🍠35〗─1─オランダ領東インドで4回に及んだ激烈な巨大噴火。死者3.6万人超。明治16年。~No.109No.110No.111 

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 日本列島は、中国大陸や朝鮮半島ではなくインドネシア群島に似ている。
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 2024年8月25日7:00 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「死者3.6万人超!日本人が知らない「あの巨大噴火」の真実…陸地の3分の2が吹き飛ぶ「脅威的破壊力」を生んだ条件が「日本とそっくり」
 1883年の8月26日の正午過ぎ、インドネシアのクラカタウ火山で史上最大規模ともいえる大噴火が発生し、2日後の28日まで延々と続きました。
 【現地画像】クラカタウのその後…現れては消える島。数年前にも姿が激変していた
 深刻な被害の模様は、19世紀半ばに敷設された海底ケーブルによってすぐさま世界に伝えられました。これによって世界の人々は、身近に起こる冷夏といった異常気象の原因を知ることができたのです。
 また、クラカタウの噴火の日に見られた異様な空模様は、芸術家にもインスピレーションを与えました。ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクの名画『叫び』は、背景の空が血を吐いたような赤色で不気味に塗りたくられていますが、この表現は、クラカタウの噴火による真っ赤な夕焼けに影響されたともいわれてます。
 ◇
 この1883年のクラカタウ噴火が起こったインドネシアスマトラ島からジャワ島に沿って、きれいな弧を描いて延びているスンダ海溝(「ジャワ海溝」とも)では、年間数センチメートルずつ、北向きに沈み込んでいるオーストラリアプレートが、時として大地震や巨大噴火を引き起こします。
 じつは、インド洋の、特にその北東側に面する国々でしばしば起こっているこの火山噴火と地震、そして津波は、日本列島で、私たちがしばしば経験する自然現象や災害と発生メカニズムが共通しています。スンダ海溝でのプレート沈み込みは、ちょうど日本列島の東方海域、千島・カムチャツカ海溝や日本海溝に太平洋プレートが沈み込むことによって、日本列島が地震や火山噴火に襲われる状況と酷似しています。
 折も折、8月8日には日向灘地震が発生し、南海トラフ巨大地震臨時情報が初めて発表されました。8月26日は本年より「火山防災の日」に制定されており(奇しくもクラカタウ火山噴火と同じ日です)、9月1日には「防災の日」もやって来ます。
 自然災害にあらためて注目が集まるいま、1883年のクラカタウ火山噴火に焦点を当てて見てみましょう。日本のこれからの防災にも、ヒントを与えてくれるかもしれません。
 *本記事は『インド洋 日本の気候を支配する謎の大海』の内容を再構成したものです。
固唾を呑んで注視した「巨大噴火」
 スンダ海溝とインドネシア列島における主要島弧:赤い三角が島弧火山の位置。スンダ海溝にはオーストラリアプレートが沈み込んでおり、その動きを矢印で示す
 1883年に起こったクラカタウ火山(「クラカトア火山」ともよぶ)の噴火は、火山活動の規模だけからすれば、ジャワ島の東、ロンボク島にあったサマラス火山の1257年に起きた噴火や、ロンボク島のさらに東にあるスンバワ島のタンボラ火山で起きた1815年の噴火をしのぐものではないかもしれません。しかし、はるかに強い印象を世界の人々に与え、長く語り継がれる噴火となっています。
 その理由として、二つのことが考えられます。
 クラカタウ火山(図「スンダ海溝とインドネシア列島における主要島弧」参照)が、オランダ領東インドの政治的中心地であった大都市バタヴィア(現在のジャカルタ)に近かったという地理的な要因が一つ。つまり、目撃者や被害者が圧倒的に多かったこと。
