業振興、山村活性化、労働条件の改善などさまざまな角度からもたらされる社会的要請・政治情勢に対応し、多くの功罪を残した有様を紹介できればと思っている。たかがマイナーな林業界のしかも今では絶滅した国営企業の足跡であるが、他山の石としてもらえる要素を含んでいると確信している 。
 中岡 茂
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 4月15日YAHOO!JAPANニュース Wedge REPORT「【あなたの山林が狙われる!】日本で蔓延頻発する違法伐採、盗伐被害で山崩れを誘発、世界が日本を問題視
 田中淳夫( ジャーナリスト)
 世界中で違法伐採による森林破壊が問題になっている。サミットなど国際会議でも議題となり、違法な伐採による木材製品の流通を止めるための枠組が話し合われている。そうした事情を紹介する日本の林業研究者が、口走った言葉がある。
 「ようは国産材を使えばよい。国産材はみんな合法だから」
 これを聞いて筆者は愕然とした。どうやら違法伐採は発展途上国で起きているのであって、日本国内にはない、国産材はみんな合法だと思い込んでいるようだ。仮にも違法木材問題の専門家がその程度の認識なのか。日本の林業現場をあまりにも知らなさすぎる。
 日本の盗伐の実情
 日本でも盗伐は頻発している。筆者は、ここ数年その状況を追ってきたのだ。
 盗伐と言っても森の中の1本2本程度を抜いて盗むような古典的なレベルではない。他人の山に道をつくって重機を入れ、何ヘクタールもの面積を皆伐してしまう所業だ。
 宮崎県の盗伐の現場。このような被害は日本全国で起きているとみられる(筆者撮影)
ギャラリーページへ
 しかも道の入れ方も伐り方も荒っぽくて、山崩れを誘発している。当然ながら跡地に再造林は行わない。また伐採届の偽造や発覚を遅らせるための隠蔽工作も行われる。バレても「誤伐(場所を間違った)」と主張し、わずかな賠償金で強圧的に示談を迫る。
 被害者からすれば、数十年間も育ててきた木々が根こそぎ奪われてしまうわけだから怒り心頭なのだが、自治体も警察も取り合わない。知らぬ存ぜぬを通して取り締まらない。それが被害者をより苦しめる。そんな交渉過程で鬱病を発症した人も多くいる。
 とくに目立つのは宮崎県だ。スギ生産量日本一を32年続くと誇るが、その裏で盗伐が横行している。2017年に結成された宮崎県盗伐被害者の会に現在170世帯が加入するが、全被害者は1000世帯を超えるだろうと言われている。
 特徴的なのは、伐採業者に加えて盗伐に好適な山林を見つけ出すブローカー、素性が怪しげな木材でも平気で買い取る木材市場や製材所、バイオマス発電所などが関わっていることだろう。そして盗伐業者にも行政から補助金が交付される。そんな点から業界挙げての組織的な犯行が疑われる。
 宮崎県だけではない。他県でも盗伐が頻発しているのは確実だ。林野庁が集計した全国の無断伐採に関した相談状況を見ると、北海道から沖縄まで全都道府県にわたる。
 とくに南九州は多く、東北や北海道も目立つ。木材生産量の多い地域ほど増えている傾向がある。
 盗伐という犯罪の特殊性
 盗伐は表沙汰になりにくい犯罪である。まず地元に住んでいない森林所有者は、盗伐されたことに気付きにくい。盗伐(森林窃盗罪)の時効は3年だから、発覚したときには手遅れだった事例もある。
 見つけても、森林境界線が不明確だったり相続時に名義を変えていなかったりすると、盗伐されたのが自分の山林であることを証明しづらく泣き寝入りになりやすい。何より警察は、山奥の犯罪で捜査や立件が難しいことを嫌がり、被害届を受理しない。
 それに木材価格が下落している昨今では、数十年育てた木であろうと損害額は1本当たり数千円程度に見積もられる。育ててきた山主の思いは斟酌されないのだ。
 ちなみに国際的には、他者所有の木を盗む行為だけでなく、保護林や保護樹種の伐採や、役人への賄賂で得た許可、産地や樹種などの偽造、そして密輸など法律を犯して木を収奪した行為はすべて違法伐採・違法木材として扱われる。
 日本もその定義に従えば、違法木材の幅は一気に広がる。たとえば必要な伐採届を出さない、伐採届に記載した再造林をすっぽかす、産地を偽装する……などを含めたら、国産材の過半が違法木材になる可能性がある。
 輸入材にも違法性の高いものが多く紛れ込んでいる。東京2020オリンピック・パラリンピックでは、メイン会場となった新国立競技場の建設に使われたコンクリートパネル(型枠材)が、違法伐採された木でつくられた可能性が高いと世界中の環境NGOから批判を浴びた。日本に違法木材の輸入を止める法律がない点も指摘された。
 東京五輪に違法木材を使われたことに抗議するNGO(FoEJapan提供)
 クリーンウッド法は18年に制定(23年に一部改正)されたが、これは合法木材利用推進を謳うだけで、違法な木材を扱うことを禁止していない。しかも努力義務であり、違反しても罰則はない。
 そもそも登録制だから、登録していない業者は、この法律を適用されないという不思議な代物である。取引する木材に添付される合法証明書も、発行するのは販売する当事者なのだから、何の証明にもなっていない。
 輸入材にも“違法性”の疑い
 世界に目を向けると、違法な森林伐採が進んでいるのは発展途上国だけではない。先進国でも近年破壊的な伐採が進行しているのだ。
 米国やカナダでは、一カ所で数万ヘクタールもの皆伐が進んでいる。ヨーロッパでは旧東欧諸国を中心に、法律の整備が進んでいないことに付け込み、国立公園など保護林を含めて大規模な伐採が進行中だ。森林法規がしっかりしている北欧でも、過剰伐採が進み、皆伐地が広がりだした。
 近年の特徴としては、バイオマス発電所の燃料となる木質ペレット製造のための伐採が増加していることがある。業者側は森林全体の成長量以下だから合法だと主張するが、環境NGOは森林成長量を過剰に見積もるなど疑わしい点が多々あるという。実際に見渡す限りの伐採跡地を目にして、自然破壊ではないと言われても信じられないだろう。
 そして日本は、そうした国から大量に購入しているのだ。バイオマス発電の燃料はカナダやベトナムからの輸入に頼る。ヨーロッパ製集成材は、ルーマニアウクライナ産の木材で生産されるものが多いが、合法性が極めて疑わしい。
 山積みされたバイオマス発電用燃料。盗伐材が混ざっている可能性が高い(筆者撮影)
 さらにマホガニーなどの銘木や大径木材の輸入元は、多くがアフリカや南米など政情不安で汚職が蔓延している国だ。そうした国々のガバナンスを信じて、輸入材を合法だとする主張はむなしい。
 世界は取り締まりへ舵を切る
 そこで米国の改正レイシー法、豪州の違法伐採禁止法など次々と違法木材の輸入を禁止する法律を成立させてきた。なかでも厳しいのは欧州連合EU)である。
 EUおよび周辺国は、23年に森林破壊防止規則(EUDR)を施行した。これが画期的なのは、合法・非合法を問わず、森林の持続可能性に関する要求事項を満たさない農林畜産物をEU市場へ輸入すること(さらに圏外に輸出することも)禁止した点である。輸出入業者は、森林破壊の是非を確認する義務(デューデリジェンス)を負う。もちろん罰則もある。
 対象は木材だけでなく、大豆やパーム油、ココア、コーヒー、天然ゴム、牛肉と幅広い。つまり森林を開発された農地や牧場から生産されたものも輸入禁止なのだ。
 パーム油を使用した商品は化粧品や洗剤まで広がるし、天然ゴム商品には自動車タイヤも入る。こうした商品の原材料の生産状態を調べて確認をとらないと輸入できなくなる。EUと取引する日本企業は他人事の話ではないはずだ。
 欧米が森林破壊に厳しく臨むのは、それが脱炭素や生物多様性をむしばむ環境破壊であり、激化する気候変動による災害発生を招くとする危機感があるからだろう。
 世界の趨勢は、合法・非合法を問わず森林破壊を厳しく取り締まる方向に舵を切った。盗伐という明らかな違法行為にさえ甘い対応しかしない日本への目は厳しくなるばかりだ。
 これまで日本の木材の違法リスクは小さく見積もられてきたが、国際的な機関も日本の盗伐問題に目を向け始めている。抜本的に意識を変えるべきだろう。
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🌌62}─1─人口激減と老朽化によるインフラ崩壊。~No.292No.293No.294 

