🗡29〗─1─陸軍最優秀戦闘機「疾風」(四式戦闘機)はB-29を撃墜していた。~No.94 

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 戦前日本の航空技術は世界トップクラスで、たえず技術革新を繰り返し進歩・進化を続けていた。
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 2022年7月20日06:12 MicrosoftNews 乗りものニュース「最強戦闘機ながら最後は特攻機にも「疾風」現存唯一機の“ウワサ”吹き飛ぶ 保存状態ヨシ!
吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)
 大戦末期に完成した「疾風」
 鹿児島県の薩摩半島南部にある南九州市には、日本のみならず世界でも唯一、現存するレア機が保存・展示されています。機体の名は四式戦闘機「疾風」。同機は、太平洋戦争中に旧日本陸軍が開発した戦闘機ですが、なぜ、そのような機体があるのか、その経緯をひも解くと、この地にかつてあった飛行場と、機体がたどった半生を振り返ることができました。
 「疾風」の開発を振り返るならば、まず前型の「隼」に触れる必要があるでしょう。1941(昭和16)年12月から始まった太平洋戦争において、旧日本陸軍航空隊の主力戦闘機として用いられたのが、中島飛行機が開発した一式戦闘機「隼」でした。
 計画名称「キ43」の名でも呼ばれた「隼」は、三菱重工が開発した海軍の零式艦上戦闘機零戦)に並び称される戦中の名機です。武装は機首に搭載した7.7mm機関銃2挺(後に12.7mm機関砲2門にまで強化)のみと軽武装ながら、1000馬力級エンジンを搭載したことで最高速度515km/h(高度6000m)を発揮し、蝶型フラップ(空戦フラップ)の採用などにより格闘性に優れていたことで、中国やビルマ戦線で勇戦しました。
 【貴重!】世界唯一「疾風」のエンジン&操縦室の状態ほか
 © 乗りものニュース 提供 旧日本陸軍の飛行場があった鹿児島県の知覧特攻平和会館で展示される四式戦闘機「疾風」。間近で見ると重戦としての風格を感じることができる(画像:知覧特攻平和会館)。
 しかし太平洋戦争が始まったことにより、軽戦(軽戦闘機)の「隼」より強力な武装を有しながら高速で、さらに長い航続距離を持った2000馬力級エンジン搭載の重戦(重戦闘機)の開発計画が立ち上がります。そのような陸軍の要求に応えるべく中島飛行機が開発したのが計画名称「キ84」試作戦闘機でした。
 同機は1943(昭和18)年3月にようやく完成し、翌1944(昭和19)年4月に四式戦闘機「疾風」として制式採用されます。
 これぞ「決戦機」 最強戦闘機の実力
 「疾風」は、「隼」ゆずりの格闘性能を受け継ぎながらも試作段階で最高速度660km/h(高度6000m)を出しており、その高性能ぶりから「大東亜決戦機」と呼ばれるほど大きな期待が寄せられました。
 また武装も、対戦闘機用の「甲型」では、機首に12.7mm機関砲を2門、翼内に20mm機関砲2門を搭載していたのに対し、対爆撃機用の「乙型」では機首に20mm機関砲を2門、翼内に20mm機関砲2門と火力が向上しており、一式戦闘機「隼」とは段違いの強力な打撃力を有する戦闘機に仕上がっていました。
 「疾風」は生産開始から1945(昭和20)年8月終戦までのわずか1年半で3577機が完成しますが、これは約1万機生産された「零戦」、約5800機が生産された「隼」に次ぐ、日本機としては3番目の生産機数となっています。
 四式戦闘機「疾風」は、1944(昭和19)年初旬以降、フィリピンや中国、ビルマ戦線などに送られ、アメリカ陸軍および海軍機と交戦して大きな戦果を挙げます。これにより、アメリカ軍側も最強の日本戦闘機として認識するほどでした。また、日本本土に押し寄せるB-29爆撃機への迎撃でも多用されています。