そしてもう一つ、当時の国際社会が、産業革命にともなう科学技術の進展により、急速な近代化のさなかにあったという時期的な要因も無視できません。
 たとえば、19世紀中頃は、電信技術の革新、すなわち海底ケーブル通信の黎明期でした。インドネシア周辺で最初の海底ケーブルが、ジャワ島とシンガポールおよびオーストラリアとのあいだに敷設されたばかりで、これと陸上の通信ネットワークがつながり、火山噴火とその後の悲惨な状況は、わずか1~2日のうちに西欧諸国やアメリカへと配信されました。
 地球の反対側に位置する先進諸国が、この巨大噴火の成りゆきを、固唾(かたず)を呑んで注視したのです。70年足らずの時間差ではありますが、タンボラ火山のときとはまったく違う時代状況でした。
 4回に及んだ激烈な噴火
 グッタペルカの木 photo by gettyimages
 ところで、初期の海底ケーブルは防水技術が未熟で、すぐに断線する不良品でした。そんなとき、優れた防水ゴムとして天然樹脂「グッタペルカ(ガタパーチャともいう)」が発見され、このゴムで被覆した海底ケーブルの良品が急速に普及しました。
 グッタペルカの木は熱帯産の常緑高木で、その主要な原産地は、他ならぬインドネシアです。
 グッタペルカで被覆された海底ケーブルを通じて世界を駆けめぐった最初の大事件がクラカタウ火山噴火であったというのは、なんとも皮肉なめぐり合わせでした。
 話をクラカタウ火山に戻しましょう。
 クラカタウ火山は、スマトラ島とジャワ島に挟まれたスンダ海峡に点在する、小規模な島々の集合体です。過去数万年、あるいはもっと以前から、おだやかな火山活動が継続して火山島が成長し、やがて大爆発を起こして島が陥没、そのあとにふたたび島が成長、というように、成長と破壊のサイクルを繰り返してきたと考えられています。
 1883年5月10日から群発地震が始まり、5月20日に、群島のなかで最大面積のクラカタウ島(当時の面積は約39平方キロメートルで、伊豆大島の5分の2程度の大きさ)で、最初の大噴火が起こりました。噴煙が11キロメートルも立ち上ったと記録されています。しかし、これはまだ、序の口にすぎませんでした。小規模な噴火がしばらく続いたあと、同年8月26~28日にかけて、歴史的な超巨大噴火の時がやって来ます。
 とりわけ激烈な噴火が、8月27日の現地時刻5時30分、6時44分、10時2分、および10時52分の4回にわたって起こり、その噴煙は最大36キロメートル上空の成層圏にまで上昇しました。
 噴火により「島の形そのもの」が変わってしまった
 たび重なる猛烈な噴火によって、クラカタウ島の形状は一変します。陸地部分は南側の3分の1を残すのみで飛散・陥没し、海底には巨大なカルデラが形成されました。
 この噴火は海面付近で起こったために、吹き飛んだ山体や流れ出した溶岩が、そのまま海に落下しました。その結果、海面が大きく上下し、高さ30メートルに達する巨大津波が発生するという悲劇を生みました。津波スマトラ島やジャワ島の沿岸を襲い、165ヵ村が破壊され、噴火と津波による犠牲者は3万6400名を超えたといいます(もっと多かったという説もあります)。
 そして、クラカタウ火山の名称をいやが上にも高めたのが、その凄まじい噴火音でした。
 ◇
 このように、1883年の噴火は、人々の生活にも、また島の地形や環境にも大きな影響を与えました。そのすさまじさは、噴火時の「音」だったと言います。続いては、その噴火音について見てみましょう。
 >>>続きはこちら>>>
 インド洋――日本の気候を支配する謎の大海
 インド洋を抜きにして、地球を語ることはできない! 大陸移動から気候変動、生命の起源まで――。世界第3位の巨海から、この惑星のダイナミズムが見えてくる!