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 平成25(2013)年12月 国土強靭化基本法成立。
 遅々と進まない国土強靱化に対し加速度的にインフラ崩壊は進む。
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 現代日本人は、バブ崩壊以降、考える事を止めてしまった。   
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 日経XTECH
 3分でわかる 国土強靭化
 瀬川 滋 日経 xTECH/日経コンストラクション
 2018.11.08
 大規模な自然災害などに備えるため、事前防災や減災、迅速な復旧・復興につながる施策を計画的に実施して、強くてしなやかな国づくりや地域づくりを進める取り組みのこと。2013年12月には「国土強靭化基本法」が成立した。
 11年に発生した東日本大震災の教訓を生かす。従来は大きな被害を受けるたびに、長い時間をかけて復旧・復興を進めてきた。こうした事後対策の繰り返しを避け、今後30年以内に70%の確率で発生すると予測される首都直下地震や同70~80%の南海トラフ巨大地震などに備える。
 同法では7項目にわたる基本方針を掲げた。「人命の保護を最大限に図る」、「国家や社会の重要な機能が致命的な障害を受けず、持続可能なものとなるようにする」という項目のほか、「ソフト面の施策とハード面の施策を組み合わせる」といった項目も盛り込んだ。例えば、水害や津波の対策として河川・海岸の堤防整備を進めると同時に、ハザードマップの作成や活用、避難訓練の実施といった施策も組み合わせる。
 さらに、基本方針には「人口減少やインフラの老朽化などを踏まえ、財政資金の効率的な使用に配慮し、重点化を図る」という財政面に配慮した項目も入る。政府はあらゆるリスクを見据えて45の「起こってはならない最悪の事態(リスクシナリオ)」を提示。そのうち最悪の事態を招かないために、事前に取り組むべき15の「重点化すべきプログラム」を定め、予算配分にめりはりをつけた。
 「起こってはならない最悪の事態」のうち、対策を重点的に進める15の事態。地震や洪水といった個別のリスクごとに対応を検討する狭義の「防災」を超えて、まちづくり政策や産業政策も含めた総合的な対策を目指す(資料:内閣官房国土強靱化推進室)
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 18年度当初予算で「重点化すべきプログラム」に充てたのは総額3兆7804億円。うち3兆2916億円を公共事業関係費が占める。
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 大規模な自然災害などに備えるため、事前防災や減災、迅速な復旧・復興につながる施策を計画的に実施して、強くてしなやかな国づくりや地域づくりを進める取り組みのこと。2013年12月には「国土強靭化基本法」が成立した。
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 自民党
 2023年8月3日
 災害に強い国づくりを推進 国土強靱化基本計画改定
 7月の大雨で発生した土石流現場を視察する岸田文雄総理(写真手前、福岡県久留米市
 政府は7月28日、防災・減災対策の指針となる「国土強靱化基本計画」の改定を閣議決定しました。同計画はおおむね5年ごとに改定することとしており、2回目の改定となります。国土強靱化を推進する上での基本的な方針として、(1)国民の生命と財産を守る防災インフラ(河川・ダム、砂防・治山、海岸等)の整備・管理(2)経済発展の基盤となる交通・通信・エネルギー等ライフラインの強靱化(3)デジタル等新技術の活用による国土強靱化施策の高度化(4)災害時における事業継続性確保をはじめとした官民連携強化(5)地域における防災力の一層の強化(地域力の発揮)―の5つを柱に掲げました。
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 現代日本人は愚かである。
 所詮、現代日本人、特に超エリート層と言われる超難関高学歴出身の政治的エリートと進歩的インテリ達は有りもしない理想の真実を語るだけで現実・事実を見ない、口先ばかりで信は何もない。
 メディアも教育も、事実・現実を正しく教えない。
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 人口激減で、日本が襲われる事。
 現代日本人は愚かである、今そこに迫っている止められない危機が迫っている事から目をそらしている。
 若者が少なく老人が多い人口激減。自衛隊員・消防士・警察官・公務員の不足。
 南海トラフ地震、首都圏直下大地震の被害と復興。ボランティア不足。
 国家の財政赤字
 日本の衰退。破壊的イノベーションも革新的リノベーションもできず立ち成れない日本企業。
 中国共産党北朝鮮・ロシアの脅威。
 中国人移民の増加。
 日本を爆買いする中国資本。
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 2024年4月25日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本がこれから崩れ去っていく…深刻な人口減少社会で「インフラ崩壊」の本当の危機
 国立社会保障・人口問題研究所が最新の将来推計人口を発表し、大きな話題になった。50年後の2070年には総人口が約8700万人、100年後の2120年には5000万人を割るという。
 【写真】じつは知らない、「低所得家庭の子ども」3人に1人が「体験ゼロ」の衝撃!
 ただ、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。そして、どう変わればいいのか、明確な答えを持っていない。
 ベストセラー『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。
 ※本記事は河合雅司『未来の年表 業界大変化』から抜粋・編集したものです。
 この30年で建設投資は20兆円減少
 建物や建築物というのは完成したら終わりとはいかない。完成後にこそ真価が問われる。だが、どこまで人口減少による将来的な需要減を織り込んでいるのかと心配になるビルや商業施設、道路などが少なくない。
 国交省によれば、建物や建築物の生産高である建設投資は1992年度の約84兆円がピークだ。2021年度は58兆4000億円となる見通しで、ピーク時より30.5%減である。生産年齢人口(15歳~64歳)がピークを迎えたのが1995年なので、おおむね生産年齢人口の減少に歩調を合わせるように縮小を続けてきたということになる。
 一般財団法人建設経済研究所の「建設経済レポート」(2022年3月)によれば、建築工事受注高も長らく減少傾向にあった。2012年度以降は景気回復に伴って増加傾向に転じたが、2018年度で再び頭打ちとなっている。土木工事も2018年度以降は準大手や中堅の受注高が減っている。
 本格的な人口減少社会を前にしてすでに縮小傾向を示し始めている建設業だが、生産年齢人口は今後急カーブを描きながら減少していく。普通に考えれば、建設需要が現行水準を維持することは考えづらい。
 老朽化による政府投資の拡大
 しかしながら、建設業の場合には明るい材料がある。政府投資の拡大が見込まれるのだ。社会インフラの多くが高度経済成長期以降に整備されており、老朽化が目立つようになってきた。更新が喫緊の課題となっている。
 例えば、全国に約72万ヵ所ある道路橋梁の場合、建設後50年を経過する施設の割合は、2019年3月時点の27%から、2029年3月には52%へと跳ね上がる。
 トンネルや港湾岸壁、水門といった河川管理施設なども大規模に手を入れなければならない時期を迎えている。いずれも国民の安全・安心確保や社会経済活動の基盤となっている。人口が減るからといって朽ちるに任せるわけにはいかない。
 社会インフラの更新には相当な時間と膨大な予算を要するので、民間投資の縮小を幾分かはカバーするだろう。
 河合 雅司(作家・ジャーナリスト)
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📉16】─1・C─「子どもには無限の可能性がある」と考えない方が良い心理学的理由。~No.35 

