🍘54〗ー1ー令和6年の国産米不足と米価高騰で安価な外国産米の人気が高まる。~No.151 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本は異常気象で凶作が起き食糧不足が発生すると、外国から外国産米を緊急輸入していた。
 米不足は戦前から続いていて、不足分はベトナムなどの東南アジアから在米日本資産の米国ドルを使って外米を購入し輸送船を使って輸入していた。同時に、台湾や朝鮮から植民地米を移入していた。
 昭和20(1945)年から、アメリカ軍は食糧不足の日本に対して飢餓作戦を実行し、日本人を餓死させようとし、日本人は空腹に耐えながら戦争を続けていた。
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2022-01-13
🍘20〗ー1ー日本は世界食料争奪戦で第2回目の大敗北をきす怖れがある。飢餓・餓死の危機。~No.64No.65No.66No.67 
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 2024年12月8日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「国産米の高騰で「外国産米」の人気高まる 「もっと流通させろ」の声に輸入商社が口を閉ざすワケ
 米倉昭仁
 国産米の高騰を背景に、安価な外国産が注目されている。スーパーでも米国産米や台湾産米などを見かけるようになった。令和の輸入米はどんな味わいなのか。ズバリ、おいしいのか。3種類の外国産米を食べ比べてみた。
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■台湾産米の販売を始めた
 米の価格高騰が続いている。農林水産省によると、10月末時点での新米の販売価格は、前年同時期と比べて約6割も上昇した。これまで安かった米ほど値上がり幅は大きく、約2倍になった米もある。
 10月中旬、大手スーパー「西友」は台湾産米の販売を始めた。5キロ2797円。同社によると、発売直後から売れ行きは好調で、品薄になっている店舗が多いという。
 台湾産米の販売はSNSでも話題になった。
 「となりに置かれた『あきたこまち』(5キロ)より1000円も安くてビックリです」
 「高値が解消されるまでこのお米で乗り切ろうと思います」
 「さっそく、炊いて食べてみたら、若干甘味が少ない感じがしましたが、私はグルメでもお米マイスターでもないので、フツーにおいしくいただきました」
 「台湾産米で十分だよ。もっと流通させろ!」
 国産米の高騰で「外国産米」の人気高まる 「もっと流通させろ」の声に輸入商社が口を閉ざすワケ
■決め手は「ジャポニカ米」であること
 SNSのコメントは肯定的なものが多く、輸入米が敬遠された30年前の「平成の米騒動」と比べて隔世の感がある。1993年の記録的な冷夏、深刻な米不作から、政府はタイ米を緊急輸入した。タイ米は細長い形状の「インディカ米」で、炊きあがりに粘りがない。なじみの薄い米は敬遠され、在庫が倉庫に大量に積み上がった。
 西友の担当者はこう話す。
 「台湾産米を選んだ決め手は、国産米と同様『ジャポニカ米』であること。社内でさまざまな外国産米を食べ比べた結果、ふっくらした食感が国産米に非常に近いと判断しました」
 ディスカウントストアやネット通販を中心に、米国産やベトナム産、豪州産などの米の販売も広まっている。
■米国産「カルローズ」とは
 会員制大型量販店「コストコ」は今夏、米国産のジャポニカ米「カルローズ」を販売した。5キロ1998円。円安にもかかわらず、台湾産米よりもさらに安い。
 カルローズとは「カリフォルニアのバラ」に由来する愛称。かつて太平洋を渡った日系人が工夫を重ねて育ててきたブランドでもある。赤い花が描かれたパッケージは米国のスーパーではおなじみだ。昔、記者が米国に留学していたときも、毎日カルローズを食べていた。十分おいしく、不満を感じたことはなかった。
