🍘28〗ー1ー学歴至上主義の超エリート層が日本を衰退させ滅ぼす。~No.86 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 戦後民主主義教育が育てた学歴至上主義の超エリート層が日本を衰退させ滅ぼす。
 超エリート層とは、高学歴な政治的エリートや進歩的インテリである。
   ・   ・   ・   
 戦前のエリートと戦後のエリートそして2000年現代のエリートは、三者三様で別人のようなエリートである。
 2000年現代の超エリート層に立ちはだかったのが、テロで殺害されたリアリスト安倍晋三元首相であった。
   ・   ・   ・   
 2022年10月1日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「「高学歴=幸せ」信じ、子育てする親がズレてる訳    
 個性や特性を無視して理想を押しつけるのが問題だ
 礒津 政明
 © 東洋経済オンライン 文部科学省教育委員会はいまだ昭和を生きている(写真:hirost/PIXTA
 2021年夏、ネット上で、ある記事を見た私は、わが目を疑いました。「『小1プロブレム(小学1年生の学習態度や能力のバラツキが大きいこと)』を解消すべく、文科省が就学前の5歳児に対する教育プログラムを検討している」というのです。
 「まだ文科省は昭和の価値観から抜け出せていないのか……」と、時代に逆行する政策に絶望を感じずにはいられませんでした。
 いま日本の学校教育に求められている喫緊の課題は、「子どもはこうあるべき」という画一的な指導ではなく、子どもたち一人ひとりの個性や特性に合った学びを提供すること。
 そもそも子どもの学習態度や能力にバラツキがあるのは当然で、ましてや7歳児となればなおさらのことです。それが「個性」であり、「多様性のある社会」とは多様な個性が尊重される社会のことを言うのです。しかし、日本の教育現場の辞書には昔から「個性」という言葉がずっと存在しないままでした。そのために、平均的ではない子どもたちはみな「プロブレム(問題)」扱いされてしまいます。
 拙著『2040 教育のミライ』でも詳しく解説していますが、ここで声を大にして伝えたいのは、本来、子どもたちに「問題」などないのだ、ということです。「問題」なのはむしろ、予定調和の教育しか提供できない教育システムと、自分の理想を子どもに押しつける親のほうなのです。
 幸せになるためにIQより大切なもの
 私は子どものいる・いないを問わず「教育」に興味のある人たちと、子どもの教育、ボランティア教育活動、海外の教育事業動向など、さまざまな話題で意見を交換することがあります。特に中学受験をテーマにする際、必ず問いかける質問があります。「皆さんの考える教育の『目的』は何ですか?」と。
 すると「自立した大人になるよう支援すること」「子どもがやりたいことを見つける環境を整えること」という答えが大多数を占めます。また、ストレートに「偏差値の高い大学に入ってもらうこと」と口に出す人こそいないものの、もはや暗黙の了解になっているのだな、と感じます。
 しかしいまの時代、「日本で高偏差値の大学に入ることが子どもの幸せに直結する」と、どこまで確信を持って言い切れるでしょうか。
 「IQよりEQ(Emotional Quotient:心の知能指数)」と言われるように、どんな学校に入るかとか、どんな企業に入社するかといった表面的な成果を目的にするのではなく、「幸せになることが得意な人格」の形成を目的にすべきだと私自身は思うのです。
 世界標準の教育目標と日本の乖離
 ここで、視点を世界に広げてみましょう。フランス・パリに本部を置き、経済と教育の関係性を不可分のものとするOECD経済協力開発機構)が世界中の教育者たちと20年もかけて議論し、言語化した教育目標があります。それが「ラーニングフレームワーク2030」です。言ってみれば、「これからの時代に教育者たちが目指すべき世界共通のゴール」です。
 このフレームワークによると、教育の最終目標は「社会全体のウェルビーイング(社会全体が良くあること=人々が心身ともに健康で幸福であること)」とあります。
 では、「社会全体のウェルビーイング」を実現するためにはどうすべきか。OECDは、個人に次の3つの資質を求めています。