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 2024年4月22日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「「やればできる」は遺伝学的には錯覚 「子どもには無限の可能性がある」と考えない方が良い心理学的理由
 安藤寿康
 © AERA dot. 提供
 ふたご研究の第一人者で、行動遺伝学や教育学の専門家の安藤寿康さんは、「教育とは何か」「人はなぜ教育するのか」を生物学的な観点から研究している。「やればできる」は遺伝学的には錯覚だと指摘する安藤さんが、「教育は遺伝に勝てるか?」という究極の問いに迫る。
 *  *  *
■教育界が使い分ける、本音と建前
 安藤さんの研究は、人間の能力やパーソナリティーに遺伝の影響がどれくらいあるかを明らかにするものだが、その結果は、教育のあり方を考える時の重要なエビデンスを提供する。
 実は教育界では、遺伝の評判はすこぶる悪いらしい。「子どもは真っ白なキャンバスなのだから、育て方や教え方でいかようにも伸ばすことができる」という考えからすると、「あらゆる能力は遺伝的であり、遺伝によるセットポイントがある」というのは具合が悪いからだ。
 しかし、イギリスやアメリカでは1960年代にすでに、知能(IQ)の遺伝率が高いことが報告されていた。
 「たとえばアメリカは、1965年にヘッド・スタート計画という就学前の乳幼児の保育プログラムをスタートさせ、早期教育にお金をかけてきたんですが、ヘッド・スタート計画の成果に関する調査からわかることは、その教育を受けている時はIQが高まるが、しばらくすると元に戻る、ということでした」
 安藤さんは1981年に大学院に進学。バイオリンの早期教育として知られるスズキ・メソードを研究するつもりだったが、指導教授の紹介で行動心理学にたどりつき、日本で研究を始めた。
 IQのような「認知能力」に対して、「非認知能力」という言葉をよく見かける。意欲、粘り強さ、感情をコントロールする力、客観的思考力、リーダーシップ、協調性などがそれにあたるとされている。幼児教育でも「非認知能力を伸ばすのが大事だ」と言われる。安藤さんはこれにも疑問を投げかける。
 「『非認知能力』は、心理学的には妥当性を欠くものだと僕は捉えているんです。要するに、お勉強ができることを『認知能力』、それ以外を『非認知能力』と言っているわけですが、『非認知能力』に分類されている、『自分自身をコントロールして、社会的に適切な行動をとる力』というのは、脳の前頭前野が主に司るもので、『認知能力』なんです」
 「やればできる」は遺伝学的には錯覚 「子どもには無限の可能性がある」と考えない方が良い心理学的理由
 © AERA dot. 提供
 そこにはある種のごまかしがあるのではないか、というのが安藤さんの言いたいことだ。
 「じゃあ、認知能力でないのは何かというと、その人のパーソナリティー、要するにキャラです。パーソナリティーの5割近くは遺伝で説明できて、神経質な人は訓練して神経質になったわけじゃないし、外向的な人は訓練して外向的になったわけじゃない。それを『非認知能力』とか言われると、ある環境にさらされていくと、みんなが大人が理想とする“いい子”に変わっていくかのように錯覚する。だけど、ヘッド・スタートが示すとおり、子どもにある環境を与えれば、その時はそこに適応するけど、独り立ちさせたら元のセットポイントに戻るんです。形状記憶合金みたいに」
 近年は、遺伝子研究が大幅に進み、脳科学と結びついたゲノム脳科学も盛んになっている。それでもまだ、教育において遺伝の影響はあまり検討されず、「子どもは真っ白なキャンバス」という考えは根強いように見える。
 「本音と建前、あるいは夢と現実を、教育界も親も使い分けているのではないでしょうか。本音のところでは真っ白なキャンバスでないことはわかっているが、それを言っちゃあおしまいよ、なので、白紙だとか無限の可能性だとか言った言葉づかいでごまかそうとしている。そうしないと救いがないと思い込んでいるのでは」
■人間は教育する動物である
 それでは、安藤さんが考える教育とはどういうものか。
 「教育というと、学校でおこなわれているようなことだと思われますが、教育という現象が一番素直にあらわれるのは、教室のなかではないと思うんです」
 安藤さんは、テレビで取り上げられた、ある美容師を例に挙げた。その美容師はかつて、発達障がいのある子の散髪を引き受けた時に、バリカンの音で怖がらせてしまったことがあった。その後、専門的な知識を学び、発達障がいの子に髪を切らせてもらうスキルを身につけた。その美容室には、遠方からも親子が訪れるようになった。
 1万組以上のふたごを調査してわかった「遺伝の誤解」 子の“適性”の見つけ方
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 「これ自体いい話なのですが、それだけでなく、同じように発達障がいの子の散髪で悩んでいる美容師に、オンラインで教えてあげていたんです。で、教育って、そういうことなんじゃないかと。つまり、なにか課題を抱えていて、それを解決する方法を必要としている人のところへ、その課題に一足先に気づき、解決できる遺伝的な素質を持っていた人が、その知識や技能を運んでいった時に、『あ、まさにそれが欲しかったんです』といって、自然に受け渡しがおこなわれる。そんなことをやる動物は、人間しかいないんです」
 学校との違いは、習う側に積極的な動機があることか。しかし、習いたいことがあらかじめわかっているとは限らないのが、教育の難しいところだ。
 「それもまた、出会ってみないとわからないことなので。誰と出会うかによっても違ってくる。そこにも全部『ガチャ』があるわけですが、とりあえず、人やものごととの出会いを組織的につくる場として、人間は学校というものを発明してきた」
■学校はこれ以上よくならなくていい
 現代でもおおかたの先生たちは、子どもたちに豊かな経験をさせてあげようと思っているだろう。ところがこと受験となると、学校の成績やテストの点数に教育の焦点がスライドしていく。学校は教育のための道具だったはずなのに、その道具によって傷つく子どもたちが出てくる。
 「標準化されたカリキュラムのなかで、難しい問題が解けるようになると、達成感を覚えるし、確かにいい大学に入れます。どんどん難易度が上がる入試問題に、どこまでもついていけちゃう有能な子もいます。ですが多くの場合、がんばってもどこかでついていけなくなる。その背後には遺伝的な要因があるのですが、教育界ではそれを言ってはいけないので、本来できるはずのことができていないということにされてしまう。高い学歴は誰でも目指せるし、目指せなかったのは本人の努力不足か、教え方が悪いというストーリーしかない。それが、日本の教育をちょっと不自然なものにしている」
 「やればできる」は遺伝学的には錯覚 「子どもには無限の可能性がある」と考えない方が良い心理学的理由
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 遺伝と環境のランダムな出合いの場だった学校は、受験の部分がどんどん洗練されていき、安藤さんいわく「マンモスの牙のように」そこだけが肥大化していった。
 「学校受験のしくみはうまくできているので、そこに乗ってうまくいった人は、そうでない人と比べて、確かに収入はよくなります。収入が多ければ幸せとは必ずしも言えないし、所得格差は経済政策の問題であって、それはもう別途のことなんですが、それが教育と絡まってしまっているので、受験に適応できなかった人からパイを奪うことになる」
 安藤さんは最近、ふたご以外の人への聞き取り調査を始めた。有名無名を問わず、「なんかいい仕事やいい生き方してるな」と思う人が対象だ。
 「『学校の成績だけが人生じゃない』というと、一見陳腐な慰めの言葉と思われるかもしれませんが、世の中で魅力的な仕事をしている人、すごいなあと思う振る舞いをしている人に気づけるようになるほど、リアリティーを増していきます。学校の成績には反映されない能力が、人々の生きるリアルでローカルな場面で機能している。当たり前のことですが、拙書『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)では、その当たり前を科学的に示そうとしたつもりです」
