💫10}─3・B─5万年前の岩絵がインドネシアで発見される。世界最古の具象絵画か?~No.79No.80 

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 2024年9月8日 MicrosoftStartニュース The Daily Digest「5万年前の岩絵がインドネシアで発見される:世界最古の具象絵画か?
 thedailydigest.com 
 洞窟で見つかった岩絵
 ©The Daily Digest 提供
 インドネシアスラウェシ島南部にあるカランプアン洞窟で岩絵が発見された。その後の研究により岩絵は5万1,200年前に描かれたものであると最近判明し、おどろきが広がっている。
 きわめて古い洞窟壁画
 この岩絵には3人の人物とイノシシが描かれており、狩りの様子を描写したものだと見られている。
 オーストラリアとインドネシアの共同研究チーム
 この成果を発表したのはグリフィス大学(オーストラリア)、インドネシア国立研究革新庁(BRIN)、サザンクロス大学(オーストラリア)の研究者たちからなる共同チームだ。
 研究者のコメント
 『El País』紙によれば、調査に参加した考古学者のマキシム・オベール教授は声明の中で次のようにコメントしたそうだ:「以前、インドネシアスラウェシ島(写真)とカリマンタン島にある岩絵の年代を特定した際には、ウラン系列による年代測定法を利用しました。しかし、私たちが新たに開発した「LA-U系列法」はさらに高精度です。岩絵の表面に生じた炭酸カルシウムの年代を特定することで、作品そのものが描かれた時期に迫ることができるのです。岩絵の年代測定に革命をもたらすことでしょう」
 革命的な年代測定法
 オベール教授いわく、この新手法は精度が高い上、測定に必用なサンプルも少量でよいため、岩絵に与えるダメージを減らすことができるというメリットもあるとのこと。 『El País』紙によれば、「LA-U系列法」は岩絵の年代測定における新たな一歩であり、砂岩をはじめ、さまざまな種類の岩石に描かれた壁画についても応用することができるかもしれないそうだ。
 写真はビンベットカの岩陰遺跡群(インド)
 覆され続ける通説
 人類史や芸術の起源に関する通説は新発見がなされるたびに覆されており、謎は深まるばかりだ。そのため、オベール教授は岩絵の調査を続けると同時に、こういった作品の保全に取り組むことが大切だと主張している。
 容易ではない年代測定
 先史時代の岩絵は初期人類の文化にまつわる謎を解く上で重要なカギとなるが、それが描かれた年代を正確に突き止めるのは依然として容易なことではない。
 写真は東カリマンタン州インドネシア)のサンクリラン半島で発見された手形
 5万年以上前に描かれた岩絵
 2018年、オベール教授の研究チームはカリマンタン島で槍を打ち込まれた動物を描いた岩絵を発見し、それまで考えられてきた絵画の起源を更新することとなった。同教授いわく:「5万年以上前に描かれたことが確実視される岩絵が見つかったのは初めてです」
 具象絵画の起源はいつ?
 さらに翌年、スラウェシ島でもイノシシやスイギュウ、人間の姿を描いた岩絵が発見されることに。当初、この岩絵は4万4,000年前に描かれたものと推定されていたが、オベール教授の研究チームが新手法を用いて年代測定を行ったところ、遅くとも4万8,000年前にはそこにあったことが判明し、具象絵画の歴史が5,700年更新されることとなった。
 写真はムナ島(インドネシア)で発見された先史時代の岩絵
 岩絵の作者はホモ・サピエンス
 研究チームはこういった岩絵の作者について、現生人類と同じホモ・サピエンスだったと考えている。オベール教授いわく、先史時代の岩絵は著しく高度な芸術作品であり、当時の人々の鋭い感性が読み取れるとのこと。
 写真はビンベットカの岩陰遺跡群(インド)
 さらに岩絵が発見される可能性
 その後、スラウェシ島で発見された岩絵の年代が実はさらに古いことが判明し、絵画の歴史は5万年あまり前まで遡ることができるようになった。オベール教授はこの時期の具象絵画について、今のところスラウェシ島の岩絵以外に例がないことを認めているが、「さらに古い岩絵が発見される可能性は高いでしょう」と述べ、研究の進展に自信を見せている。
 写真はムナ島(インドネシア)で発見された先史時代の岩絵
 世界各地で発見される岩絵
 インドネシアで先史時代の岩絵が発見されるようになると、具象絵画がヨーロッパ生まれとは限らないことを示すものとして注目を浴びた。その後、世界各地で同様の発見が相次ぎ、岩絵の歴史にまつわる理解が進むようになったという経緯がある。
 写真は南アフリカの西ケープ州で発見された壁画
 ヨーロッパ最古の絵画
 一方、ヨーロッパ最古の絵画はショーヴェ洞窟(フランス、写真)にある動物の岩絵であり、3万年あまり前に描かれたとされている。
 専門家のコメント
 スペイン・カンタブリア大学の考古学者、ディエゴ・ガラテ教授は今回の成果について、世界各地で数万年にわたり狩猟の様子が描かれ続けてきたことは興味深いとコメント。なお、同教授は今回の研究チームには加わっていない。
 写真はカンタブリア岩絵センター(スペイン)
 絵画はどこで誕生したのか?
