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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
アナリストやメディアは、「借金も財産のうち」としてもてはやして日本民族の「借金は恥」や「株式投資はギャンブル」を消し去って、借金しても「財テク」に狂奔する事を奨励した。
借金は、生活苦によるヤミ金融から財テクによる公式金融機関に代わり、借金額も跳ね上がった。
高額の借金を持っていた、金融機関は倒産させない為にさらに融資をしてくれる。
政府は、雇用を確保し、失業者を出さない為に救済してくれる。
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2023年5月22日 MicrosoftStartニュース 東洋経済オンライン「日本を増税でも賄えない「借金大国」にした真犯人、1965年までは「無借金国」だったのに
日本はいつの間に借金大国になってしまったのでしょうか(写真:PIXTA)
消費税が上がるたびに、「こんなに税金を上げていったいに何に使うのか」思ったことがあるかもしれません。実際、増税は現在の税金ではまかないきれないものがあるからこそ行われるもの。『アベノミクスによろしく』などの著書があり、賃金問題や労働環境、経済政策などに詳しい弁護士の明石順平氏が、『働くときに知っておきたい「自分ごと」のお金の話 データで見る日本経済の現在地』より、税金の使い道について解説します。
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■日本の「借金」はいかに膨らんでいったのか
給与明細に記載された給料から差し引かれている所得税などの額を見て、あるいは10%までに引き上がった消費税のことを考えて、「税」というものを呪った経験があると思います。そして、日本の景気がよくならないのは「すべて重税のせいだ」と思う人もいるかもしれません。しかし、税金のせいで景気がよくならない、税金が悪い、という考えは本当なのかどうか、データを見ながらいま一度考え直してみたいと思います。
国の支出に対する収入源の1つとして税収があるわけですが、今の税収では賄いきれない、しかもこれ以上の増税はできないとなると、国は借金をするしかなくなります。日本が借金大国であるということは、誰でもどこかで耳にしたことがあるでしょう。その額(国債及び借入金現在高)は、2022年3月末時点で実に1241兆3074億円にもなっています。借金がどのように膨らんでいったのか、戦後までさかのぼって見てみましょう。
実は、戦後しばらく、日本は無借金財政でしたが、1965年度に戦後初めて国債を発行しました。これは、1964年度に東京で開催されたオリンピックの反動で翌年から不景気になり、税収が不足したからです。
ただ、それ以降も建設国債が毎年発行されました。国債発行で集めたお金で公共投資を行い経済成長できれば、自然と税収が増えて借金も十分に返せると見込んでのことでした。実際に、1954年12月~1973年11月頃は高度経済成長期と呼ばれる日本経済が一番成長した時期で、この間は毎年のように減税をしながらも、経済成長率が高かったので、税収は増加していました。
しかし、高度経済成長期を終えた頃に、国債発行額が大きく増えてしまいます。その原因の1つはオイルショックです。1973年10月6日に始まった中東での戦争をきっかけに中東の石油産出国がいっせいに石油の価格を上げました。石油は色々な輸送機械の燃料に使われるし、あらゆる商品の原材料でもあります。だから、石油の値段が急激に上がれば物価も急激に上がることになります。
石油が安く手に入るということが日本(世界もですが)の経済を支えていたので、この石油危機の影響で世界中の経済成長率が鈍化しました。狂乱物価ともいわれる物価の上昇に給料が追いつかず、消費も停滞します。経済成長ができていないと税収も足りなくなるので、増税が必要になります。
でも、国民の生活が苦しいときに、増税ができるでしょうか。誰もそんなときに増税をうたう政治家を支持しないでしょう。だから、借金をしてその場しのぎをする。こうして、借金が増えていったのです。
■社会保障費も増大していった
オイルショックの他に、借金が増えたもう1つの理由は、社会保障費の増大です。一般会計における社会保障関係費増加率と、社会保障関係費が占める割合の推移を見てみましょう。
1973年度から、社会保障関係費が大きく増加しているのが分かります。増加率でいうと、1973年度が30%超、1974年度が40%超で、1975年度もまた30%を超えています。3年連続で一般会計における社会保障関係費の上昇率が30%を超えるような現象は後にも先にも発生していません。