 学校をもっとよくしようではなく、すでにすぐれた制度があるのだから、運用する側のマインドを変えていこうというのが、現代の教育に対する安藤さんの提案だ。問題は道具ではなく使い方、ということである。
 大切なのは本人が持つ資質を、自由に試しながら、失敗しながら、探っていくこと。成功しなければならない、個性的であらねばならない、何者かにならなければならない。安藤さんが語る行動遺伝学は、そういう呪縛を解くものでもある。
 (構成/長瀬千雅)
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⛻23〗─2─仕事がキツいわりには給料が安い為にものづくり大国ニッポンは衰退した。~No.101No.102

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 2024年4月13日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「キツいのに給料が安すぎる…若者の「製造業離れ」が招く「ものづくり大国ニッポンの大衰退」
 河合 雅司
 今日の市場
 キツいのに給料が安すぎる…若者の「製造業離れ」が招く「ものづくり大国ニッポンの大衰退」
 © 現代ビジネス 提供
 国立社会保障・人口問題研究所が最新の将来推計人口を発表し、大きな話題になった。50年後の2070年には総人口が約8700万人、100年後の2120年には5000万人を割るという。
 ただ、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。そして、どう変わればいいのか、明確な答えを持っていない。
 ベストセラー『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。
※本記事は河合雅司『未来の年表 業界大変化』から抜粋・編集したものです。
 ものづくり大国の難題
 天然資源に乏しい日本は「ものづくりの国」である。近年、海外に拠点を移した企業も多く日本のGDP国内総生産)における製造業の比重は下がってはいるが、2020年時点において約2割を占めており、依然としてわが国の中心的な産業である。
 新たなイノベーションや技術を生み出す製造業は“日本の砦”ともいえる存在であり、日本経済にとっては「2割」以上の意味を持っている。
 いま、製造業は世界的に過渡期にある。カーボンニュートラル、人権尊重、DX(デジタルトランスフォーメーション)といった事業環境の大きな転換期を迎えているためだ。
 ロシアのウクライナ侵攻による資源高や半導体などの部品、素材不足、あるいはサプライチェーン全体のサイバーセキュリティー対策といったさまざまな課題にも直面している。
 こうした喫緊の課題への対応の困難さもさることながら、日本の製造業には今後、人口減少の影響が大きくのしかかってくる。
 若い就業者が100万人以上減少
 まずは製造の現場の人手不足だ。
 経済産業省などの「2022年版ものづくり白書」によれば、日本の就業者数は2002年には6330万人だったが、2021年には6713万人に増えた。しかし、この間、製造業の就業者数は1202万人(就業者全体の19.0%)から1045万人(同15.6%)へと157万人減っている。
 むろん、就業者の総数が減ったことがただちに問題というわけではない。機械の高度化に伴ってオートメーション化が進み、昭和時代のように生産ラインに多くの女性就業者が並んで作業をするという光景はほとんど見かけなくなった。
 さらには製造拠点の海外展開によって「職場」そのものが大きく減ったという要因もある。就業者の総数が長期下落傾向をたどったのは自然の流れだ。
 では、何が問題かといえば、年齢構成の変化だ。製造の現場が急速に高年齢化しているのである。
 「2022年版ものづくり白書」によれば、34歳以下の就業者を2002年(384万人)と2021年(263万人)とで比較すると、この20年ほどで121万人も減少している。製造業全体で見ると、2021年時点の34歳以下の就業者は25.2%でしかない。
 オートメーション化や工場の海外移転などによって就業者数を減らしコストカットをしてきた企業が多いが、結果として若い就業者を減らすことになったということだ。
 だが、いくらオートメーション化を進めていっても、すべての工場が人をまったく必要としなくなるわけではない。日本の製造業全体として最低限必要な人数というのがある。それが確保できなくなってきているのだ。
 長期にわたって若者が製造業から離れていったことの弊害は大きい。
 国内工場が相次いで閉鎖されたこともあって、次の世代の若者たちは先輩などから工場における仕事の内容を聞いたり、工場そのものに接したりする機会が少なくなった。それは工場に勤務した場合の自分の将来像がつかみづらくなったということだ。
 「きつい仕事の割に給料が安い」といった、必ずしも事実ではない勝手なイメージの広がりをこのまま許すことになれば、製造業を身近に感じない人がますます増えることとなる。
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⛻25〗─2─東京に「城跡」が多い意外な理由。~No.107No.108 

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 2024年4月19日 MicrosoftStartニュース JBpress「東京に「城跡」が多い意外な理由、世界屈指の大都市・江戸で流行したとあるものとは?
 西股 総生
 撮影/西股 総生
© JBpress 提供
 (城郭・戦国史研究家:西股 総生)
 創作ないしは捏造された伝承も
 東京23区に古城を訪ねるシリーズも、いよいよ最終回。ここまで、23区内に意外なほど多くの城跡があることに驚いた読者もいるかもしれない。ただ、前稿で紹介したような怪しげな城跡伝承地も、実は23区内には多いのだ。中には「シロヤマ」の地名だけが伝わっていて、そもそも「シロ」が「城」に由来するのかすら、わからない例もある。
 怪しいというなら、梶原景時の館や城跡だとする伝承地は23区内だけでも3〜4箇所ある。同じ鎌倉幕府の有力御家人というのなら、比企能員八田知家安達盛長の伝承地だってあってよさそうなものだが、景時だけやたらに多くて明らかに不自然だ。なぜ、このような怪しげな伝承地が生まれたのだろうか。
 そもそも、歴史的な伝承というものは、一半の真実を含んでいる場合もあるが、後世に盛られたり、すり替わったり、こじつけられたりした場合も多い。中には、意図的に創作ないしは捏造された伝承もある。
 石神井城と三宝寺池石神井城落城にまつわる物語は、昭和になってから小説として創作されたものだ
 © JBpress 提供
 そうした誤伝や創作が起きた理由の一つは、江戸時代に盛んに行われた「ルーツ探し」にある。泰平の世が続く中で時間にゆとりのある武士や農民たちは、しばしば「ルーツ探し」に興じていたのだ。といって、古文書や正確な家系図があるわけでもないから、たとえば西股権兵衛という者が西股という村を訪ねて、そこに古い城跡があれば、祖先の居城だと合点してしまう、みたいな具合である。
 さらには、土地の所有権や用益権を主張するために、先祖代々の由緒を捏造する場合もあった。こうして、江戸時代にはしばしば「伝承」や「由緒」が盛られたり、すり替わったり、こじつけられたり、創作されたのである。とくに東京の場合、疑問な城跡伝承地が多いのだが、それには次のような東京=江戸特有の事情も手伝っていた。
 江戸は世界でも屈指の大都市であったが、武家人口の多い都市でもあった。幕府直参の旗本が住んでいたこともあるが、諸大名の江戸屋敷に地方から赴任している武士たちも多かったからだ。彼らの大半は、基本的にはヒマである。武士の本業は戦争だが、その戦争が絶えて久しかったからだ。もちろん、町人たちの中にも時間にゆとりのある者は多い。結果として、江戸は行楽需要の多い都市となった。
 江戸は単身赴任の武士がひしめく都市だった。写真は江戸城桜田門
 © JBpress 提供
 そんな江戸市民たちが、さしたる費用もかけずに時間をつぶせる代表的な行楽が、寺社参詣だった。何かの御利益を求めて郊外の寺社に参詣し、ついでに蕎麦や団子でも食べて歩けば、半日たっぷり楽しめる。