 蒲生 俊敬(東京大学名誉教授)
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 8月25日7:00 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「死者3.6万人超!日本人が知らない「あの巨大噴火」の真実…陸地の3分の2が吹き飛ぶ「脅威的破壊力」を生んだ条件が「日本とそっくり」
 蒲生 俊敬 東京大学名誉教授
 1883年の8月26日の正午過ぎ、インドネシアのクラカタウ火山で史上最大規模ともいえる大噴火が発生し、2日後の28日まで延々と続きました。
 深刻な被害の模様は、19世紀半ばに敷設された海底ケーブルによってすぐさま世界に伝えられました。これによって世界の人々は、身近に起こる冷夏といった異常気象の原因を知ることができたのです。
 また、クラカタウの噴火の日に見られた異様な空模様は、芸術家にもインスピレーションを与えました。ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクの名画『叫び』は、背景の空が血を吐いたような赤色で不気味に塗りたくられていますが、この表現は、クラカタウの噴火による真っ赤な夕焼けに影響されたともいわれてます。
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 この1883年のクラカタウ噴火が起こったインドネシアスマトラ島からジャワ島に沿って、きれいな弧を描いて延びているスンダ海溝(「ジャワ海溝」とも)では、年間数センチメートルずつ、北向きに沈み込んでいるオーストラリアプレートが、時として大地震や巨大噴火を引き起こします。
 じつは、インド洋の、特にその北東側に面する国々でしばしば起こっているこの火山噴火と地震、そして津波は、日本列島で、私たちがしばしば経験する自然現象や災害と発生メカニズムが共通しています。スンダ海溝でのプレート沈み込みは、ちょうど日本列島の東方海域、千島・カムチャツカ海溝や日本海溝に太平洋プレートが沈み込むことによって、日本列島が地震や火山噴火に襲われる状況と酷似しています。
 折も折、8月8日には日向灘地震が発生し、南海トラフ巨大地震臨時情報が初めて発表されました。8月26日は本年より「火山防災の日」に制定されており(奇しくもクラカタウ火山噴火と同じ日です)、9月1日には「防災の日」もやって来ます。
 自然災害にあらためて注目が集まるいま、1883年のクラカタウ火山噴火に焦点を当てて見てみましょう。日本のこれからの防災にも、ヒントを与えてくれるかもしれません。
 【書影】インド洋 日本の気候を支配する謎の大海
 *本記事は『インド洋 日本の気候を支配する謎の大海』の内容を再構成したものです。
 固唾を呑んで注視した「巨大噴火」
 1883年に起こったクラカタウ火山(「クラカトア火山」ともよぶ)の噴火は、火山活動の規模だけからすれば、ジャワ島の東、ロンボク島にあったサマラス火山の1257年に起きた噴火や、ロンボク島のさらに東にあるスンバワ島のタンボラ火山で起きた1815年の噴火をしのぐものではないかもしれません。しかし、はるかに強い印象を世界の人々に与え、長く語り継がれる噴火となっています。
 その理由として、二つのことが考えられます。
 クラカタウ火山(図「スンダ海溝とインドネシア列島における主要島弧」参照)が、オランダ領東インドの政治的中心地であった大都市バタヴィア(現在のジャカルタ)に近かったという地理的な要因が一つ。つまり、目撃者や被害者が圧倒的に多かったこと。
 【図】スンダ海溝とインドネシア列島における主要島弧スンダ海溝とインドネシア列島における主要島弧:赤い三角が島弧火山の位置。スンダ海溝にはオーストラリアプレートが沈み込んでおり、その動きを矢印で示す
 そしてもう一つ、当時の国際社会が、産業革命にともなう科学技術の進展により、急速な近代化のさなかにあったという時期的な要因も無視できません。
