📉24】─1─低学歴国日本の本音――大学進学より大企業就職の方がトクなのか?~No.50No.51 

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 2022年5月15日 MicrosoftNews 現代ビジネス「低学歴国日本の本音――大学進学より大企業就職の方がトクなのか? 知識や能力を評価しないこの国の給与
 野口 悠紀雄
 日本では、大学卒で小企業で働く人よりも、高校卒で大企業で働く人のほうが、生涯所得が848万円多くなる。日本の給与体系が個人の能力を評価するものでないために、このようなことが生じる。
 「学歴が高いほど収入が多い」というが
 学歴と収入は関連しており、高学歴ほど、生涯の給与が多い」と言われる。賃金統計のデータを見ると、確かにそうした傾向がある。図1は、賃金構造基本統計調査のデータを用いて、男性の一般労働者についての学歴別・年齢別の給与(きまって支給する現金給与額。月額)を示したものだ。
 図1 学歴別・年齢別賃金(その1:10人以上の企業、単位:1000円)
 © (C)現代ビジネス 低学歴国日本の本音――大学進学より大企業就職の方がトクなのか? 知識や能力を評価しないこの国の給与
 令和3年賃金構造基本統計調査のデータより筆者作成
 初任給では大きな差はないが、その後、高校卒の給与はあまり伸びないのに対して、大学卒の給与は年齢とともに増加し、50~54歳では、大学卒が52.9万円と、高校卒34.2万円の1.5倍になる。
 図1のデータから年収の数字を出し、これらを単純に合計したものを「生涯収入」と呼ぶと、大学卒は2億6639万円となり、高校卒2億0014万円より約6500万円多い。倍率では1.33倍だ。
 「だから、経済的な観点からみて、大学に進学すべきだ。大学に進学しない人は、このような計算を理解していない」と言われる。
 確かに、学歴は、収入を増やするための手段として、努力によって獲得できるほぼ唯一のものだから、以上の論理によれば、大学に進学するのが合理的だ。しかし、この論理はあまりに単純すぎる。事態はそれほど簡単ではない。
 上記の数字を鵜呑みにすると、日本の高等教育制度が抱えている深刻な問題を覆い隠してしまうことになる。そして、改革の必要性が見えなくなる。
 日本の大学進学率は、国際的に見てかなり低い。日本は低学歴国だ。こうなる理由は、「以上のような計算を理解していない人が多いからだ」ということではない。 経済的観点から見て、大学進学が合理的かどうかに疑問があるのだ。
 大学進学より大企業就職のほうが生涯給与が多くなる
 図1に示したデータだけから、「大学進学が生涯給与を増やす」という結論は得られない。なぜなら、日本では、給与は企業規模によって大きく異なるからだ。
 賃金構造基本統計調査によれば、従業員1000人以上の企業の平均給与月額は37.6万円であり、従業員10~99人の企業の平均給与29.89万円の1.26倍だ。これは、先に見た大学卒と高校卒の生涯賃金の比率とほぼ同じだ。したがって、「小企業で働く大学卒よりも、大企業で働く高校卒のほうが給与が高い」ということがあり得るわけだ。
 このことは、データによって確かめられる。図2には、従業員数1000人以上の企業の高校卒と、従業員10~99人の企業の大学卒の給与(きまって支給する現金給与額。月額)を示す。
 図2 学歴別・年齢別賃金(その2:大企業と小企業、単位:1000円)
 © (C)現代ビジネス 低学歴国日本の本音――大学進学より大企業就職の方がトクなのか? 知識や能力を評価しないこの国の給与
 令和3年賃金構造基本統計調査のデータより筆者作成
 59歳までのどの年齢でも前者の給与が高い。逆転できるのは、60歳になってからだ。その結果、大卒で小企業で働く人の生涯給与2億3110万円より、高卒で大企業で働く人の生涯給与2億3958万円の方が、848万円ほど高くなる。
 したがって、「学歴より、大企業に就職することのほうが重要だ」ということになる。「日本では、大企業に就職することが、大学に進学するのと同じ経済的価値を持つ」と言ってもよい。
 大学進学にかかった費用を取り戻せない
 問題はこれだけではない。当然のことだが、大学進学には費用がかかる。学費だけではない。大学在学中に働くのは難しいから、4年分の所得を放棄することになる。また、大学受験のために私立校に通ったり、塾に通ったりすれば、かなりの費用がかかる。
 さらに、日本の給与体系は年功序列的なので、大学卒であるために給料が高くなるといっても、それが実現するのは、大学卒業後かなり長い時間が経った後のことになる。
 こうしたことを考えると、先に述べた企業規模による給与の差を考慮にいれなくとも、大学進学が有利な投資といえるかどうかに疑問が生じる。経済的に余裕がある家庭の子女だけが、大学に進学できることになる。
 企業は大学入学というレッテルだけを評価している
 以上で述べたことは、日本社会が高等教育の意義をどのように評価しているかと深い関係がある。
 そもそも、学歴が高いほど給与が高くなるのはなぜだろうか? それは、大学で教育を受ければ、高い能力が獲得でき、それを職務の上で発揮できるからだ。
 しかし、日本の企業は、大学卒をそのような意味では評価していない。大学卒というレッテルだけを重視し、「そのレッテルがある人に管理職になる機会を与える」という意味で評価している場合が多い。つまり、学歴とは、管理職への入場券なのだ。
 そして、人々の能力や仕事の成果に合った賃金を払っているのではなく、管理職という地位についた人に自動的に高い賃金を払っている。専門知識や専門的能力を評価し、それへの対価として高い給与を支払っているわけではない。
 その証拠に、図1で分かるように、初任給では大学卒と高校卒にあまり大きな差はない。また、20歳代でも、あまり大きな差はない。そして、時間が経つほど学歴による差が開く。もし専門的知識や能力を評価しているのなら、初任給から大きな差があるはずだ。そして、勤務年数が増えればほぼ自動的に給与が増えるというようなことはないはずだ。
 アメリカの場合、初任給で学歴など能力によってかなりの差があり、その後は、年齢とともに自動的に給与が増えるということはない。これは能力や成果を評価しているからだ。
 日本の大学は社会の要請に応えていない
 責任は、企業だけにあるのではない。大学の責任も大きい。大学は、社会の要請に合わせて学生の能力を高めるような教育を行なっているとは言えない。
 大学の最も重要な役割は、入学試験において選別を行なうことだと言っても過言ではない。そして、入学できさえすれば、よほどのことがない限り卒業できる。だから、正確に言うと、レッテルは「大学卒」ではなく、「大学入学」というレッテルなのだ。
 しかも、最近では、入学試験における選別さえ十分に行われていない可能性がある。総合型選抜(旧AO入試)という名の下で、入学の基準が緩くなっている可能性がある。
 大学進学に意味がある社会を作れ
 私は、大学に進学したい人がすべて進学できるような社会が望ましいと考えている。そして、大学教育を受けたいと考えるすべての日本人が、その希望を実現できる社会を築くべきだと考えている。
 そのためには、社会が大学教育の役割を正当に評価し、それを給与で評価してくれなければならない。また、大学がそうした社会の要請に応えるような教育をしなければならない。
 このような観点から見て、日本の大学の現在の状況は、大きな問題を抱えている。
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