 国産米の高騰で「外国産米」の人気高まる 「もっと流通させろ」の声に輸入商社が口を閉ざすワケ
 USAライス連合会によると、カルローズは「SUSHI RICE(スシライス)」として、海外では広くすし店で採用されている。中食・外食産業向けに米飯を提供する事業者の団体、日本炊飯協会の三橋昌幸事務局長も、「カルローズはすし用の酢飯として国産米とそん色ない」と評価する。
 協会が行った食味検査では、高級すし店で使われる「ササニシキ」には及ばなかったが、回転ずし店で使われることの多い「はえぬき」との有意差はなかった。
■おかずと一緒に食べ比べ
 記者は3種類の外国産米(米国産「カルローズ」。台湾産とベトナム産は複数原料米)を購入し、「あきたこまち」と実際に食べ比べてみた。
 まずは生米の見た目。台湾産米はやや白っぽい部分が目立ち、透明感は他の米に比べて少ない。米国産米は、やや粒が大きい以外はあきたこまちに一番近い。ベトナム産米にはオイルをまとったような光沢があり、触った感じも滑らかだ。
 炊飯の水加減は米に対して、1割増し。1時間水に浸して炊いた。アツアツのご飯を家族にも協力してもらい、食べ比べた。
 台湾産米の白飯はあきたこまちよりもやや硬く、しっかりした食感。「ほどよい甘みのある、素朴な味」(10代の息子)。
 米国産米のご飯はあきたこまちと同様の粒立ちで、つやがある。台湾産米よりさらにしっかりした食感だった。
 ベトナム産米のご飯の粒はやや崩れている。あきたこまちよりもやわらかく、あっさりした味わいだ。
 おかず(アジの塩焼き、ホウレン草のおひたし、煮豆、豆腐の味噌汁)といっしょに食べると、「どのごはんもおいしい。特に優劣は感じない」(20代の娘)
 国産米の高騰で「外国産米」の人気高まる 「もっと流通させろ」の声に輸入商社が口を閉ざすワケ
■差が出たのは「塩むすび
 それぞれの米で塩むすびをつくり、炊きあがりから3時間後に食べ比べた。
 「見た目からしておいしそう」と妻が言ったのは、あきたこまち。口にすると、もっちりしていて、粘りがある。台湾産米と米国産米は冷えるとさらに硬さが増し、少しボソボソしている。逆にベトナム産米はちょっとべとつく感じだ。
 台湾産米と米国産米は「チャーハン向きかもね」と妻が言う。さっそく実行。刻んだ玉ネギを炒め、溶き卵を加え、半分ほど固まってきたところで冷えたご飯を加え、手早くかき混ぜて炒める。さて、味は?
 「炒めたご飯がパラパラで、おいしい!」(家族)
 国産米の高騰で「外国産米」の人気高まる 「もっと流通させろ」の声に輸入商社が口を閉ざすワケ
■外国産米は広がりゆくのか
 つまり、それぞれに個性はあるが、主食として遜色ない。外国産米の人気は今後、さらに広まっていくのだろう。
 ところが、関係者の口は意外に重く、複数の大手輸入商社から取材を断られた。ある商社の担当者は、こう打ち明ける。
 国産米の高騰で「外国産米」の人気高まる 「もっと流通させろ」の声に輸入商社が口を閉ざすワケ
■輸入量の上限は10万トン
 「今、輸入米の需要がハンパないんです。国産米の高騰に外国産米も引っ張られて、入札競争がヒートアップしている。弊社にも『安価な外国産米を入手したい』という問い合わせがたくさんきていますが、思うように買い付けられない。今後も一般消費者向けに流通を継続できるのか、微妙なところです」
 根本的な理由は、輸入量が限られていることだ。政府は輸入できる主食用米の上限を10万トンに定めている。今年度の国内の主食用米の生産量は約670万トン。輸入米はその約1.5%にすぎない。
 輸入米の入札は基本的に年4回行われる。先月行われた入札では2万5000トンの枠に対して、その3倍を超える7万7094トンの申し込みがあった。
 国別でみると、落札数量の6割弱を米国産米(ほぼカルローズ)が占め、1万4462トン。次いで豪州産米の7996トン。ちなみに、台湾産米には2400トンの申し込みがあったが、落札できた数量はゼロだった。
 国産米の高騰で「外国産米」の人気高まる 「もっと流通させろ」の声に輸入商社が口を閉ざすワケ