 となれば、寺社の側も参詣客を呼び込めるような「名所」がほしい。そんな場合に効果的なのが、誰でもが知っている歴史上の有名人物にまつわる由緒だ。歌舞伎や物語に登場する有名な武将は需要があるが、江戸だから織田信長楠木正成を持ち出すわけにはゆかない。かといって、家康公では恐れ多い(迂闊なことを言い出すと、お上に叱られる)。
 そこで、源頼朝義経・弁慶・梶原景時、あるいは太田道灌あたりに人気が集まることとなる。都内に梶原景時の城跡が多いのも、前回述べた戦国期梶原氏の由緒や、「鍛冶」に関わる地名(鍛冶が原など)が、行楽需要の中で景時に結びつけられていった結果だ。
 馬込城伝承地の萬福寺に建つ「するすみ」の像。つい写真に撮りたくなるかっこよさ
 © JBpress 提供
 こうして東京23区内には、たくさんの怪しい城跡伝承地が生まれることとなった。けれども、前回も述べたように、筆者はそうした伝承を無碍に否定して葬り去ろうというのではない。なぜなら、怪しい伝説に満ちているという現象そのものが、江戸東京という都市のあり方を物語る「資料」でもあるだからだ。
 大河ドラマ歴史小説と同じように、史実は史実、伝説は伝説として楽しめばよい、と筆者が説くゆえんである。
 丸の内にある将門塚。大都市・江戸東京はさまざまな伝説に彩られながら発展してきた
 © JBpress 提供
 [参考図書] 城についての伝承に様々な問題が含まれることに関心のある方は、拙著 『城取りの軍事学』(角川ソフィア文庫/電子版は学研プラス)をご一読下さい。
 【東京にある怪しい城跡:後編】同姓の武将の居城とすり替わった「馬込城」武将のような名だが本当は?「成宗城」
 © JBpress 提供
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🌌59}─3─人口激減時代では「水と安全はタダ」はもう時代遅れ。~No.283No.284 

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 エセ保守とリベラル左派は、メディアや教育を使って伝統的「水と安全はタダ」神話を潰した。
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 2024年4月17日 6:02 YAHOO!JAPANニュース Wedge(ウェッジ)「 「水と安全はタダ」はもう時代遅れ 持続可能な”令和型”の水道とは?各地を訪れ見えてきた新たな可能性
 当然のように水道が使える世代から、その持続性を主体的に考える世代へと転換が進んでいる(WEDGE、以下同)
 高度経済成長期に張り巡らされた日本の水道管。それから半世紀近くたった今、全国では毎年、約2万件の漏水・破損事故が発生するようになった。すべての管路の更新には約140年かかるとされる。
 人口減少も急速に進み、水道事業の料金収入は激減している。従来のような〝昭和型〟の維持はもはや限界であり、「水と安全はタダ」という日本人の常識は過去の遺物になりつつある。
 こうした厳しい現実を受け止めて、ライフラインである水道をどう維持・管理していくのか。その地域に見合った水道事業を持続可能な形で模索している現場を歩いた。
 必要な量の水を、必要な人に国内外を駆ける「日本原料」
 シフォン洗浄砂ろ過装置の間に立つ、日本原料の野口康一部長(左)と三島壮太係長(右)
 能登半島地震の被災地では今も断水が続いている。石川県珠洲市の宝立浄水場も被害を受けた水道設備の一つで、装置の損傷により浄水量がほぼ半減してしまったという。
 ここに可搬型の浄水装置である「モバイル・シフォンタンク(シフォン洗浄砂ろ過装置)」を設置したのが日本原料(川崎市川崎区)だ。同社の野口康一部長は「金沢から被災地まで、車で朝は4時間、帰りは4時間半。所々、道路が崩落しているところもありました」と被災地での様子を話してくれた。
 2005年、豪雨に見舞われた宮崎県への水道復旧支援を手始めに、国内外の数々の被災地を救ってきた同社。直近ではウクライナ水道局への技術支援(「【戦地ウクライナでも稼働!】世界に誇る日本企業の技術「モバイル浄水器」、キーウ水道局員視察の現場」参照)も行っている。
 水道事業は典型的な設備産業であるため、コンスタントに発生する材料費や人件費、維持管理費の確保にどの事業体も頭を悩ませている。現状の収益構造では持続性が見込まれないとの課題にも日本原料は寄り添っている。
 岐阜県恵那市にある久保原浄水場は、地下水と河川表流水の2つを水源として02年に作られ、約20年間稼働してきた。取水した水に含まれるヒ素やフッ素をアルミナによって吸着処理した上で、セラミック膜によるろ過処理を施すことで浄水していた。
 しかし、使用していた活性アルミナは販売終了となり、入手が困難になってしまった。さらに、セラミック膜装置も経年劣化により更新が必要となったが、膨大な費用がかかる。また更新後も、膜を維持管理するための費用の工面に悩んでいた矢先、老朽化による機器の故障が発生した。「危機的状況の中、急きょ対応してくれたのが日本原料さんでした」と恵那市上下水道課の小池健一係長は語る。
 効果は絶大だった。同社のシフォンタンクの導入により、膜の洗浄や交換に必須だった出費がなくなったのだ。セラミック膜装置と比べると、運転時に人手が必要な場面も限定的に発生するが、前出の野口部長は「職員が肌で現場を感じて仕事を進めることが、水に対して興味を持ち、水道人としての矜持を持つことにつながるはずです」と話す。
 コンパクトかつ可搬型というシフォンタンクの強みを生かし、稼働率に見合わない余剰設備の縮小=ダウンサイジングも各地で進める。同社の齋藤安弘社長はこう話す。
 「将来的な人口の増減を見据え、必要な場所に必要な数の水処理装置を、フレキシブルに移動できる状態で配備することが必要です。次世代のためにも、最適解の検討と移行は急務なのです」
 「第二次日本列島改造」へ雨水活用の未来描くトーテツ
 トーテツの安藤さんご夫妻。研究所敷地内では雨水を活用し、多くの農作物も育てていた
 神奈川県相模原市橋本駅から30分ほど車を走らせた山道の中に目指す施設はある。
 トーテツ(東京都品川区)が手掛ける「水・グリーンインフラ研究所」は、雨水をさまざまな用途に活用・普及していくための実験施設である。
 「あと30分くらい車で走り続けたら山梨県なんですよ」と温かく迎えてくれたのは同研究所長の安藤美乃さんと、安藤勇作さん。同社の社員数は約10人ほどだが、そのうちの2人がここで働いている。
 現在、国内で使用されている雨水貯留槽は家庭用など、小規模なものが多い。庭での散水や洗車に加え、東京都墨田区など道幅の狭い区域においては、消防車の通行が困難な場所もあることから、消火用水としても重宝されている。
 雨水はもともときれいな「超軟水」であり、適切なろ過を経て煮沸すれば飲用も可能だ。非常用水としての用途もあるうえ、茶葉やコーヒーをいれて楽しむ人もいるという。
 さらに、農業を救う一手にもなり得る。従来、農業用水路の多くはその地域の自治会に属する住民が自ら管理・維持してきた。だが、農林水産省の統計によれば、23年の農業人口は116.4万人と15年比で約35%減少しており、用水路の管理に携わる人口も減少し続けている。そうなれば、災害などで用水路が被害を受けても、しばらくの間、復旧できないケースも出てくる。
 「農業用水を確保できないところは耕作放棄地の対象にもなりやすいです」と美乃さんは話す。そこで雨水を効果的に活用することができれば、農業の維持・振興にもつながるというわけだ。
 同研究所に設置されているのは1000トンもの雨水を溜められる地下貯留槽「アクアパレス」だ。1000トンといえば、一般的な家庭用浴槽の約5000杯分に相当する量だ。一般に、槽を地下に設置する場合、車の衝撃や地震時の揺れ、地下水の変動などといった外部からの影響を受けやすい。
 そのため、長期にわたり安全性を確保するためには点検・整備が欠かせない。それを踏まえ、アクアパレスは人が中に入り込み、槽内全域を確実に点検・整備できる造りになっている。
 長靴に履き替え、小誌記者も内部に入らせてもらうと、貯水できる無数のパイプが所狭しと並び、その名の通り「水の宮殿」とも思える光景が広がっていた。
 17年にはインドのチェンナイ市に、水不足の解消などを目的として600トンサイズの同貯留槽を稼働させることに成功している。