・物事に主体的に関わる力
・クリエイティブな力
・対立を解消する力
 これらの資質は、まさに世界の産業界全体で求められている能力と言えます。
 欧米の教育者たちは、こうした資質を持つ子どもたちを「社会全体で育てる」にはどうしたらいいかを真剣に議論し、現場に落とし込む教育改革を何十年にもわたって続けています。
 翻って、日本ではどうでしょう。日本の学校教育において個人の資質として求められていることは相変わらず「ペーパーテストを解く力」が主流です。
 その結果、一流と言われる大学を出ても言われたことしかできない人、創造性の乏しい人、価値観の違いを乗り越えることが苦手な人、当事者意識に欠け問題解決を先送りにする人、世の中への貢献よりもお金と役職に執着する人が、政治や行政、民間企業の要職につき、組織の成長にブレーキをかけてしまっているのです。
 インバウンドの増加の裏に潜む日本の衰退
 日本では、平均賃金もひどいありさまです。購買力平価ベースの日本の平均賃金は現在約4万ドルで、OECD平均の約5万ドルを下回っています。
 1位はアメリカで、約7万ドル。ここ20年で日本は平均賃金を下げましたが、アメリカは倍増させています。日本はいまやEUの中で財政難にあえぐイタリアと同じグループにおり、そのすぐ下のグループには旧共産国財政破綻したギリシャが迫っていることをご存じでしょうか。
 株価についても、2021年の暮れに日経平均の年末終値が32年ぶりの高値をつけたというニュースが流れました。しかし、これは裏を返せば「日本は32年間経済成長していなかった」ということです。その間、アメリカのダウ平均は12倍になっています。
 「でも、インバウンドが増えているじゃないか」という意見もあるかもしれません。たしかに新型コロナウイルスが流行る前、日本のインバウンド需要は異常な高まりを見せ、2019,年に日本を訪れた外国人は3000万人を超えました。わずか8年で5倍の増加です。
 こうした現象に対して「日本の良さが世界に知れ渡ったからだ」「日本のサービスや製品がいいからだ」といった前向きな意見もありますが、その実態は「日本が貧乏になったから」という理由にほかなりません。かつて日本人がアジア各国に貧乏旅行をしていた感覚で、今はアジア各国の人たちが、安全で物価の高い日本で旅行を楽しんでいるのが現実なのです。
 このように、経済や国力の観点から見れば、日本の教育は十分に機能しているとはとても言えない状態であることがおわかりいただけると思います。それはつまり、日本社会全体に停滞を打ち破るような変革者がまったくと言っていいほど現れていないということでもあります。
 その根本にあるのが、子どもたちに同質性を求めるあまり、個性を異物とみなす学校教育であり、テストでいい点数をとった人間だけを優秀な人材とみなす学力至上主義なのです。
 才能の一極集中が日本の再浮上を妨げる
 ここで警鐘を鳴らしておきたいのが、日本の超エリート層にはびこる「東大理科三類(医学部)至上主義問題」です。
 小さい頃から神童扱いされる子どもが、周囲の大人から「これは将来、理三で医者だね」と言われ続けて育つ。本人も大学の偏差値ランキングを見るたびに「理三」が一番上にあるので、そこを目指すことに疑問を感じなくなる。
 このように、子どもの高学力の証明のためだけに理三を目指させる大人が少なくありません。しかしその結果、理三に入っても医療の世界に進まない人や、人格的に問題のある医師が生まれてしまう、ということが実際に起きています。
 ただ、この傾向は数年前から少しずつ変わり始めています。たとえば、数年前まで灘高で成績上位の卒業生のほとんどが東大理三や京大医学部を志望していましたが、この2、3年、東大理一などの情報系学部を目指す学生が増えているそうです。
 ITバブルが弾けた2000年以降しばらくの間、情報系学部は世界的に不人気でした。その時代からすると隔世の感がありますが、いまでは海外の著名IT起業家は大学でコンピューターサイエンスを専攻していたり、巨大IT企業の花形職種がソフトウェアエンジニアであることが、情報系学部の人気を確固たるものにしています。このように、あらゆる産業分野に優秀な人材が散らばる流れが広がっていっているのです。
   ・   ・   ・