■「つゆだく牛丼」と好相性
 外国産米の主な需要はレストランなどの外食産業で、「一番身近な例は牛丼店」(商社の担当者)だという。
 価格維持のためかと思いきや、味へのこだわりという面も大きいようだ。
 牛丼チェーン「吉野家」では、国産米を中心に米国産米をブレンドした米を使っているという(一部店舗では国産米のみ)。その理由を吉野家ホールディングスの担当者はこう話す。
 「軟らかく粘りの強い米はごはんとしてはおいしいが、牛丼にすると、たれを吸ってべたついてしまい、いわゆる『たれ通り』が悪い。一方、米国産米は粒立ちがよく、程よい粘りと甘みを併せ持つ」
 つまり、牛丼と相性がいいのだ。つゆだくならなおさらだ。
 ラーメンチェーン「幸楽苑」は、国産米の白飯を提供しているが、チャーハンにはパラっとした食感に仕上がりやすい米国産米を使っているという。
■国産米ではまかないきれない
 日本炊飯協会の三橋さんによると、日本人好みの米として作られた米国米だけでなく、最近は他の外国産米も食味のレベルを上げてきているという。
 先の商社担当者は言う。
 「今後、外国産米の需要はますます高まるはずです。政府は10万トンの輸入枠をもっと広げてほしい」
 今年6月、全国米穀販売事業共済協同組合が公開した「コメ流通2040年ビジョン」によると、2040年における米生産者は約30万人で、20年比で65%減。30年代には需要を国産米だけでは賄いきれなくなる可能性があると指摘する。
 日本の主食、「米」をどう確保するのか。対策は待ったなしだ。
 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
 関連するビデオ: アメリカ市場の最高値に日本株が追随 今夜“重要指標”発表 (テレ朝news)
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 KAKEN
 戦前日本の外米輸入―米不足の構造と輸入補填(明治初年~戦時の実証的・総合的研究)
 研究課題/領域番号 16K03792
 研究代表者
 大豆生田 稔 東洋大学, 文学部, 教授 (20175251)
 研究期間 (年度) 2016-04-01 – 2019-03-31
 研究課題ステータス 完了 (2018年度)
 研究成果の概要
 戦前日本では、主食=米の消費が増加し、植民地米の移入では不足を補填できず、東南アジア(仏領インドシナビルマ・タイ)からの「外米」輸入が不可欠となった。その実態や諸条件について実証的に検討した。
 明治中期から米が不足し始め、政府の定期市場への介入、直接的な輸入・払下げ等により輸入が急増した。また米騒動前後には、産地側の供給条件の動揺(大戦や凶作等)に対し、現地駐在の外交官や外務省・農商務省は輸入実現のため多面的な交渉を展開し、民間の外米輸入をも促進する。しかし戦時には、戦局悪化による輸入条件の喪失が最終的な不足補填策を奪い、深刻な危機を招く結果となった。
 研究成果の学術的意義や社会的意義
 19世紀末頃から主食・米が不足するようになり、凶作時には東南アジア産の「外米」に依存するようになった。米不足による国内米価の高騰が、外米輸入を促進して需給が調整されるという補填構造は、貿易の機能により支えられた。政府による、国内の取引制度や、外米産地の輸出制限等への政策的対応は民間の輸入を促進し、不足時には速やかに、大量の輸入を実現した。しかし、輸入条件が喪失すると、戦争末期のように外米供給は途絶し、最終的に外米に依存した主食供給は破綻した。戦前日本の主食の対外依存は、外米の円滑な輸入を前提としていた。
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 2023年6月13日 YAHOO!JAPANニュース DIAMOND online「日本人が絶対忘れてはならない「平成の米騒動」とは?【書籍オンライン編集部セレクション】
 宮路秀作:代々木ゼミナール・地理講師
 経済は統計から学べ!