 また、地下に貯留槽を設置しておくことで洪水被害対策としても効果を発揮できる。局地的な豪雨に見舞われても、その多くを地下に一度貯留し、時間差で流すことができれば災害が生じる可能性も低減できるのだ。「流せば洪水、貯めれば資源」(村瀬誠氏)という言葉があることも美乃さんは教えてくれた。
 美乃さんの実父であるトーテツの髙井征一郎社長は、ため池などの「オフサイト貯留」から、地域ごとに水を確保する「オンサイト貯留」へ移行する必要性を訴えている。給水点を一極集中でなく小規模分散型へ。雨水がその有効な手段の一つとなり得るのは間違いない。
 役場×住民で出した共通解矢巾町が育んだ住民の主体性
 吉岡律司さんは「将来を生きる人」の視点から現在の選択の是非を判断する必要性も訴える
 水道料金の改定といえば、住民からの反発も受けやすい。しかし、岩手県矢巾町は住民側から「改定すべき」という声が上がった、稀有な地域として知られる。17年4月請求分より水道料金・下水道使用料の改定に至ったが、その実現には職員・住民相互の理解と良質な危機感があった。
 その立役者となったのは同町政策推進監兼未来戦略課長を務める吉岡律司さんだ。当時、吉岡さんは水道事業所(現上下水道課)の係長としてこのプロジェクトに携わっていた。
 国が水道のあるべき将来像についてまとめた「水道ビジョン」を04年に公表し、これを受け同町も06年にやはば水道ビジョンを策定したが、吉岡さんは「これだけでは住民の理解を深められないことに課題を感じていた」という。
 ビジョン策定の当時から水道料金の改定を見込んでいたわけではなかった。自治体によっては、「住民の理解は得られないから」と、改定に踏み切る方法もあるだろう。
 しかし、吉岡さんは違った。「行政の言う『住民の理解が得られない』というのは、住民が知るべき情報を知らせる努力もしないで言っているだけという側面もある。行政の言い訳に過ぎません」。
 住民の理解促進と合意形成のためにできることを考え、吉岡さんはいくつも手を打った。中でも特筆すべきは「やはば水道サポーター」の活動だ。08年度から始めたこの活動では、公募により集った住民が月に1回ワークショップに出席する。水道事業について学びながら意見を出し合い、職員と課題認識を共有し、解決策を考えてきた。
 住民は当初、「話を聞きに来た人」だったが、やがて「参加者」になり、最後には「当事者」になっていったという。「それを顕著に感じたのは東日本大震災のときでした。発災後、地域の方々が不安に駆られている様子を見て、『矢巾の水道は大丈夫だから』と話して回り、安心させてくれたサポーターがいたんです。それを聞いたときには感動して涙が出ました」。
 最終的には、住民自らが水道料金の値上げと水道管の更新の必要性を訴えるに至り、料金改定を議会に提案したという。
 今でも約50人のメンバーが所属している。コロナ禍での自粛期間などもあり、サポーターとの対面での活動は長らく休止していたが、24年度からは本格的に活動を再開する予定だ。それに向け、浄水場の見学会を今年2月28日に企画・運営すると聞き、小誌記者は見学会に参加させてもらった。
 当日の参加者は5人。男性3人、女性2人で年齢層は70代~80代だった。監視室に入ると、矢巾町上下水道課主任技師の山本涼平さんが部屋を暖めて待っていてくれた。
 浄水場の概要説明後、場内設備を一通り案内してもらったが、参加者からは「24時間体制なの?」「薬品代はいくらかかるの?」など、矢継ぎ早に質問が飛び交った。「参加者は少なかったですが、それでも住民の〝熱量〟は変わりませんね」と嬉しそうに話していた山本さんが印象的であった。参加者からも職員に対し、「やりがいのある職場だね」「健康に留意してくださいね」と、温かい声かけがあった。
 今回が初めての参加だった高木伸雄さんは矢巾町のホームページを見て見学会に応募したという。吉岡さんの意志もあり、矢巾町の広報は手厚く、広報誌や登録制のメール、ラジオやテレビにSNS、最近では「やはナビ!」というアプリまで手掛けており、発信強化に熱心だ。
 吉岡さんは語る。「地域のみなさんを巻き込むというのは、〝行政の色に染める〟ということではありません。行政がすべて正しいわけではなく、批判もあってしかるべきなんです。ただ、一人ひとりが何かに気づき、何らかの主体的な考え方を持つこと。そういう方がいればいるほど、『強い矢巾町』になっていくのだと思います。私たちはその基盤を引き出すために、やれることをやり続けます」。
 地域によって異なる水道の在り方キーワードは「他人事から自分事」
 近畿大学経営学部の浦上拓也教授は「水道の維持・管理方法は、その地域の地理的・地形的条件や歴史的背景によって異なります。将来の姿を見据え、各事業体がその仕組みや形を再考し、地域に見合ったあり方に変わっていく必要があります」と述べる。
 住民(国民)もいつまでも受け身の姿勢ではいられない。昭和型から令和型へ、他人事から自分事へ─。「持続可能な形で自分たちの町の水道は自分たちで守っていく」という発想の転換が今、求められてい
 仲上龍馬
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 3月22日 Wedge2024年4月号特集(小さくても生きられる社会をつくる)
 人も、技術も、お金も減っていく……。日本の水道は〝孤独死〟寸前? 
 「能登半島地震」では水道施設に甚大な被害があり断水が続いている(1万8880戸/2月29日現在)。水道事業者は施設や管路の耐震化を進めてきたが、道半ばと言える。
 約98%を誇る、日本の水道普及率。その維持にかかるコストも膨大だ
 1995年の阪神淡路大震災を教訓に「地震に強い水道づくり」を検討した厚生省(当時)水道耐震化検討委員会は「老朽化した水道管を向こう5年以内にすべて耐震性のものに更新する」という提言を出した。2004年にまとめられた「水道ビジョン」には「浄水場、配水池などの基幹施設、基幹管路の耐震化率を100%にする」とある。
 30年にわたる号令にもかかわらず、現在の基幹管路の耐震適合率は41.2%(厚生労働省「水道事業における耐震化の状況〈2021年度〉)にとどまる。この数字はばらつきがあり1位の神奈川県は73.1%だが、最下位の高知県は23.2%と50%の開きがある。能登半島地震で水道被害が大きかった石川県は36.8%で、やはり全国平均よりも低かった。さらに耐震化率の伸びは20年から21年で0.5%程度。財源と人手の不足が影響している。
 水道事業は料金収入の激減から経営難に陥っている。そのため耐震管への切り替え、老朽管の更新が進んでいない。24年1月1日時点の日本の概算人口は1億2409万人で、前年同月から66万人減少した。
 人口減少は水道利用者の減少、利用水量の減少にほかならず、当然、料金収入も減少する。総務省によると料金徴収の対象となる水量(有収水量)は、00年の日量3900万トンをピークに減り続け、65年には日量2200万トンになると予測される。
 水道経営は今後ますます厳しくなる。水道が敷かれた頃は多くの市民に注目されたが、老朽化の実態は社会で共有されているとはいえず、水道は〝孤独死〟寸前である。
 また、水道施設の維持・修繕をする技術者も不足している。コロナ禍で注目されたキーワードの一つに「エッセンシャルワーカー」があるが、水道施設の技術者もそうであろう。だが技術者の待遇面は向上せず、社会を支える人材は不足している。最近は施工事業者の人手不足が深刻で、施設の改修工事の入札が不調に終わることも多い。
 足元で減る、金・技術・人材
 国からの策は実現可能か
 施設の老朽化、財源不足、人材不足の三重苦から持続性が危ぶまれる水道事業に対し、国は広域化と官民連携という対策を打ち出した。18年12月に改正水道法が公布され、「水道基盤強化計画」(改正法第5条)の策定による広域連携(経営統合、業務の共同化、災害時等の応援協定、資材の共同整備など)がさらに推奨された。
 だが、広域連携は進んでいない。「水道広域化推進プラン」(厚労省/2021年度)の策定の進捗状況によると、広域化推進プランを「策定済み」の自治体は5団体にとどまっている。
 さらに言えば、広域化し経営効率を上げれば、水道の持続が図れるかといえば、そうではない。昭和時代の水道を持続するだけでは意味がない。
