📉15】─2・B─ほめて伸ばす教育は他人を蹴落し国家・社会を敵視する承認要求だけを肥大化させる。~No.33 

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 2023年5月18日 YAHOO!JAPANニュース 講談社with「「ほめて伸ばす」教育では育たない、これからの時代に必須の力とは
 こんにちは。人生や人間関係を上手くいかせたい共働き女性に向けて本質思考をアドバイスする、リアライフカウンセラーの藤本シゲユキです。
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 昔から子育てにおいて、「ほめること」と「理解すること」は非常に大切であると言われています。
 子どもを怒るのではなく、ほめて伸ばす。
 子どもの気持ちを尊重し、ときには寄り添う教育や接し方が必要というわけですね。
 「この人、親からちゃんとしつけられてないのかな?」とか「どんな教育を受けてきたんだろう?」と思っても、揉めるのも逆恨みされるのも嫌だから、ほとんどの人は黙って見過ごすのです。
 友達だと思っていた人も言ってくれなくなることが多いですから、そうすると人任せにできないし、自分で悪い癖に気づくしか方法がなくなるんですよね。
 親の責任の重大さは思っている以上である
 何が言いたいかと言うと、「親の責任はものすごく重大」だということ。
 要するに、親がどこまでしつけて教育したかによって、子どもが大人になったときの周囲のからの評価が変わってくるということです。
 今からお話する内容は、あるクライアントさんたちから聞いたものになります。
 1人目の女性は、彼氏の友達夫婦に会ったときに、すごく雑な対応をされたことに悩んでおられました。
 初対面で挨拶をしたときに、その友達は椅子に座りながら彼女の顔を一瞬だけ見て「あ、どうも」とだけ言って、スマホを触りだしたそうなんです。
 しかも夫婦そろって。
 「きっと私は彼の友達夫婦に嫌われてるから、これから先彼と一緒になったとき、その友達夫婦と上手くやっていけるか自信がありません」という悩みを抱えていらっしゃいました。
 2人目の女性は、友達の中に遅刻してもドタキャンしても絶対に謝らない子がいるしらく、毎回そのことでイライラしてしまうから、「私の心が狭いのでしょうか?」というお悩みでした。
 この謝らない友達の周りの人たちは、「アイツはいつもああだから」と言って笑って済ませてるそうなんですよ。
 なので、自分だけ怒ってるのがおかしいのではないか?と、自分の心が狭さに不安になったと、そのようにお話されていました。
 3人目の女性は、会話中でもお構いなしに恋人がスマホを触るものだから、「もしかすると彼氏は浮気をしてるんじゃないか?」と疑っておられました。
 彼女は、「私の目を見るよりスマホの画面を見る方が長いぐらいで、ちゃんと目を見て話してくれないのがつらいです」と仰ってましたから、その悲しみのせいで浮気を疑ってしまうのも無理はないんですよね。
 親が悪い癖を正さないと、子どもは悪気なくその癖を出す
 彼女たち3人の話をさらに詳しく聞いて思ったのは、友達夫婦に嫌われているわけでも、心が狭いわけでも、浮気をしているわけでもないということ。
 親がちゃんとしつけて教育してないから、そのような振る舞いをするようになった可能性が非常に高いんですね。
 まず1人目の女性が対峙した友達夫婦ですが、おそらくこの2人は、初対面の人に挨拶をするときに立って挨拶することを教わってなかったのでしょう。
 さらに挨拶の仕方も教えてもらってないから、「はじめまして」と自己紹介もしなかったのだと推測します。
 2人目の女性がイライラする友達も同じです。
 時間の大切さや、相手の時間を奪うことの意味をしつけがちゃんと教えていたら、その人は何らかの理由で遅刻やドタキャンをする羽目になったとき、しっかりと謝罪するはずです。
 なんだったら、平謝りレベルで申し訳なく思う人だっているでしょう。
 3人目の女性の彼氏はきっと、「誰かと一緒にいるときに携帯ばかり触るのは失礼なこと」だと、教えてもらってないのかもしれませんね。
 もし、親が教えていたのだとしても、もう一つ肝心なことを教えてなければ、その子は距離が近い人間の前で、会話中でもお構いなしにスマホを触ります。
 その肝心なことが何かと言うと、「親しき仲にも礼儀あり」。
 つまり、相手は自分の時間を使って会いに来てるんだから、どれだけ親しくても、失礼なことはしちゃダメということを教えてないと、子どもは大人になってから、人を選んで悪い癖を出すようになります。
 誰も注意しないことでは困りようがない
 いかがでしょうか?