これだけ社会保障費が上昇したのには、急激な物価上昇も影響しています。物価が上がれば、それに合わせて社会保障費も上げていかないと追いつかないためです。しかし、社会保障関係費の一般会計に占める割合が1973年度あたりから急激に上昇していることから、その原因が物価の上昇だけではないことを示しています(物価の上昇だけが原因であれば歳出全体も増大するので、割合が急激に高くなることはありません)。
社会保障費は、それまでは歳出に対する割合が15%ぐらいだったのに、1975年には22%を超えるほどに膨らんでいます。その原因は、この時期に老人医療の無料化、医療保険における高額療養費制度、年金額の物価スライド制が導入されたことなどが影響しています。
こうして社会保障費が増大した背景には、東京都などの地方公共団体の首長選挙で、老人医療の無料化をうたう候補者が相次いで勝利するといった現象が起きたことがあります。危機感を抱いた自民党は選挙で勝つために社会保障費を増大したのです。1973年は「福祉元年」とも言われています。
ですが、その社会保障費を賄うために必要な増税はされませんでした。国民の反発を招くと選挙に負けるからです。こうして税収と歳出の差がどんどん開いていく状況に対して、自民党は1979年に消費税を導入しようとしましたが、国民の猛烈な反対に遭い、断念しています。
■増税をしてこなかった「影響」
こうして増税をしてこなかった影響は、上記のグラフを見るとよく分かります。税収は増えているけど、それ以上に歳出が拡大し、「ワニの口」のような形で、だんだんその差が広がっています。バブル期には、好景気で税収が増えたために税収と歳出の差は一時的に縮まりましたが、バブル崩壊後は景気対策のために減税し、国債の発行額もまた増えていきました。
これまで、どれだけ減税されてきたのか、税制改革をしなかった場合の所得税・法人税の推計値と、実績値を比較したグラフを見てみましょう。
バブル崩壊前から所得税と法人税の減税が始まっていますが、崩壊後からだんだん差が大きくなって、こちらもワニの口のようになっています。とくに所得税減税の影響が大きく、1999年度以降は改正しなかった場合との差額が10兆円以上になっています。よく見るニュースなどでは法人税の減税が強調されることが多いものの、実際には、所得税の減税の影響のほうがはるかに大きいのです。
よく、消費税導入以降の消費税収と、法人税の減収額が比較されたグラフをもって「法人税減税の穴埋めに消費税が使われた」と言われることがあります。下のようなグラフを見たことがないでしょうか。法人税収が史上最高の19兆円を記録した1989年度を起点にした法人税収の減収額と、消費税収を比較したものです。
たしかに、消費税収が法人税減収額を穴埋めしているように見えるグラフです。でも、これと同じようなグラフを、実は所得税でもつくることができるのです。所得税収が史上最高を記録したのは、1991年度の26.7兆円。ここを起点にした所得税の減収額と消費税収を並べて見てみると、このようになります。
いかがでしょうか。所得税のほうが、むしろ法人税より減収幅が大きいことが分かります。そして忘れてはいけないのは、法人税と所得税が減収しているのは、減税だけではなく景気後退も原因にある、ということです。つまり、減収の原因のすべてを減税に負わせるのは大変なミスリードだということが分かると思います。
■「今さえよければいい」という発想のツケ
バブル崩壊以降、借金を減らして財政を再建させようと政府が取り組んだことはありましたが、いずれも金融危機を前に頓挫してしまいました。特に、2008年に起こったリーマン・ショック、さらにそこからの回復途上に起きた2011年の東日本大震災によって、日本はさらなる税収の減少と国債発行増大に苦しむことになりました。そのうえ、2020年からのコロナ禍により、国債発行額は異次元のレベルになっています。
借換債を含む国際総発行額でいえば、2020年度は250兆円超え、その後も3年度連続で200兆円超えの状態が続いています。その根本原因は、本当は増税しないといけないのに、選挙に勝つことを最優先して、歴代政権が嫌なことを後回しにしてきた点にあるのです。
今さえよければそれでいいという「キリギリス路線」を先人達が1970年代後半に選択し、それが修正されないままここまで来てしまいました。今はもうこの世にいない先人達にとっては、自らの負担を上回る利益を享受できたのですから、合理的な選択だったと言えるでしょう。そのツケはそう遠くない未来我々が払う羽目になります。
明石 順平 :弁護士
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