 世界の「今」と「未来」が数字でわかる。印象に騙されないための「データと視点」
人口問題、SDGs、資源戦争、貧困、教育――。膨大な統計データから「経済の真実」に迫る! データを解きほぐし、「なぜ?」を突き詰め、世界のあり方を理解する。
書き手は、「東大地理」を教える代ゼミのカリスマ講師、宮路秀作氏。日本地理学会の企画専門委員としても活動している。『経済は統計から学べ!』を出版し、「人口・資源・貿易・工業・農林水産業・環境」という6つの視点から、世界の「今」と「未来」をつかむ「土台としての統計データ」をわかりやすく解説している。(初出:2021年8月11日)
 平成の「米騒動」を忘れるな!
 米騒動と聞けば、「大正時代、原敬を総理大臣とした日本初の本格的な政党内閣が始まるきっかけ」として習うかもしれません。
 しかし、ここでは1993年に起こった「平成の米騒動」に焦点をあてます。
 1993年、日本は深刻な米不足にあえいでいました。同年の日本の米の生産量は979万3000トンと、前年比74.1%にまで落ち込みます。原因は1913年以来、80年ぶりの大冷夏でした。
 1993年の米の作況指数は74であり「著しい不良」でした。また1991年の不足(作況指数95)により、在庫量が少なかったことも拍車をかけました。
 1991年6月15日のピナトゥボ火山の大爆発と関係があるとされています。また偏西風の蛇行とエルニーニョ現象も要因の1つにあげられます。
 エルニーニョ現象は日本に冷夏と暖冬をもたらし、ラニーニャ現象は日本に夏の猛暑、冬の寒冷をもたらす傾向があります。
 ピナトゥボ火山の噴出物の総量は10km2。20世紀最大といわれ、噴煙は高度17~26kmの成層圏にまで達しました。1ヵ月後には北緯25度から15度にまで広がったとされています。1992年に弱い冷夏が発生し、1993年には大冷夏となりました。
 加えて1993年は梅雨前線が長期間、日本列島付近に停滞しました。いったん発表された梅雨明け宣言が8月下旬に撤回される事態にも発展しています。
 梅雨前線は北側のオホーツク海気団と南側の小笠原気団との間に形成される前線です。オホーツク海気団が弱まって小笠原気団が張り出すことで梅雨明けとなりますが、1993年は小笠原気団が弱く、またオホーツク海気団が長い間強い勢力を保っていました。ここから吹き出す冷たい風を「やませ」といいます。北海道・東北地方はやませの影響を強く受けました。
 「日本へ輸出できる米」など用意されていなかった
 米が不足すると、価格が高騰します。これを回避すべく、外国から米の緊急輸入を進めました。まず1993年11月にタイからうるち米が輸入され、翌年には他国からも米が輸入されました。
 内訳は中国から108万トン、タイから77万トン、アメリカ合衆国から55万トン、オーストラリアから19万トンでした。
 元々、米を自給していた日本に対して、輸出用の米を品質、量ともに生産していた国などありませんでした。輸入によって量的不足は解消されますが、輸入米の多くがインディカ米であったため、日本人の中には「こんなまずい米が食えるか!」と輸入米に対して文句を言う人もいました。
 結局、輸入米のうちおよそ98万トンが売れ残りました。苦しい状況を助けてもらっておきながら、この態度です。日本ではもっと「食育」を充実させる必要がありそうです。
 この「平成の米騒動」は翌年には解消されました。1994年はラニーニャ現象が発生し、一転して猛暑となったことで大豊作となったのです。
 それはさておき、1993年のGATTウルグアイ・ラウンド農業合意によって米市場の部分開放が決まり、日本国内の法体系との整合性を取るためにも、食糧管理制度を見直す必要が出てきました。こうして制定されたのが1995年の食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)であり、政府の役割は備蓄米の運営、ミニマム・アクセス米の運用に限定されていきます。
 政府備蓄米とは適正備蓄水準を100万トン程度に設定して運用しており、10年に一度の不良とされる作況指数92にも対応します。毎年21万トン程度を買い入れ、5年たったら飼料用として売却されます。
 本来「ミニマム・アクセス」とは輸入機会の提供のことで、国内農家に悪い影響を与えないように、国が一元的に輸入して販売しています。つまり国家貿易ということです。
 いつの時代も、自然環境の変化が、われわれの生活様式に変革を迫ってきます。「異常気象」とはいいますが、本来「同じことが続くこと」が異常なのです。こうした突発的な現象も、実はごくごく自然なことなのかもしれません。
 (本原稿は、書籍『経済は統計から学べ!』の一部を抜粋・編集して掲載しています)
 世界の「今」と「未来」を数字でつかむ!