 しかし、戦局の悪化にともない1944(昭和19)年後半以降は「疾風」も特攻機として使われるようになります。1945(昭和20)年の沖縄戦では鹿児島県の知覧基地などから多数が出撃、最終的に「疾風」を駆って特攻隊員として空に散ったパイロットは122名を数えました。
 知覧に「疾風」が展示された経緯
 この悲惨な戦争の記憶を忘れないよう、知覧基地のあった知覧町(現南九州市)では、1955(昭和30)年に特攻平和観音像を安置する観音堂を建立し、慰霊祭を行うようになりました。この観音堂を基にして知覧特攻遺品館が整備され、1987(昭和62)年には知覧特攻平和会館としてリニューアルされます。
 さらに1995(平成7)年には、和歌山県の白浜御苑に展示されていた実物の四式戦闘機「疾風」が知覧町に有償で譲渡されたことで、同機は特攻平和会館のシンボルとなりました。
 © 乗りものニュース 提供 フィリピンでの鹵獲後、アメリカ軍の試験を受ける「疾風」。「S10」と「S17」の番号を付けられた2機はオーストラリアで試験を受け、その後「S17」のみがアメリカ本土に運ばれてさらに綿密な試験を受けた(画像:オーストラリア戦争記念館)。
 現在、知覧特攻平和会館の館内で展示されている四式戦闘機「疾風」は、元々フィリピンに展開していた旧日本陸軍飛行第11戦隊で使用されていた機体(製造番号1446号)で、その後アメリカ軍に鹵獲(ろかく)され米本土に送られ調査を受けたのち、民間へと払い下げられました。
 その機体を、カリフォルニア州にあるプレーン・オブ・フェイム航空博物館を創立したエド・マロニー氏が飛行可能な状態に復元します。そして1973(昭和48)年に日本人オーナーが購入し、同年10月に航空自衛隊入間基地で開催された国際航空宇宙ショーで展示飛行を行い、日本での里帰り飛行を成功させたのでした。
 こうして、再び日本の空を舞った四式戦闘機「疾風」は、アメリカに戻ることなく富士重工業(現SUBARU)での保管を経て1978(昭和53)年に当時、京都市右京区にあった京都嵐山美術館へ売却され、しばらく同地で展示されます。しかし1991(平成3)年に同美術館が閉館すると、機体は和歌山県の白浜御苑に移されます。
 その後、1995(平成7)年に知覧特攻平和会館に譲渡の打診が始まり、正式契約後に移送と組立、クリーニング作業を経て1997(平成9)年2月より知覧で公開されています。
 現存唯一の「疾風」 詳細調査で文化財指定へ
 知覧特攻平和会館で展示される「疾風」は前述した通り、かつては飛行可能でしたが、知覧町に来るまでの各地での保管状態によって、飛行できなくなってしまいました。ただ以前、噂されていたような移送のために機体を切断したから飛べなくなってしまったわけではありません。
 元々、胴体は前後に分割できる構造になっており、それが目撃者によって勘違いされ流布したことが要因のようです。富士重工業から嵐山美術館へ、さらに白浜御苑へと、「疾風」は国内を転々としたものの、どの移送時でも適切な箇所で分解・組立されており、予想されたほどの劣化はないとのことでした。
 © 乗りものニュース 提供 後方上部から見た四式戦闘機「疾風」。翼幅は11.24mあり、一式戦闘機「隼」の10.84mより40cm長い(画像:知覧特攻平和会館)。
 なお、この機体の本格的な調査が2017(平成29)年より行われています。旧軍機の保存修復に長けた専門家の手により機体パネルは慎重に外され、エンジンの気筒内部の調査にはファイバースコープを使うなど、東京文化財研究所の専門家も参加する本格的な調査が、2020年までに5回行われました。その結果、京都嵐山美術館で展示されるようになった1973(昭和48)年以降は静態保存になりましたが、機体の状態はおおむね良好に保たれており、多くのオリジナルのパーツや機体内部の塗装、戦時中の修復箇所なども確認されています。
