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2024年5月2・9日ゴールデンウィーク特大号 週刊新潮「変見自在 高山正之
汚れた給食
先日の天声人語が学校給食の話を書いていた。
こちらは昭和23年に麻布小学校に入学した。戦後の給食の始まりから付き合ってきた。
最初は溶けていた脱脂粉乳が出た。それをアルミボウルで飲むと器の底に褐色の滓が残った。味もしなかったが、コロナのワクチンよりは無害そうだった。
暫くしたらコッペパンがついてきた。月に一度だけ、それが揚げパンになった。実に旨かった。
そのころ、登校したら校庭に集められ校長から『マッカーサーさんは都合があってお国に帰ります』と話があって1キロ離れた今の米国大使館まで全児童が見送りに行かされた。
大倉集古館を背に暫く待ったら大使公邸の黒い門からマッカーサーを乗せた車が飛びだしてきた。生のマッカーサーを見た最初で最後の瞬間だった。
ずっと後に彼の回顧録を読んだら『20万市民の涙に見送られて厚木に』とあった。己を美しく飾るために子供のざわめきさえ鳴咽する占領地の民にする。それに行先は羽田だ。随分と耄碌が進んでいたみたいだ。
給食もマッカーサーの嘘で飾る。『給食は米軍の救援物資が元』と天声人語が書くが、それこそ嘘だ。
『視察に来た占領軍将校が米軍の好意だから残さず食えと言った』と続くが、連中にそんなことを言える資格などなかった。
なぜなら米国は欧州には救援物資を山と出したけれど、黄色い日本人には何も出さなかった。
見かねた在米日系人が脱脂粉乳などを送ってくれた。LARA物資という。
天声人語が参考にした『学校給食15年史』にあるように、最初に届いた100トンはGHQのクロフォード・サムスが『まるで米軍からの支援物資のように』日本側に引き渡された。
それでも吉田茂のおかげで米国も渋々無償のガリオア・エロア(占領地救済・復興)を出してきて、一般家庭へも配給があった。
それが干からびたトウモロコシで、元は豚や牛の飼料だった。だから砂利や鼠の糞が混じっていた。
それを箸で摘まんで捨てて、水につけてもどしてからお米に混ぜて炊いた。
そうやっても固くて不味かった。米国の善意はその程度のものだった。
そしたらマッカーサーが豚の餌は有償だ、5億ドル払えと言い出した。
GHQナンバー2のウィリアム・シーボルトの『日本占領外交の回想』にそのいきさつが書かれている。
米軍は東京で10万人を焼き殺し、広島長崎に原爆を落とした。人種偏見を剥き出しにして殺戮を楽しんだ。
終戦間際に沈められた緑十字船の阿波丸もその一例だ。国際法で保護され暗夜も明かりをつけて航行していた阿波丸を潜水艦が面白半分に魚雷で沈め、2,100人が死んだ。
言い訳もできない卑劣な行為で、米政府も賠償を約束していた。
ところが米議会が『日本如きに賠償など必要ない』と突っぱねてきた。
マッカーサーは大統領に立候補する気で、議会を怒らせたくなかった。
それでガリオアを有償にし、日本政府に『そのカネを阿波丸犠牲者への賠償金とさせた』とシーボルトは書いている。
そのマッカーサーが去ったころ、米国は余剰小麦の処分に困り始めた。
それで米政府はいい手を思いつく。まず1億ドル分の小麦を日本に供与すると言う。もし学校給食をパン食にするならタダで上げてもいいとも言った。
日本政府は喜んで『小麦食を中心』にする学校給食法を制定した。
途端に米国は小麦の対日供与をやめた。
以来、日本は給食用に毎年200億円の小麦を米国から買う羽目になった。米政府は日本を安定した小麦の購入国と歓迎した。
米国人は残忍な差別主義者というだけではなく、小狡い詐欺師でもあった。
ということを『学校給食15年史』は書いているが、天声人語はその辺りを見事に無視し、米国を学校給食の恩人に仕立てる。
庇う心情が分からない。
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