 たとえば、19世紀中頃は、電信技術の革新、すなわち海底ケーブル通信の黎明期でした。インドネシア周辺で最初の海底ケーブルが、ジャワ島とシンガポールおよびオーストラリアとのあいだに敷設されたばかりで、これと陸上の通信ネットワークがつながり、火山噴火とその後の悲惨な状況は、わずか1〜2日のうちに西欧諸国やアメリカへと配信されました。
 地球の反対側に位置する先進諸国が、この巨大噴火の成りゆきを、固唾(かたず)を呑んで注視したのです。70年足らずの時間差ではありますが、タンボラ火山のときとはまったく違う時代状況でした。
 4回に及んだ激烈な噴火
 ところで、初期の海底ケーブルは防水技術が未熟で、すぐに断線する不良品でした。そんなとき、優れた防水ゴムとして天然樹脂「グッタペルカ(ガタパーチャともいう)」が発見され、このゴムで被覆した海底ケーブルの良品が急速に普及しました。
 グッタペルカの木は熱帯産の常緑高木で、その主要な原産地は、他ならぬインドネシアです。
 グッタペルカで被覆された海底ケーブルを通じて世界を駆けめぐった最初の大事件がクラカタウ火山噴火であったというのは、なんとも皮肉なめぐり合わせでした。
 【写真】グッタペルカの木グッタペルカの木 photo by gettyimages
 話をクラカタウ火山に戻しましょう。
 クラカタウ火山は、スマトラ島とジャワ島に挟まれたスンダ海峡に点在する、小規模な島々の集合体です。過去数万年、あるいはもっと以前から、おだやかな火山活動が継続して火山島が成長し、やがて大爆発を起こして島が陥没、そのあとにふたたび島が成長、というように、成長と破壊のサイクルを繰り返してきたと考えられています。
 1883年5月10日から群発地震が始まり、5月20日に、群島のなかで最大面積のクラカタウ島(当時の面積は約39平方キロメートルで、伊豆大島の5分の2程度の大きさ)で、最初の大噴火が起こりました。噴煙が11キロメートルも立ち上ったと記録されています。しかし、これはまだ、序の口にすぎませんでした。小規模な噴火がしばらく続いたあと、同年8月26〜28日にかけて、歴史的な超巨大噴火の時がやって来ます。
 とりわけ激烈な噴火が、8月27日の現地時刻5時30分、6時44分、10時2分、および10時52分の4回にわたって起こり、その噴煙は最大36キロメートル上空の成層圏にまで上昇しました。
 噴火により「島の形そのもの」が変わってしまった
 たび重なる猛烈な噴火によって、クラカタウ島の形状は一変します。陸地部分は南側の3分の1を残すのみで飛散・陥没し、海底には巨大なカルデラが形成されました。
 この噴火は海面付近で起こったために、吹き飛んだ山体や流れ出した溶岩が、そのまま海に落下しました。その結果、海面が大きく上下し、高さ30メートルに達する巨大津波が発生するという悲劇を生みました。津波スマトラ島やジャワ島の沿岸を襲い、165ヵ村が破壊され、噴火と津波による犠牲者は3万6400名を超えたといいます(もっと多かったという説もあります)。
 そして、クラカタウ火山の名称をいやが上にも高めたのが、その凄まじい噴火音でした。
   ◇   
 このように、1883年の噴火は、人々の生活にも、また島の地形や環境にも大きな影響を与えました。そのすさまじさは、噴火時の「音」だったと言います。続いては、その噴火音について見てみましょう。
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 インド洋——日本の気候を支配する謎の大海
 【書影】インド洋 日本の気候を支配する謎の大海
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 インド洋を抜きにして、地球を語ることはできない! 大陸移動から気候変動、生命の起源まで——。世界第3位の巨海から、この惑星のダイナミズムが見えてくる!