 これまでの調査内容は2022年3月に保存状態調査報告書として刊行されました。ちなみに、同機は特攻の歴史を伝える貴重な資料として2020年には南九州市の指定文化財有形文化財歴史資料)にもなっています。
 前出したように、知覧特攻平和会館の四式戦闘機「疾風」は世界で唯一、現存する機体です。戦争の記憶を風化させないだけでなく、当時の日本航空技術がどれぐらいのレベルだったのかを後世に遺すという意味で、同機は貴重な資料といえるでしょう。」
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 軍国日本は、一点豪華主義として、当時世界最強の兵器を開発していた、その代表が戦艦「大和」であり海軍戦闘機「ゼロ戦」、陸軍戦闘機「隼」であったが。
 海軍は、大和型戦艦の建造は二番艦の「武蔵」で中止し、三番艦の「信濃」は航空母艦に変更した。
 戦闘機においては、海軍は局地戦闘機として「雷電」と「紫電改」を、陸軍は本土決戦機として局地戦闘機「疾風」と「飛燕」などを開発・生産した。
 双発万能戦闘機、海軍はレーダー装備夜間戦闘機「月光」、陸軍は屠龍。
 軍部は、バブル経済で世界第2位の経済大国と自惚れ浮かれて想像と破壊と前進を放棄して停滞し衰退していった日本とは違い、敗戦後の焼け野原から復活・復興・成長を成功させる確かな科学技術を子孫の為に残した。
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 『戦艦大和ノ最期』 吉田満
「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ
 日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ
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 歴史人
 実用日本戦闘機中の最高速最強を誇る「大東亜決戦機」:四式戦闘機「疾風(はやて)」(中島キ84)
 太平洋戦争日本陸軍名機列伝 第3回 ~蒼空を駆け抜けた日の丸の陸鷲たち~
 白石 光
 2021.06.16
 次世代の2000馬力級エンジンを搭載
 四式戦闘機「疾風」初公開時の写真。従来の「隼」を大型化したような印象で、実際に空中では両者の識別はほとんど困難だった。そのためアメリカやイギリスのパイロットは当初、本機を「隼」と見間違うことが多く、交戦開始後に従来の「隼」とはまるで異なる機動や速度から、改めて「疾風」と判断することも多かったという。
 太平洋戦争勃発直後の1941年12月末、日本陸軍中島飛行機に対して、当時開発中だった重単座戦闘機(のちの「鍾馗/しょうき」)よりも大馬力の、世界的に次世代の戦闘機エンジンの主流になると見られていた2000馬力級エンジンを搭載する汎用戦闘機キ84の開発を命じた。
 搭載するエンジンは2000馬力のハ45。海軍では「誉/ほまれ」と呼ばれた空冷星型エンジンで、整備や調整にやや難しいところがあったが、その点さえしっかり押さえてあれば、きわめて優れた小型高出力エンジンとして高性能を発揮した。試作機は、高度6000mを最大速度約660km/hで飛行。これに対して鹵獲(ろかく)された量産型キ84は、アメリカ側の整備を受けてアメリカ製の潤滑油や燃料を用いてフライト・テストに供されたところ、ほぼ同じ高度で最大速度約687 km/h(異説あり)を記録した。ちなみに、これらの数字は日本の量産航空機の最速であると同時に、連合軍による鹵獲日本機としても最速であった。
 第二次大戦中盤以降の世界の戦闘機エンジンの主流ともいえる2000馬力級のハ45を搭載したキ84には、「隼」譲りの運動性能も求められており、合わせて、「隼」以上の防御性能も求められた。そしてこれらの要求を全て満たしたキ84は、1944年4月に四式戦闘機(よんしきせんとうき)として採用され、全国公募と陸軍の選定により「疾風」の愛称が与えられた。
