📉15】─1・B─「ほめる・ほめられる」のが苦手な日本人。煽てられるとバカになる日本人。~No.32 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年5月20日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「ほめる・ほめられる」のが苦手な日本人…相手と自分の力を伸ばす「ほめ言葉」のススメ
 齋藤 孝
 人との接し方がデリケートになり、人間関係に起因するトラブルが増えた。「人を傷つけない」だけでなく、「人を励ます」言葉が求められる現代において、「ほめる技術」の需要は高まっている。齋藤孝氏の新著『上手にほめる技術』(角川新書)から一部抜粋して、仕事や人間関係をうまく進める、「ほめる」コツを紹介する。
 「ほめる」には二つの意味がある
 漢字で使い分けると、「褒める」と「誉める」。
 褒めるの「褒」は、褒美という語に使われるように、目上の人間が目下の人間の良い行為を称たたえること。
 誉めるの「誉」は、名誉という語に使われるように、非常に高く評価することです。目下の人間が目上の人間に敬意を示す際には、こちらの「誉める」が当てはまります。
 © 現代ビジネス
 「褒める」が常用漢字なのに対して、「誉める」は常用漢字音訓表にない読み方なので、表記としては「ほめる」あるいは「褒める」が一般的です。つまり、字の違いそのものは意識しておく必要はありません。覚えておいてほしいのは、誰に対しても同じほめ方をしていいわけではない、ということです。
 「ほめ言葉」のなかには、目上の人間が目下の人間に対して使うには適していても、目下の人間が目上の人間に対して使えば失礼に当たるものもあります。そういう意味では、「褒める」と「誉める」の違いを意識するべきなのです。もっといえば、男性にとってはほめ言葉になるのに、女性に対して使うと失礼に当たる言葉もあります。
 そうした基本を理解しておくことは、社会人としての「マナーの問題」でもあります。
 なぜ相手をほめたいのか?
 その相手は自分にとってどういう存在なのか?
 これらを意識してこそ、ほめ言葉は効果を発揮します。
・会社の中で、上司や部下との人間関係をうまく構築できるか?
・子供のやる気を引き出し、勉強やスポーツに意欲をもたせられるか?
 そうしたことも、言葉ひとつで左右されます。目上の人間が目下の人間にかける言葉にも気をつかわなければ、パワハラとなり得ます。相手との関係性に合わせて最低限の言葉の使い分けができなければ、常識がないと見られてしまいます。
 多くのことが、言葉遣いに左右されるのです。
 しかし、難しく考える必要はありません。
 どんなときにどういう言葉で相手をほめるかを考える「意識」と、実践の「基礎的な知識」「技術」を身につけておけばいいのです。
 ほめる、ほめられることに慣れていない日本人 
 大学の授業では、学生同士で意見交換してもらうことがあります。
 一人の発表に対して誰かが否定的な意見を口にして、場の空気が悪くなることを避けるために、相手を徹底的にほめてもらう場合もあります。教室の空気はもちろん良くなりますが、それでもしばしば、ある種のぎこちなさが生じます。
 どうしてか。ほめようとする側がほめ上手でなく、ほめられる側はほめられるのに慣れていないからです。
 国民性も関係するのかもしれません。家庭でも学校でも、他国に比べ、ほめる/ほめられる機会が少ないようです。日本人は謙虚さや辛抱強さを美徳としがちです。そういう歴史的文化的側面があるとはいえ、欧米文化が浸透し、インターネットを介して世界とつながっている現代、人は以前よりも、他者からの正当且つ良い評価を求めるようになっているのです。
 それはつまり、誰もが「ほめられたい!」と思っている、ということです。
 ですから、私たちは「ほめ言葉」への意識を高め、シチュエーションに応じたベストの言葉を選択できるようにしておくべきです。そうすれば、なんだかうまくいかないなと思っている人間関係も、改善するはずです。
 そのため、私は大学の教職課程の授業でも「ほめる練習」を積極的に導入しています。
 グループをつくって、互いにほめ合うようにするだけでも、実践的なトレーニングになります。「相手のどんなところをどんな言葉でほめるか」を考えることが大切だからです。
 トレーニングの成果はすぐに出ます。授業の雰囲気だけでなく、塾でアルバイトをする学生からは、ほめるうちに生徒が勉強熱心になった、という声も聞かれました。
 誰でもやはり、ほめられると一生懸命になるものです。
 ほめ言葉がうまく使えれば、コミュニケーションは円満になります。職場や学びの場の空気も変わるため、仕事や勉強の効率に影響します。相手をほめるトレーニングを少し取り入れただけでも、顕著にそれがわかります。
 ほめることの「セラピー効果」
 相手をほめようとばかりしていては疲れるのではないか、と思う人もいるかもしれません。それは逆です。
 人をほめれば、相手は嬉しそうな顔になり、場がなごみます。そうなれば、ほめたほうも自然に顔がやわらぎます。人が喜べば自分も嬉しいものです。
 誰かをほめて、その人が気分を良くすれば、自分の気分も良くなる。
 人をほめることは相手への奉仕というだけではなく、自分自身のセラピーにもなるのです。
 無理なく相手を肯定できれば、自分の中の嫉妬の感情をなくすことにもつながります。
 © 現代ビジネス
 人間は誰でも、多かれ少なかれ人を妬む部分をもっています。
 自分以外の人間を、簡単には認めたくない人は、気づかない間に、嫉妬にとらわれて、意地悪な行動をとりがちです。それが続くと、意地悪い人格が自分に沁みついてしまいます。虚栄心をなくすためにも、むしろ技術として、積極的に人をほめる姿勢をもっておくのです。
 できるだけ人をほめるようにしていれば、周りの人たちとの関係性が良くなるだけでなく、性格からカドが取れてストレスも緩和され、いいこと尽くめです。
 人を笑顔にして、自分も笑顔になってください。
 小・中学生は、先生にほめられると笑顔になり、「この教科が好きになった」と言うこともあります。私たち教師は、その笑顔を楽しみにして生きているともいえるのです。
 ほめて人を育て、自分も伸びる!