 水道事業は昭和時代に供給量の増加への対応、水源の汚染への対応を課題とし、設備を建設することで課題解決を図ってきた。現在の課題は人口減少への対応、災害頻発への対応である。国が進める広域化のメリットとして、経営規模を拡張することで経費節減ができるといわれている。たしかに大口の発注などでコスト削減は可能だが、水道は設備産業であるため一定の材料費、施工費(労務費)、維持管理費がかかる。だから経費節減だけを強調すると誤解を招く。水道を供給する⾯積が広いほど、広⼤な面積を管理しなくてはならないし、人口減少が進む地域では⽔道の維持が難しくなる。
 そこで昭和時代に広げた傘を折りたたんだり、複数の小さな傘に差し替えたりする必要がある。広げた傘を折りたたむとは、ダウンサイジングのことだ。水使用量の減少から全国の水道事業の平均施設利用率(稼働率)は6割程度。つまり減価償却費や施設維持管理費などの費用が発生しているにもかかわらず、利益を生まない資産が4割ある。これを段階的に減らしていく。
 岩手県北上市花巻市紫波町は、それぞれ別に水道事業を行っていたが、14年に岩手中部水道企業団に統合した。岩手中部水道企業団の特色は人材育成にある。一般的な一部事務組合の場合、職員は自治体から出向する。約3年で人事異動があり専門性は蓄積されにくい。岩手中部水道企業団は専任職員だけで構成される。
 事業開始時に3市町の水道職員に移籍希望調査を行った。条件は、身分、待遇は変えず、水道の仕事に専念することだった。すると正職員の定員72人のうち、初年度だけで65人が役所を退職し、水道のプロとして働くために企業団に移籍した。11年の事業計画時から19年までに計25の施設を削減し、25年までにさらなる削減を計画する。施設削減の結果、約89億円の投資を削減できた。
 さらに職員の技量アップを図りながら有収率(給水する水量と料金として収入のあった水量との比率)を向上させた。有収率が低い主な原因は漏水だったが、15年から18年の3年で有収率が6.2%上がり、水が有効に使用された。
 その結果、配水量が日量7000トン減り、新浄水場の建設計画が白紙に戻った。将来投資が大幅に削減され、ダウンサイジングを図ることに成功したのだ。これにより漏水工事のための職員の残業も減り、突発的な工事に伴う心的負担の低減にもつながった。多くの公務員は数年で人事異動となるが、専門人材を育成する大切さを考えさせられる。
 求められる「小規模分散化」
 地域の将来像を描けるか
 ただしダウンサイジングの結果、過疎地域の切り捨てが起きてはならない。人口が極端に少ない地域での持続策も考えるべきだ。それが小さな複数の傘への差し替えだ。
 大きな施設で浄水処理し、そこから水を道に通して運ぶのが「水道」だとすれば、給水ポイントを小規模分散化して、水の道を極力短くし、数個から集落を対象とした「水点」をつくる。浄水やポンプ導水にかかるエネルギーを減らし、安価で管理しやすく、災害に強い方法を導入する。安全な水を安価に持続的に供給する目的が達成されるなら手段は柔軟でよいはずだ。
 いくつかの例を紹介しよう。
1.集落への水デリバリー「運搬給水」
 宮崎県宮崎市の持田地区、天神地区、静岡県浜松市の水道未普及地域などでは運搬給水を行っている。浄水場から、配水池までタンク車で水を運び、配水池から各家庭へは水道管で水が供給される。メリットは、水道管の維持管理が不要で費用が安いこと、デメリットは、気温の影響を受けやすいので水質管理に注意が必要なこと、事故や災害に備える必要があることだ。
2.井戸水と紫外線発光ダイオードによる殺菌
 井戸は有効な水源で、能登半島地震の被災地でも住民が新たに手製の井戸を掘って活用するケースがある。ただ、地下水の水質は地域によって異なり、食中毒や感染症を起こす目に見えない病原菌が含まれていることもあるので、消毒が必要だ。
 その点で注目されているのが、東京大学大学院工学系研究科の小熊久美子教授が研究・開発に取り組んでいる小型の紫外線発光ダイオード装置だ。紫外線が水中のウイルスや細菌などの微生物の遺伝子に損傷を与え、増殖を抑えることで感染を食い止められる。
3.地元住民が管理する緩速ろ過
 日本各地には地元の住民が管理する小規模水道がある。岡山県津山市の水道未普及地域では、維持管理を地元組合が行うため、①構造が単純で管理の手間が少ない、②ポンプなどの動力を使用しない、③できる限り薬品類を必要としないことが考慮され、「上向流式粗ろ過」と「緩速ろ過」を組み合わせた装置が採用された。
 設備はコンクリートの水槽と砂利があればよく、地元業者でも施工できる。メンテナンスも安価で簡単だ。住民が水道に関わり続けることで人材育成も可能になる。
4.水の循環利用
 企業が小規模な技術を開発するケースもある。従来の「使った水は流す」から「再生して繰り返し使用する」という考え方にシフトして開発されたのがWOTA BOX(WOTA、東京都中央区)だ。
 排水をろ過して繰り返し循環させることで、水の量を通常の50分の1以下に抑えることが可能。普通私たちは1回のシャワーに100リットルの水を使うが、WOTA BOXで循環利用すると100リットルで100人がシャワーを浴びられるため、能登半島地震の被災地でも活躍した。配管工事が不要で、電源さえあれば水が使える。
 現在の上下水道システムには大量のエネルギーが使われている。水源からポンプで取水し浄水場まで導水する、浄水場で浄水処理する、ポンプで各家庭まで送水・配水する。いずれも電力が必要だ。今後は脱炭素にも留意する必要がある。浄水場まで水を運ぶにあたり、遠くのダムなどから導水するのではなく、近くの伏流水やコミュニティー内の地下水などを利用すれば、導水する際の電力の使用量を抑えることができる。
 地下水が清浄であれば塩素殺菌するだけで十分であり、浄水処理での電力使用を抑えられる。さらには取水施設や浄水場に小水力発電を導入し売電することで、水道施設の費用をまかなうこともできる。「昭和型システム」の維持には限界があるが、広げた傘を折りたたんだり、複数の小さな傘に差し替える技術は揃っている。あとは自治体がどの技術を選び、どう管理するかが課題となる。
 破損した水道管から水が噴き出す現場。このような事態が今後、全国で頻発する可能性も否定できない(THE MAINICHI NEWSPAPERS CO., LTD./AFLO)
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 小さくても生きられる 社会をつくる
 全都道府県で人口が減少――。昨年7月の総務省による発表に衝撃が走った。特に地方においては、さらなる人口減少・高齢化は避けられない。高度経済成長期から半世紀。人口減少や財政難、激甚化する災害などに直面する令和において、さまざまな分野の「昭和型」システムを維持し続けることはもはや限界である。では、「令和型」にふさわしいあり方とは何か――。そのヒントを探るべく、小誌取材班は岩手、神奈川、岐阜、三重、滋賀、島根、熊本の7県を訪ね、先駆者たちの取り組みを取材し、「小さくても生きられる社会」を実現するにはどのようなことが必要なのかを探った。
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🍘51〗ー1ー日本の適正人口は明治期の人口。~No.148 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   2024年4月17日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「日本の「適正な人口数」は何人か…少子化対策に悩む日本人に伝えたい"人口問題"という言葉の危うさ
 日本はこれから急激な人口減に直面する。神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは「人口減を“病”と考えることには懐疑的だ。そもそも日本の人口は何人が適正なのか、私が知る限り、その数字を示してくれた人はいないし、ある数字が国民的合意を得たこともない」という――。
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 ※本稿は、内田樹『だからあれほど言ったのに』(マガジンハウス新書)の一部を再編集したものです。
■少し前まで「人口問題」とは「人口爆発」だった