 また、興味深いのは「疾風」に装備された緊急時におけるパイロットの脱出操作を容易にするための工夫だろう。それは風防中央部の飛散装置で、緊急時に操作すると風防の中央部がわずかに浮き上がって風圧により吹き飛ばされ、脱出が容易になるという仕掛けであった。このように、防御性能やパイロット脱出時の工夫など、日本陸軍は海軍よりもパイロットの生存と再出撃を重視していたことがうかがえる。
 かくして、日本陸軍期待の最新鋭戦闘機「疾風」は量産に移行し速やかに部隊配備が進められるとともに、実戦へと投入された。陸軍では本機を「大東亜決戦機」の別名でも呼んで大いに期待を寄せたが、慣れないと整備が難しいハ45の調整の不備や、未熟なパイロットの腕のせいで、せっかくの「疾風」もグラマンF6FヘルキャットやヴォートF4Uコルセア、リパブリックP-47サンダーボルトやノースアメリカンP-51マスタングといったアメリカの新鋭戦闘機にたやすく撃墜されることも間々あった。だがその反面、整備が行き届いたハ45を備えベテラン・パイロットに操られた「疾風」は、これらアメリカのライバル機を逆にバタバタと撃墜もしている。
 そのため、大戦末期には整備運用に長けた「疾風」熟練部隊に機体を重点的に配給し、戦力維持に努める傾向もあったという。
 ちなみにアメリカ軍も「疾風」を第二次大戦における日本の最優秀戦闘機と認めており、連合軍としては、本機をNakajimaの“Frank”というコードネームで呼んでいた。
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 YAHOO!JAPANニュース
 「首都防空戦」解明につながる? 木更津沖で見つかったB-29の残骸 撃墜したのは誰か
 2/18(金) 6:12配信
 乗りものニュース
 木更津沖で発見された異様な鉄の塊
 アメリカ陸軍航空軍のボーイングB-29爆撃機「スーパーフォートレス」(画像:アメリカ空軍)
 2020年11月30日、千葉県の木更津沖約8kmの東京湾でタチウオ漁に使われていた地元の小型底引き網漁船が、網に大きな物体を引っ掛け停止しました。その場所の水深は22mほど。慎重に引き揚げてみたところ、原因は海底に堆積した泥に埋まっていた、およそ1tはありそうな大きな金属製の物体とタイヤでした。
 【デカッ!】巨大なB-29のタイヤ&解明の基になる銘板ほか
 一見すると、航空機の主脚に思われたこの“拾得物”は、当初からマスコミやマニアのあいだで様々な憶測を呼び、なかには1960年代に墜落した民間航空機の物ではないかなどの珍説も飛び出します。
 しかし程なくして、その特徴的なダブルホイールの形状やタイヤのパターンなどから、戦時中に墜落したB-29爆撃機の内側左右のエンジン下に装備した主脚とタイヤであると結論が出ました。なお、その時の調査と一時的な劣化防止の処置に日本陸海軍機の研究家で報国515資料館を運営する中村泰三氏も立ち会っています。
 B-29は、「スーパーフォートレス」の愛称を持つアメリカ製の軍用機です。4発エンジンの長距離戦略爆撃機として太平洋戦争後期に登場し、日本本土への空襲では国民の生命や財産に甚大な被害をもたらしました。与圧装置や冷暖房装置も備え、高度1万2000mを飛行して最大で9tの爆弾を搭載できる同機はまさに「超空の要塞」であり、空襲時の炎に浮かぶ全長30m、全幅43mの巨体は「空の巨鯨」を思わせるものだったのではないでしょうか。
 移送途中の再調査でカギとなる新発見
 戦争博物館への移送途中、零戦報国515号の資料館を運営する中村邸で再調査とクリーニングを受けるB-29の主脚。右下にしゃがんだ人物と比較してその大きさがわかる。ここでの洗浄と防錆処理の際に新たな銘板が発見された(吉川和篤撮影)。
