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2022年10月29日 MicrosoftNews 朝日新聞社「遺跡が伝える大洪水 考古学者・上野修一さんに聞く
© 朝日新聞社 上野修一さん。1956年、旧南那須村(那須烏山市)生まれ。大田原市なす風土記の丘湯津上資料館長。立命館大学卒業。栃木県立博物館学芸部長、栃木県埋蔵文化財センター所長などを経て2018年から現職=2022年10月10日、同資料館、小野智美撮影
栃木県内に大きな被害をもたらした台風19号から3年が過ぎた。今後の備えを考えるとき、考古学者で大田原市なす風土記の丘湯津上資料館長の上野修一さんは、6世紀後半に県内で起きた大洪水に着目している。どんな規模の洪水なのか。上野さんに聞いた。
洪水の痕跡は、台風19号で被災した那須烏山市の那珂川沿いにも残っている。最近の異常気象を見ていると、100年に1度が当たり前になり、千年に1度の自然災害がもう目の前に来ていると感じる。だからこそ、1400年以上前の大洪水を広く知らせたい。
1997年、黒川左岸の八剣(やつるぎ)遺跡(壬生町)の発掘に携わった。北関東自動車道の工事に伴う調査だった。洪水の痕跡を示す砂層が見つかり、洪水が起きるような地に人は住まないだろうと思いながら掘っていくと、古墳時代後期の竪穴住居跡が出てきて、「えっ!」と驚いた。
土器も見つかり、須恵器にはたっぷり砂が詰まっていた。柱穴にも砂が詰まっていた。水で柱が抜けた後にたまったのだろう。
洪水はどこまで広がったのか。黒川と思川の間の北関東自動車道工事にも立ち会い、洪水で積もった砂が高さ1メートル以上もあるのを確認した。これほどの規模なら他にも被害が及んだはずだと考え、過去の発掘調査記録を調べ始めた。
渡良瀬川支流の名草川の右岸に位置する菅田西根(すげたにしね)遺跡(足利市)にも痕跡があることが分かった。古墳時代の水田遺構の全面を厚さ約20センチの砂層が覆っていた。濁流にえぐられたと見られる痕跡もあった。
鬼怒川右岸の五霊(ごりょう)遺跡(上三川町)、黒川右岸の青龍渕(せいりゅうぶち)遺跡(鹿沼市)で確認された土層も、同じ洪水でできた可能性が高い。
さらに那珂川右岸の滝田本郷遺跡(那須烏山市)にも、同じ洪水と思われる痕跡があった。大型商業施設が立ち並ぶ一角に近く、国道294号バイパス沿いの興野大橋の北側だ。
滝田本郷では物を持ち出す時間がなかったようだ。かまどのわきに色々な土器が置きっぱなし。八剣より遺留品が多く、ほとんど完全な形で残っていた。住居跡の土の中から大量の石も出ている。こぶし大から人頭大まで。これは洪水の勢いを物語るものだろう。
県内では他の時期にこれほどの洪水痕跡はない。那珂川も、黒川、渡良瀬川、鬼怒川も同じ日に大洪水が起きたものとみられる。
八剣遺跡近くの黒川と思川の間には今、集落が点在している。町のハザードマップを確認すると、そのあたりは危険地帯に含まれていなかった。この判断は近代以降の観測結果に基づくもので、ここ100年は安全だったと示すにすぎない。市町も地元の洪水被害の歴史的事実を住民にしっかり伝えてほしい。
自分の身を守るには、知識が必要だ。過去の自然災害の規模は考古学の発掘成果から、かなり解明されている。八剣遺跡を目の当たりにして以来、大雨の時はいつも、思川や黒川が氾濫(はんらん)しないように、と思っている。(聞き手・小野智美)」
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