 ある媒体から「人口減少社会の病弊」という標題で寄稿依頼された。論じてほしいトピックとして「子どもを産み育てる社会的環境がなぜ整備されないのか」「このままではどのような将来が想定されるのか」「解決策はあるのか」が示された。
 そういう寄稿依頼を受けておいて申し訳ないが、「人口減」を“病”と考えること自体に私は反対である。「反対」というのはちょっと言い過ぎかもしれないので、「懐疑的」くらいにしておく。
 若い方はご存じないと思うが、少し前まで「人口問題」というのは、「人口爆発」のことであった。1972年に国際的な研究・提言機関ローマクラブが『成長の限界』という報告書を発表したことがある。このまま人口増加が続けば、100年以内に人類が及ぼす環境負荷によって、地球はそのキャリング・キャパシティの限界に達すると警鐘を鳴らしたのである。
 人口を減らすことが人類の喫緊の課題であるということを私はその時に知った。たしかにその頃はどこに行っても人が多過ぎた。高速道路の渋滞に出くわすたびに、「もっと日本の人口が減ればいいのに」と心から思った。
■急に「人口が減りすぎてたいへん」と言われるようになった
 その後、大学教員になってしばらくしたところで教員研修会が開かれた。
 そこで「18歳人口がこれから急減するので、本学もそれに備えなければならない」と告げられた。ちょっと待ってほしい。「人口が多過ぎてたいへん」という話をずっと聞かされていたのが、いきなり「人口が減り過ぎてたいへん」と言われてもそんなに急に頭は切り替えられない。
 それに納得のゆかない話である。ある年の日本の18歳人口がどれほどであるかは何年も前にわかっていたはずだ。人口動態というのは統計の数字のうちで最も信頼性の高いものの一つである。だったら、「18歳人口がこれから減るので、それに備えなければならない」という話をなぜもっと早くから議論しはじめなかったのか。
■「18歳人口が減少したら困る体制」をコツコツ作り上げていた
 ところが調べてみると、どこの大学もそれ以前は「臨時定員増」で、学生定員を増やし、教職員数を増やし、財政規模を大きくしていたのである。
 たしかにその時点での18歳人口は増えていたのであるから、それに適切に対処したのかもしれない。けれども、そうしたせいで「18歳人口が減少し始めたら、たいへん困ったことになる体制」をコツコツと作り上げていたのだ。
 いったい、当時の大学経営者たちは何を考えていたのであろうか。たぶん「18歳の人口が減って困り始めるのは私が退職した後だし、とりあえず今は『稼げるうちに稼いでおく』ということでいいんじゃない」というくらいの考えだったのだろう。私だって、その時代に大学にいたら同じように考えたかもしれない。「洪水よ、我があとに来たれ」である。
■「人口問題=人口減」なのは一部の先進国だけ
 その時に私が学んだのは「人々は人口問題についてあまりまじめに考えないらしい」ということだった。なにしろ「人口問題」の定義自体が「人口増」から「人口減」に変更されたが、それについて誰からも何の説明もなかったからである。
 それ以後、私は人口問題について、「周知のとおり」という口ぶりで話を始める人のことは信用しない。だから、「人口減」をいきなり「病弊」として論じるということにも抵抗を覚えてしまう。
 そもそも今も人類規模では、人口問題は人口減ではなく人口増のことだ。
 人類の人口は現在80億。これからもアフリカを中心に増え続け、21世紀末の地球上の人口は100億を超すと予測されている。この予測が正しければ、今から80年、グローバルサウスは引き続き人口爆発による環境汚染や飢餓や医療危機の問題に直面し続けることになる。
 つまり、人口問題が専一的に「人口減」を意味するのは、今のところは一部の先進国だけなのだ。
 私たちがこの事実から知ることができるのは、人口はつねに多過ぎるか少な過ぎるかどちらかであって、「これが適正」ということがないということである。人口については適正な数値が存在しない。それが人口問題を語る上での前提であろう。
 日本の人口として、いったい何人が適正なのか、私が知る限り、その数字を示してくれた人はいないし、ある数字が国民的合意を得たこともない。
 果たして、日本列島の「適正な人口数」を知らないままに、人口について「多過ぎる」とか「少な過ぎる」とか論じることは可能なのだろうか。
マルサス人口論における2つの前提
 人口論の基本文献として私たちが利用できるのは、イギリスの経済学者トマス・ロバート・マルサスの『人口論』である。
 マルサスの主張はわかりやすい。「適正な人口数とは、食糧の備給が追いつく人口数である」というものだ。食糧生産が人口増に追いつく限り、人口はどれだけ増えても構わないというある意味では過激な論である。
 マルサス人口論は「人間は食べないと生きてゆけない」と「人間には性欲がある」という二つの前提の上に立っている。
 「性欲に駆られたせいで人口は等比級数的に増加するが、食糧は等差級数的にしか増加しない。だから、ある時点で人口増に食糧生産が追いつかなくなり、飢餓が人口増を抑制する」というのがマルサスの考えである。
 これは自然観察に基づいている。ある環境内に棲息できる動植物の個体数は決まっている。環境の扶養能力を超える数が生まれた場合には、空間と養分の不足によって淘汰され、個体数は調整される。その通りである。
■人間の場合は餓死して淘汰される前に人口抑制がかかる
 ただし、人間の場合はもう少しリファインされていて、餓死して淘汰される前で人口抑制がかかる。
 困窮の時期においては、「結婚することへのためらい、家族を養うことの難しさがかなり高まるので、人口の増加はストップする」「自分の社会的地位が下がるのではないか」、子どもたちが成長しても「自立もできなくなり、他人の施しにすがらざるを得ないまで落ちぶれるのではないか」といった心配事があると、文明国の理性的な若者たちは「自然の衝動に屈服するまいと考え」て結婚しなくなる。マルサスはそう予測した。
 これは現代の日本の人口減の実相をみごとに道破している。それに、男性の性欲を生殖に結びつけずに処理する装置(不道徳な習慣)が文明国には完備されていることも人口抑制に効果的であるともマルサスは指摘していた。炯眼の人である。
 マルサス人口論は今の人口問題についても大筋で妥当すると思う(人口は等比級数的に増えるという予測は間違っていたし、人間の環境破壊がここまでひどいとは考えていなかったが)。
■200年かかって明治40年頃の人口に戻る
 人類全体の人口は21世紀末に100億超でピークアウトして、それから減少する。もっと早く減り始めるという予測もある。その後どこまで減少するかはわからない。
 19世紀末の世界人口が14億だから、そのあたりで環境の扶養力とバランスがとれて人類は定常状態に入るのかもしれない。先のことはわからない。
 しかし、さしあたり先進国は(アメリカを除いて)どこも急激な人口減に直面する。その趨勢のトップランナーは日本である。
 日本の人口は最近の統計では2070年に8700万人にまで減ることが予想されている。現在が1億2600万人であるから、今から年83万人ずつ減る計算である。83万人というと山梨県佐賀県の人口である。それが毎年ひとつずつ消える。
 2100年の日本人口について内閣府の予想は、高位推計で6400万人。これはかなり楽観的な数値である。中位推計が4900万人と予測されている。
 いずれにせよ、21世紀末に日本の人口は今の半分ほどになることは間違いない。日露戦争の頃が「生霊五千万」と言われたから、二百年かかって明治40年頃の人口に戻る勘定である。

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 内田 樹(うちだ・たつる)
 神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長
 1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。2011年、哲学と武道研究のための私塾「凱風館」を開設。著書に小林秀雄賞を受賞した『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、新書大賞を受賞した『日本辺境論』(新潮新書)、『街場の親子論』(内田るんとの共著・中公新書ラクレ)など多数。

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