 「ほめられて伸びる人」と「叱られて伸びる人」とタイプは分かれるともいわれますが、ほんとうにほめられて、嫌な気がする人間はいません。
 なんでもかんでも思ってもいないことまでほめれば、相手も素直に受け止められないでしょうが、それはほめ言葉が極端すぎるか、適切ではないかです。
 © 現代ビジネス
 一生懸命励んで上に行こうとするだけでも、人の能力は伸びていきます。
 学習でも仕事でも、教育が目指すべきは自発的努力です。新入社員の教育も、「ほめて伸ばす」ことを念頭において指導にあたるのがベストです。
 新入社員がすくすくと伸びるだけではなく、教育係に就いた人間もまた、気持ち良く効率的に仕事をしようと、人間的成長をしますので、一石二鳥の成果が期待できます。
 人が人をほめることで成長できるとすれば、頑なに人をほめないようにしている人はどうでしょうか? 自分で自分の成長を止めることほど、もったいないことはありません。
 「ほめ方」を技化する
 具体的には、どういうほめ方がいいのでしょうか?
 基本と応用があります。
 「できるだけピンポイントで」
 「できるだけ適切な言葉を選ぶ」
 この二つがまずほめ言葉の基本です。
 より相手を喜ばせるための応用は、ほめることの「技化(わざか)」です。
 適切な言葉を選択するだけでなく、巧に相手を喜ばせる技術です。
 私自身、自分がほめられたときに、「この人のほめ方はすごいな」と感心させられることがあります。たとえば、テレビ局内で私に挨拶してきた、あるタレントのマネージャーさんです。
 その人は私に気がつくと、挨拶のあと第一声で「先生、そのネクタイはスタイリストに選んでもらっているんですか?」と尋ねてきたのです。私にはスタイリストがつかないので、「いえ、これは自前です」と答えると、「えっ、すごいですね。素晴らしいです」と驚く顔を見せてくれました。お世辞かもしれませんが、悪い気はしません。
 私のもとを離れていくときも、一緒にいた人に対して「あのネクタイのセンスはいいですね。とても似合っていますよね」と話していたのです。
 私に聞こえることを意識したかはわかりませんが、お世辞ではなく本気で感心してくれているのかな、と感じられました。
 そこまで計算しているとすれば、高等なテクニックです。計算抜きだとすれば、「天性の人たらし力」ともいえそうです。
 どちらにしても、こちらは嬉しくなったのだからいいわけです。
 こういう方法もあると気がつけば、今度は自分で実践です。人を手本にしながら、ほめ方を学ぶ意識をもてば、引き出しは自然に多くなっていきます。
 相手をもちあげるだけではなく、お互いに認められるところを認め合うのが、ほめる技術の理想です。言う自分が気分を害するようなほめ方はしなくてよいのです。
 上手にほめなければならない、ということを難しく考え始めると、立ち止まってしまいますから、まずはワンフレーズでほめる訓練をしましょう。
 他人にストレスを与えず、自分がストレスを溜めないためにも配慮が必要です。場に応じた配慮もあれば、人に対する配慮もあります。
 テレビの世界では、「歯に衣着せぬ物言い」を売りにしているコメンテーターもいますが、実際のところ、そういう人は非常に繊細な衣を着ています。そうでなければ、共演者や関係者の多いテレビの世界でずっと仕事をし続けられるはずがありません。
 歯に衣を着せていないように演じているだけなのです。裸のように見えても、シースルーの衣をまとっているようなものです。
 日常的にも、人に対する配慮は常に必要です。
 人が気にしているだろうことは、思わず言いたくなっても口にしないでおくべきです。
   ・   ・   ・