🗡28〗─3・B─日本海軍のジェット戦闘機「橘花」。~No.93 

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 戦前日本の科学技術は、欧米の科学技術に劣らない能力を持ち、ある意味に於いて現代日本よりも優れていた。
 何故なら、当時の航空産業は最先端技術の塊であったからである。
 当時の日本の学者・研究者・技術者は、泣き言をいわず、不平を漏らさず、乏しい限られた民族資本の中でやり繰りし、欧米と協力・共同する事なく、独自・独力で研究開発して、生産し、実戦配備を行っていた。
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 2022年8月7日17:12 YAHOO!JAPANニュース 乗りものニュース「日本の空をジェット機が飛んだ日 戦闘機「橘花」初飛行-1945.8.7
 世界初の誕生から6年後
 日本初のジェット機として開発された「橘花」(画像:SDASM Archives)。
 今から77年前の1945(昭和20)年8月7日。旧海軍の戦闘機「橘花」が初飛行しました。
 【国産初ジェット機橘花」の詳細を見る】
 「橘花」は国産初のジェット機であり、日本の航空史上でも重要な意味を持ちます。世界で初めてジェットエンジン搭載の飛行機が飛んだのは1939(昭和14)年のドイツで、その後起きた第2次世界大戦で急速に発達しました。
 それまでの飛行機はプロペラを回して推進力を得ていましたが、スピードを追求する中で既存のエンジンでは限界に達しつつありました。それを克服するために用いられるようになったのがジェットエンジンです。
 製造は中島飛行機が担当。機体のデザインはドイツのメッサーシュミット製「Me262」がベースとなっています。大量に実戦投入され一世を風靡した「零戦」にくらべ、性能面では上回っていないものの、シンプルな設計で約3倍の生産効率を実現できたといいます。
 空襲の影響を受けたものの、設計完了からわずか半年で試作機が出来上がり、いよいよ初飛行を迎えたのがきょう、8月7日でした。試験飛行は短時間ながら成功し、量産と実戦投入へ移行しようとしたその8日後、日本は終戦を迎えることとなります。機体は実戦未経験のまま、アメリカへ接収されaていきました。
 終戦により、日本の戦闘機開発は一旦終焉を迎えます。1954(昭和29)年に自衛隊が発足。その練習機として、13年ぶりに新たな国産ジェット機「T-1」が誕生します。そのあと、初の量産ジェット戦闘機「F-1」が誕生するのは1975(昭和50)年のこととなります。」
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 ウィキペディア
 橘花(きっか)は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍が開発した双発ジェット戦闘攻撃機[注釈 1]。日本初の純国産ジェット機である。エンジン開発は主に空技廠が担当し、機体を中島飛行機が開発製造。
 ネ12B装備型を「橘花」、ネ20装備型を「橘花改」と正式には呼称する。試作機はそれぞれ、「試製 橘花」、「試製 橘花改」と呼ぶ。
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 時事ドットコムニュース>特集>【特集】日本の海軍機>特殊攻撃機橘花
特殊攻撃機橘花
 海軍木更津飛行場で2回目の試験飛行の準備をする「橘花」。全長9.3メートル、全幅10メートルと、機体サイズはMe262より一回り小さい。全備重量は3550キロとMe262の半分程度だったが、それでもエンジンの推力が足らず、戦闘機に必要な機動力は望めなかった【時事通信社
 ドイツのジェット機メッサーシュミットMe262を参考に、1944(昭和19)年から航空技術廠(海軍の航空機に関する技術開発を担当する部門)と中島飛行機が共同で開発を始めた。ドイツからもたらされたのはMe163と同様に文献資料だけで、これを基に陸軍がMe262をフルコピーした戦闘機「火龍」を開発しようとしたのに対し、海軍はMe262に搭載されていたJumo004ターボジェット(推力900キロ)の製造は技術的に困難と判断、「橘花」はまったく別の機体を目指した。
 ドイツからの技術情報には、より小型のジェットエンジンBMW003のデータも含まれていたことから、これを参考に推力475キロの軸流式ターボジェット「ネ20」を製造し、45(昭和20)年3月に何とか試運転までこぎ着けた。ただ、ジェットエンジンのタービンは極めて高温になり、当時の技術では耐久性を持たせることが難しく、実用レベルまで改良できたのは同年6月になってからだった。機体はMe262をスケールダウンした格好で、主翼後退翼は断念してテーパーをかけた先細型の形状とするなど、日本の技術力で製造できるスペックにまとめられていた。
 2基のエンジンを試作1号機の機体に搭載して同年7月に地上滑走試験を実施、8月7日には11分間の試験飛行に成功する。しかし、11日の第2回の試験飛行で離陸に失敗し、機体が大破したところで終戦を迎え、日本初のジェット機はただ1回の飛行でその生涯を終えた。なお、陸軍の火龍は試作機の製造どころか設計の途中で終戦を迎えており、ドイツの先進技術を身の丈に合った内容にグレードダウンしようとした海軍の方が現実的であったと言える。
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幻のジェット戦闘機「橘花」 (光人社NF文庫)
ファインモールド 1/48 日本海軍 特殊攻撃機 試製橘花 プラモデル FB10