 みなさんは学生時代、「歴史」や「地理」の授業で、多くの統計を丸暗記してきたはずです。私が小学生のころは「世界一の米輸出国はタイ」と習いました。
 しかし現在、インドがタイを抜きました。世界各国の人口や資源の産出量、工業製品の生産量、穀物の輸出入量など、さまざまな統計は日々変化しています。
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 日本の戦時食糧問題と東アジア穀物貿易一日中戦争勃発前後の 米・ 小麦
 大豆生田 稔
 1. は じめに
 本稿の課題は,1920年代から戦時期にいたる1930年代末までの時期を対象として,日本の主穀の対外依存を東アジアを構成する諸「地域」間,および東アジアとその「域外」との多様な穀物貿易の連鎖のなかでとらえることにある.ここで対象となる地域とは ,日本本国・朝鮮・台湾・「満州」(中国東北)・中国(華北・華中・華南)・東南アジアなどであり,さらにこの域外には,小麦・小麦粉の有力な供給地域である北米(アメリカ ・カナダ)および豪州があった.
 この時期に,日本国内で消費される最大の穀物は米であった.その需給関係は,まず1920年代末に植民地からの米穀移入を前提としながらも「自給」を達成した.昭和恐慌期の供給増大を契機に国内では「過剰」認識が支配的になるが,1939年の 西日本・朝鮮の干害を機に朝鮮米移入が激減して供給不足が一一・挙に 表面化し,中断していた東南アジァからの「外米」の輸入が再開・急増したことはよく知られている.
 主穀の供給を植民地へ依存する体制が戦時期に動揺し破綻する要因を,諸「地域」間の穀物貿易の変化のうちにとらえることが本稿の第一の課題である.ここで留意すべきは ,次に端的に指摘されているような,穀物貿易を通じた主穀の代替関係である.
 鮮米の問題は同時に満州の雑穀の問題であり,満州の雑穀の問題は同時に内地の小麦生産の問題であるので あるから,円ブロック全体の食糧問題が解決されなければ内地の食糧政策の確立は万全 とはいひ得ないのであるω .
この ように ,
 米の需給はそれだけでは完結せず,東アジアの小麦や雑穀の需給と密接にリンクしていたのである.注目すべきことは,この時期に日本の小麦消費が,絶対量でも国内消費に占める割合でも,一定の水準に達していたことである.つまり,第一次大戦期から1920年代はじめにかけて1人当たりの 消費増加に基づく消費量の急増があり,年間1人当たり1斗5升程度の水準に落ち着く{z}.米の場合の年間 1人当たり消費量は 1石余りだから,小麦消費量は容量でその1割強に相当するまでに拡大した.厳密にはカロリーの比較が必要かも知れないが,小麦消費が無視し得ない位置を占めるようになったことは確かであろう.