 親のしつけと教育が行き届いてないと、このように人を不安にさせたり不快にさせたりしてしまうんですよ。
 よく、「親がちゃんとしつけてないと子どもが困ることになる」と言いますが、少なくとも3人のクライアントさんたちが関わった人たちは、困っているようには見えません。
 それもそのはず、誰も注意しないものだから、自分が悪いことをしている自覚もなければ、自分のせいで相手を不安にさせたり不快にさせたりしている自覚もないからです。
 なので、困りようがないんですよね。
 ちなみに、1人目の女性が対峙した友達夫婦は、なぜ2人ともがそのような態度だったのかと言うと、これは単純に「挨拶が適当でも気にならない者同士がくっついた」のだと推測します。
 要するに、夫婦2人とも挨拶に関してしつけられてない可能性があるということです。
そして、カウンセリングに申し込まれた3人の女性がその後どうなったのかと言うと、1人目の女性は彼氏に「あなたの友達のあの態度はどうかと思う」ということを伝えたそうです。
 そしたら、「初対面の人に挨拶してるところを見たことがなかったから、俺もあれはびっくりした」と返ってきたのだとか。
 2人目の女性には、「それは○○さんがまともなだけで、ちゃんとご両親が時間の大切さを教えてくれたのではないでしょうか」とお伝えしたら、ものすごく安心されていました。
 3人目の女性は彼氏に、「いくら付き合ってるからと言っても、スマホばっか触ってるの失礼だよ。あなたいつも他の人の前でもそうやってるの?」とはっきり指摘したら、ものすごく驚かれたそうです。
 この男性は、自分がそこまで酷い状態だったとは気づいてなかったらしく、「今まで誰にも言われたことなかった」と、ちょっと凹んでいたようです。
 子どもにいい顔ばかりしていては、躾と教育ができない
 子どもをしつけて教育するということは、ある意味嫌われ役を引き受けるのと同じだと思うんですよ。
 なぜなら、大人になってから誰も指摘してくれないようなことって、そもそもが「言いづらいこと」なわけです。
 ということは、それを親が子どもに言ったら疎ましがられるし、反感も買うし、面倒くさがられるし、悪態もつかれるしで、言う側にとっては我が子に嫌われて良いことがないんですよね。
 だからと言って、子どもに嫌われないように接していたら、今度はしつけと教育ができません。
 なので、子どものためを本当に思うなら、親が嫌われ役を引き受けないといけないんですよね。
 そして、ちゃんとしつけと教育をしなかったら恥をかくのは子どもだけではありません。
 親が一番恥をかきます。
 なぜなら、悪い癖が直らないまま大人になり、悪気なくその癖を出している人間を見て、周りの人はこう思うからです。
 「あの人の親、何も教えてないんだね」と。
 しかも、大人になってから自分がちゃんとしつけと教育をされてなかったことに気づき、親を恨む子どもも中にはいます。そのような事態になるなら、子どもと生活を共にしている段階で疎ましがられていた方がいいのではないでしょうか。
 この場合、子どもが大人になってから「あのとき親が口うるさく言ってくれたおかげで本当に良かった」と感謝しますからね。
 「子を持つ」のは楽なことではありません。
 現在、お子さんがいらっしゃる方は、今一度、親の責任の重大さについてよく考えてみてはいかがでしょうか。
 それは、人の親である僕も常に心に留めておかなければならないことだと思っています。
【藤本シゲユキ 悲恋改善アドバイザー改め、リアライフカウンセラー】京都府出身。17歳から29歳までギタリストとして、バンド漬けの日々を送るが、30歳を迎える前に以前から興味があったホスト業界に転身する。入店2ヶ月目でNo.1の座を獲得し半年後に退店、独立。その後、5年間にわたりホストクラブの経営者として奮闘するかたわら、現場で知り合った累計1,000人以上のお客様の恋愛相談をこなす。その時に培ったノウハウを更に改良し研究を重ね、現在はリアライフカウンセラーとして活動中。「日本中の女性を恋愛だけではなく人生単位で一生しあわせになれるよう導く」を天命とし、カウンセリングのみならず、書籍出版はじめ幅広く執筆。座右の名は「勤勉は幸運の母である」。
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 褒める教育は、リベラル・革新・エセ保守によるゆとり教育同様に失敗する。
 ゆとり教育の結果、学ぶ意欲を剥奪され、学ばない事が正しい生き方とされ、日本は学力が低下し世界第二位の経済大国から転落して、社会全体が衰退していった。
 褒める教育の結果、他人を蹴落とす承認要求だけが肥大化し、他人や社会・世間を無視し否定する傲慢無礼なクレーマー、キレる、暴走する若者や老人が急増した。それが同調圧力や自称正義の味方である。
 戦後民主主義教育の延長にある現代の学校教育は、「道理を弁える、分別を付ける、筋を通す」などの民族的伝統的文化的宗教的な公徳心を無意味・無価値として否定し切り捨て、ひたすら個人の「私利私欲」を追い求める事こそが人間として正しと教えてきた。
 戦後の日本人は、リベラル・革新・エセ保守らのアナリストや左派のメディアと教育に騙され煽てられて思慮分別を失いバカになってきた。
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