 引き揚げ当初、このB-29爆撃機の遺物は木更津市役所で保管する事になりましたが、公示しても持ち主が名乗りでる事はなかったので、昨年(2021年)12月、発見した漁師に権利が移りました。その後、この方の意向に基づいてB-29の主脚とタイヤは、栃木県那須郡にある戦争博物館に所有権を含めて移譲されることとなりました。
 今年(2022年)の1月末に行われた移送作業では、その途中で前述の中村氏のご自宅に立ち寄り、短い時間ながら調査と劣化防止を兼ねたクリーニング措置が行われています。筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)もその作業に、東京文化財研究所の研究員の方々と共に立ち会わせて頂きました。
 主脚が持つ想定外の大きさと重量感に圧倒されましたが、ほかにも胴体内部に存在した機銃弾や薬莢、雷管、そして光学機器と思われるガラス片などが、泥や海棲生物の死骸と共に付着し残っていました。これについて中村氏は、墜落中に胴体部が炎上しながら機銃弾が誘爆、海面激突時に主脚格納状態で下部からの強い圧力が加わり、主脚は下面を斜め上にして着底。その後、胴体内部に存在した上記の小物が降り注いだと推察しています。
 さらに、その作業時には以前の調査では見つからなかった長方形の黒い銘板が見つかりました。場所は主脚の主軸中央の海棲生物が積層した固まりの下で、調査のために外されています。これは大変重要な発見で、銘板を基にすればシリアル番号の解読から機体の来歴が明らかになるでしょう。一説によると東京湾には合計8機のB-29が墜落しているといわれており、今後の東京文化財研究所による処置や科学調査による詳細の判明が待ち望まれます。
 意外と多かった首都圏でのB-29撃墜
 中村邸での再調査とクリーニングを終え、再びトラックの荷台に積まれて那須戦争博物館に向け出発する主脚とタイヤ。両方合わせて重量は約1tあり、B-29の巨大さが想像できる(吉川和篤撮影)。
 それではこの巨大なB-29爆撃機を撃墜したのは何者なのでしょうか。
 当時の日本軍の防空体制は非力で、B-29爆撃機には手も足も出なかったといわれることもありますが、実際はそうでもなかったようです。
 たとえば、1945(昭和20)年5月23日深夜、空襲で東京に飛来した558機のB-29は、日本軍機の迎撃や高射砲の射撃で17機を失い69機が損傷を被りました。また2日後の5月25日深夜に再び東京を襲った498機は、26機を失い100機が損傷しています。
 この首都東京の防空戦には、旧日本陸軍は飛行第47戦隊の四式戦闘機「疾風」を含む第10飛行師団が、旧日本海軍については厚木基地の第三〇二海軍航空隊や横浜海軍航空隊から夜間双発戦闘機「月光」や急降下爆撃機「彗星」改造の夜間戦闘機型、単発エンジン戦闘機である「雷電」や「零戦」が迎撃に上がっています。
 また九九式八糎(センチ)高射砲は最大射高1万400mでしたが、サーチライトと組み合わせた対空射撃はある程度有効で、加えて少数ながら配備された三式十二糎(センチ)高射砲は最大射高1万4000mという性能を有していたことから、高高度を飛行するB-29にも十分通用するものでした。
 なお、1945(昭和20)年5月29日に横浜空襲で飛来した517機に対して、木更津の太田山に配置された高射砲がB-29を1機撃墜しています。その機体は木更津と君津の間の山中に墜落しましたが、今回の主脚がその時に東京湾に落ちた機体の一部であった可能性も考えられるでしょう。
 いずれにせよ、この遺物の素性は今回の調査で見つかった銘板を基にしないことには何ともいえません。東京文化財研究所からの新たな情報待ちですが、すでにB-29爆撃機の主脚とタイヤは那須戦争博物館に移送されており、慰霊式典や春頃の公開に向けて準備中だそうです。新たな展示物は、同館の目玉となることを期待します。
 ※一部修正しました(2月18日10時10分)。
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