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 8月25日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「インド洋の反対側まで届いた「クラカタウ火山」の噴火音がスゴすぎる…「北海道で起きた噴火が沖縄で聞こえる!」より、まだ遠い…
 蒲生 俊敬東京大学名誉教授
 1883年の8月26日に発生した、インドネシアのクラカタウ火山での大噴火。前回の記事では、その模様のあらましを解説しました。死者が3万6000人を超え、クラカタウ島の地形までが変わってしまうという大きな噴火でしたが、その規模を語るのはそればかりではありません。
 【書影】インド洋 日本の気候を支配する謎の大海
 *本記事は『インド洋 日本の気候を支配する謎の大海』の内容を再構成したものです。
 インド洋中に轟きわたった「世界最大の音」の正体
 なんと4800キロメートルも離れたロドリゲス島(当時はイギリス領)まで噴火音が届いたというから驚きです。そのときのロドリゲス島の警察本部長が几帳面で職務に熱心な人だったとみられ、勤務日誌に「夜間(8月26日から27日にかけて)数回、遠くで重砲が 轟(とどろ)くような音が東の方向から聞こえる。音は3〜4時間おきに27日の午後3時になるまで続いた」と、貴重な記録を残してくれたのです。
 このときのクラカタウ火山の噴火音は、歴史時代を通じて、世界最大の自然音だったかもしれません。空中を伝わった自然音の到達距離として、4800キロメートルは世界最長記録とされています。
 ロドリゲス島のほかにも、さまざまな場所で、噴火の轟音がキャッチされました。それらをまとめたのが、図「1883年のクラカタウ火山の噴火音の到達範囲」です。ディエゴ・ガルシア島(英領チャゴス諸島)、スリランカ、オーストラリア、フィリピンなど、インド洋から西太平洋沿岸にいたるまで多数の遠隔地が含まれています。
 【図】1883年クラカタウ火山の噴火音の到達範囲1883年のクラカタウ火山の噴火音の到達範囲
 クラカタウ火山から、約150キロメートル離れたバタヴィアで聞こえた噴火音の大きさ(音圧)は、気圧計の記録(噴火による衝撃波のため、瞬間的に気圧が上昇した)から約170デシベルと推定されています。この数字だけではピンときませんが、電車の通るガード下で100デシベル、飛行機の爆音がその10倍の120デシベルで、170デシベルはそのさらに数百倍の音に相当します。まさに想像を絶する爆音です。
 クラカタウ火山からわずか数十キロメートルのスンダ海峡を航行中だったイギリス船「ノラム・キャッスル」号は、なんとも悲惨でした。凄まじい激烈音に襲われた乗船者のなんと半数が、鼓膜を破られてしまったというのです。
 島が子どもを「産んだ」!?
 その後、クラカタウ火山は、数十年ほど鳴りをひそめました。
 しかし、1927年になると海底で噴火が始まり、翌1928年にアナック・クラカタウとよばれる新島が、かつてのクラカタウ島と同じあたりに顔を出しました。「アナック」とは、マレー語で「子ども」を意味します。
 アナック・クラカタウ島は、毎年数メートルずつ成長を続け、標高が338メートルとなった2018年12月22日、ついに大規模な噴火を起こしました。山体は大きく崩れて3分の1を残すのみの標高110メートルになり、発生した津波(最大5メートル)によって400名以上が犠牲になりました。
 【写真】アナック・クラカタウアナック・クラカタウ(2019年頃)。2018年の噴火により生じたカルデラが、山体崩壊後の頂に残る photo by gettyimages
 その後も、噴火から目の離せない状態が続いています。
 津波が発生する2つのメカニズム
 クラカタウ火山噴火では、大規模な山体崩壊が海面を大きく揺さぶり、巨大な津波が発生しました。その前のタンボラ火山噴火も、中程度の規模の津波をともなっています。サマラス火山についてはよくわかっていませんが、大量の噴出物が海へ降下し、津波を引き起こした可能性は高いでしょう。
 このような火山噴火に起因する津波のほかに、地震によって発生する津波もあります。むしろ、こちらのほうがよく知られた現象かもしれません。
 オーストラリアプレートが沈み込んでいるスンダ海溝は、日本列島の東側に連なる海溝群と同様、“地震の巣”でもあります。プレート沈み込み帯では、沈み込むプレートと陸側のプレートとのあいだに摩擦が生じ、あちこちにひずみが蓄積されるためです。ひずみが限界に達し、岩石が破壊されると地震が発生します。
