⚡2】─8─SFが新世紀を切り開く。AIが世界・人類を征服する。~No.26No.27No.28 ② 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年3月13日 YAHOO!JAPANニュース Forbes JAPAN「AIは世界を征服するのか?
 AIは世界を征服するのか?
 超リアルな人型ロボットアーティストのアイーダ(Ai-Da)が、グラストンベリーフェスティバル2022で絵を描いている(Getty Images)
 哲学者なら、数学者、認識論者、合理主義者であるルネ・デカルトの研究をよく知っているだろう。デカルトの研究の多くは、現代哲学の礎を築き、特にホッブズとロックからさらに発展した分野は、17世紀とその後の国家や社会の形成に影響を与えた。
 だが彼の人生には、より注目を集める、ある不気味で不穏な側面がある。デカルトは使用人と関係を持ち、2人の間には幼い娘フランシーヌが生まれ、デカルトは娘をとてもかわいがっていた。悲しいことにフランシーヌは5歳で猩紅(しょうこう)熱で亡くなってしまった。取り乱したデカルトは、彼女に似せたオートマタ(時計仕かけの本物そっくりの人形、ロボットのようなもの)を作らせた。
 彼はこの「人形」を旅行のたびに(棺に入れて)持ち運んでいたが、スウェーデンのクリスティーナ女王を訪ねる旅行の際、彼が乗っていた船の乗組員が、ロボットとそれにぼそぼそと話しかけるデカルトを警戒して(それは嵐の夜だった)、彼の部屋に侵入して「人形」を盗んで破壊し、海に投げ込んだのだ。デカルトはさらに心に傷を負い、この事件が直接彼の健康に影響を与えたとは言い切れないものの、その後すぐに死亡してしまった。
■テクノロジーは私たちに恐れを抱かせる
 デカルトの「人形」のエピソードは、人間と機械の関係について何を示唆しているのか、ロボットはどのように人間に取って代わるのか、そしてそれがどのように混乱を引き起こすかという観点から再び注目されている。
 人間と機械の関係は、世界の進歩(あるいは衰退)を切り取るテーマであり、これまでも度々書かれてきた(たとえば「Talos」など)。私の限られた視野で捉えると、このメガトレンドには少なくとも2つの側面がある。すなわち、機械が私たち(人間)の世界を支配するリスクと、人間の世界の外に(分散型金融[DeFi]、Web3/メタバースなどの)機械主導の世界が存在し始めるリスクだ。
 前者の場合、悪い予想としては、機械が人類を傷つけるという未知のリスクがある(兵器化したAI「悪い」人間によるAIの使用、ロボットの戦争への使用はもちろん、記事「The Final Problem(最終問題)」で言及したAIによる化学・生物兵器の製造もあり得る)。
「古い世界」の中に組み込まれつつある新技術
■Web3
 良いニュースは、Web3や分散型金融(DeFi)のアーキテクトたちが大胆に「古い」システムから独立していると宣言した現実離れした新しい世界が、今では「古い世界」の取り込まれつつあるように見えるという点だ。 
 Web3/メタバースは、初期の頃は人間が長時間滞在できる場所だと宣伝されていたが、今では、人間が訪問したり、ちょっとだけ立ち寄ることのできる場所として捉えられている。先週、ハートフォードシャーで開催されたValidify(バリディファイ)の「デジタル小売会議」に参加した際にも、このことがよく理解できた。そこでは、Web3は消費者の役に立つが(たとえば服を試着したり、家の装飾をシミュレートしたりできる)、必ずしも「私たちの実世界」と肩を並べる世界とはならないだろうという見解が一致していた。
 分散型金融も同様で、既存の金融システムには対抗できていないが、その中の最も有用な「デジタル資産インフラ」などの要素は、既存の金融システムのプレイヤーによって採用されつつある。
 どちらの場合も、新しい「発明」の成長が控えめになるのは、金利の上昇(および市場の流動性の低下)と相関しており、(デカルトの時代と同時期の1630年代と1640年代のオランダで起こったチューリップ・バブルのように)イノベーションの勝利の多くは、新技術に目をつけた低コストの資金に支えられていることが明らかになっている。
 もちろん場合によっては、低コストの資金と、優れたデザイン/ブランディングを使って、新しい技術を持つ企業が市場シェアを獲得し、新しいサプライチェーンを構築し、一般的に消費者の生活を向上させることができる(少数のフィンテックや消費者向けプラットフォームがこれに該当する)。他にも低コストの資金は、投資家やより広い商業市場(メタバースのような)に対して「新しい商業世界」が創造できて、人間の実世界と同様の商業的可能性を秘めていると信じさせることができる。潮目はこのアイデアに乗って流れている。
 メタバースや分散型金融の可能性への期待がしぼむと、それにともなって、投資家やアナリストはAIに対してより用心深くなるはずだ。AI、メタバース、分散型金融は、同じ資本市場、ベンチャーキャピタリスト、エバンジェリストに支えられているとはいえ、まったく異なるものだ。
 私自身の経験では、AI はデータ回帰分析に根ざしている。私が計量経済学に費やしてきた時間を考えると、AI については皮肉な気持ちにならざるを得ない。だが、AIがWeb3/メタバースや分散型金融とは異なる点は、AIは私たちの世界の中でも、メタバースや分散型金融の中でも、動作し構築ができる可能性があるということだ。AIによるコンピュータプログラミングは、そのような生産性向上のためのアプリケーションの一例だ。
 潜在的に興味深く、そして(上で指摘したように)恐ろしい点は、プログラマーによって構造化されたその道を、デカルトの言葉を借りれば「我思う故に我あり」というレベルまで、AIは進化させ強化することができることだ。それこそが心配な点なのだ。
 Mike O'Sullivan
   ・   ・   ・