 小麦消費の拡大は小麦輸入を急増させた.日本は明治初期には小麦を自給していたが ,明治中期からは輸入国となりr1910年代末から1920年代はじめにかけて輸入量を急増させた.小麦は世界的な商品であり,1920年代からは輸入相手として域外の北米・豪州の比重が高まった.こうして,小麦消費の拡大と輸入の増大により,日本は世界の小麦貿易,とりわけ太平洋に面した北米・豪州・東アジアの間で展開する小麦・小麦粉貿易〔3)の一環に組み込まれることになり,それは中国などにおいてもほぼ同様であった.そこで以下,とくに小麦の動 きに注目しながら,この時期の東アジアの諸地域間の穀物貿易を概観し,戦時期に食糧問題が発生し深刻化する要因をさぐっていきたい.
 2.1920年代後半〜1932年
 1)北米・豪州小麦の東アジア進出
 2)日本一米穀自給と小麦消費一
 3)中国 小麦・小麦粉輸入一
 3.1930年代半ば (1932−37年)
 1)アメリカ小麦の後退,豪州小麦の台頭
 2 )日本一米穀過剰と小麦増産一
 3)中国一小麦・小麦粉輸入一
 4 .日中戦争勃発 (1937−40年)
 1)北米・豪州小麦輸入の途絶
 2 )日本一小麦輸入の途絶と植民地米移入の縮小
 3 )中国一占領地への食糧供給
 4 )「満州」一小麦粉需給の 逼迫一
 5 )朝鮮対日米穀移出の縮小一
 5 .おわりに
 以上みてきたように日本の戦時食糧問題は ,1939年の干害により朝鮮米移入が急減してにわかに発生したものではなく,戦争勃発によって円ブロック地域が北米・豪州など 東アジア域外からの小麦・小麦粉供給を喪失し,かつ東アジア域内の穀物(米・小麦・雑穀などの食糧農産物)貿易が停滞・混乱するという,戦時の構造的な要因に基づくものであることが明らかになった.結局,日本本国あるいは「満州」などにおける米や小麦の増産は ,戦争勃発によって失った圏外からの供給を量的に補填するレベルにはいたらなかったといえる.こうして,さまざまな変化が次々と派生し,日本本国では深刻な米不足が一挙に表面化したのである。
 日本本国のみについてみれば,こうした絶対的な食糧供給不足は,太平洋戦争がはじまって「仏印」など東南アジアの米作地帯を勢力下に収めることにいったんは隠蔽されることになった.大量の外米輪入によってその不足が補填されたのであるが,そのルートも輸送の隘路によって間もなく閉ざされ,1943年頃からは深刻な食糧不足がやっ てくることになる(21).
 太平洋戦争末期の深刻な食糧難は戦後もしばらく継続した.この食糧難の緩和が,1947年以降の主としてアメリカからの小麦輸入によってもたらされたという事実は,1920年代から1950年前後にかけての日本の食糧需給を考える上で重要であろう.つまり,1947年の小麦輸入量は激増して小麦換算770万石(105万 トン)にのぼった(n).この輸入は,小麦増産計画以前の年間生産量80万トン 台を大きく上回る水準であった(表5).また増産計画以前の北米・豪州からの輸入量70万トンをもはるかに上回っている(表 3).さらにこれは,戦争勃発によって日・満・中が失った東アジア域外の小麦供給量にほぼ見合う量でもあった(2S).再び,北米の小麦が大量に輸入されるようになって,はじめて深刻な食糧難が緩和されたのである.
 以上のような考察から,①北米・豪州の過剰小麦が1920年代から東アジア市場に押しよせ ,その 輸入を前提とした米穀自給を軸とする食糧需給構造が1920年代一30年代 なか ばにかけて形成されたこと,②さらに米穀自給を維持しながら,小麦増産政策とその後の戦争勃発により,1930年代から敗戦まで北米 ・豪州小麦への依存から脱却する試みが展開したこと,③しかしそれは実現できず,敗戦後に再び米国など圏外か らの小麦輸入に依存する1920年代一31年代の構造に回帰したことなどを指摘することができよう.
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