 その結果、海底が急激に動き、それが海底上部の海水に伝わるのが地震津波です。日本近海の海溝でも、まったく同じことがときどき起こります。
 次の図(「火山噴火による津波と、地震による津波の発生メカニズム」)は、火山噴火によって生じる津波と、地震によって生じる津波について、それぞれの発生メカニズムを模式的に示したものです。インド洋北東部、特にインドネシアのスンダ列島周辺は、この2通りの津波に繰り返し襲われてきました。
 【図】津波の発生メカニズムを模式図火山噴火による津波と、地震による津波の発生メカニズム:aは火山噴火による津波、bはプレート沈み込みによる津波
 スンダ海溝とスンダ列島に挟まれた海域では、1900年以降だけに限っても、数年〜数十年ごとに大規模な地震が繰り返し起こっています。大きな津波をともなうこともあり、その最たるものが、2004年に起こったスマトラ島沖地震インド洋大津波でした。
 スマトラ島沖地震インド洋大津波
 2004年12月26日、マグニチュード9.1という巨大地震が、スマトラ島の西方海域の海底下、約10キロメートルの深さで発生しました。
 マグニチュード9.1といえば、めったに起こらない超巨大地震です。全世界で1900年以降に起こったマグニチュード9.0以上の地震を表に示しましたが、2011年の東北地方太平洋沖地震を含め、わずか5例しかありません。
 【表】1900年以降に発生したマグニチュード(M)9.0以上の超巨大地震表 1900年以降に発生したマグニチュード(M)9.0以上の超巨大地震(『理科年表2020』による)
スマトラ島沖地震では高さ10メートルの大津波が発生
 2004年のスマトラ島沖地震では、震源域から北方へ1000キロメートル以上という驚異的な長さの破壊帯(逆断層)が延びていき、同時に発生した高さ10メートルに達する大津波が、インド洋の四方八方へと拡がりました。
 津波は、陸に近づくにつれて、地形的な影響で高さを増していきます。震源に近いスマトラ島北部の西海岸には、15〜35メートルの津波が繰り返し来襲し、島の北端にあるバンダアチェ市では、人口25万人のうち約3万人が津波の犠牲になりました。
 アンダマン海に面するタイのリゾート地、プーケット島も5〜10メートルの津波に襲われ、死者5000名以上と報じられました。
 【写真】2004年の地震での被害2004年の地震による甚大な被害のようす photo by gettyimages
 ミャンマーやマレーシアでも、犠牲者は100名を超えています。この津波はさらに、インド洋の南方や西方へもジェット機なみのスピードで伝わり、インド洋全域をほぼ同心円状に嘗(な)め尽くしました。
 インドとスリランカには約2時間で襲来し、それぞれ約1万7000名と約3万5000名が死亡しています。モルディブ(108名)、イエメン(2名)、ソマリア(289名)、ケニア(1名)、タンザニア(13名)などの国々にも4〜8時間で到達し、( )内に示した人的被害(死者数)の他にも、さまざまな惨状をもたらしました。
 2004年のスマトラ島沖地震をきっかけに、インドネシア島弧-海溝系における火山や地震活動が活発化したという見方もあり、この海域からますます目の離せない状況が続きそうです。
 場所こそ違え、大規模な地震津波、あるいは火山噴火は、日本列島でも今後、必ず起こる自然現象であり、自然災害です。決して、はるか対岸の他人事ではありません。いわゆる「3・11」、2011年の東北地方太平洋沖地震は、いまなお記憶に新しいところです。
 火山噴火については、7300年前(縄文時代)の鬼界カルデラ噴火の後、日本列島は幸運にも、破局的な巨大噴火を免れてここまで来ました。しかし、いつかまた必ず巨大噴火が起こることは、歴史が証明しています。
 こと自然災害に関して、日本列島は「想定外」のない国土です。まるでふたごのようなインド洋北東部で生じる自然現象にも学びながら、つねに備えを怠らないようにしましょう。
 インド洋——日本の気候を支配する謎の大海
 【書影】インド洋 日本の気候を支配する謎の大海
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 インド洋を抜きにして、地球を語ることはできない! 大陸移動から気候変動、生命の起源まで——。世界第3位の巨海から、この惑星のダイナミズムが見えてくる!
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