 では、具象絵画はどこで誕生したのだろう? アジアとヨーロッパで別々に発展したのかもしれないし、初期人類がアフリカ大陸から各地に進出するころには、人類全体に岩絵を描く習慣が広まっていたのかもしれないが、今のところ真相は不明だ。
 写真はタッシリ・ナジェールの洞窟壁画(アルジェリア
 今後の研究に必要なのは……
 ディエゴ・ガラテ教授はインドネシアで相次ぐ発見について、ヨーロッパ中心的な考古学に一石を投じるものだと評価している。しかし、先史時代の岩絵については不明な点も多いことから、古さを競うのではなく、誰が描いたのかについて研究を深めることが大切だとくぎを刺した。
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 人類の誕生と大移動は運命である。
 日本人の祖先はアフリカのサルであるは宿命である。
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 約258万年前から約1万1700年前 更新世新生代第四紀の前半。
 600万年前~700万年前 人類(ヒト属)の祖先はチンパンジーボノボの祖先である類人猿から別れて進化していき、幾つかの人類種が枝分かれするが一つの系統を残して全て絶滅した。
 100万前 ホモ・エレクトスが陸伝いに日本列島に歩いてきて住み着いた。
 10万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し、世界中に移住していった。
 3万5000年から3万年前以後 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)=旧石器人(ヤポネシア人)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 縄文時代 1万2000年~2000年前。縄文人(日本土人)。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
 この時点では、まだ日本民族(和人)・琉球民族アイヌ民族は生まれていない。
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 日本土人である縄文人(日本土人)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の旧石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 旧石器人(ヤポネシア人)は、南方系海の民であった。
 縄文人(日本土人)は、森の民であった。
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 日本民族琉球民族アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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 日本民族は、旧石器人(南方東南アジア系ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)、弥生人(南方揚子江系渡来人)、古墳人(北方満州帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいたオホーツク文化人が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 アイヌ人は住んでいる島・地域によって幾つかに枝分かれして、それぞれ他の人種・民族と乱婚を繰り返し混血度を濃くして独自の微妙に違う生活スタイルで生きてきた。
 蝦夷地・北方領土アイヌ樺太アイヌ、千島列島アイヌカムチャツカ半島アイヌ、その他。
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 琉球民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 多種多様な人種、民族との乱婚による混血度・雑種性が、最も濃密なのが日本民族で、次ぎに濃いのが琉球民族で、最も薄いのがアイヌ民族である。
 同一の縄文人から分かれた日本民族琉球民族アイヌ民族の違いは、この「乱婚による混血度・雑種性」の濃度にある。
 例えるなら真珠で、アコヤ貝の体内に取り込まれた砂粒などの異物(日本列島の土人である縄文人)に貝が分泌する独自の炭酸カルシウムでホワイトオパールにも、ブラックオパールにも、偏光色オパールにもなる。
 さしずめ、日本民族は偏光色オパールであり、ホワイトオパール琉球民族であり、ブラックオパールアイヌ民族である。
 そこには、漢族中国人や半島系朝鮮人は含まれていない。
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